第3話 パリパリ海苔の衝撃
「店長。彼らにも『アレ』を。……代金は私が持つ」
クライド様の号令一下、私は大慌てで電気ポット(大容量タイプ)のスイッチを入れた。
店内には、まだ剣を構えたままの騎士たちがひしめいている。彼らの視線は、私への警戒と、カウンターに漂う暴力的なまでの「醤油スープの残り香」の間で揺れ動いていた。
「団長、正気ですか? このような怪しげな光を放つ箱の中で……毒が入っているのでは?」
副団長と呼ばれた、真面目そうな茶髪の騎士が進言する。
しかし、クライド様は冷ややかな一瞥をくれただけで黙らせた。
「副団長ガイル。貴様の鼻は飾りか? この香りを嗅いで『毒』だと判断するなら、その鼻を削ぎ落として冷気耐性の訓練からやり直させてやる」
「ひっ! い、いえ! 確かに……尋常ではなく食欲をそそる香りですが……」
「黙って食え。これは命令だ。……ただし」
クライド様はそこで言葉を区切り、私の方をちらりと見た。その瞳が一瞬だけ、甘く揺れる。
「私の分が無くなると困る。……店長、在庫はあるか?」
「あ、はい! バックヤード……倉庫にまだ段ボール二箱分あります!」
「よし。全員分用意しろ。それと……あの『黒い三角の物体』もだ」
黒い三角? ああ、おにぎりのことか。
私は手際よく準備を始めた。
人数は六人。カップ麺だけでは足りないだろうと思い、賞味期限が近いおにぎり(ツナマヨ・鮭・昆布)もカゴに入れてカウンターに並べる。
「お待たせいたしました! こちら、『カップヌードル・カレー味』と『おにぎり』になります!」
今回はパンチの効いたカレー味を選んでみた。
蓋を開け、お湯を注ぐ。
とろりとしたカレースープの香りが立ち上ると、騎士たちの喉が一斉に「ゴクリ」と鳴った。
「カ、カレー……? 東方諸国のスパイス料理か?」
「なんて濃厚な香りだ……」
3分後。
私は彼らにフォークを渡し、おにぎりのパッケージの開け方を実演して見せた。
「このおにぎりはですね、魔法の包装で包まれていて、食べる直前まで海苔とご飯が分かれているんです。見ててくださいね。ここを引いて……左右にパッと開くと……」
パリッ、サワサワ。
軽快な音と共にフィルムが外れ、真っ黒な海苔が現れる。
「はい、どうぞ。スープと一緒に召し上がってください」
副団長ガイルが、恐る恐るおにぎりを手に取った。
「……乾いた海草をご飯に巻くだけで、何が違うというのだ。我々の兵糧(乾パン)と大差ないだろう……」
彼は疑り深い目を向けながらも、まずは一口、おにぎりを齧った。
パリッ!!!!
