第2話 3分間の魔法と、騎士団長の陥落
「返さないぞ。貴女も、この店のものも。……私が、全て守ってみせる」
その瞳は、獲物を見つけた肉食獣のように熱っぽく、そしてどこか甘く蕩けていて。
至近距離で放たれた騎士様の独占宣言に、私の思考は一瞬フリーズした。
……いやいや、待って。
落ち着いて、私。
相手は魔力枯渇で倒れかけていた遭難者。
私が提供した『リポ・チャージZ』に含まれるカフェインと糖分、それにタウリンが、疲れた脳に直撃してハイになっているだけに違いない。
「お、お客様。大変光栄なお言葉ですが、当店はすべての方に開かれた『コンビニ』でして……独占契約は承っておりません!」
私はなんとか笑顔(営業スマイル)を保ちながら、彼の大きな手から自分の手を引き抜こうとした。
けれど、万力のように強い力で握られていて、びくともしない。
「それに、お客様。商品を気に入っていただけたのは嬉しいですが、まだお代をいただいておりません」
現実に引き戻す作戦だ。
すると、彼はハッとした表情になり、ゆっくりと手を離した。
「……すまない。あまりの衝撃に、騎士としての節度を欠いたようだ」
彼はバツが悪そうに視線を逸らし、咳払いをした。
その耳の先がほんのりと赤くなっているのを見て、私は少しだけ肩の力を抜いた。
どうやら、話の通じない蛮族ではないらしい。
「私はクライド・ザルツ。この辺境を預かる領主だ」
「領主様!? ……こ、これは失礼いたしました!」
私は慌てて姿勢を正した。
まさか、最初のお客様がこの土地の最高権力者だなんて。
廃屋を勝手に改装して営業していることがバレたら、不法占拠で投獄されるかもしれない。
「い、一応、ここは放棄されていた空き家でしたので、その……」
「構わない。むしろ、こんな極寒の地でこれほどの……『聖域』を作り出してくれたことに感謝したい」
クライド様は店内の白い輝きを見渡した。
天井のLED照明、汚れ一つない床、そして整然と並ぶ商品棚。
外の猛吹雪とは隔絶された、暖かく明るい空間。
「先ほどの『カラアゲ』と『リポ・チャージ』……だったか。あれで私の魔力は全快した。いや、以前よりも満ち溢れているくらいだ。いくらだ? 金貨一枚で足りるか?」
「き、金貨!? いえいえ、そんなに頂きすぎです! 銀貨一枚でもお釣りが来ます!」
「なんと……あれほどの秘薬と食事が、それほどの安価で?」
彼は信じられないといった顔で首を振った。
異世界ではスパイスや肉、砂糖は高級品だ。
コンビニ価格とはいえ、彼にとっては破格の安さなのだろう。
「では、残りは預けておく。その代わり……もう少し、腹に溜まるものを所望したい。先ほどの肉も絶品だったが、今の私にはまだ足りない」
彼の腹の虫が、グウゥゥ……と低く唸った。
先ほどのキリッとした表情とのギャップに、笑いそうになるのを必死で堪える。
「かしこまりました。では、温かい汁物はいかがですか?」
私は棚から、とっておきの新商品――『カップヌードル(醤油味)』を取り出した。
◇
「……この、筒状の器に入ったものが食事なのか?」
クライド様は、私がカウンターに置いた発泡スチロールのカップを、まるで未確認の魔導具でも見るように凝視している。
「はい。これは『カップ麺』と言いまして、お湯を注いで3分待つだけで完成する魔法の食事です」
「3分……? たったそれだけの時間で、煮込み料理ができると?」
「ふふ、見ていてください」
私は電気ポット(魔石式に偽装済み)から熱湯を注ぐ。
ペリッ、と蓋を半分開けた瞬間、乾燥した具材とスープの粉末が熱湯に触れ、一気に香りが立ち上った。
もわり。
湯気とともに広がったのは、魚介のエキスと鶏ガラの旨味、そして焦がし醤油の香ばしい匂い。
それは先ほどの唐揚げ以上に、暴力的なまでに食欲を刺激する香りだった。
「ッ……!?」
クライド様が鼻をひくつかせ、ゴクリと喉を鳴らす。
「なんだ、この香りは……。複雑怪奇にして、脳髄を直接揺さぶるような……」
「ここからが重要です。このシールで蓋をして、3分待つんです」
私は付属のシールで蓋を止め、スマホのタイマーをセットした。
「待つのか。この香りを前にして……?」
「はい。一番美味しくなるための儀式です」
クライド様は、じっとカップを見つめている。
その真剣な眼差しは、魔物の群れを監視する時よりも鋭いかもしれない。
指先が微かに震えているのは、空腹のせいか、それとも期待のせいか。
ピピピ、ピピピ。
タイマーが鳴った。
「お待たせいたしました。どうぞ」
私は蓋をすべて剥がし、プラスチックのフォークを添えて差し出した。
湯気がドッと溢れ出し、店内の空気が一瞬で「美味しい」色に染まる。
中には、ふっくらと戻った謎肉、鮮やかな黄色の卵、ピンク色のエビ、そしてネギ。
黄金色のスープの中で、縮れた麺が艶やかに輝いている。
「美しい……。宝石箱のようだ」
クライド様はフォークを手に取り、見よう見まねで麺を持ち上げた。
