四話
鴨居は日課になってしまった、荒野の吸血行為をスマホ片手にチラリと盗み見る。
人差しの指の傷を舌先で舐められる度、滑る感触と、舌先の熱が背中まで駆け巡り、ゾワっと痺れた。
やがて、我慢ができなくなった荒野が指を口に入れ、血を絞り出すように甘噛みをするのも、日常の光景になっている。
「痛くしないでね」
「……ん、分かってるよ」
荒野は、軽く唾液音を立てながら答える。
返事の後、すぐに続きを始めた荒野の様子に、鴨居はため息を吐いた。
荒野について医者から指示を受けた事は、月に数度の通院とモニタリングの機器を着けること。
そして、毎日の服薬と鴨居の血の摂取だった。
摂取量についてはごく少量、5ml程度。
この量で済んでいるのは、体を小さくする副作用のお陰だった。
(その姿で仕事は――無理だろうな)
鴨居は、夢中で指をしゃぶり始めた小さな幼馴染に目を細める。
営業職だった荒野は仕事を辞めざるを得なくなった。
今はこうして鴨居の家で在宅と言う形で臨床試験を受ける事になっている。
――あの日、病院での鴨居の問いに、荒野はすぐには答えなかった。
「荒野」
鴨居は首を傾けて、もう一度彼の名前を呼ぶ。
それでも荒野は、鴨居から顔を背けていた。
荒野は小さく体を震わせて、耳まで顔を真っ赤にして「……ごめん」と小さく鳴く。
鴨居が手を切った時、絆創膏を貼る前に血を拭ったティッシュを我慢できずに舐めてしまったと、彼は白状した。
その時の、らしくない荒野の弱々しい姿に、鴨居は自分が彼と運命共同体になったのだと自覚した。
同時に、肩を震わせて、うっすら涙を浮かべる荒野の姿に鴨居は満たされるような。
優越感のようなものが、一瞬胸を熱くした。
必然的に必要としてくれる存在に、胸の奥が緩みかける。
鴨居は、はっ、と息が詰まった。
(荒野が一番大変な時に、何を考えているんだ)
鴨居がその時に覚えた、自己嫌悪と罪悪感は今もどこか胸を締め付けている。
――ピピピピピピ
荒野の手首に巻かれたモニタリングの機器から、耳障りなブザーが響いた。
「荒野、おしまいだよ」
血の摂取の終わりを告げる合図に構わず、傷周りを舌で舐る荒野に鴨居は低い声で告げた。
「荒野」
それでも辞めない荒野に、鴨居は指を引き離す。
唾液の絡んだ人差し指が糸を引きながら、微かな水音と共に荒野の口から抜けた。
「あぁ……そうか、そんな時間か」
荒野は惜しそうな眼差しを鴨居の指に向ける。
手の甲で口端を拭った。
鴨居は、軽く息を吐く。
「荒野、そこの袋開いてくれる?」
テーブルに上げてある除菌シートを取り出しながら、鴨居は鞄の隣に置いた袋を指さした。
「コレ?」
荒野は、くたびれたコンビニの袋を開く。
中身を見た彼は「――おっ」と声を上げた。
「今日も買ってきたんだな、デザート!」
歯を見せて笑う荒野に、鴨居は微笑を返した。
「俺、スプーン持ってくるわ」
荒野は立ち上がると台所へ向かう。
鴨居は唾液に塗れた手を拭きながら、足元に転がしたスマホを見つめた。
画面には時間が止まっているストップウォッチアプリ。
――そこに映し出された時間は、荒野の吸血行為に要した時間だった。
鴨居は病院から、荒野の日々の記録を依頼されている。
指定されたサイトを開いて、入力フォームに指を置く。
荒野の様子、行動の記録、――吸血時間の項目で動きを止めた。
「鴨居、ほれ」
戻ってきた荒野が、スプーンを鴨居の前に置く。
「ありがとう」
鴨居は、スマホを手放し、袋から取り出したカッププリンを1つ渡した。




