第14話 熱々チーズの宅配ピザと、陳列棚のプロポーズ
「魔王様の、結婚式でございます」
老紳士――魔界の執事、セバスチャンの言葉に、店内は水を打ったように静まり返った。
魔王。
それは人類にとっての恐怖の象徴であり、おとぎ話に出てくるラスボスだ。
そんな存在が「結婚」? しかも「コンビニ飯」をご所望?
情報量が多すぎて、私の頭はパンク寸前だった。
「ふざけるな」
静寂を切り裂いたのは、やはりこの人だった。
クライド様が、氷の剣の切っ先をセバスチャンの喉元に突きつける。
「魔族の長が、人間の領域に土足で踏み込み、あまつさえ私の婚約者を連れ去ろうだと? ……ここが店でなければ、その首を氷漬けにして砕いているところだ」
絶対零度の殺気。
先ほどまでロールケーキを食べてふにゃふにゃしていた人物と同一人物とは思えない。
しかし、セバスチャンは眉一つ動かさず、優雅に微笑んだままだ。
「おや、血の気が多い。ザルツ辺境伯殿とお見受けしますが……我が主は、争いを望んではおりません。ただ、人間の姫君との結婚式を、最高のものにしたいと願っているだけなのです」
「知ったことか。リリアナは渡さん。帰れ」
「まあまあ、クライド様。落ち着いて」
私はカウンターから身を乗り出し、クライド様の剣をそっと下ろさせた。
「リリアナ! 正気か!? 相手は魔王の使いだぞ!」
「でも、お祝い事なんですよね? ……それに、『人間の姫君』と結婚するということは、魔族と人間の和平に繋がるかもしれません」
私はセバスチャンに向き直った。
「お話は分かりました。ですが、魔界への出張は少しハードルが高いです。まずは……そうですね。当店の料理が、本当に魔王様のお口に合うか、あなたが確かめてみませんか?」
「ほう、試食……でございますか」
「はい。もしあなたが『これなら魔王様も満足する』と認めたら、ケータリングの件、前向きに検討します。でも、もし満足できなければ……」
私はニヤリと笑った。
「この話はなかったことにして、お引き取りください」
セバスチャンは少し考え込み、そして恭しく一礼した。
「よろしいでしょう。私は魔王様に仕えて三百年。美食の知識に関しては、魔界随一と自負しております。……並大抵の料理では、私の舌は唸りませんよ?」
「望むところです。……今日はパーティーメニューをご用意しましょう」
私はバックヤードの冷凍庫から、とっておきの大型商品を取り出した。
パーティーといえば、これしかない。
『特製ミックスピザ(直径30cm)』だ。
◇
「……なんだ、この平たい円盤は」
セバスチャンは、私がオーブンレンジ(業務用高火力タイプ)から取り出した物体を、怪訝そうに見つめた。
「これは『ピザ』です。小麦粉の生地に、トマトソースと具材、そしてチーズを乗せて焼き上げた料理です」
ジュウウウゥゥ……!
焼き立てのピザから、食欲を直撃する香ばしい音が漏れている。
小麦が焼ける匂い。
トマトの酸味を含んだフルーティーな香り。
そして何より、表面を覆い尽くすチーズが焦げた、濃厚で背徳的な芳香。
「……香りは、悪くありませんな」
セバスチャンは鼻をひくつかせた。
「では、切り分けますね」
私はピザカッターを走らせる。
サクッ、サクッ。
クリスピー生地が切れる軽快な音が響く。
「はい、手で持って食べてください。熱いので気をつけて」
一切れを皿に乗せて差し出す。
セバスチャンは、白い手袋を汚さないよう、魔法で指先をガードしてから、ピザの縁を持ち上げた。
その瞬間。
ビヨォォォォォン……!!
