第8話 国王陛下のたまごサンド
「父上! こいつらです! 私とマリアを雪の中に放置し、侮辱した逆賊は!」
王太子ジェラルドの金切り声が、極寒の夜空に響き渡った。
店の前の広場には、数百の王室近衛騎士団が展開している。彼らの装備は豪華だが、その表情は一様に暗く、そして痩せこけていた。
王都からの強行軍、しかも食料事情が悪化している中での遠征。彼らの疲労は限界に達しているように見えた。
その中心で、国王陛下が重々しく馬車から降り立つ。
白髭を蓄えた老王。その眼光は鋭く、しかし深い隈が刻まれている。
「……ジェラルド。騒ぐな」
「ですが父上! この店です! リリアナが隠し持っていた魔導具で、不当に私腹を肥やしているのです! 直ちに没収し、私の管理下に――」
「黙れと言っている」
国王陛下の一喝。
その声には、怒りよりも深い失望が滲んでいた。
ジェラルドがビクリと肩を震わせて口をつぐむ。
陛下は雪を踏みしめ、私の店――『リリアナ商店』へと歩み寄ってきた。
その背後には、護衛の騎士たちが続くが、彼らの視線はすでに店内の明かりと、漂ってくる匂いに釘付けになっている。
ウィン。
自動ドアが開く。
極寒の外気とは無縁の、暖房が効いた快適な空気が流れ出る。
「……ほう」
陛下が短く感嘆の声を漏らした。
私はレジカウンターの中で、背筋を伸ばして一礼した。
「いらっしゃいませ、国王陛下。ザルツ辺境伯領へようこそお越しくださいました」
「うむ。……貴様が、追放されたベルローズ家の娘か」
「はい。現在は、このコンビニエンスストアの店長を務めております」
私の隣には、クライド様が立っている。
彼は剣の柄に手をかけ、陛下と対等な視線で対峙していた。
「陛下。この店での乱暴狼藉は、たとえ国王といえども容認できません。……お帰りを願いたいところですが」
クライド様の言葉に、近衛騎士たちが色めき立つ。
しかし、陛下はそれを手で制し、ふう、と深く溜息をついた。
「……よい、ザルツ辺境伯。余は争いに来たのではない。……ただ、確認しに来たのだ」
「確認、でございますか?」
「ああ。……それに、正直に言おう。余も、余の騎士たちも、もう限界なのだ」
陛下の腹の虫が、王者の威厳を台無しにするほど盛大に鳴り響いた。
その音は連鎖し、背後の近衛騎士たちからも「グゥゥ……」という悲痛な合唱が聞こえてくる。
「……店長と言ったな。余に、何かすぐに食べられるものを用意してはくれぬか。代金は弾む」
どうやら、王都の食糧難は深刻らしい。
私は店長としての顔になり、ニッコリと微笑んだ。
「かしこまりました。疲労困憊の陛下には、胃に優しく、かつ栄養価の高いこちらをおすすめいたします」
私は冷蔵ケース(オープンショーケース)から、黄金色のパッケージに包まれた商品を取り出した。
『プレミアムたまごサンド(特製だし巻き&マヨ)』だ。
それと、温かい『缶コーヒー(微糖)』。
「どうぞ。こちらの席へ」
私はイートインスペースの椅子を引いた。
陛下は重いマントを引きずりながら椅子に座り、差し出されたサンドイッチを手に取った。
「……パン、か? しかし、なんと白い……。雪のように白く、そして異常なほど柔らかい」
陛下はビニールの包装を開け(ここも私がサポートした)、三角形のサンドイッチをつまみ上げた。
指が沈み込む。
「ぬぉっ!? なんだこの感触は!?」
陛下が驚愕の声を上げる。
「柔らかすぎる! まるで赤子の肌か、最高級のシルクを触っているようだ! これがパンだと? 余が知っている硬い黒パンとは、根本的に物質の構成が違うのではないか?」
「日本の技術で作られた『食パン』です。耳まで柔らかいですよ」
「……頂こう」
陛下は震える手で、サンドイッチを口へと運んだ。
ハムッ。
静寂。
陛下の動きが止まる。
そして、ゆっくりと、その目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……へ、陛下!?」
側近が慌てるが、陛下は空を仰ぎ、震える声で呟いた。
「……雲だ。余は今、雲を食べている」
「は、はい?」
「噛む必要すらない。パンが舌の上で溶け、中から溢れ出すこの黄金色のペースト……卵か? だが、余の知るボソボソしたゆで卵ではない。滑らかで、濃厚で、出汁の旨味が爆発している……!」
陛下は夢中で二口、三口と頬張った。
「うまい……。甘みのあるマヨネーズというソースが、卵のコクを引き立てている。そして何より、このパンの優しさよ……。国政に疲れ、息子の愚行に傷ついた余の心を、母のように包み込んでくれる……!」
