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Edelweiss

作者: 怠惰
掲載日:2026/05/17


 「いってきまーす!」

 

 朝が来た。何時も通りご飯をかきこんで、最低限眉毛は書いて、ああそれとアイラインと涙袋と、でもやっぱりちゃんと塗らなくちゃ!

 そんなこんなで新年度始業まで後十分。どうにも直らない寝癖を一生懸命濡らして梳いて、…もう嫌になっちゃう! と、櫛を放り投げて鞄を背負って扉を開ける。


 雲一つない晴天。眩しさに目を細めて、私は玄関先で呆れる母と寝ぼけている妹にそう叫んだ。


 玖都南地区螢村ほたるむら宇賀神うがじん

海沿いの田舎町にも関わらず大きな中高一貫学園が建ったここは学生寮やアパート、団地が多い。畑を挟んで同じ管轄の学生寮が並んでいる様な、おかしな風景も偶に目にする。校則は厳しめだが、進学率も就職率も高くとりあえず宇賀神行っとけば大丈夫! みたいな噂が立ち、年々受験生の数が多くなっているらしい。

そんな事も知らずに近いからと受験しギリギリ合格した私――三倉那音みくらなのは、新年度最初の登校にも関わらず三十秒前に教室に飛び込んだ。


「…三倉さん、次はもう少し早く来ましょうね…」


 優しげな声で諫めてきたのは新しく担任になる傑屋すぐや先生だ。すいません、と頭をかきながら早足で自分の席へと座る。うわぁ前の席、男子だ、黒板見えるかな。

 私が席に着いたのを見計らって傑屋先生がパン、と手を鳴らす。ざわざわとしていた教室が一瞬で静かになった。


「今日からあなた達は二年B組の仲間です。高校二年生と言えば一大イベントの修学旅行もあります。勿論進路の事もあるけれど…、本格的に考える前に楽しむところは思いっきり楽しみましょう! 皆仲良くね。じゃあまず自己紹介から…」


 良かった。最初から進路希望の長ったらしい話をする様な先生じゃなくて。女の先生だし美人だし今年は当たりクラスかもなぁ、なんて考えながらぼんやりと皆の自己紹介を聞き流す。と、


「な~の、おい」


 ちょんちょんと背中をつつかれる。嫌に間延びした声、もしかしてこいつは。

 恐る恐る後ろを振り向けば予想通りで。プリン頭に垂れ目、がっつり制服のYシャツの前を開けシャツを見せびらかす違反スタイルの男――杜下優宇もりしたゆうがへらへらと笑って手を上げた。


「またアンタと同じクラス…? 嫌なんだけど…」

「良いじゃん良いじゃん。これも腐れ縁って奴ですなぁ」


 優宇は所謂幼馴染だ。幼稚園の頃から一緒に居る。家は隣ではないけれど、徒歩数分で行ける距離の所にある。最近はめっきり少なくなったが、今でも偶に私の家で夜ご飯を食べる事もある位だ。

 これを腐れ縁と言わずして何と言う。

 はぁ、と重たい溜息を吐きながら未だにつんつんしてくる優宇の指を払っていると、徐に私の前の男子が立ち上がった。

 

 薄紫の髪に緑色の瞳、一瞬で分かるスタイルの良さと顔立ちにクラスの女子全員が息を呑んだ気がした。然し、仄かに香る煙草の匂いは誰か気付いたのだろうか。これは明らかに未成年喫煙では…。


「萬代です、宜しくど~ぞ~」


 そう言えば萬代君は早々に座ってしまった。あ、じゃあ私の番じゃないか。慌てて立ち上がって名前を言う。次いで優宇がおちゃらけて、好きなタイプや性癖まで堂々と話しクラスの空気を冷たくした所で自己紹介は終わりとなった。このクラス〝も〟以降の人居ないんだな…。


「最初の授業はオリエンテーションです。〝私の街の好きな所〟をテーマに各班で発表を行って貰います。明日明後日はフィールドワークにも使っていいからね」


 教室の各所からえ~と言う声が広がる。それもそうだ。そのオリエンテーション、一年前の今日と全く同じテーマなのだから。少しは成長したんだから発表もいいものになっているだろうって言う成長度合いを見るのかな…嗚呼、面倒臭いし寝癖が直らない…。


 私の班は萬代君、優宇と二人の女子、一人の男子の六人班だ。一年の時同じクラスだったのは優宇だけで人見知りと言う程でもないが、かと言って陽キャでもない私は完全に押し黙ってしまった。当の女子二人は頻りに萬代君の方をチラチラ見ながら何かを囁き合っている。楽しそうで何よりですね。


「好きな所なんて分かんねぇな~、だって地元だし…何かもう見飽きたって言うか」


 優宇がそう言いながらスマホをいじる。おい、仮にも授業中なのに良いのか。前では男子君が眠たそうに虚空を見つめているし、女子二人は相変わらずカサカサ内緒話。私は寝癖が直らない。最悪か。

 これじゃ話し合いなんて出来っこないな、と思って居れば不意に萬代君が口を開いた。


「…俺、引っ越してきたんすよ。…だから宇賀神ってどういう場所なのか分かんなくて。良いとことかないんすか?」


 その言葉を皮切りに女子二人が猛烈な勢いでアピールし出す。


「萬代君、宇賀神はやっぱり海だよ~! 遊泳出来る海があるの!!」

「マスコットキャラクターのうがにゃんも可愛いよねぇ~!!」


 おお出た。一年の頃に全員もろ被りした発表題材だ。然も九割位がうがにゃんと写真撮った記事書いてて発表の時は大変きまずかったなぁ…。

 萬代君はへぇ~と言う顔をしている。まぁ地元じゃないなら新しさはあるか。でも発表だしな…。


 私が何か言うのも違う気がして、題材が結局うがにゃんに決まりそうな雰囲気になりつつあった時の事だ。不意に優宇が「あ」と声を上げた。


「なの、あの廃墟は?」


 皆が私を見る。女子二人は明らかに「は?何それ」みたいな殺意丸出しの表情を私に向けている。いや、違くて、てか、おい。


「…何で、それ知ってんのよ」


 廃墟、と言うのは私が日頃からせっせとお参りしたり掃除したりしている琥桃こもも神社の事だ。だいぶ前に神主様が亡くなられてから、誰も引き取り手が居ない儘放置されていたのを私が聞きつけた。


 子供の頃にそこで買った桃色の根付が可愛くて、神主様が亡くなられるまで一年に一度、必ず買いに行っていた程だったので思い出深かったのもあり、良ければ掃除しましょうかと言う事で管理させて貰っている。放課後、バイトが無い日は何時もそこへ寄ってから帰る事にしているのだが、それを優宇に言った覚えはない。


「前、なのの母ちゃんに聞いた。何で教えてくんなかったんだよ~」

「…言う必要もないでしょ。後廃墟じゃないし」


 ペンケースに付けている桃色の根付を爪でいじいじしながら、早くこの話題終われと願う。だってもう女子二人の視線が。私を殺そうとしているのだが。そんな事も露知らず、男子君と優宇は「琥桃神社良いよな~」と言う話になっているし、萬代君も何故か興味深そうに聞いている。辞めて欲しい…。


「じゃあそこにしようぜ。うがにゃんは絶対他の奴等と被るし。適当に歴史調べて写真撮って終わり。な!」

「ええ~~…」


 女子二人が早速抗議の声を上げた。それもそうだろう。萬代君とデート気分でオリエンテーションしたかったと言うのに山奥の虫も沢山居る廃墟に赴かなければいけないなんて…。私も良く気持ちわかります、否分かりませんけどとにかくあの神社に人を入れたくなくて。


暫くは優宇と女子二人の言い合いが続いていたが、軈て面倒になって来たのか片割れの一人が、


「三倉さんその廃墟知ってるんだよね! じゃあ写真とかは三倉さんにお願いしよ! アタシらバイトあるし!」


 と言い放った。それにもう一人も同調してにこりと微笑みかけてくる。…まぁ、私も苦手な人達があの神社に踏み入れるの良しとしない気持ちがあったので、それは良いのだけれどもド完全に私に押し付けてきた態度は気に食わない。


「……分かりました~」


 気に食わないとは思っているが、こういう時にガツンと言う勇気もなく。結局写真等は私が撮影して、歴史は男子達で調べる事になった。…私だけがフィールドワークしてないか?