「なっ……!?」
セバスチャンが目を見開く。
「な、なんだこの白い物体は!? どこまでも伸びるぞ!? まるで、生きたスライムのように……!」
「とろけるチーズです。冷めないうちにどうぞ」
「……魔界の食材にも、これほど粘着質で、かつ芳醇な香りを放つものはない。……頂きましょう」
彼は、長く伸びたチーズを操りながら、ピザの先端にかぶりついた。
ハフッ。
「……ッ!!」
彼の動きが止まる。
「あつっ……! いや、なんだこれは!?」
口の中で、味の爆弾が破裂したようだった。
「トマトソースの強烈な酸味と甘み! それが、この濃厚なチーズの海と混ざり合い、口の中でとろとろに溶け合っていく……! さらに、この丸い肉!」
彼は咀嚼するたびに、驚愕の表情を深めていく。
「噛んだ瞬間に脂が滲み出し、スパイスの刺激が鼻を抜ける! 生地のサクサクとした食感が、それら全てを受け止め……これは、口の中が祭り(フェスティバル)だ!」
「こっちの『テリヤキチキン味』も人気ですよ」
私はもう一枚、別のピザを勧めた。
甘辛い醤油ダレと、マヨネーズ、そして刻み海苔。
日本独自が生み出した、和洋折衷の奇跡だ。
「黒いソース……? むっ、これは!」
パクッ。
「おおおおおっ!!? 甘い! 辛い! そして、この白いソース(マヨネーズ)のコクはどうだ!」
老紳士の仮面が剥がれ落ちる。
「醤油の焦げた香ばしさが、鶏肉の旨味を極限まで引き上げている! チーズとの相性も抜群だ! ……こんな、こんな暴力的なまでに美味いものが、人間の世界にあったとは……!」
「これには、シュワシュワする『コーラ』が合うんですよ」
すかさず、氷を入れたグラスにコーラを注いで渡す。
「黒い水……。ゴクッ。……プハァッ!!」
セバスチャンは震えた。
「脂っこくなった口の中を、炭酸の泡が洗い流していく! そして、再びピザが欲しくなる! この無限ループ……まさに悪魔的! 我々魔族こそが発明すべき発明品ではありませんか!」
彼は夢中でピザを貪り、コーラを煽った。
その姿には、当初の余裕や冷徹さは微塵もない。
ただの「ピザパーティーを楽しむおじいちゃん」だ。
「……参りました」
最後の一切れ(耳までしっかり食べた)を飲み込み、セバスチャンはナプキンで口を拭うと、深く頭を下げた。
「店長殿。……あなたの料理は、魔王様どころか、魔界全土を震撼させるでしょう。ぜひ、ぜひとも結婚式の料理をお願いしたい!」
「ふふ、合格ですか?」
「満点です。……詳しい日取りと場所については、後日改めて使いを出しましょう。今日はこの感動を胸に、一旦引き上げさせていただきます」
彼は興奮冷めやらぬ様子で、しかし礼儀正しく一礼し、店を出て行った。
去り際に「次はポテトもつけます」と言ったら、「なんと!」と目を輝かせていたので、完全に胃袋は掴んだようだ。
◇
嵐のような客が去り、店内には再び静寂が戻った。
窓の外では、夜明け前の青白い光が雪原を照らし始めている。
「……はぁ。まさか、魔王城にケータリングすることになるなんて」
私は大きなため息をつき、カウンターの片付けを始めた。
これは忙しくなりそうだ。
ピザの大量発注、保温ボックスの準備、それにスタッフ(騎士たち)のシフト調整もしないと。
「……リリアナ」
背後から、低い声がかかった。
振り返ると、クライド様が立っていた。
その表情は、どこか思い詰めたように暗い。
「どうしました、クライド様? お腹、空きました?」
「……いや。胸がいっぱいで、何も入りそうにない」
彼はカウンターに近づき、じっと私を見つめた。
その瞳には、不安と、焦燥と、そして深い愛情が入り混じっている。
「君は……本当に行くのか? 魔界へ」
「はい。お客様からの正式な依頼ですから。それに、魔王様と人間の姫君の結婚式なんて、素敵じゃないですか」
「……戻ってこないかもしれないぞ」
「え?」
「君の料理は、魅力的すぎる。魔王が君を気に入り、そのまま魔界の専属料理人として幽閉するかもしれない。……いや、きっとそうするに決まっている」
クライド様は拳を握りしめ、カウンターをドン!と叩いた。
「私は……それが怖い。君がいなくなることが。君が、私の手の届かない場所へ行ってしまうことが」
「クライド様……」
「帝国の時もそうだ。君は優秀すぎて、世界中が君を放っておかない。……私は、ただの辺境伯だ。君を繋ぎ止める資格が、本当にあるのか……」
最強の騎士と呼ばれ、先ほどまで魔王の使いに剣を向けていた彼が、今はこんなに弱気になっている。
それほどまでに、私を大切に想ってくれているのだ。
私はエプロンを外し、カウンターを出て彼の前に立った。