陛下はあっという間に一つを食べ終え、缶コーヒーをプシュッと開けた。
香ばしい香りが立ち上る。
ゴクリ。
「ふぅぅぅ……。染みる。温かさと、程よい甘みが、冷え切った内臓に活力を与えてくれる……」
陛下が食事を終えると、その顔色は劇的に良くなっていた。
彼は満足げに息をつき、そして鋭い眼光を、入り口で凍えているジェラルドに向けた。
「……おい、ジェラルド。入れ」
「は、はい! 父上!」
ジェラルドとマリアが、ガタガタ震えながら店に入ってくる。
二人は陛下のテーブルに残されたサンドイッチの袋を見て、ゴクリと喉を鳴らした。
「父上、その美味しそうなものは……? 私にも!」
「ならん」
陛下は冷たく言い放った。
「ジェラルドよ。お前は言ったな。『リリアナは無能だ』と。そして『辺境伯は反逆を企てている』と」
「は、はい! その通りです! こいつらは国の物資を横流しして――」
「目を開けてよく見ろ」
陛下は、窓の外を指差した。
そこには、店の外で警備に当たっているザルツ辺境伯領の騎士たちと、陛下が連れてきた近衛騎士たちが並んでいる。
一目瞭然だった。
肌ツヤが良く、筋肉が充実し、生気に満ち溢れた辺境騎士たち。
対して、頬がこけ、鎧が重そうにぐったりとしている近衛騎士たち。
「辺境は魔物が蔓延る死地のはず。だが、彼らは余の騎士よりも遥かに健康的で、士気も高い。……その理由が、この『食事』にあることは明白だ」
陛下は立ち上がり、私に向かって深々と頭を下げた。
「リリアナ殿。……余の目が曇っていた。国の物流と食料事情を支えていたのは、聖女の祈りなどではなく、そなたの『補給能力』だったのだな」
「へ、陛下!?」
国王が頭を下げるなんて、前代未聞だ。
私は慌てて「頭を上げてください!」と言おうとしたが、陛下はそのままジェラルドに向き直った。
「ジェラルド。そしてマリア。貴様らは、国家の生命線である彼女を追放し、あまつさえその功績を自分のものだと偽った。その結果が、王都の崩壊だ」
「ち、違います! 全部リリアナが悪いんです! あいつが魔法を持ち逃げしたから!」
マリアが金切り声を上げて私を指差す。
その醜い姿に、陛下は静かに首を振った。
「……連れて行け」
「え?」
「廃嫡だ。ジェラルド、貴様には王位を継ぐ資格はない。マリア、貴様も聖女の称号を剥奪し、北の修道院へ送る。……二度と、余の前に顔を見せるな」
「そ、そんなぁぁぁ! いやだぁぁ! 私はドレスが欲しいだけなのにぃぃ!」
「父上! 待ってください! 私は王になる男だぞぉぉぉ!」
近衛騎士たちが、無表情に二人を捕縛する。
彼らもまた、自分たちを飢えさせた元凶が誰なのか、理解していたのだ。
「連れて行け! ……そして騎士たちよ! この店で食料を購入することを許可する! 存分に食って、体を休めよ!」
「「「うおおおおおおっ!! 陛下万歳!! コンビニ万歳!!」」」
近衛騎士たちが歓喜の雄叫びを上げ、棚に向かって突撃していく。
ジェラルドとマリアの悲鳴は、彼らの「カップ麺だぁ!」「おにぎりだぁ!」という歓声にかき消されていった。
◇
嵐のような騒ぎが収まり、店内には平和な空気が戻っていた。
近衛騎士と辺境騎士が入り混じり、カップ麺やおでんを囲んで談笑している。
昨日の敵は今日の友。美味しいものは国境を越えるのだ。
「……終わったな」
クライド様が、カウンターの端でふぅ、と息をついた。
その横顔は、少し疲れているようにも、安堵しているようにも見える。
「はい。長い一日でしたね」
「全くだ。……だが、これで君を害する者は誰もいなくなった」
彼は私を見て、優しく微笑んだ。
その笑顔を見たら、私も張り詰めていた糸が切れてしまった。
「……お腹、空きましたね」
「ああ。そういえば、私はまだ夕食を食べていなかった」
「勝利の祝杯をあげましょうか」
私はレジ横のホットスナックケースから、アメリカンドッグを二本取り出した。
衣をつけて揚げたソーセージ。シンプルだが、無性に食べたくなる味だ。
「はい、クライド様。これには『ケチャップ&マスタード』をつけて食べるのが流儀です」
私は『パキッテ』と呼ばれる、二つ折りにするとソースが出る小袋を手渡した。
「これを……二つに折るのか?」
「そうです。ソーセージの上で、パキッとやってください」
クライド様は真剣な表情で、アメリカンドッグに狙いを定めた。
魔物を一撃で仕留める剣技を持つ彼だ。こんなソースかけなんて、造作もないはず――
パキッ!