 まぁ、撮影だけなら明日で十分。一人でぼんやりするのも好きだし勝手にやらせて貰うか…と放課後貰ったプリントを鞄に詰め込んでいると、ふと視界が暗くなった様な気がして、顔を上げる。


「三倉さん、あのさ」


 萬代君だ。え、前髪で隠れて見えなかったけど右目にアンチブロウ開いてんの? ヤンキーどころの騒ぎじゃない。ていうか顔良っ。

 余りの御尊顔に私が息も出来ずに固まっていると、萬代君が訝し気に覗き込んでくる。それ以上は私が殺されるからやめておこう! なんて言えずに、あからさまに不審な態度で顔を逸らせば「な、何?」と言葉を投げた。


「…嗚呼、御免。あの、撮影、一人で大丈夫? 結構押し付けられてた感じだけど」


 あ、やっぱり萬代君でも分かってたか~。否あの態度は誰だって分かりますよね。


「ま、まぁ大丈夫。別に撮影機材とかがある訳じゃないし。すぐ撮って帰るよ」


 私がそう言えば、萬代君は「そう」と声を落とした。あれ? もしかして、引っ越してきたから琥桃神社が気になるのかな。まぁ地元民から廃墟とか言われてる神社、早々ないしね。


「…萬代君さえ良ければ、明日一緒に行く? ちょっと遠いけど、…あ、夕日が綺麗なんだよ」


 そう言って何時かの春に撮影した朝日を見せる。

 琥桃神社から見る水平線の夕日は最高だ。…画面越しだと余り分からないかも知れないけど、と付け足して萬代君の方を見れば、その瞳は輝いていた。


「…へぇ、綺麗。一緒に行っていい?」

「えぁ?! も、勿論…、……あ! 私バイトがあるからじゃあね!!」


 フィールドワークだしね! 授業の一環だしね! そう私は理由付けながらも何だかいけない事をしている様な気分になり、いたたまれなくなって早々に教室を出て行ってしまった。

 萬代君の方を見る事は出来なかった。多分、きょとんとしているんだろうな。申し訳ない、貴方が嫌とかそう言う訳では全然なく、…私がそう言うのに慣れてないだけ。


 今まで恋愛漫画や、ドラマ、映画に至るまでの全てをシャットアウトしてきた。理由は小学校六年生の頃に迄遡る。

 優宇と私は登下校も一緒で、何なら良く泊まりにも来ていたし、一緒にお風呂だって入った事もある。それが私にとっての普通で、優宇にとっての普通だった。だけど、そう言う年頃の男子は違ったみたいで、ある日掃除中だった私を指差してこう言ってきた。


――『お前、杜下と付き合ってんのか!』


 は?

 思考停止した私に悪ノリした男子達が数人、口々にこう言い始める。


 ――『いっつも一緒に帰ってるし! 家にも良く遊びに行ってるんだろ!』

 ――『泊まってるのも聞いたぜ!』

 ――『うわ、じゃあもしかしてアイツら…』


 その先は私にも想像がついた。思春期の男子が考えつくものだ、下品極まりない。私も冷静に否定すれば良かったのに、何故だか優宇まで馬鹿にされている様な気がして腹が立って大声で怒鳴ってしまった。

 それに気を良くした男子達は、笑って更に『バレて恥ずかしいんだろ!』とか言ってきた。もうそこからは髪の毛を掴んでの取っ組み合い。幸い、友達が近くに居合わせて状況説明をしてくれたお陰で、私が悪者じゃないって分かって貰えたけど。


 その頃から、優宇は遠慮して家に余り来なくなった。

 私も、そう言うのは普通じゃないし馬鹿にされると変に意識してしまって、優宇を誘う事も無くなった。恋愛ドラマや映画を見ていると思い出す。これは普通じゃなかったんだって。

 だから辞めた。トラウマって程ではない、そう言う経験をする度にあの時の記憶が思い起こされて辟易するだけ。


「……これは、フィールドワークだから」


 そう再度言い聞かせれば、私はバイト先のコンビニへと足早に向かった。






 次の日の午後、私は高校のジャージに着替えて集合場所の麓に向かう。

 そこには何故か萬代君の他に優宇ともう一人の男子――飛池とびいけ君が立っていて。私は頭の中を「?」で埋め尽くしながらその輪に入って行く。


「何でアンタがいんの?」

「おお、なの。否昨日の夜に萬代から連絡あってさ。〝琥桃神社ってどこ?〟って。それで話聞いて、俺等も掃除とかしようぜ~って。な、飛池」

「あ、は、はい。すいませんいきなり…来てしまって…」


 分厚い眼鏡をかけた飛池君は、大袈裟な身振り手振りをしながら謝って来る。全然いいよ~と言いながら四人でフェンスの扉をくぐり、私が先導で山を登る事になった。

 期待していた訳ではない。ただ、少しだけ優越感に浸っていたのだろう。あの二人が騒ぎ立ててた萬代君が、こっちに興味を持ってくれた事に浮かれていただけなのだ。


「三倉さん」


 ふと後ろから小さく声を掛けられる。萬代君だ。何時もハーフアップにしている髪の毛は掃除をするためだからか、後ろで一つに纏めている様子でそれも中々に似合う。否そう言う事を考えるんじゃなくて。


「…どうしたの?」

「ごめん、昨日…やっぱり初対面の男と二人きりは気まずいかな~と思って、杜下君に相談させて貰っちゃって」

「……」


 ぽかん、と開いた口が塞がらない。そうだ、確かに琥桃神社なんてスマホで調べればすぐに分かる場所にある、それなのに態々優宇に話をした。

私の事を気遣ってくれたんだな、と言う事を確認すればちょっとだけ体温が上がった感覚がして、耐え切れずに視線を逸らした。否落ち着け、これは他の人にもする気遣いに決まってる。私だけが特別~なんてそんな馬鹿な考え、一ミクロンも思ってないから。


そんな事をうんうんと考えていれば、不意に私の肩に何かが触れて身体が萬代君の方に引き寄せられる。

耳元に息がかかる。ずっと近くで彼の声が聞こえた。



「…二人っきりの方が良かった?」



 慌てて距離を取って彼を見遣れば、悪戯が成功した子供の様な笑みを浮かべて舌を出していた。

………揶揄われた!! 


全身が熱い。

真っ赤になっているだろう顔を見られたくなくて、私はさっさと足早に神社に向かった。遠くで優宇が「なの、早ぇよ!」等と愚痴をこぼしているのが聞こえたがごめん、今それどころじゃない。神社の入り口に置かれた虎の石像に抱き着けば火照った身体が幾分か冷めていく。

そうしていると三人がやって来た。萬代君の方をちらりと見遣れば、まだ楽しそうに微笑んでいた。むっとして睨み付けるものの何の効果もなく。


「…三倉さん早いね」


 と涼しい顔で更に煽って来たのだ。誰のせいだと、と言いたくもなったがここにいるのは優宇だけではない。飛池君も居るのだ。

萬代君と親しいアピールをすれば、何処からか情報が漏れて必ずクラスの女子達から袋叩きに遭うに決まっている。

叫びたい気持ちをぐっと堪えて、淡々と掃除用具や拝殿の案内を終わらせれば、私はさっさと山奥の祠の方の掃除に向かった。とりあえず落ち着くまで一人になりたかった。なのに、


「………萬代君は、拝殿の掃除の方を頼んだはずだけど!?」

「え、いやぁ狭いし二人で充分かなって……」


 何故か先回りしていた。全然ちゃんと祠の場所まで調べてるじゃないか。

 掃除の合間も言い合いは続く。


「大体、そんな風に揶揄ってたら誤解されるよ…」

「何の誤解?」

「……女の子に! 軽々しくスキンシップをとるんじゃありません!」

「肩に触っただけなのに…?」

「囁いたでしょーが!!」


ああ言えばこう言うで返され、軈て私から何の言葉も出なくなった時萬代君が口を開く。


「まぁ……、さっきのは揶揄ってごめん。気まずいかなって思ったのは本当、杜下君と仲良さそうにしてたのは見てたから、その方が安心するかなって思ったのも本当」


 そう言って休憩する私の隣に腰かけにこやかに微笑んだかと思えばぐっと顔を近付けてくる。

 おい、顔面偏差値の塊が私の眼前を支配しているが!?


「…三倉さんが、どんな反応するかな~って思って気になったのも本当」

「……な」

「思った通り可愛い反応してくれてビックリしちゃいましたけどね~。満足満足」

「か…」


 何を言っているんだ、とか、揶揄うな、とか。言いたい言葉が上手く口から出てこない。今の私はどんな顔をしているんだろう。可愛いって言われて嬉しいとか、イケメンと二人きりでこんな距離近くてやばいとかそんな事を考えられる程余裕ではない。


ただただ只管に「何で私?」と言う気持ちが強かった。

それは言葉になっていた様で、萬代君がふと表情を翳らせて話し始める。


「…あの二人のノリは正直苦手で。でも、あの場で三倉さんと仲良くなろうとしたらあの二人、絶対やばいでしょ」

「ああ~…まぁ、それは分かるけどって…私と、仲良く?」

「あは、ほら俺も良く遅刻するから、何か親近感湧いて話してみたかったの」

「…あ、さいですか…」


 理由に一切可愛らしさが含まれていない事に肩を落とす羽目にはなったが、それでも仲良くしたいと思ってくれていた事は素直に嬉しかった。大概の男子は、一軍女子みたいなオシャレをしてスカートは短くてブランド品を身に着けている子に行きがちだ。

 私なんかは陰キャ扱いされて全く日の目を見ない。否、まぁ見なくても良いんだけど。


「…だからって、その…囁いたり、スキンシップ激しいのは…」

「…そんなに駄目?」


 萬代君がきょとんとして問い掛ける。

これはあれだ、イケメンだから許される奴で、多分他の男子がしたらセクハラ扱いになる奴だ。そう言いたかったが、私が差別している様にも捉えられそうだったのでここは押し黙る。


