エピローグ「魔王城の春、そして永遠の続き」
本編完結から少しお時間をいただきました。
復讐を終え、聖女の重荷を降ろしたレイラ。
そして十年間彼女を待ち続けた魔王ヴェイン。
騒がしい夜が明け、二人が迎える「本当の始まり」の物語です。
どうか、彼らの穏やかな春を最後まで見届けていただければ幸いです。
断罪された聖女は魔物の主だった
エピローグ「魔王城の春、そして永遠の続き」
春が来た。
魔王城の庭に、今年もラベンダーが咲いた。昨年より株が増えて、庭の石畳の両脇を紫に染め、風が吹くたびに波のように揺れる。
レイラはその中に、低い椅子を持ち込んで座っていた。膝の上に本を開いているが、ページはしばらく動いていない。ただ、春の光の中で、目を細めている。
城に来て、一年が経った。
最初の夜、三日間眠り続けた。目が覚めた時、窓の外に見知らぬ庭があって、それが自分のために作られたものだと知った時の感覚を、レイラはまだ覚えている。泣かなかった。泣き方を、忘れていたから。
今は、泣ける。
それだけで、十分だと思う。
「また、そこか」
背後から声がした。
振り返らなくても分かる。足音もなく近づいてくるのに、気配だけは隠せない男。首元のルビーが、かすかに温度を上げた。
「居心地がいいので」
「毎日いるな」
「毎日咲いていますから」
ヴェインが隣に立った。視線が庭に向く。しばらく無言で、二人して紫の波を眺めた。
レイラは気づいている。この男が庭を見ているようで、庭など見ていないことを。視線の端が、ずっとこちらを向いていることを。
「……見すぎです」
「見ていない」
「嘘が下手ですね」
「うるさい」
即答だった。レイラは口元が緩むのを、止めなかった。
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城の中は、今日も賑やかだった。
厨房では料理長の大熊が朝から張り切っていて、廊下ではレイラが名前をつけた子どもの魔物たちが追いかけっこをしている。老執事が「廊下は走りません」と声を上げ、それを聞いた子たちが笑いながら散り散りになる。
王宮では、考えられない光景だった。
あそこでは、笑い声は品がないと言われた。走ることは行儀が悪いと叱られた。感情は弱さだと教えられた。
ここでは、誰も何も言わない。
レイラが笑えば、城中が少し明るくなる。それだけだった。
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昼過ぎ、執務室を覗くと、ヴェインが書類の山と格闘していた。
隣国の外交文書。魔界各地からの陳情。それから、かつての王国の跡地に関する処理書類。王国は滅んだが、土地に生きていた民は残っている。その者たちの受け入れと再建を、ヴェインは静かに進めていた。
誰にも言わずに。
レイラが気づいたのは、三ヶ月前のことだった。
「……民を、助けているんですね」
その時ヴェインは、書類から目を上げずに答えた。
「君が望むと思った」
「私が望む前に、やっていましたよね」
沈黙。
「……言うな」
照れているのだ、とレイラは悟った。この世で最も恐れられる男が、それだけのことで。
レイラは執務室を出る前に、一度だけ振り返った。
「ありがとうございます」
ヴェインは答えなかった。ただ、ペンを持つ手が、一瞬だけ止まった。
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夜、展望台に二人で立った。
あの夜とは違う。王都の赤い炎もなく、鐘の音もなく、ただ星が静かに広がっている。遠くの平野に、小さな灯りが点在している。かつての王国の民が再建した、新しい集落の明かりだった。
レイラは指輪を、無意識に触っていた。
魔石が脈打つ。ヴェインの鼓動と、同じ間隔で。
「何を考えている」
「幸せだな、と思っていました」
言葉が、自然に出た。三年前なら、絶対に言えなかった言葉が。
ヴェインが静かになった。
それから、後ろからレイラを抱きしめた。いつもより、少しだけ強く。
「そうか」
短い言葉だった。しかしその声の、どこか安堵に似た響きを、レイラは聞き逃さなかった。
「ヴェイン」
「何だ」
「あなたは」
レイラは、夜空を見上げながら聞いた。
「幸せですか」
長い沈黙があった。
この男が、何十年も待ち続けた。ただ一人のために。その年月の重さを、レイラはまだ完全には測れない。測れないまま、一緒にいる。それでいいと思っている。
「君がいる」
ヴェインは、それだけ言った。
「それが答えだ」
レイラは、ヴェインの腕に自分の手を重ねた。指輪の魔石が、温かかった。
星が、静かに流れた。
魔王城の庭では、夜風にラベンダーが揺れている。
城の明かりが、一つひとつ灯ってゆく。
二人の鼓動が、同じ間隔で、夜の中に溶けてゆく。
これが始まりだと、レイラは思った。
檻の中で積み重ねた三年間でもなく、誰かに捨てられた夜でもなく。
今ここから、ようやく、自分の話が始まる。
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魔王と魔王の妃の蜜月は、
世界が終わっても、続いてゆく。
――完――
全5話+エピローグ、完結です。
最後までお付き合いいただいた皆様に、心からの感謝を。
二人の物語はここで一段落ですが、またどこかで彼らの日常を覗き見ることがあれば、その時はぜひまたお会いしましょう。
本当にありがとうございました!




