届かなかった声
「行ってきます」
返事はない。
この部屋で、「いってらっしゃい」を聞いた事は一度もなかった。
両親は離婚し、私—山田舞依—は父に引き取られた。
長距離トラック運転手の父は、ほとんど家にいない。
帰ってきても、言葉を交わす事はなかった。
薄暗い部屋で、一人で夕飯を食べる。
それが、私の日常だった。
本当は、家族で食卓を囲むような生活に小さい頃から憧れていた。
でも、それは叶わなかった。
高校を卒業して、私は上京した。
上京すれば、父に会わなくて済むと思ったからだ。
新しい生活は、少しだけ明るくなった。
友達ができて、恋人もできた。
寂しさを忘れられるようになった。
その日も、いつも通りの夜だった。
くつろいでいると、知らない番号から電話がかかってきた。
「……はい。」
「若葉丘病院ですが。ご家族の方で間違いないですか」
「……はい。」
「突然のご連絡で申し訳ありません。山田様が、本日交通事故に遭われまして—」
最後まで話は聞かず、気づけば、家を飛び出していた。
せめて、最後に今までの感謝を伝えたい—。
—間に合わなかった。
病院に着いたとき、父はもう、息を引き取っていた。
久しぶりに帰った家は、ひどく荒れていた。
床に散らばる服、積まれたゴミ袋。
その中で、私は一冊の日記を見つけた。
四月十日—舞依が小学校に入学した。
三月九日—舞依が卒業した。あっという間に大きくなっていて嬉しかった。
六月二十九日—中学の授業参観に行けなかった。次こそは絶対に行くと決めた。
ページは、すべて私に関する事だった。
「……私の事、見てくれてたんだ」
最後のページに、封筒が挟まっていた。
—舞依のための貯金—
中には、分厚い札束が入っていた。
「見放されてなんか、いなかったんだ……」
視界が滲む。
もっと、話せば良かった。
もっと、ちゃんと向き合えば良かった。
「お父さん—」
遅すぎた言葉が、零れた。
「今までありがとう。」
「……大好きだよ。」