「…否駄目と言うか…、恥ずかしいと言うか…」

「と言うか?」

「……ん~~~~……」


 言葉で上手く言い表せないけれど、少しでも女の子扱いされている様で嬉しかったのかも知れない。結局駄目な理由を明確に言葉に出来ない儘「…ま、あんま人目につかなければ…」なんて馬鹿な譲歩案を提示してしまった。

 案の定また悪戯してやろう見たいな微笑みを浮かべているし。


「…ほら! 早く残りの掃除終わらせるよ!」

「あはは、は~い」


 私は早口でそう捲し立てれば、再び立ち上がって祠付近のお供え物を交換し始めた。

 まだ心臓がどくどくと高鳴っている。吃驚したのも勿論あるが、不思議とされて嫌だったとは全く思わなかった。何より、萬代君があんな風に笑うんだとか、結構悪戯好きなんだとか新しい一面を私だけが知れた様な気がして。

 フィールドワークも、悪くないなと思えた。


「ふぃ~、撮影も終わり~」

 

 あれから拝殿や祠の写真を撮り終わった私達は、拝殿の中にあった資料を見て記事にするものを決めていた。この神社は縁結びの神様を祀っていた神社だった様だ。つまりこの桃色の根付は良縁結びの御守りだった事が判明した。…子供の頃だからそう言うの良く分からなくて、色だけで決めちゃってたな…。


「俺等も全く知らなかったな~。…お祭りも麓のでかい神社でやってたからさ」


 優宇の言葉に飛池君もこくこくと頷く。確かに麓には大きな宇賀神神社が建っている。あそこも確か縁結びだった様な…? その為夏祭りは毎回そこに沢山の屋台が出るのだ。


 夏祭りか…。ぼんやりと考えていれば、外に出ていた萬代君が皆を呼びに来た。


「夕日、そろそろ落ちるっすよ」


 それを合図に皆、拝殿から出る。萬代君の傍を通ると、また煙草の匂いが仄かに香った。

 …別にヤンキーと付き合いがある訳でもなさそうなのに、何で煙草吸ってるんだろう。


そんな疑問が浮かんでは消えた。

真っ赤に燃える夕日を目の前に夢中でスマホの撮影ボタンを押す。


溶ける様な赤に包まれた夕日がちらちらと震えながら水平線の向こうへ消えていく。

夜が来る。この瞬間が、何とも言えない無力感の様な何かに似ていて、好きだった。


 ふと萬代君を見れば、彼は一切目を輝かせていなかった。

 ただ何処か寂し気で、苦しそうな…まるで迷子の子供の様な表情を浮かべて、夕日を見つめていた。


 その表情にはどんな意味が込められていたんだろう。

 何でそんなつらそうな顔をしていたんだろう。





 その理由は、最期まで私が知る事は無かった。






 金曜日の放課後。

フィールドワークの発表は大成功に納まった。やはり九割がうがにゃんを記事にする中、琥桃神社の事を取り上げたのは私達だけだったらしく。古くから恋愛成就、縁結びの神様を祀っている神社だと言う事を発表すれば、女子達の目が一気に光った。…嗚呼、萬代君これから目茶苦茶誘われるんだろうな。


 そんな事を考えながら、私は今無くなったノートを探して右往左往している。

 発端は放課後、掃除終わりに教室に戻って来た時だった。私の机の上に置いてあった授業のノートが無くなっていたのだ。机の中も、鞄の中も、ゴミ箱も探してもどこにもない。

 そうして今は風に飛んで行ったかな、等と馬鹿な考えに頼って校舎の周りをうろうろとしている。


「…やっぱり、ないな」


 新しく変えたばかりだった為、優宇に見せて貰えば問題ないかと振り向いた次の瞬間、溝に沈められた何かの切れ端が目に映った。

 心臓が変に跳ねる。震える足でそれに近づいて、屈んで、拾い上げる。

 先月、可愛いなと一目惚れ購入した、兎のキャラクターがワンポイントでついたノートだ。


私のだ。

でも、何で。


 嫌な予感は薄々していた。フィールドワークの記事を作る時も、発表の文を考える時も、私は萬代君と共に作業していた。実際には優宇も飛池君も居たけれど。

距離が縮まっているのを察した女子達の視線が一気に私に向いたのだ。そうとしか考えられない。


それからは何かが無くなったり、陰口を言われたりする事が日常茶飯事になった。

これはいじめなんだろうか。直接的な暴力には繋がっていない。金銭を要求された事もない。だから、彼女達がしらを切ればきっと私はあらぬ疑いをかけた女として一気に立場が悪くなる。

そんな事にはなりたくない。それでも、日々無くなっては泥にまみれて見つかる私物が惨めで、哀れで仕方ないのも事実だった。


萬代君は気づいていた。だから直接話しかけるのを辞めてくれたり、無くなったものをふらりと探してはこっそり持ってきてくれる様になった。ある日の放課後なんかは、私の机を物色していたあの女子二人に話しかけて未然に防いでくれる事もあった。

有難いと思う反面、申し訳なかった。MINEでは何時も「先生に言った方がいい」と勧めてくれてはいたが、傑屋先生に言って注意された所であの二人が反省するとは思えなかった。

物が無くなる位なら、まだ耐えられるから。――そう言って私はあの日まで耐え続けていた。


初夏、GWが終わり少し蒸し暑い午後の事。

音楽室にペンケースを忘れてしまった私は、優宇に他の荷物を任せて足早に音楽室へと戻る。と、中から人の声がした。あの二人の声だ。そっと扉の窓から様子を伺うと、一人の手には私のペンケースが握られていた。おいおいまさか。


ガラリ、と音を立てて教室に入れば二人の表情がしまった、と言わんばかりに歪んだ。

 これは決定的瞬間過ぎる。私は躊躇いなく歩み寄るとそのペンケースを掴んだ。


「…返してくれる?」

「…」


 そのまま力を入れて奪おうとした私の身体が突き飛ばされた。なす術なく机や椅子にぶつかって尻餅をつく私を見て、彼女達はくすくすと嘲笑う。


「…本当、むかつくわぁ。何でこんな地味な女がいいんだろ。萬代君」

「んね~、ていうかどうせアンタが誑し込んだんでしょ?」

「……違うから、返して」


 ふらふらと立ち上がった私の髪の毛を掴んで、更に床に引き倒す彼女達。倒れる時に頬骨を強く床にぶつけたのか、目茶苦茶に痛い。


 彼女達はげらげらと笑いながら窓に近づく。

嫌な予感がする、音楽室の裏は川が流れている。

まさか。



そう思って咄嗟に起き上がった私の目の前で、――ペンケースは外へ放り投げ出されてしまった。



「てか萬代君も萬代君だよね~。女見る目無いって言うか~」

「自分イキってます~みたいな態度、ちょっと気に食わなかったんだよね~あはは」


 そんな事を彼女達が話している間に、ペンケースはぽちゃん、と音を立てて川に落ちてしまった。下を覗けば、濃い緑色の底が見えない川がただ静かに流れている。ペンケースが水の波紋を広がらせれば、それに合わせて緑の粒子が水の中でぶわりと沸き立ったのが見えた。