「クライド様。……ちょっと、目をつぶっていてください」
「? なぜだ」
「いいから、お願いします」
彼は怪訝そうにしながらも、素直に目を閉じた。
私はバックヤードに走り、昨日入荷したばかりの「新商品」が入った小箱を取り出した。
そして、それをカウンターの一番目立つ場所――「新商品・おすすめコーナー」にそっと置いた。
「いいですよ、開けてください」
クライド様が目を開ける。
彼の目の前には、小さなベルベットの箱。
そして、私が手書きしたPOP(値札)。
『【新商品】店長の未来(在庫1) ¥プライスレス(愛)』
「これは……」
クライド様が震える手で箱を手に取る。
パカッ、と蓋を開けると、そこにはシンプルな、しかし美しい銀の指輪が収められていた。
実はこれ、昨日の夜、ドワーフのガント親方が「ビールの礼だ」と言って、こっそり作って置いていってくれたものだ。ミスリル銀製の、特注品。
「リリアナ、これは……」
「新入荷の商品です。……ただし、購入条件があります」
私は彼の目を見て、少しだけ背伸びをした。
「この商品を独占するには、一生、私のそばで『美味しい顔』を見せ続けること。……返品は不可ですけど、買いますか?」
クライド様の瞳が、揺れた。
驚き、そして歓喜の色が広がり、やがて涙で潤んでいく。
「……買う。言い値で買う。いや、私の全てを対価にしても、お釣りが来るくらいだ」
彼は箱から指輪を取り出すと、震える手で私の左手を取った。
「リリアナ・ベルローズ。……私は、不器用で、嫉妬深くて、君の料理がないと生きていけない情けない男だ。部下には厳しいが、君の前では形無しになってしまう」
彼は私の薬指に、ゆっくりと指輪を通した。
サイズはぴったりだ。
「それでも……君を愛する気持ちだけは、誰にも負けない。竜にも、魔王にも、神にさえも譲らない」
指輪が、キラリと光る。
彼は私の手の甲に口付け、そして顔を上げて微笑んだ。
それは、「氷の公爵」でも「甘えん坊」でもない、一人の男性としての、最高に幸せそうな笑顔だった。
「……結婚してくれ、リリアナ。そして、一生私の『専属店長』でいてほしい」
胸がいっぱいになって、視界が滲む。
私は何度も頷き、彼に飛びついた。
「……はい! 喜んで! 在庫切れになるまで、愛してあげます!」
クライド様が私を抱きしめる。
その体温は温かく、力強く、そして微かにピザとコーラの甘い香りがした。
◇
「……あのー、盛り上がってるところ悪いんだけどよ」
不意に、店の奥から野太い声がした。
「わっ!?」
私たちがバッと離れると、イートインスペースの陰から、ガイル副団長と騎士たちが、ニヤニヤしながら顔を出していた。
「だ、団長! おめでとうございます!」
「いやー、いいもん見せてもらいました!」
「ヒューヒュー! 末長く爆発しろ!」
「き、貴様ら……! いつの間に!?」
クライド様が顔を真っ赤にして怒鳴る。
「いやぁ、ピザの匂いにつられて来たんですが、入るに入れない雰囲気でして」
「ちなみに、今のプロポーズ、全部録音魔法で記録しました」
「け、消せ!! 今すぐ消去しろ!! 貴様ら全員、明日は朝まで極寒耐久訓練だぁぁっ!!」
「ひえぇぇっ! でも幸せならOKです!」
店内が笑い声に包まれる。
騒がしくて、温かくて、最高に幸せな場所。
ここが私の居場所。
異世界のコンビニエンスストア。
「さて、リリアナ。……魔界へ行く準備をしないとな」
騒ぎが落ち着いた後、クライド様が私の肩を抱いて言った。
「はい。でも大丈夫です。私には最強の用心棒(ダンナ様)がついてますから」
「ああ。魔王だろうが何だろうが、私の妻には指一本触れさせない。……それに」
彼はニヤリと笑った。
「魔界には、まだ見ぬ『食材』があるかもしれないだろう? それをコンビニの新商品に加えれば、さらに商売繁盛だ」
「ふふ、たくましくなりましたね、クライド様」
「君に鍛えられたからな」
窓の外、朝日が完全に昇り、新しい一日が始まる。
魔王の結婚式、未知なる魔界の食材、そして私たちの新婚生活。
これからはもっと忙しく、もっと美味しくなりそうだ。
「では、本日も元気に営業開始です!」
私はエプロンを締め直し、自動ドアの前に立った。
隣には、愛するパートナー。
そして棚には、キラキラ輝く商品たち。
「いらっしゃいませ! 幸せと便利をお届けする『リリアナ商店』へようこそ!」
私たちの物語は、ここでは終わらない。
24時間、365日。
この店がある限り、美味しい奇跡は続いていくのだから――。
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