赤い悪霊と林檎ジャム
とっぷり暮れた、晩秋の宵。
一番星がちかちか瞬く薄闇の下を、独りとぼとぼ歩く男がいた。
野ばらと黒いちごのやぶ垣が、両脇から迫る農地のあいだ。
重い荷を背負った男は、小道のまん中に誰かがいるのに気がついた。
「福ある夜を」
男は力なく挨拶をし、脇にそれて行き過ぎようとした。
しかしその誰かは、とたんにぐいっと男に迫る。
『福ある夜を、と言うのなら! お前の福を、俺によこしな!』
もわ~り、と炎が燃え立つように、そいつの身体が赤く膨らんで輝いた。
赤いひげに赤い髪、もりもりとした体に赤い毛皮の衣をまとって、熊みたいな大男が道の真ん中で通せんぼをしている。
精霊だ!!
あわれな男は肝をつぶし、腰を抜かして、ぺったん! 尻もちをついた。
「あわわわわ」
地べたにへたり込んで動けない男を、赤い悪霊は見下ろした。
『くくくくく、どうだ恐ろしいだろう。お前の福とたましいとを、ぜんぶ喰ってやる』
「あの……。山賊さま、まことに申し訳ないのですが。わたくし、店を解雇されたところでして。お分けできる福なんて、これっぽっちもないのです」
ぶるぶる震えながらも、あわれな男は正直に言った。
『山賊でなくって精霊だ。文無しでも別に俺は構わんぞ。お前の魂を食って、腹いっぱいになるんだからな!』
「……実はたましいも、ございませんで」
『はあー??』
赤い悪霊は、でかい鼻の頭にしわを寄せた。
「わたくしは、蜜煮職人でございます。……いいえ、蜜煮職人でした……今日までは。ううううっっ!」
言葉の途中で男はうつむき、むせび泣き始めてしまった。
『おいこら、泣くな。お前が涙でしょっぱくなっては、食う方の俺の身体にわるい! たましいがないと言うのは、一体ぜんたい何があったのだ? 話してみろッ』
赤い悪霊は男の前にしゃがみこみ、その顔をのぞき込む。
「はい……。持てる力と技を全て注ぎ込んだ、新作の蜜煮が。人間はじまって以来、史上最悪のできばえだと、師匠の店主に酷評されてしまいました」
『何だとッ』
「ぐすん。文字通りにわたくしの魂を注ぎ込んだ、渾身の蜜煮だったのでございます。万人受けはむずかしくとも、千人の方にお味見していただければ、一人には気に入ってもらえるかと……、そう思っておりました……。しかし店主は、それでは商売にならぬ、と申します」
『そこのところは、俺も店主に同感だな! 仕入れ費用だの運営だの、無料で店がもつわけではなし!』
「けれど、店主はしぶしぶ妥協してくれまして。百人のお客に味見してもらい、五人が気に入ってくれるのなら、作り続けて店に置くことを許すと約束してくれたのです」
もわーん! 体の周りに浮かび燃えたつ赤い炎を揺らして、赤い悪霊はうなづいた。
『なんだ、割かし話のできる店主じゃないか。で、味見の結果はどうなった?』
「……はい。七日の間、店にくる百人のお客様に味をみていただいたのですが……うううっ」
『泣くなと言ってるだろうがッ。いったい何人の客が、お前の蜜煮を気に入ってくれたんだ!?』
「……ひとりも、いませんでしたぁ」
蜜煮職人は、べそべそと泣き崩れてしまう。
しかしそこまでしても、男は自分の渾身作を捨てきれなかったのだ。他のもの、売れる普通の蜜煮を作れと命じる店主にうなづくことができず、男はとうとう暇を出されてしまったのである。
「わたくしとしましては、もうこの≪びりびり林檎蜜煮≫以外のものを作る気力はございません。魂を蜜煮に注ぎ尽くしてしまったので、あとは抜け殻として寂しく生きてゆくだけでございます。ぐすん」
言いつつ、男は背負っていた巨大な麻袋を下ろし、中身をあけてみせた。
悪霊がのぞき込んでみると、ふくろの中には小さな素焼き壺がいくつも入っている。たくさんの不良在庫とともに、蜜煮職人は住み込み先を追い出されてしまったのだ。
赤く輝く悪霊は、素直に興味をもった……。百人中、百人全員がまずいと思う蜜煮? どんなのであろうか!
『どれ、俺にも味見させろ!』
ぐりっと先が長くとがった、怖いつめの指先で、悪霊は壺をつまみ上げた。
「えっ? あ、はい。おさじもございます」
絶望している割に、用意のよい職人である。差し出された匙を、悪霊はでかい手で受け取った。
やっぱり怖い小指を立ててそれをつまみ、悪霊はつぼの中身をぐりっ! とえぐる。
『ふうむ? 何だ、この強烈なにおいは。お前、りんごの蜜煮と言わなかったか?』
「はい、さよでございます」
いわゆる林檎蜜煮とは、全然ちがう気がするが……。とにかく悪霊は、ぱくりと口にしてみた。
……
……
『ぎぃやぁああああ――ッッッ』
悪霊の身体が、八割増しくらいでさらに赤く燃え上がった!