 別にペンケースなんてどうでもいい。

 私が返して欲しかったのは、もう二度と手に入らない根付の方だ。


 あれは亡くなる前に神主様から直接頂いたものだ。もう年に数個しか彫れないから、販売を辞めてしまったと言っていた神主様に我儘を言って彫って貰ったものだ。


 あれだけは、どうしても。


「……うわ、泣いてる~。可哀想」


 気付けば私の目から止め処なく涙が溢れていた。

私が何をしたんだろう、ただ普通に仲良くしていただけだ。


浮かれてしまった部分はあったけど、この人達を貶める様な行為は何もしていない筈なのに。

 と、徐に片方の女子生徒が声を上げた。




「……あれ、杜下と、萬代君…」




 その声にもう一度川の方を見れば、Tシャツに制服のズボンの裾を折り網を持った優宇と、カーディガンを脱いだYシャツ姿の萬代君が立っている。二人共裸足だ。


否、まさか、もしかして。

 私が答えを思い浮かべたと同時に彼等は躊躇いなく緑の川へと入って行った。彼女達の息を吞む声が聞こえる。


「うわぁぁ! 意外と深ぇんですけど!? ズボンやべぇぇ!!」

「ヘドロすっげ~……流れは滅茶苦茶緩やかだし、沈んだんならこの辺のヘドロに埋まってるかも」

「おっけ~!! ぜってぇ探すからな!! なの、泣くなよ~!!」

「…」


 窓の方を見上げて二人が微笑む。

 …嗚呼、これだけ大事になればきっとこの二人は罰せられる。


 そう思ったら居ても立ってもいられなくて私も階下へ急いだ。川へ飛び込む勇気はなかったものの、掬ったヘドロの中を探す位の事はした。

 二人共すっかり泥だらけで、何時間も水に浸かっていた。ふと触れた手が冷たくて思わず休憩しなよ、と叫んだけど、大丈夫の一点張りで探している。

軈て日もすっかり暮れてしまい、手元が見辛くなってきた時。

ヘドロの中で、きらりと何かが光る。


「……あった」


根付の鈴だ。紐の部分は千切れてしまって、ペンケースは見つからなかった。

だけれど御守りの木札、鈴、桃色の石は無事だ。何も傷ついていない。


「良かった……」


それを握り締めて、川から上がった二人に何度も頭を下げる。こんなにぐちゃぐちゃの泥だらけになったって言うのに、二人共笑って「気にするな」と言うだけだった。


その後は先生達が来て、プール横のシャワー室を解放してくれる事になった。ジャージに着替えた二人は代わりのズボンを特別に貰っていた。

その後一週間、謎の高熱で二人共来られなかったんだけど。


私はと言うと、床に叩きつけられた時に頬骨にヒビが入っていたみたいで、少しの間通院する事になった。

いじめていた二人からは、翌日謝罪があって、医療費もこれまでに駄目にした文房具代も全額負担するとの事。

私はそれをしてくれるなら全然許すし、特に怒っていないよと伝えると途端に大号泣して、私に抱き着いて来た。なのたん有難う、なんて……否、私のあだ名何時決まったんだ。



兎にも角にも、私の長い一難は漸く去ったのだ。






 いじめの日々が過ぎ去って初夏。

 クラスの女子達は浮足立っていて、男子達は反対にそわそわと落ち着きのない視線を女子達に配っている。私はと言えば通算三十回目の遅刻をしてがりがりと反省の言葉を描き殴っている最中だ。


「な~の、ほら帰るぞ~」


 そんな焦っている状況にも関わらず、優宇は鞄を拾い上げて私に声を掛ける。


「今私は背水の陣なの。四面楚歌なの。これ提出しないとやばいの。先帰ってて」

「…あっそ~。…なぁ、もうすぐ夏休みだな」


 だから危機的状況で話しかけるなってば、と思いながら眉間に皺を寄せて「ああ、そうね」と顔を上げずに言い放つ。何時の間にか教室の中は私と優宇だけになっていた。


「……もうすぐ宇賀神神社の夏祭りじゃん」

「あ~~、そうだね。何? 行く?」

「ちげぇよ馬鹿……」

「は?」


 いきなりの暴言に堪らず顔を上げる。良く見ると優宇は何も分かってない!みたいな顔をしながら私を見ていた。何だ? 小さい頃はお母さんと妹と私と優宇、そして優宇の弟二人と行ってたのに。相変わらずきょとんとする私の机に、腕を乗せて屈み込んだ優宇はこっそりと囁いた。



「さろ、誘わなくて良いの?」

「…」



 その言葉に、どきりと心臓が跳ねた。考えない様にしていたのに、一気に思考がそちら側へと流れ込む。平静を装おうにも、言葉が出てこない私の様子に、優宇は確信づいた様だ。ああ、恥ずかしい。


 ドブ川での一件以降、私は萬代君と一緒に居る時間が大幅に増えた。優宇も一緒、と言う文言が付くけれど、大概は萬代君と私の二人で何かをする事が多くなったのだ。

 遅刻してきたどちらかがどちらかの宿題やノートを見せたり、一緒にお昼を食べたり、一緒に下校したり、放課後勉強会を開いたり。萬代君にとっては何気ない日々なのだろうけど、私は明らかに変化が起きた。

 ふと気づいてしまったのだ。本当に何かきっかけがあった訳じゃなくて。

あれ? と思って萬代君の顔を見て、それから数秒。


あれから、萬代君と目が合わせられない。恋に落ちる、なんてそんな可愛い表現では無くて、理解してしまった、の方が正しい表現なのだろうな。

それからは何をするにしても一つ一つの所作が煌めいて見えた。何気ない会話の中で彼の一面が知れる事に喜びを感じた。彼が笑ってくれると、自分も目茶苦茶に嬉しくなった。こんな日が毎日続けばいいのに、と本気でそう願ってしまっていた。だからこそ。


「…否、誘わないよ。てか、萬代君だって誰かに誘われてるでしょ」


 今、この幸せを前進させてしまうのが怖い。一歩踏み出してばらばらに壊れてしまったら、全てを失う様な気がして。私は無理矢理何でもない様な表情を繕って書き終わった反省文を持ち、立ち上がった。それでも優宇は食い下がる様子で、私の腕を掴む。


「本当に良いの? 他の女とさろが一緒に夏祭りとか、絶対嫌だろ」


 そりゃ嫌ですけど!?

 と、心の中では即答するものの、だからと言って誘うのも勇気が足りない。もしかしたら萬代君には別に好きな人が居るのかも知れないし、私ごときが誘っても迷惑になるだけかも知れない。

 …そんな事を悶々と考えているのに、優宇は気づいていないんだろうな、なんて思いながら私はその手を振り払った。


「とりあえず、私誘わないから。今更浴衣も無いし、普通に妹と行くよ」

「なの…」


 優宇が何かを言い掛ける前に教室から飛び出す。嘘です、妹は今年は彼氏と行くって言ってました。そんな事、優宇でさえ知ってるはずなのに上手く言い返せなくて頭が回らなかった。深い溜息を吐いて廊下を歩く。グラウンドを見れば、部活に精を出す生徒達の声が響いていた。遠くから吹奏楽の楽器の音も聞こえてくる。これでいい。


 こんな普通の毎日で…――


「…ごめん、ちょっとその日、予定があって」


 音の中に紛れ込んできた声に全身が硬直する。まごう事なき萬代君の声だ。顔を上げれば、廊下の突き当りで女子生徒と何かを話している。女の子の方はショックが隠せていないのかじわりじわりとその瞳を潤ませて走って行ってしまった。


「あ、三倉」


 その様子を廊下の真ん中で、棒立ちで見ていた私はすぐに声を掛けられた。しまった、こういう時漫画の女の子達は瞬時に壁に隠れたりしていたけど、現実では身体なんてそんな早く反応しない。渋々萬代君の近くに寄れば「今の子どうしたの? 告白?」と茶化す様に問いかけた。

 内心は心臓バクバクだ。


「いや、今度やるお祭り? に誘われちゃった。これで十人目かも」

「うわ、モテ自慢~。………行かないの? ほら、…す、」


 好きな子とか誘ってさ。

 言え!!! 私!!!


「…少しくらい興味とか、あるかなって」


 馬鹿!!!

 萬代君は目をぱちくりとさせていたが、軈て何時も通りの表情に戻ると「行こうかな」とだけ呟いた。その表情の真意は読めない。彼の答えを聞けば、あ、やっぱり行くんだ~程度に思っていた私だったが、頭が段々とクリアになって行けば違和感に気付いた。


「…あれ? でもさっき、予定あるって」

「…」


 私の指摘に瞬時に目を逸らす萬代君。

 やがて騙しきれないと思ったのか、申し訳なさそうな――表情は一切せず、微笑みながら唇に人差し指を当てた。


「…断る理由、面倒臭くて?」

「…本当、モテる人は言う事が違うな~…」


 まぁ流石に十人も相手してたら、傷つけない様に誘いを断るには予定があるって言うしかないか、等と思いながら流れで職員室まで一緒に行き、反省文を提出する。傑屋先生は困ったように笑いながら「これからは気を付けて下さいね」と零した。良かった、生徒指導の新谷が担任じゃなくて。彼奴だったら別室でガミガミ説教一時間コースだよ…。


教室に戻れば鞄に教科書やノートを突っ込んでいく。夏祭りのイベントは楽しみなのだが、それはそれとしてその前に期末考査と言う吐き気を催すイベントが待っているのだ。今から勉強しておかないと夏休みに補習対象になってしまう。

そんな私の様子を見ていた萬代君がそれとなく言葉を落とした。


「三倉は誰かと行くの? 夏祭り」

「は!? え、や、な!?」


 時間が止まりかける。

余りの急なストレートボールに心臓がぶち当たったと言うべきか。

バサバサと鞄の口から出たノートが床に散らばり、挟んでいたプリントが足先を滑って行く。私がそれでもただただ言葉にならない呻き声を上げていれば、彼は散らばったノートを集めて、――私の目を真っすぐ見て呟いた。



「…行く? 良ければ、一緒に」



 この瞬間、私の目に映る世界全ての色がキラキラと光り出した様に思う。

 夕焼けに照らされ風になびく半色の髪が、浅緑の少し伏し目がちなその瞳が、低くて落ち着いた優しい声音が、全部眩しくて、




 ――もう壊れてしまったけれど。





 その瞬間、私の頬に何か暖かいものが流れた気がして、――自分でも泣いている事に気付けば、同時に目の前の萬代君も流石に驚いていた。だが、何かを察したのだろう。悪戯っぽい笑みを浮かべれば私の身体を引き寄せて背を撫でる。


「…泣く程嫌って事~?」

「ちがっ!! 泣く程嬉しいって事ですごめんなさぁい!!」

「あは、知ってる」

「は!?」


 顔を上げた私の目元を優しく撫で、萬代君は――少しだけ嬉しそうな表情で「帰ろ」と促す。これは自意識過剰だけど、絶対そんな事思ってないだろうけど、もしかして私と一緒に行きたかったんだろうか。

 だから、皆からの誘いをあえて断っていたんだろうか。

 いやそんな事はないかも知れないけど! 可能性として1パーセントでもあるのならば!