「うわっ!?」
ブチュッ!!
勢い余ったのか、力の加減を間違えたのか。
ソースはアメリカンドッグを飛び越え、クライド様の鼻の頭と、頬に直撃した。
「……」
赤いケチャップと黄色いマスタードが、美しい顔にべっとりとついている。
「氷の公爵」が、「ケチャップ公爵」になった瞬間だった。
「…………やってしまった」
彼は呆然と呟き、耳まで真っ赤になった。
「あはははっ! クライド様、不器用すぎます!」
私は堪えきれずにお腹を抱えて笑った。
彼が部下の前で見せる完璧な姿とのギャップが、あまりにも愛おしい。
「笑うな……。これでも真剣だったんだ」
彼は恥ずかしそうに俯き、ハンカチで拭おうとする。
「待ってください。私が取ってあげます」
私はカウンター越しに身を乗り出し、彼の顔についたソースを指で拭った。
そして、そのまま自分の口へ。
ペロリ。
「ん、マスタードが効いてて美味しいです」
「ッ!?」
クライド様が石のように固まった。
顔の赤さが、ケチャップを超えて限界突破していく。
「り、リリアナ……君は、なんてことを……」
「え? もったいないですから」
「……挑発しているのか?」
彼の瞳が、不意に揺らめいた。
恥じらいの色が消え、代わりに熱っぽい、男の人の色が宿る。
「君がその気なら……私にも考えがある」
彼は私の手首を掴み、グイッと引き寄せた。
カウンター越しに、顔が急接近する。
「え、ちょっ……クライド様!?」
「ソースの味見は、私にもさせてくれないか?」
彼が顔を傾け、唇が触れそうになった――その時。
「おほん!!」
わざとらしい咳払いが、二人の間に割って入った。
「へっ!?」
バッと離れる私たち。
そこには、満足げにコーヒーを飲んでいる国王陛下が立っていた。
いつの間にそこに!?
「若いのは結構だが、店番を忘れてはいかんぞ」
陛下はニヤニヤと笑い、そして真剣な表情に戻って一枚の羊皮紙をカウンターに置いた。
「……リリアナ殿。今回の功績に報い、新たな辞令を持ってまいった」
「辞令……ですか?」
王都に戻れとか、そういう話だろうか。
私が身構えると、陛下はとんでもないことを言い出した。
「うむ。『王室御用達・特別補給部隊長』への任命。そして――」
陛下はチラリと、赤面したままのクライド様を見た。
「ザルツ辺境伯クライドとの、正式な婚姻を許可する」
「「はい!?」」
私とクライド様の声が重なった。
「な、なんでですか!?」
「物流の要であるそなたを、王家に取り込むにはそれが一番だ。それに……」
陛下は私の耳元で、悪戯っぽく囁いた。
「息子のあんな顔、初めて見たのでな。責任を取ってもらわねば困る」
「む、息子……?」
私は混乱してクライド様を見た。
クライド様は天を仰ぎ、深く溜息をついた。
「……言っていなかったか? 私は現国王の甥……つまり、王族の端くれだ」
「聞いてませんよおおおお!!」
私の絶叫が、深夜のコンビニに響き渡る。
ただの辺境伯だと思っていた常連客が、まさかの王族!?
しかも、国王公認で結婚!?
「というわけで、リリアナ。……覚悟を決めてくれ」
クライド様が、ケチャップを拭ったばかりの顔で、でも最高に格好いい笑顔で手を差し出した。
「私はもう、君なしでは生きられない。……公私共に、私のパートナーになってくれないか?」
目の前には、差し出された手。
背後には、ニヤニヤする国王と、ガッツポーズをする騎士たち。
そして棚には、今日も輝くコンビニ商品たち。
私の答えは、もう決まっていた。
「……はい! 喜んで!」
私は彼の手をしっかりと握り返した。
これからもっと忙しくなりそうだ。
コンビニ経営に、辺境伯夫人(王族入り)としての生活。
でも、この人の隣で、美味しいものを食べて生きていけるなら、それも悪くない。
「それでは、新商品『幸せな結婚生活』……入荷いたしました!」
私の元気な声と共に、辺境のコンビニは今日も24時間、愛と便利を営業中なのである。




