第6話 回転する魔法箱
王都崩壊の知らせから、一日が過ぎた。
ザルツ辺境伯領は、かつてない緊張感に包まれていた。
「第一部隊は街道の封鎖! 第二部隊は『リリアナ商店』周辺の警備を強化せよ! アリ一匹たりとも、この聖域には近づけるな!」
「「「はっ!!」」」
騎士たちの怒号が飛び交う。
普段なら魔物の襲来に怯える彼らだが、今の士気は異常なほど高かった。
なぜなら、彼らには守るべきものがあるからだ。
カップ麺、おにぎり、そして……
「店長! 俺だ、ガイルだ! 例の『新型兵器』が入荷したと聞いて飛んできた!」
自動ドアが開くと同時に、副団長のガイル様が転がり込んできた。
彼の目は血走り、しかし希望に満ち溢れている。
「はい、お待ちしておりました。今回の商品は、これからの決戦に向けたスタミナ回復の切り札です」
私はニヤリと笑い、レジの後ろに新しく設置した『黒い箱』を指差した。
そして、冷蔵ケースから四角い容器を取り出す。
「新商品、『デミグラスハンバーグ弁当』です」
◇
「……これが、食事なのか?」
ガイル様は、プラスチックの蓋越しに中身を凝視した。
茶色い巨大な肉の塊。
その上にかかった、艶やかな黒褐色のソース。
添えられた色鮮やかな野菜と、純白の米。
「冷たいぞ? これをこのまま食うのか?」
「いいえ。そこで登場するのが、この『電子レンジ』です」
私は弁当を黒い箱――電子レンジの中に入れ、扉を閉めた。
ダイヤルを回す。
「温めスタートです」
ブゥゥゥゥン……。
低い駆動音と共に、箱の中がオレンジ色に光り、弁当が回転し始めた。
「なっ!? 回った!? 箱の中で飯が回っているぞ!?」
「落ち着いてください。これは『マイクロウェーブ』という目に見えない波動を当てて、水分子を振動させて加熱しているんです」
「波動……? 分子……? まさか、時空魔法の一種か? 内部の時間を『出来立て』の状態まで巻き戻しているというのか!?」
「まあ、そんな感じです」
説明するのが面倒なので肯定しておいた。
騎士たちは「すげぇ……」「魔法の箱だ……」と口を開けて回転を見守っている。
チーン!
軽快なベルの音が鳴り響く。
扉を開けた瞬間、ボワッ!と白い蒸気が溢れ出し、店内に芳醇な香りが充満した。
「うおおおっ!? 匂いが……匂いの暴力だ!!」
焦げた肉の香ばしさ。
煮込まれた野菜の甘い香り。
そして、食欲中枢を直接殴りつけるような、濃厚なソースの匂い。
「はい、アツアツですので気をつけてください」
私は温まった弁当をガイル様に手渡した。
彼は震える手で蓋を開ける。
パカッ。
湯気と共に現れたハンバーグは、先ほどとは別物のように輝いていた。
表面の脂がフツフツと沸き立ち、黒褐色のソースがとろりと肉を包み込んでいる。
「い、いただきます……!」
ガイル様は割り箸を割り(だいぶ慣れてきた)、ハンバーグの中央に箸を突き立てた。
プツッ。
「んっ!?」
箸が入った瞬間、そこから透明なジュース――肉汁が、泉のように湧き出してきたのだ。
「な、なんだこれは!? 肉の中からスープが溢れてくる! 決壊だ! 肉汁のダムが決壊したぞ!!」
彼は慌てて、肉汁を逃すまいと大きな塊を口に放り込んだ。
ハフッ、ハフハフッ!