 …めっちゃ好きなんですけど!?



 私は自分でも分からないテンションのまま、ふらふらと萬代君と一緒に帰路についた。正直何を話していたかも覚えていない。

とりあえず帰宅すれば、母親に無理を言って浴衣を買ってもらい、急ぎで美容院の予約を済ませたのだった。こういう時の行動力は誰にも負けないと思う。


これが良い!と指を差した淡い撫子色の浴衣の画像を見つめてベッドの上でごろごろしていれば、スマホに通知が入る。優宇からだ。


――【良かったね】の文字とにやにや笑った兎のスタンプ。


 今は逆にありがたさしか感じない。急いでお礼とコンビニで使えるクーポンを送ってやれば、嬉しそうにしている兎のスタンプが来た。それを眺めてふと、思い立つ。


 そう言えば優宇は好きな人とか居ないんだろうか。

 …まぁ女子に話せば噂は広まるって言うし、優宇が言いたくなったら言ってくれれば応援はしてあげたい。

そんな事を考えながら、私は早速教科書とノートを開き期末考査に向けてスタートダッシュを切った。






 「ねぇ、お母さんこれ変じゃないよね!?」


 宇賀神祭り当日。お昼から屋台が立ち並び、夜の八時から花火が上がる予定になっている。ただ宇賀神祭りはかなりでかめのお祭りの為、花火を見る場所は事前予約有料制となっている。混雑を避ける為なのだろうが、この予約は毎年十分くらいで完売してしまうのだ。


 結局場所が取れなかった人は神社の境内や、周辺の道路に車を停めて見たりするので事故なんかも多い。それにお祭り気分でバイクを乗り回したり、中高生の屯も増える。この日だけは気を引き締めて行かなければならない。


「大丈夫、変じゃないわよ。葉音はのもお財布とハンカチと、ちゃんと持った?」


 母に着つけて貰い、美容院で髪型をセットした私は改めて鏡でその姿を見てみる。

 こんな事ならもう少し髪の毛を伸ばしておけば良かった、と思いながら白いフリルのついた帯に触れた。無地浴衣の分、帯や飾り紐は特別に甘い装飾のものだ。柄で主張したくない私にとってはかなりお気に入りのポイントである。自分で言うのも何だが、絶対似合っている。ふふん。


 葉音は牡丹の花があしらわれたピンク色の浴衣だ。まだ中学二年生なのに一丁前に彼氏と夏祭りに行きやがって…と言う気持ちは正直あるが、こちらもかなり気合が入っている。メイクは自分でしたんだとか。


「遅くならない内に帰りなさいね。ちゃんと彼氏に送って貰うのよ」


 母がそう言ってにやにやと私達を送り出した。

 あれから何度も彼氏じゃないとは言っているのに全く聞かないんだから…。訂正する気力もなくなってしまったのでもう今は彼氏と言う事になってしまっている。…まぁいいか。


 いってきます、と言い私達は歩いて十分の宇賀神神社まで向かった。途中、葉音の彼氏とも会い軽い挨拶をして別れて歩く。彼氏君格好良かったな、なんて思いながら歩いて行けば、鳥居の前に一際目を引く男性が立っているが見えた。


 私の彼氏(彼氏じゃないけど)の方が何億倍も格好良いがな!!


 何やら女性にまた話しかけられている様だった。と言うか普通に煙草吸ってたら成人男性にしか見えないのだが。否だから未成年喫煙。

 歩き慣れない下駄で漸く彼の元へ歩み寄る。

相変わらずラフな姿だ、でも滅茶苦茶様になっている。何処かのブランドのものだろうか?


「あ、ごめんお待たせしました」

「い~え」


 萬代君は私に気付けば煙草をしまい、その後の言葉を発さずただ黙って私を見る。


「……な、何? 何か変…?」

「いや?」


 にこりと笑ってそう言えば私の手を握り、ゆっくりと歩き出す。

 もしかして、こんなしっかり浴衣迄着てくると思わなかったんだろうか!?

別にデートとかのつもりで言った訳じゃないのになみたいな!?


 いやていうかそもそも付き合ってないし、お情けで誘っただけなのにみたいな事思われたんだろうか?!


 そう思ってしまえば最後、不安な気持ちが心を埋め尽くす。

 表情がすっかり硬くなってしまった私に気付いたのか、萬代君が「こっち」と少し屋台通りから外れた道を進む。そうして振り返れば、私を安心させる様に何時もと変わらない表情で微笑んで見せた。

 が、その表情が困った様に歪む。


「ごめん、ちょっと。…嗚呼、緊張してるかもしれない」

「…何それぇ」


 不満を口に出せば、萬代君は軽く吹き出してまた謝罪の言葉を投げる。


「ごめんって。違うんだよ、まさかここまで可愛いとは思ってなかった、超似合ってんね。俺これ好きだな」

「……も~、良いけど~」


 その後屋台で何かを食べる度に、ゲームで遊ぶ度に、ただ話しているだけなのに口を開けば可愛いと言われ、すっかり私も調子良くなってしまった。出会った時の不安なんて吹き飛んでいて、嗚呼こういう所も萬代君は凄いな、と思えていた。


 さりげない気遣いも気配りも、全部伝わっている。やってやってる、じゃなくて本当に大切にされている気持ちがひしひしと伝わってくる様なそんな、幸せな時間。

 気付けば花火の開始時刻までもう少しで、私達は一足先に琥桃神社へと向かっていた。

 実は琥桃神社で日の入りを見たあの場所からなら、誰にも邪魔されずに花火が見えるのだ。これは誰にも言っていない私だけの秘密、と話せば萬代君は「連れて来てくれてありがと」と嬉しそうに微笑んだ。


 大きな光の粒が空へ跳ねる。

 キラキラと残影を遺して散って行く。


 不意に萬代君が口を開いた。


「…初めて見た」

「え? 嗚呼、花火? 萬代君、割と未経験多いよね。宇賀神に来る前、何してたの?」

「……鏡都きょうとの方に居た」

「鏡都? え、じゃあ方言も話せたりすんの!?」


 鏡都と言えば西の方の方言が強い印象だ。

 わくわくしながら聞いてみたものの、萬代君は笑って「その方言はあんま得意じゃない」と返した。


「あ、そうなんだ。でも家族とかが使ってたら耳に残りそうだね」

「…もう何年も聞いてないな」

「ん? そうなの? あ、今一人暮らしか。じゃあ家族はまだ鏡都に居るんだ」

「ううん」




 私の言葉が終わる前に、萬代君が否定する。

 否定して、そして「みんな、死んだ」と言う言葉を零した。




 やっと理解出来たのかも知れない。彼の表情の奥底にある感情が何なのか。

 学校で見せてた表情なんて彼の人生のごく一部でしかなくて。

 そこに手を伸ばせる人間なんて、もしかしたら誰も居なかったのかも知れない。



 私が、触れた。

 踏み込んだ。



 ゆっくりと萬代君の手に触れる。重ねて、握り締めて。

その温かさを、壊してしまわない様に。




見詰めて、どちらともなく。

初めてのそれは、固い金属の味がした。






「もうすぐ修学旅行だな~~!!」


 季節は秋。クラスは一週間後に控えた修学旅行の話題で持ち切りだ。当然優宇もその浮足立ってる人間の一人で、――にやにやと私を見ながら耳打ちしてくる。


「奥さん、修学旅行の自由行動の予定は?♪」


 ブチリ、と血管が切れた音がした(様な気がする)。優宇の鼻を思い切り掴み上げて押し返せば「うぎゃっ」と情けない声を上げて席に座り込み、私を涙目で睨みつける。


「んだよ~~、聞いただけじゃんか」

「聞き方がいちいちムカつくの。奥さんじゃないし、付き合ってないし」

「キス迄したのに?」


 今度は思い切り脛を蹴り上げる。ガタン、と大きな音を立てて優宇が椅子から転げ落ち、床に蹲った。その様子を隣の席で見ていた飛池君も流石に仲裁に入る。


「み、三倉さんちょっとやり過ぎかも…」

「…やり過ぎじゃないし、そもそも何でアンタが知ってんのよ!!」


 そう叫べば、優宇はまたにやにやと気味の悪い笑みを貼り付けて私を見上げた。萬代君かと思ったけど、優宇は花火の時あそこにいたらしい。まじか。

 一人で花火見に来たのか、可哀想な奴めと言う余裕はなかった。



 だって、もし本当にあそこに一緒にいたのだとしたら、萬代君の〝秘密〟も聞いている事になる。



 恐らく、と言うか絶対。萬代君にとっては言いふらされたくない事だ。

 私が同じ立場でもそう思う。こんな口も頭も軽くてポンコツな優宇に知れていたら。


「…何しに来てたの?」

「御前等が上手くやってるかな~って。俺が来た時にはもうちゅ~してたから、ウキウキで帰ったけどね」

「……ふぅん」


 …杞憂だった様だ。

 良かった、と崩れ落ちかけた身体に力を入れて「あんまり言いふらさないでね、恥ずかしいし」と冷たく言い放てば、私は自分の席にしれっと戻って行った。…。


 ……。



 危なかった~~~~~~~~!! 