静まり返った店内に、小気味良い破裂音が響き渡った。
「ッ!?」
ガイル副団長が目を見開く。
「な、なんだこの食感はぁぁっ!?」
「副団長!?」
「海草が……パリパリだ! 湿気ていない! 炊きたての温かいご飯に巻かれているのに、なぜだ!? まるで焼きたての紙のように軽やかで、香ばしい磯の香りが鼻腔を突き抜ける!」
彼は咀嚼を続けるが、その手は止まらない。
「うおお……! 中から何か出てきた! これは……魚のほぐし身と、濃厚な……なんだこの白いソースは!?」
「それは『ツナマヨ』です。マグロの油漬けと、卵と酢で作った特製ソースを和えたものです」
「ツナ……マヨ……!?」
ガイル副団長は膝から崩れ落ちそうになった。
「酸味とコク、そして魚の旨味! それを包み込む白米の甘さ! そして何より、このパリパリの海苔が全体のバランスを神の領域へと押し上げている! 乾パンを齧っていた俺の人生はなんだったんだ!」
他の騎士たちも我慢の限界だったようだ。
次々とカレーヌードルとおにぎりに食らいつく。
「あつっ! 辛っ! ……うっま!!!」
「なんだこの麺は! スープがドロリと絡んで、喉越しが最高だ!」
「体が熱い! 魔力が……魔力が底から湧いてくるぞ!」
店内は一瞬にして「ズルズル」「ハフハフ」「パリッ」という咀嚼音と、男たちの感嘆の声で満たされた。
さっきまでの殺伐とした雰囲気はどこへやら。そこにあるのは、深夜のコンビニ前でたむろする腹ペコの若者たちの姿そのものだった。
「……ふん」
その様子を腕組みして眺めていたクライド様が、満足げに、しかしどこか冷淡に鼻を鳴らす。
「どうだ、私の見つけた店は。貴様らが普段食べている泥のようなスープとは格が違うだろう」
「団長!! 申し訳ありませんでした!!」
ガイル副団長が、口の周りをカレーで黄色くしたまま敬礼した。
「ここは間違いなく聖域です! この兵糧があれば、我ら辺境騎士団は魔王軍相手でも戦えます!」
「分かったら食え。そして代金分は働け。……それと」
クライド様は部下たちから視線を外し、くるりと私の方へ向き直った。
その瞬間、凍てつくような威圧感が霧散し、まとっている空気がふわりと柔らかくなる。
「店長。彼らが食べているのを見ていたら……その、私も小腹が空いてしまった」
「あ、はい! おかわりですか?」
「いや……さっき、そこの透明な箱の中で回っていた、白い饅頭のようなものが気になっていてな」
彼の視線は、レジ横の中華まんスチーマーに注がれている。
ほかほかと湯気を立てて保温されている『肉まん』と『ピザまん』だ。
「目ざといですね。あれは『肉まん』です。ふかふかの生地の中に、ジューシーなお肉が入ってるんですよ」
「肉……まん……。その響きだけで、すでに美味い」
私はトングで肉まんを取り出し、敷紙ごと彼に手渡した。
「ものすごく熱いので、割ってから食べてくださいね」
「む……分かった」
クライド様は両手で大事そうに肉まんを受け取ると、ふぅふぅと息を吹きかけ、真ん中から二つに割った。
ほわぁん。
白い湯気と共に、豚肉とタケノコ、椎茸の甘辛い香りが立ち上る。
「……中身が詰まっている。これは期待できるな」
彼はハフハフしながら、白い生地と具材を一緒に頬張った。
「!!」
「どうですか?」
「……んぐ、ふ……ふぅ」
彼は熱さに耐えるように目をぎゅっと瞑り、口をもごもごと動かしている。
部下たちが背後で「団長が……あんな顔を?」「可愛いとか言ったら殺されるぞ」とひそひそ話しているのが聞こえる。
ようやく飲み込むと、彼はとろんとした瞳で私を見つめた。
「……生地が、雲のように柔らかい。そして中の肉餡……タケノコか? シャキシャキとした食感が最高だ。これは……冬の夜警の後に食べたら、泣いてしまうかもしれん」
「気に入っていただけて嬉しいです。冬限定の『ピザまん』もありますよ。中にとろーりチーズが入ってます」
「チ……チーズだと? ……リリアナ殿」
彼は不意に名前を呼び、カウンター越しに身を乗り出してきた。
その顔が近い。整いすぎた顔立ちに、肉まんの湯気がかかって幻想的に見える……けど、口元にちょっと生地がついてますよ、団長様。