「んんーーーーーっ!!!」
ガイル様が天井を仰ぎ、硬直する。
「や、柔らかい……! 噛む必要がないほどだ! 粗挽きの肉の粒が、口の中で解けていく! そしてこの黒いソース……『デミグラス』と言ったか? これは悪魔の蜜だ!」
彼は目を見開き、まくし立てる。
「野菜の甘み、赤ワインの渋み、肉の旨味が極限まで濃縮されている! これだけで白米が何杯でもいける! いや、このソース風呂に浸かりたい!」
「白米も、いいお米を使ってますからね」
「この米もだ! 一粒一粒が真珠のように輝き、噛めば噛むほど甘みが出る! ハンバーグの塩気と米の甘み……この交互運動(反復横跳び)が止まらない! 俺は今、永遠の快楽のループの中にいる!」
ガイル様は猛烈な勢いで弁当をかっこみ始めた。
付け合わせのポテトサラダにも衝撃を受け、「芋が……クリームになった!?」と叫んでいる。
その様子を見ていた他の騎士たちも、我先にと弁当を手に取った。
店内には「チーン!」「ブゥゥゥン」「うめぇぇぇ!」という音が絶え間なく響き渡る。
これで騎士たちの士気は(胃袋的な意味で)万全だ。
私は満足げに頷き、次の作業に取り掛かろうとした。
その時。
カランコロン♪(入店音)
「……騒がしいな」
一瞬にして、店内の空気が凍りついた。
弁当を食べていた騎士たちが、直立不動の姿勢を取る。
入り口に立っていたのは、いつにも増して冷ややかなオーラを纏ったクライド様だった。
その手には、氷で作られた鋭い槍が握られている。
どうやら、外で見回りをしていたそのままの足で来たらしい。
「だ、団長! お疲れ様です!」
ガイル様が口の周りにデミグラスソースをつけたまま敬礼する。
「ガイル。貴様、警備の指揮はどうした? まさか、ここで油を売っていたわけではあるまいな?」
「い、いえ! これは戦力を維持するための『燃料補給』でありまして!」
「燃料だと? ……ふん」
クライド様は鼻を鳴らし、ガイル様が持っている空の弁当箱を一瞥した。
その瞳の奥が、一瞬だけギラリと光る。
「……美味かったか?」
「はっ! 死ぬほど美味でありました! この黒いソースは、国宝に指定すべきです!」
「そうか。……ならば、さっさと持ち場に戻れ。残りの業務を片付けたら、私が『最終確認』を行う」
「はっ! 総員、配置につけぇぇ!」
騎士たちが嵐のように去っていく。
ガイル様は最後に「店長、ごちそうさま!」とウインクしていった。
静まり返った店内。
クライド様は氷の槍を消滅させ、ふぅ、と重い息を吐きながらカウンターに近づいてきた。
「……まったく。あいつらは緊張感が足りない」
冷徹な声。
しかし、私は見逃さなかった。
彼のお腹が、小さく「ぐぅ……」と鳴ったのを。
「クライド様。最終確認(お味見)のお時間ですね?」
私が微笑むと、彼はバツが悪そうに視線を逸らし、そして頬を赤らめた。
「……すまない。外の寒さと、漂ってくる匂いに耐えきれなかった。……私にも、その『回る箱』を使った料理を頼めるだろうか」
「もちろんです。クライド様には、特別メニューをご用意しております」
私は冷蔵ケースの奥から、とっておきの弁当を取り出した。
『とろ~り4種チーズのハンバーグ弁当』だ。
「チーズ……? ハンバーグの上に、さらにチーズを乗せるというのか?」
「はい。カロリーの暴力ですが、疲れた体には一番です」
レンジに入れ、温める。
ブゥゥゥン……という音と共に、チーズが溶け出し、グツグツと泡立つ様子が窓越しに見える。
クライド様は、その様子をじっと見つめていた。
まるで、未知の魔法現象を解析する学者のように真剣だ。
いや、ただお腹が空いて待ちきれないだけかもしれない。
チーン!