良かった~~~~~~~!!



 心の中で安堵の舞を踊ってしまう。

 いやまぁ、萬代君は優宇とかなり仲が良いからその話をしていたっておかしくはないのだけれど。それでもあの時たまたま聞いちゃいましたみたいな結果になっていたら私が泣きそうになる。何故か。


 折角教えて貰った秘密なのに、と言う嫉妬心からだろうか。


 兎にも角にも優宇は何も知らないらしい。私はもう一度心を落ち着かせる為に深い溜息を吐いた。

 と、同時に始業のチャイムが鳴る。傑屋先生が入って来ても、萬代君は帰ってこなかった。


 体調でも悪いのかなとその時は気にしていなかったけれど。

 思えばその時から、私達はあの人に目を付けられていたのかも知れない。

 ただ平穏で幸せだった日常が少しずつ浸食されていくのにも気づかず、私はぼんやりと「修学旅行楽しみだな」と考えていた。


 修学旅行の行き先は蒼守あおもりだ。

 霊峰の千隠山ちがくしやまに博物館、水族館。確かレトロな商店街区や秘境の甘ノ宮湖かんのみやこも行けるんだっけ? 最高過ぎませんか…。


 千隠山には伝説があり、『年中咲き乱れている桜がある』らしい。その桜を見れた人には幸せな事が起こると言われている。残念ながらその桜は登山ルートから外れた場所にある可能性が濃厚らしく、関係者でも辿り着けない様な空洞の更に奥深く、地底にあるのではないかと言われていて、一般市民が気軽に見れるものではないことは明白だった。


 と言うかそうでなければ伝説にならないだろう…。

 それでもそう言った伝説がある山に登れるのは楽しそうだし、もしかしたら桜の花びら位はお目に掛かれるのではないか、と人知れず浮足立っている。


 一日目は移動してから昼食、博物館に行って早めにホテルへ行く。部屋は案の定あの二人と一緒だ、もうすっかり仲良くなっていて、たまにおすすめのスポットやカフェなんかを一緒に巡っている程。

 二日目はいよいよ登山だ。と言っても険しい山道などではなく、緩やかな坂をひたすら歩いて行くだけなのだが。私的には日の出前に出発して朝焼けを撮りたかったが、学校行事の為涙を飲んで我慢する事にした。

 そして最終日が自由行動。私はどうしても甘ノ宮湖に行きたい為、一人で回る意思を固めている。そこさえ行ければ悔いはないと断言できる程、そこは水が澄んでいて海水と淡水が交わる、所謂汽水域の溜まった所になっているらしい。汽水域で生息できる珊瑚や、綺麗な魚も見られるんだとか。水族館に行くよりはるかに見る価値があるだろう、そんなの!


 と、配られた実行委員会作成のしおりを眺めていると、漸く萬代君が教室に戻って来た。その顔は何処か青白い。加えてカーディガンは脱いだのか今日はYシャツ姿だ。…本当に体調悪かったのかな? と思って見つめていれば、その視線に気づいたのか萬代君は表情を変えて何時もの笑みを浮かべた。

 そこへ優宇がしおりを届けに行く。


「さろ、大丈夫かぁ~? また新谷に何か言われたわけ?」

「煙草没収~。校内で吸ってないのにさ、臭いもつくからってファブリーズ全掛け。臭くて吐きそう」


 新谷。生徒指導で学年主任のいかにもお堅い鬼教師だ。

 校則を守らない生徒は新谷によって厳しく処罰される。最初は一時間の説教、最終は謹慎処分や長期休暇の毎日補習など…だから新谷を慕っている生徒は全くと言っていい程いない。早く他所へ転任してくれればいいのに、といっつも思っているが順当に来年も学年主任にのさばりそうだ。


「だからカーディガン着てないんだね。…寒くない?」

「大丈夫。寒くなったら上着着るよ」


 ふわりと何時も通りの笑みを見せる萬代君。

その笑顔に私も釣られて口角を緩めた。


「修学旅行、楽しみだね」


 私がそう言えば萬代君は楽しそうに笑って頷き、――そうしてこっそりと耳打ちしてくる。


「…一日目の夜、少し会わない?」

「え゜」


 驚きの余り変な声が出る。慌てて口元を覆って周りを確認するが、幸いにも気づいている人はいなかった。萬代君に向き直って小声で言葉を投げる。


「…21時以降は出歩いちゃダメって…」

「少しくらい平気。…お願い」


 そう甘い声で囁いて、上目遣いで見詰めてくる。私が男なら即惚れていただろう。馬鹿、女でも惚れるわ。結局大した反対理由も言えず、「少しだけなら」と言う条件でその誘いを飲んだ。

 萬代君は心底嬉しそうに「ありがと」と微笑んでお礼を言って来る。夜に態々会うって事は何かあるのかな? 見せたいものがあるとか?


「……何なんだ?」


 何時の間にか修学旅行よりそっちの方が気になってしまい、結局当日まで悶々と考える日々が続いたのは、言うまでもない。






 蒼守は十月ともなれば流石に気温が低くなっていて。制服の上に上着を羽織る位が丁度いいな、なんて思いながら私達は今蒼守博物館に来ている。


 郷土の歴史や、ここで起こった事件、この土地の伝説等ありとあらゆる資料が詰め込まれた、図書館の様な場所だ。皆がそれぞれのカテゴリーに夢中になっている中、私は年中咲き乱れる桜の伝説の隣にある『黒い桜』についての資料を読み耽っていた。


 大昔に一度だけ隣の国・華國かこくから輸入されたその桜の苗木は、当時蒼守で力を持っていた御縁みえにし一族の庭に埋められた。が、そこから不慮の事故や病気により御縁一族は滅亡。当主が最期に遺した言葉が『桜の下に、人を見た。烏の濡れ羽色の髪に射干玉の瞳の、女』…だったと言う。


 もしかしたらそれが、千隠山に咲いている桜と何か関係があるのではないかと推察もされているが、真相は定かではない。


「な、何この意味分かんない面白い伝説…!!」


 大昔の山の麓にあった家だから、長年の山崩れとかで埋められて、そこに空洞が出来て桜だけが無事だったとかそう言う事?! つまり年中咲き乱れる桜はもしかしたら黒いって事?!

 でもじゃあ何で、その桜を見たら幸せになれるんだろう。資料によると桜を植えてから次々に不幸な事が起こったのに。


「…どっちが本当なんだろう」

「絶対どっちもにせもんだろ」


 ふとぼやいた言葉は、後ろから優宇によって拾われた。優宇はこう言ったオカルト全般に全く興味が湧かないらしい。眠たそうに欠伸をしてから言葉を吐く。


「まず桜が空洞の中で咲いてる訳ねぇし。誰も見た事ないんだから無いに決まってんだろ。後この言葉は単なる当主の幻覚とかじゃねぇの」

「…夢がない…」

「オカルトなんて科学で証明できるモンばっかなの。少女漫画とかドラマは見ねぇ癖に、こういうのだけにずぶずぶハマりやがって」

「…別にいいでしょ」


 優宇の言葉を聞かない振りして、すたすたと先を歩く。もうほとんどの人は出て行って待機している様だった。見れば集合時間十分前だ。

慌てて班に戻るとそこには飛池君と女子二人が待っていた。ソファに座ってスマホを弄っている。あれ、萬代君は? と聞こうとした時、出口から優宇と優宇に引っ張られる様にして萬代君が出てきた。


「先生、さろが…」


 駆け寄れば萬代君の顔色はかなり悪く、冷汗も止まらない様子だった。一体どうしたのか傑屋先生が問いかけるも生気のない表情で大丈夫です、と呟くだけ。

 大丈夫な訳ないのに、と誰もが思ったが次の行き先はホテルだ。兎にも角にもホテルに向かって休もうと言う事になり、私達は博物館を後にした。






 その後ホテルに到着すれば、広間で集会が開かれる。諸々の説明を受けてから私達は部屋へ行き、漸く一息ついた。

 萬代君が心配だったけど、同室の優宇から「寝転がってるだけで寝てないけど、まぁ元気になって来た」との連絡が入り、――少しだけ安堵した。この調子なら夜会えるかな? と思っていたのだが、オリエンテーションや食事の時間にも萬代君は参加しなかった。


 流石に無しか…と溜息を吐きかけたその時。

MINEの通知が入った。


――『23時、ホテルのロビーで』。

 

 だから私は今、こっそり部屋を抜け出してホテルのロビーに向かっている。先生達も皆眠ってしまった様だ。廊下をゆっくりと移動してエレベーターに乗り込む。

 煌びやかな装飾が施された広いロビーはまだ煌々と明かりが灯されていて、その一つのソファに萬代君は座っていた。


「…お待たせ」


 私が声を掛けると、萬代君はにこりと笑って手を上げた。顔色はだいぶ良くなったみたい。

 そこからは萬代君に促されるまま手を引かれてホテルの裏手、生い茂った雑木林へと入った。


ガサガサと言う私達の足音だけが聞こえる。

頼れるのはスマホのライトだけ。


先を歩く萬代君は一言も喋らずに、ただひたすら雑木林の中を突き進んでいる。

流石に不安になって来た。

…もしかしてこの萬代君、萬代君ではないのでは!?