輝きが増したおかげで、あたりは昼間みたいに明るくなる。
その明るい輝きの勢いと、悪霊の叫びに驚いて、職人は後ろにひっくり返りそうになった。
「きゃーっっ! 山賊さまのお口にも、合いませんかぁっ!?」
目の前の悪霊が怒り狂ったと見て、職人は両腕をかかげ頭をかばった。張り飛ばされるのではないか!
『ばかもの、何じゃこりゃああああ! 超絶うまいでは、ないかあっっ』
「えええっ!?」
『口に入れたとたん、はじける辛み! しょうがを皮ごと入れたな、貴様ッ』
「はい! にくづくと丁字、ういきょう肉桂もすりつぶして入れております!」
『しかして極上とも言える舌ざわりの良さは、≪かにりんご≫の実を主体としているからだ。味と食感が、まるで逆方向を行っている! なめらかにして、激辛ッ』
「おみそれしました、山賊さま。仰る通りの材料でございます!」
『山賊じゃないっちゅうに。腹の中がびりびり刺激に燃え立つようで、俺はたいへんうまいと思うが、……お前。これは蜜煮とは呼べんぞ?』
「ええ、まあ。はちみつはこくを出すのに、ごく少量使っているだけですので~」
それでなくともこの職人、蜂蜜を使う量が少なすぎる、とたびたび店主に叱られていたのである。蜜煮に蜜を使わないとは、どういう了見だ。保存の面からみてもよろしくない。
「わたくし、はちみつはそのまんま食べるのが、一番よろしいと思うのです。ですから他のものにまぶしてしまうのが、どうにも惜しくって」
赤い悪霊は、つるーと不気味な長い舌を入れて、壺の中身をきれいになめとっていたが……。
職人の話を聞いて、大きな鼻をしわしわにしていた。
こやつは色々と間違っている。まちがい過ぎている、と悪霊は思う。
『お前、これからどうするつもりだったのだ』
「どうするつもりも、行くあてもございません。魂を入れた≪びりびり林檎蜜煮≫とともに、独りぽっちでさまようのみです」
『ようし。ではお前、蜜煮屋でなく蜜屋をやれ』
「は?」
ばきいっ! 赤い悪霊は、手のひらに空の素焼き壺を握りしめ、粉々に砕いてしまった。
が、ふるっとそれがもとに戻る。妙に赤い壺になっていた。
『お前にこれをやろう。中身を見てみろ』
「あっ!? はちみつがぎっしり!」
『俺の魔力で、この壺からは際限なく蜂蜜が出てくる。お前はそれをほうぼうに売る、蜂蜜屋になるのだ』
「ええ~?? はちみつ専門店ですか、山賊さま?」
『魔力のある山賊がいるか。いいかげんに精霊とみなせっちゅうに……。それでだ、蜂蜜売りで生計をたてていけ。一方で俺のために、≪びりびり林檎蜜煮≫を作り続けろ』
赤く恐ろしい悪霊の提案に、蜜煮職人はぱかっと口を四角く開けた……!
・ ・ ・ ・ ・
かくして、男は蜂蜜を売る蜜屋となった。
ついでもついでも、底の尽きない蜂蜜壺。その中からすてきな上質の蜜を取り分けては届け、菓子や蜂蜜酒を作る職人にたいそう重宝がられたのである。
独りぼっちだった男は、常連客をたくさん見つけた。続いて奥さんをみつけ、息子が生まれてたいそう幸せになった。
ろばの背中に蜜入り壺をくくりつけ、遠くの町へ村へ配達にゆくのも楽しい。
そうして秋、庭のりんごの樹にたわわに金の実がみのる頃になると、男は休みをとってたくさんの蜜煮をこしらえた。
福いっぱいの小さな家の台所で、鍋いっぱいにからい蜜煮をぐつぐつ煮るのだ!
男の息子は、勉強を終えておやつを食べる時、いつも台所の食卓となりに、ばかでかい赤いおじさんを見る。
「はい、どうぞ~」
母親は息子に、牛乳の椀と何かのお菓子くだものを。
おじさんに小さな素焼きの壺と、木匙を差し出す。
ふたりは出されたものを、静かに食べだす……。
「悪霊のおっちゃん。からい蜜煮、今日もうまいかい」
『うまいなあ。いつまでたっても』
男の子の問いに、赤い悪霊はぼうぼう燃え立ちながら答えた。
『俺はお前のお父ちゃんの、魂を食ってるのだ。うまくないわけがないぞ、くくくくく』
【完】