「私は決めた。騎士団の詰所にも、この『肉まん』を常備したい。いや、貴女を専属の補給部隊長として迎え入れたい。給金は今の倍……いや、国家予算を傾けても構わない」
「ええと、ですから当店は店舗型経営でして……」
「団長! 抜け駆けはずるいです! 俺もチーズなんとかまんが食べたいです!」
「俺はカレー麺の残った汁に、このおにぎりを入れるという禁断の秘技を試したいのですが!」
部下たちがわらわらと割り込んでくる。
クライド様は一瞬で「氷の辺境伯」の顔に戻り、彼らを睨みつけた。
「貴様ら……調子に乗るなよ? 支払いは給料から天引きだ」
「ええーっ!?」
「当然だ。さあ、食ったら帰るぞ。魔物の哨戒任務に戻れ」
「鬼だ! 悪魔だ! ……でも美味かったから悔いはない!」
騒がしくも活気に満ちた騎士たちは、最後には全員で私に向かって深々と頭を下げた。
「ごちそうさまでした! また必ず来ます!」
「店長殿、ありがとう! 生き返ったよ!」
彼らが嵐のように去っていく。
店内に残されたのは、食べ終わったカップ麺の容器の山と、満足感の残り香。
そして、一人だけ残ったクライド様だった。
「……騒がしくてすまなかった」
彼は最後に残しておいた肉まんの一欠片を名残惜しそうに口に入れ、私に向き直った。
「だが、感謝する。彼らは皆、過酷な辺境任務で心をすり減らしていた。久しぶりに、あんな風に笑う彼らを見たよ」
その声は優しく、部下たちを想う良き上官の響きを持っていた。
「リリアナ殿。貴女のこの店は……ただの商店ではない。我々にとっての『光』だ」
「そんな、大袈裟です。私はただ、便利なものを売っているだけですから」
「便利、か。……その便利さが、どれほど救いになるか」
彼はそっと手を伸ばし、私の頬にかかった髪を指先で払った。
冷たいはずの指先が、今はほんのりと温かい。
「また来る。……今度は、二人きりの時に」
彼は耳元でそう囁くと、金貨が詰まった革袋をカウンターに置き、翻るマントと共に夜の闇へと消えていった。
「……あ、お釣り!」
叫んだけれど、もう彼の姿はない。
袋の中を確認すると、どう見ても商品代金の十倍以上が入っている。
「もう……これじゃあ『売掛金(前払い)』として処理するしかないじゃない」
私は溜息をつきつつ、自然と緩んでしまう口元を手で隠した。
なんだか、この辺境での生活も悪くないかもしれない。
そう思いながら、私は散らかった店内の片付けを始めた。
◇
一方その頃。
遠く離れた王都、王城の一室にて。
「……おい、どういうことだ」
元婚約者である王太子ジェラルドは、苛立ちを隠せない様子で机を叩いた。
彼の目の前には、豪華な食事が並んでいる。
しかし、肉は硬く、スープは冷め、パンはパサパサだった。
今まで最高品質の食材を管理・保存していた私の『収納魔法』が失われたことで、王城の台所事情は急速に悪化していたのだ。
「なぜ、最近の食事はこんなに不味いんだ! 料理長を呼べ!」
「で、殿下……料理長は『食材の状態が悪すぎる』と嘆いておりまして……」
侍従が震えながら答える。
その横で、義妹のマリアが不満そうに口を尖らせた。
「もう、お父様もお母様も役立たずね! リリアナお義姉様がいなくなったくらいで、なんでこんなに不便になるのよ。……ねえ、ジェラルド様」
マリアはジェラルドの腕に絡みつき、甘ったるい声を出した。
「私、新しいドレスが欲しいわ。それに、最近肌が荒れてきたから、もっといい美容液も。お義姉様が持っていた、あの『つるつるになるお水』……あれ、どこにあるのかしら?」
「ああ、分かっている。リリアナの荷物はすべて処分させたはずだが……もしかしたら、あいつが隠し持っていたのかもしれん」
ジェラルドの目に、昏い光が宿る。
「辺境に追放したんだったな。……野垂れ死んでいる頃だろうが、もし何か隠し持っているなら回収しなければ」
「ええ、そうしましょう! だってあれは、次期王妃になる私のものですもの!」
王都の煌びやかな部屋で交わされる、醜悪な会話。
彼らはまだ知らない。
自分たちが捨てた『ゴミ』こそが、国を支えていた基盤であり、それを失った自分たちが、すでに泥船に乗っているということを。
そして、その船底には、もうとっくに穴が空いているということを。