独特の縮れ麺に、スープがしっかりと絡みついている。
「いただきます、と言ってから食べてくださいね」
「イタダキマス」
彼はそう呟き、麺を口へと運んだ。
ズルッ、ズルズルッ。
この世界にはない「すする」という音。
次の瞬間、彼の動きが止まった。
「ふ、ふぐッ!?」
「あ、言い忘れました! すごく熱いので気をつけ――」
「んんっ!! んぐ、はふっ! はふ、はふっ!」
遅かった。
熱々のスープと麺の熱量が、口の中で暴れまわっているらしい。
いつもは冷徹で「氷の辺境伯」と呼ばれる彼が、口を半開きにして、涙目で必死に熱さを逃している。
「はふぅ……っ」
なんとか飲み込んだ彼は、ハァハァと息を吐きながら、しかし恍惚とした表情を浮かべた。
「……すごい。なんだこれは」
「大丈夫ですか?」
「熱い……だが、それ以上に美味い! この縮れた麺……独特の弾力があり、噛むたびに小麦の甘みが広がる。そしてこのスープ!」
彼はカップを持ち上げ、スープを一口、慎重に啜った。
「濃厚な塩気と、幾重にも重なった出汁の旨味。野菜、肉、魚介……すべてが渾然一体となって、身体の芯まで染み渡るようだ」
「ふふ、気に入っていただけて何よりです」
「特にこの、四角い肉……噛んだ瞬間にジュワッと味が染み出してくる。これは何の肉だ? ドラゴンの肉か? それとも希少な魔獣か?」
「ええと、それは『謎肉』です」
「ナゾニク……聞いたことのない魔獣だ。やはり、貴女の国には私の知らない神秘があるのだな」
彼は止まらなかった。
フーフー、と息を吹きかけて冷ます仕草を覚え、一心不乱に麺をすする。
高貴な騎士団長が、背中を丸めてカップ麺に夢中になっている姿。
時折、麺が跳ねて鼻の頭にスープがつくと、
「ん……」
と、恥ずかしそうに指で拭い、それをまたペロリと舐める。
(……破壊力がすごい)
その無防備な姿に、私の胸がトクンと鳴った。
部下の前では鬼神のように恐れられている彼が、私の前でだけ、こんなに無邪気な顔を見せてくれるなんて。
「……あ」
気づけば、カップの中は空っぽになっていた。
彼は名残惜しそうに底を見つめ、最後の一滴までスープを飲み干した。
「プハァ……。生き返った」
満足げに息を吐くクライド様。
その顔色は完全に健康そのもので、肌には艶さえ戻っている。
カップ麺のカロリーと塩分、そして彼が言うところの「魔力回復(満腹感)」の効果は絶大だったようだ。
「リリアナ殿」
彼は真剣な眼差しで私を見た。
名前を呼ばれ、背筋が伸びる。
「私は、決めた」
「は、はい。何をでしょう?」
「私はこれから、毎日ここに通う。いや、一刻も離れたくない。やはり、貴女を屋敷に――」
その時だった。
ガシャーン!!
入り口の自動ドアが、けたたましい音を立てて開いた……いや、誰かが乱暴に駆け込んできたのだ。
「団長!! クライド団長!! ご無事ですか!?」
「魔物の反応が消えたと思ったら、こんな不気味な光る建物が……!」
「団長、今お助けします! くらえ、魔物め!」
ドカドカと店内になだれ込んできたのは、重装備に身を包んだ数人の騎士たちだった。
彼らは剣を抜き放ち、殺気立って私に切っ先を向ける。
「ひっ!」
「待て!!」
裂帛の気合い。
一瞬前まで「はふはふ」とカップ麺を食べていた人物とは到底思えない、冷たく鋭い一喝が店内に響き渡った。
騎士たちがビクッと動きを止める。
クライド様はゆっくりと立ち上がり、空になったカップ麺の容器を大事そうにカウンターに置くと、氷点下の視線を部下たちに向けた。
「貴様ら……私の『食事』の余韻を邪魔するとは、いい度胸だな?」
「え……?」
騎士たちが呆然とするのも無理はない。
彼らの視線の先には、見たこともない筒状の容器と、口の端にほんの少しスープをつけたまま、鬼の形相で仁王立ちする最強の騎士団長。
そして、店内に充満する「カップ麺(醤油味)」の濃厚な匂い。
先頭にいた副団長らしき騎士が、鼻をひくつかせた。
「だ、団長……? その、なんとも言えない……悪魔的に食欲をそそる匂いは……?」
「それに、団長の魔力が……完全回復、いや、以前より増大している!?」
「まさか、ここで『禁断の秘薬』を……!?」
ざわめく騎士たち。
クライド様は、ふっ、と不敵な笑みを浮かべた。
それは、私に向けた可愛い笑顔ではなく、絶対強者としての余裕に満ちた笑みだった。
「騒ぐな。ここは私の『行きつけ』だ。……ただし、貴様らにこの店の商品の価値が理解できるかな?」
クライド様はカウンターにドン!と手をつき、私にウインクを飛ばした。
「店長。彼らにも『アレ』を。……代金は私が持つ」
「え、あ、はい! ただいま!」
私は慌ててお湯を沸かし直す。
どうやら、今夜は長い夜になりそうだ。
そして、この夜を境に、「辺境の廃屋に、死者すら蘇らせる女神の料理店がある」という噂が、爆発的に広がることになるなんて――この時の私は、まだ知る由もなかった。