か、神隠しに遭ってしまう!!!!


「…あの、何処に…」


 堪らず問いかけた私の言葉は、微かに聞こえた水の音で打ち切られた。

周りが明るくなる。否、ふわりふわりと何かが光っている? 


――あれ、これって。


「…ここ」


 そこで漸く萬代君が静かに口を開いた。

 紛れもない、蛍の光だ。


「…秋蛍、…クロマドボタルって言うんだって。…夏に見忘れたから、見てみたくてね」

「……凄い、綺麗………これ、幼虫なんだ」


 葉っぱに乗ったクロマドボタルの幼虫が発光しているのが分かる。弱弱しく、儚い光。写真を撮りたい気持ちはあったけれど、もしかしたら蛍が吃驚するかもしれない、と思って堪える。


「…那音」


 暫く蛍の光に夢中になっていたら、萬代君から声を掛けられる。その呼び方に吃驚して振り返れば、やけに神妙な面持ちで萬代君が私を見据えていて。

 自分でも不思議なくらい確信を持って『これ、告白だ』と思い至ってしまった。


「…俺は、調べたい事があって、玖都に来た。将来は警察官になるつもり。」

「…そうなんだ。凄いね」

「…だから、今迄みたいに気軽に会えないし、もしかしたら、もう二度と、会えない、かも知れないけど」

「……」


 もう二度と会えない。きっとそれは、死別を意味する。

 萬代君は言いあぐねているのか、視線を彷徨わせて唇を震わせている。


私の気持ちがバレているのだろう。しっかりとした告白はしていないが、うやむやに距離が近いままではいけないと思われたのだろう。…ちゃんと伝えなきゃ。


「私、…」

「全部」


 萬代君の声が雑木林の中に響く。




「全部、終わらせて、必ずまた会いたい。……その時まで、待ってて欲しい」




 静寂が辺りを包む。指一本動かせず、開いた口が塞がらない。そんな状況とは裏腹に、視界がぼやけていくのが分かる。涙が溢れて止まらない。せめて返事をしなくちゃ、と思い上げた顔の先に萬代君が居て。

遠慮がちに頬を撫でられれば、その優しさにまた声が出なくなる。


「…泣かせたかった訳じゃ、なくて…」


 申し訳なさそうに呟く萬代君に、どうにか誤解を解きたくてぶんぶんと首を横に振る。

 頼む、今だけ涙出てこないでくれ。私に返事をさせてくれ。


 ずるる、と鼻を啜り、乱暴に目元を拭う。

 息を吸えば若干喉が苦しくなった。



「……まってる、ずっと。待ってます……」



 漸く絞り出した声に、萬代君が目を見開いて固まっているのが見えた。そんな表情もするんだ、と思っていたら腕が伸ばされていとも容易く抱きしめられる。震える腕を回して抱きしめ返せば、微かに鼻を啜る音が聞こえた。


「……嬉しい、ありがとう」


 離れて見えた彼の目には薄く涙の膜が張っているのか煌めいて見えて。

 それを見て、また私も嬉しくなってぼろぼろと涙をこぼしてしまった。



 こんな日が何時までも続いてくれたら。







 良かったのに。







 涙が、階下の地面に落ちた。

 行き先は、同じ場所。


 痛いかな。

 中途半端にならない為に、ここまで登って来たけれど。




 怖いな。

 怖いよ。





 でも、行かなくちゃ。
















 春。桜の花びらが吹き荒れる四月最初の授業の日。

 教室に入れば何時もと同じ席に二人が居た。私の姿を捉えれば二人共笑って手を上げる。


始業式の日、クラス替えのボードを恐る恐る確認してみたらさろの名前と私、そして優宇の名前もあり、三人でハイタッチした事を今でも覚えている。


担任は傑屋先生ではなくなり、穏やかなおじいちゃん先生になった。余計な事も言われないし楽ではあるかな、と思った矢先遅刻した生徒に反省文提出を促していて厳しくてがっかり…。クラスの雰囲気は二年と違って就活や進学の為に努力する生徒でいっぱいで、誰も浮足立っている人はいなかった。


「進路ねぇ。さろはどうすんの、就職?」


 そんな三年生の日々も二か月が過ぎた六月上旬のお昼休み。机を並べて昼食を取っている時に、優宇が何気なく聞く。

 さろは嗚呼、と言えば何食わぬ顔で「警察官になる」と言ってのけた。私も以前聞いていた為、得に反応はしなかったのだが、優宇ががばり、と顔を上げる。


「けいさつぅ!?」

「食べながら喋んないで下さ~い」

「むぐ…」


 勢いのまま咀嚼してそれを飲み込めば優宇はまた口を開いた。


「何で警察!?」

「なりたいから」

「…へぇぇ~」


 さろの物言いに少し引っ掛かる所があるのか、優宇は訝し気な視線を送っている。

 私が聞いたのは『調べたい事があって警察になる』だった。余りそう言ったドラマを見ない私でも察した、恐らくは『死んだ家族の事』とかなのだろう。

 だから、もう二度と会えないかも知れないと言ったんだ。調べて危険な事に巻き込まれる可能性があるから。


 さろが余りにも口を開かない為、すごすごと引き下がった優宇に話題を振る。


「アンタは? 大学に行くの?」

「…え? 否働くよ。高卒で働けるとこ、先生と探してる」

「…嗚呼、やっぱそうなんだ」

「なのは?」


 優宇がすかさず話題を私に返してくる。

 私は少し考えた後に「大学に行くかな」とだけ答えた。


 本当は何にも全く決めていない。ただ、高卒だと就職に影響があるから、と母に言われて仕方なく進学を選んでいるだけだ。

 まぁさろを待つ間、何か興味を引かれるものが見つかればなぁとも思っている。


 そんな話をして、午後の授業は寝て。

 少し蒸し暑い教室でホームルームを終えれば、廊下に出て。




「三倉」




 振り向けば、そこに新谷が立っていた。ゴリラの様なガタイに黒い肌、細い目。正直言って私のタイプではない。否そんな事を考えている場合では無くて。

 何で呼び止められた? と思っていれば、矢継ぎ早に言葉を捲し立てられる。


「御前、今月三回目の遅刻だろう。兒山こやま先生から連絡があったぞ。少し来なさい」

「ぁ、……はぁい」


 あの先生、新谷にチクってたんだ。ムカつく。

 むすっとしたまま生徒指導室の中に入る。その瞬間、暑苦しい空気が肌を撫でた。



 え?!あっつ、こんな所で今から説教とか熱中症になるんですけど!?



 新谷は全く表情を崩さず、向かいの席に座る。仕方がないので革張りのソファに座って話を聞くものの、やはり十分を越えた辺りで頭がぼんやりとしてきた。


 視界が狭くなっていくような感覚で、座っていられなくなり、思わず俯いて目を瞑る。

 もっとエアコンの付いた職員室とかで説教してよ…と思いふと目を開ければ、目の前に新谷は居なくて。


 あれ? と思ったが最後、私の身体がソファに押し倒された。






 痛いんだか苦しいんだか、良く分からない感覚に何度もやめて、と叫ぶ。

 その度に殴られて、軈て口内に鉄の味が広がるのが分かれば、もう声を上げる事すら出来なかった。


 汗と涙と、何かの体液が飛び散る。頭で整理するより先に身体が嬲られてもう何が何だか分からない。

 ただ早く終わって欲しいとだけ、願っていた。


 辺りがすっかり暗くなり漸く身体が自由に動かせる様になった頃、ばさりと何枚かの写真が私の目の前に放り投げられる。宇賀神の制服を着た誰かが多分、新谷とやっている所。

被写体は私、ではなく。




 え? さろ?