「できましたよ」
扉を開けると、先ほど以上の破壊的な香りが爆発した。
濃厚なチーズの香りと、焦げた肉の匂い。
「熱いので、私が開けますね」
「いや、自分でやる。……自分の獲物は、自分で仕留めたい」
クライド様は謎のこだわりを見せ、手を伸ばした。
しかし。
「あつっ!?」
蒸気口から出た熱い蒸気に触れ、彼はビクッと手を引っ込めた。
指先を耳たぶに当てて冷やすその仕草は、完全に「猫舌の子供」のそれだ。
「もう……言ったじゃないですか。はい、フーフーしてくださいね」
私は蓋を開け、割り箸を渡した。
とろとろに溶けたチーズが、ハンバーグ全体を覆い尽くしている。
「……見た目だけで、もう降参したい気分だ」
クライド様は観念したように呟き、箸を入れた。
チーズが糸を引き、どこまでも伸びる。
「長い……。どこまで伸びるんだ、この白い魔物は」
彼は糸引くチーズと格闘しながら、大きな一口を頬張った。
パクッ。
「んんっ……!」
彼の美しい銀色の瞳が、とろんと蕩ける。
「……だめだ。これは、人をダメにする味だ」
「お味はいかがですか?」
「濃厚すぎる……。肉の旨味だけでも重厚なのに、そこに四種類のチーズが絡み合い、口の中で濃厚なワルツを踊っている。……リリアナ、君は私を太らせて、どうするつもりだ?」
「ふふ、太ったらダイエット食品も売りますから安心してください」
「商魂が逞しいな……。だが、嫌いじゃない」
彼は口元にソースをつけたまま、ふにゃりと笑った。
その笑顔は、さっき部下に見せていた氷の表情とは正反対の、春の日差しのような暖かさを持っていた。
「……リリアナ。この騒動が終わったら」
彼は箸を置き、真剣な眼差しで私を見つめた。
「君に、伝えたいことがある。ずっと、胸に秘めていたことだ」
えっ。
それって、まさか……。
心臓がトクンと跳ねる。死亡フラグみたいな言い回しはやめてください、と突っ込みたいけれど、彼の瞳があまりに真剣で。
「……はい。お待ちしています」
私がそう答えた、その瞬間だった。
ズズズズズズッ……!!
地面が、大きく揺れた。
地震? いや、違う。もっと重く、おぞましい何かが近づいてくる振動だ。
「来たか……!」
クライド様の表情が一瞬で「氷の公爵」へと切り替わる。
彼は食べかけの弁当を(名残惜しそうに一瞥してから)置き、マントを翻して立ち上がった。
「リリアナ、店の結界を最大出力に! 奴らが来たぞ!」
自動ドアの外を見る。
吹雪の向こうから、豪華だがボロボロになった馬車が、暴走しながらこちらへ向かってくるのが見えた。
馬車の車輪は軋み、御者はすでにいない。
そして、馬車の背後には――
「グルルルルッ……!」
闇夜に光る無数の赤い目。
漆黒の体毛を持つ、巨大な狼型の魔物『シャドウウルフ』の群れが、雪煙を上げて追いかけてきていた。
キキーーーッ!!
馬車は店の前の駐車場(ただの空き地)に激しくスリップしながら突っ込み、雪山に衝突して止まった。
「ひぃぃぃっ! 助けて! 誰か助けなさいよぉぉ!!」
馬車の扉が蹴破られ、ドレスの裾を泥だらけにしたマリアが転がり出てくる。
続いて、顔面蒼白のジェラルド王太子も這い出してきた。
「リリアナ! いるんだろう!? 開けろ! 今すぐこの扉を開けろぉぉぉ!!」
ジェラルドが、私の店の自動ドアにすがりつき、バンバンと叩く。
その背後には、牙を剥き出しにしたシャドウウルフが、今にも飛びかかろうと迫っていた。
「……お客様」
私はレジカウンターの下から、護身用の『特製・防犯カラーボール(激辛カプサイシン&聖水入り)』を取り出し、手に持った。
「当店は、マナーの悪いお客様と、ペット(魔物)の同伴はお断りしております」
隣には、全身から殺気と冷気を噴き出させるクライド様。
「リリアナの店に泥をつけるとは……万死に値する」
コンビニ防衛戦の火蓋が、今切って落とされた。