「…彼奴、警察官になりたいんだったな。俺の事は好きに告発でも何でもすればいい。但し、俺の人生だけじゃなく、萬代の人生も潰すって事、良く考えな。分かるだろ? 俺の評価次第で、彼奴なんかすぐ壊せる。これはな、教育なんだよ」

「……な、に」

「飲酒、喫煙、校則違反。何度注意しても辞めなかった。だから警察官にさせてやる代わりにちょっと身体を借りただけだ。……良いな? 告発したければすればいい。俺も、萬代も道連れに」


 上手く頭が回らなかったが、要は私が先生に酷い事をされましたと言えば、先生は捕まる。ただ、…内申欲しさにそう言う事をしたさろの事もばらされてしまうって事。そうしたら、警察官なんて…。


 ふらふらと学校を出て帰路につく。

 何時からさろは、そんな事をしてたんだろう。でも元はと言えば、校則違反をしてしまっているさろの方が悪いと判断されてしまいそうだ。

 それは分かる。校則違反に喫煙に…悪い事だって言うのは分かっている。


でも、守りたい。


 私が出来るのはただ一つ。さろを守るために残り十カ月、耐え切る事。

 詳しくは聞かされていないけど、警察官になって調べたい事が家族に関係あるのだとすれば、さろは何が何でも警察官になりたいはず。

 だったら校則違反なんかするなよ、とは少しだけ思うけど、そんな過ぎた事を言っている暇はない。

 耐えなきゃ。


 子供さえ出来なければ、するだけだったら大丈夫なはず。

彼奴もゴムはしていたし。


私は無意識に「大丈夫、大丈夫」と唱えながら家までの道を足を引きずりながら歩いた。






その後も、私は新谷からの誘いがあれば真っ直ぐ身体を差し出した。

時には良く分からない機械に繋がれたり、痛くて泣き出してしまう事もあったけれど。それでもさろを守る為だから、耐えなきゃいけないと必死に我慢した。


 教室に行けばさろは何時も通りで、本当に裏で新谷としているのか? と疑う程普通で。もしかして私だけが罠に嵌められているだけかな? と思案してはその考えを振り払った。

 もし本当なら私がばらすデメリットは大きい。さろの人生を潰す様なものだから。



だから罠だとしても何でも。

後少し耐えれば全部終わるんだから、その方がいいに決まっている。



 その日の放課後。私はずっと気になっていた質問をぶつける事にした。

 何時もの様にさろと一緒に帰り道を歩く。今日は何でか話も余り続かなくて、私は自分の足先を見ながら歩いていて。


 歩幅が今日は、違う気がして。


「…さろ、あの。……警察になって調べたい事って、何か教えて貰ってもいい?」

「…」


 ぴたりとさろの足が止まる。ふと顔を上げれば、さろの視線は何処か遠くを眺めていた。

 最初に琥桃神社で日の入りを見た時と同じ表情。


「……さろ」


 そうして口を開いて出てきた言葉に、私は間の抜けた声を上げる事しか出来なかった。


「…大した事じゃないから」

「…え」


 そう言えば、さっさと歩き出してしまう。

 てっきり教えて貰えると思っていた。十中八九家族の事なのだろうと思っていたのに、〝大した事じゃない〟? ――どういう事?


「…ご家族の事じゃないの?」


 震える声で追及すれば、またさろの動きが止まった。

 大股で近寄り、その腕を掴む。


「ご家族が誰かに殺されて、真犯人を探す為とか! そう言う事じゃないの…? じゃあ、どうしても警察官になりたい訳じゃないの? 何で教えてくれな」

「…考え過ぎだよ、どうしたの」


 必死に食らいつこうとした言葉は、さろの柔らかな口調によって諭された。

 考え過ぎ? じゃあそう言ったどうしてもなりたい理由があって、なろうとした訳ではない? 頭が混乱して、立っていられなくなる。吐きそうだ。


 あんなに切羽詰まった様子で、私に話してくれた事は?

 私が考え過ぎただけ?

 どういう事?


 それ以降も様々な言葉を投げ掛けてみたものの、さろは何時も通りに笑いながら全てを躱していた。

 じゃあ。


「……私が、頑張ってきた意味って何?」


 ぽつりと呟いた言葉はさろの耳に届いていた様で。

 その瞬間に表情を変えて、「どういう事?」と詰め寄って来る。


 言えば楽になれる。

 言えば、さろの人生が終わるかも知れない。


 誰も信じてくれないかも知れない。

 助けて欲しい。


 怖いよ。



「……大した事じゃないから」



 私は冷たく言い放てば、後ろを振り返る事なく走り去った。






 そこから、一週間さろは欠席していた。

風邪、との事らしいが同時に新谷も半休や有休を使っていたらしく、私は直ぐに「欠席させられている」と察した。こうして今も、奉仕しているのかな。

誰に聞いても、先生に聞いても、さろが警察官になりたい理由を知らなくて。

遣る瀬無さにまた涙が出そうだった。


 夏休み前の最後の放課後。悶々としながら私は誰も居ない教室で考え込む。

 理由なんて唯一深い闇を知っている私からすればそれしかなくて。さろがどうしてそれを隠しているのかが分からない。

もしかして…言えない事情でもある? 

…まさか、もしかして。


「…新谷が言ってる事が嘘で、本当は新谷が無理矢理さろを…」


 そうだとすれば、内申で脅して無理矢理襲ったに違いない。

さろの事だ、関係のある話はするなとか言われてるんだ。

そうでなければ、あのさろが私にあんなに下手な隠し事をするとは思えない。


全部新谷が悪い。

やっぱり、どうなってもいい。

新谷を排除しないと。





 さろと話をしないと。

 立ち上がった私の肩を誰かが叩く。





「三倉、話がある」





 湿気と人の笑い声が、ぐらつく私の頭を支配していく。

 此処ってどこだっけ。

 確か、お母さんに「今日から友達の家に勉強会しに行ってくる」って伝えさせられて、麦茶と一緒に何か薬を飲んだら体が熱くなって。

 

 ああ、もう、どうでもいいや。

 身体が痛い。臭い。ベタベタしていて気持ち悪い。何時になったら帰れるんだろう。


 彫り物の入った身体に無意識に腕を回して、最後の人のそれを吐き出させる。

 何時からかゴムはされないままだ。挿入れられ過ぎて感覚のなくなったそこに、今度は新谷が押し入って来る。大きくて熱い。――気持ちいい。


「新谷さん、もう売り飛ばしちゃいます~? お金、足りてないんでしょ」


 私の上で荒い呼吸を続ける彼は言葉にならない声を上げながら行為に勤しんでおり、他の人の言葉に耳も貸さない状況だった。それが異様で、怖くて。また少しだけ正気に戻る。

 軈て全てを終えた新谷はずるりとそれを引き抜いて私の口の前に持って来た。


 これが一番嫌いだ。


「…そうですね、…もうすぐ、年を跨げばもう要らないかな」


 口の中に溜まったものを吐く事すら許されず、無様に開いて見せつける。フラッシュが焚かれた気がした。誰かの「お、いい宣材写真~」と言う声と共に笑いが起きる。



 私って何の為に頑張ってたんだっけ。

 私、誰かと何かを話さなきゃいけなかったんじゃなかったっけ。



 大切なものを、忘れてる気がする。

 何がしたかったんだっけ。





 何で、生きてるんだっけ。






 夏休みが終わって二学期が始まった。

 私は、――定期的に新谷から薬を貰わないといけない身体になってしまっていた。あれがないと、呼吸が乱れて自分でも記憶がない位に暴れてしまう。時には自分の手首を傷つけてしまう程。


 以前母親に止められ、病院に行ったものの何処も異常はないと言われて帰されてしまった為、あの薬は一般的な麻薬ではないのだろうな、と察せられた。


 そうして、もう一つ。

 私の目の前に片付けなければならない問題が出てきた。



「もう、二か月」



 来ないのだ。生理が。

 否、こうなる事は分かっていた。

 夏休みの間、恐らくずっとゴム無しでやられていたのだから。

勿論その危険はあると思っていた。


 だからと言ってピルを貰いに病院に行けば、全てが水の泡になってしまう。


 新谷は依存症状が見えてきた私に「これが欲しかったら全部外部に漏らすな」と言ってきた。もうさろを守る為でも何でもない、完全にこの薬の為に私は頷いた。

 自分が自分じゃなくなっていく様な感覚がして、怖くて。


 あれからずっとさろや優宇とは話せていない。もう誰かに助けを求める事も出来なくなってしまっていた。私は薬物中毒者で、…哀れな母親だ。


 妊娠検査キットをぼんやりと眺める。

 これから、私にできる事って何だろう。全てを打ち明けて家族も、友人も、さろも、全てを失う事しか出来ない。そんな未来は来てほしくない。


 叶うならあの時、生徒指導室で初めて襲われた時、プライドも何もかも捨てて、さろを傷つけてでも、助けを求めに戻りたい。

きっとあそこなら、やり直せた筈。






 朝日が昇る。

 何時もと何ら変わらない一日の始まりに、少しだけ笑顔が戻った。



 母と妹に「行ってきます」と伝えて学校に向かう。

 足取りは驚く程軽くて、今なら何でも出来そうな気がした。



 校庭には、朝練に勤しむ生徒の姿がある。思い思いに挨拶を交わし、昨日のテレビの話や恋愛の話に現を抜かす生徒が廊下に居る。何時も通りの日常。

 教室に入れば、飛池君と鉢合う。「三倉さんおはよう」、その言葉におはようと返す。鞄を置いて、教室を出て。



トイレに入って深呼吸。



始業のチャイムが鳴って、廊下が静かになった頃を見計らってトイレを出る。そっと階段を上って、屋上への扉を開く。この日は用務員さんが清掃しているから鍵は開いている筈。

ノブが回れば、用務員さんの姿を確認して反対側へと回り込んだ。


 靴を脱いで、そこにノートの紙切れを挟んでおく。

 もし誰かが読んだら、きっとさろに辿り着くように。




「………ぁ」

 


 涙が、階下の地面に落ちた。

 行き先は、同じ場所。


 痛いかな。

 中途半端にならない為に、ここまで登って来たけれど。




 怖いな。

 怖いよ。





 でも、行かなくちゃ。










 待っててあげられなくて、ごめんね。

 






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