第10話 飛来する灼熱の覇者
エルフの守り人、シルフィード様との「天然水貿易」が成立してから数日。
私の店『リリアナ商店』は、かつてないほどの賑わいを見せていた。
「店長! 水の在庫が切れそうだ! エルフたちが『もっとくれ』って木の実を持ってきてるぞ!」
「了解です! 今すぐ追加発注します!」
ガイル副団長をはじめとする辺境騎士たちが、今ではすっかり私の店の手足となって働いてくれている。
彼らはエルフから受け取った珍しい果実や薬草を、私の代わりに王都の商人へ売り捌き、その利益でコンビニ商品を爆買いするという、見事な経済サイクルを確立していた。
「……平和だな」
レジカウンターの横で、クライド様がコーヒー(今日はカフェラテ)を啜りながら呟く。
彼は最近、公務の合間を縫っては、こうして店に入り浸るのが日課になっていた。
「ええ。王都の騒ぎも落ち着きましたし、ジェラルドたちの裁判も進んでいるようですし」
「ああ。あの二人は北の修道院で、一生ジャガイモの皮剥きをすることになったそうだ。……自業自得だがな」
クライド様は冷やかに言い捨てると、ふと表情を緩めて私を見た。
「それよりリリアナ。例の『アレ』は、まだ残っているか?」
「アレ、ですか?」
「……『チョコチップメロンパン』だ。あの、外側のカリカリしたクッキー生地と、中のふわふわのパン、そして時折現れるチョコの甘みが……夢に出てくる」
「ふふ、ありますよ。クライド様のために取り置いてあります」
「感謝する。……君は私の女神だ」
彼は真剣な顔でメロンパンを受け取ると、大事そうに袋を開け始めた。
最強の氷魔法使いが、メロンパン一つでこんなに幸せそうにするなんて。
この平和な時間がずっと続けばいいのに。
そう思った、次の瞬間だった。
ゴォォォォォォォッ……!!
突如、空が暗くなった。
雲一つない快晴だったはずなのに、巨大な影が店全体を覆い尽くしたのだ。
そして、鼓膜を破るような轟音と共に、凄まじい熱風が吹き荒れた。
「な、なんだ!?」
「敵襲か!?」
外にいた騎士たちが叫ぶ。
自動ドアがガタガタと震え、店内の商品が棚から落ちそうになる。
「……この魔力は」
クライド様が瞬時にメロンパンを置き(丁寧に袋に戻してから)、剣に手をかけた。
その表情は、先ほどまでの甘い蕩け顔から、歴戦の猛者のそれへと一変している。
「ドラゴンだ。……それも、古竜クラスの」
「ド、ドラゴン!?」
私は慌てて窓の外を見た。
店の前の広場――以前、狼たちが氷像にされた場所に、とてつもなく巨大な「何か」が降り立っていた。
全身を覆うのは、燃え盛る炎のような紅蓮の鱗。
城壁よりも高い巨体。
そして、溶岩のように赤く輝く瞳。
『グルルルルッ……』
ドラゴンが低く唸ると、周囲の雪が一瞬にして蒸発し、白い水蒸気が立ち上った。
圧倒的な熱量。
氷の領地であるこのザルツ辺境伯領において、これほどの熱を持つ存在は、まさに天敵と言える。
『……美味そうな匂いだ』
ドラゴンの口が動き、重低音の声が響いた。
念話ではない。空気を振動させて言葉を喋っているのだ。
『我は空の覇者、イグニス。……風に乗って漂ってきた、この暴力的なまでの「脂」と「香辛料」の香りに惹かれて降りてきた』
ドラゴン――イグニスは、巨大な鼻をヒクつかせ、私の店を凝視した。
『この小さな箱からか? ……答えろ、人間。ここには何がある? 我が飢えを満たす「肉」はあるか?』
ギラリと光る瞳。
もし「ない」と答えれば、この店ごとブレスで焼き払われそうな威圧感だ。
外の騎士たちは、あまりの恐怖に足がすくみ、動けなくなっている。
「……下がっていろ、リリアナ」
クライド様が私の前に立ち、氷のオーラを全身から噴き上げた。
「私の領地で好き勝手はさせん。……たとえ古竜だろうと、リリアナの店に手を出せば、その翼をもぎ取るぞ」
「待ってください、クライド様!」
私は彼のマントを掴んで止めた。
「相手はお客様かもしれません!」
「正気か? あれは災害だぞ」
「でも、『匂いに惹かれてきた』って言いました。つまり、お腹が空いているだけです。……空腹のお客様を追い返すのは、店長の流儀に反します!」
私は震える足を必死に叩いて止め、自動ドアのスイッチを入れた。
ウィーン。
「い、いらっしゃいませ!!」
私は腹の底から声を張り上げた。
イグニスは、巨大な目を細めて私を見た。
『ほう……我を恐れぬか、小さき雌よ』
シュゥゥゥ……。
イグニスの巨体が赤い光に包まれる。
光が収縮し、人の形を形成していく。
現れたのは、燃えるような赤髪を荒々しく逆立てた、筋骨隆々の大男だった。
身につけているのは竜の鱗で作られたような粗末な腰巻きのみ。鍛え上げられた腹筋と、野性的な眼光が、強烈なオスとしてのフェロモンを放っている。
彼は裸足で雪の上を歩き、店に入ってきた。
自動ドアが彼の体温に反応したのか、一瞬でガラスが曇る。
「……暑っ!!」
店内の気温が一気に上昇した。
まるで真夏のサウナだ。
彼はレジカウンターの前まで来ると、ドン!と拳を叩きつけた。
「いい匂いだ。……この匂いの源を出せ。我の胃袋を満足させられたら、この箱を見逃してやる。だが、不味ければ……」
彼はニヤリと笑い、口元から小さな炎を漏らした。
「ここを更地にして、我の寝床にする」
脅迫だ。完全にカツアゲだ。
でも、料理の腕(商品の質)で試されるなら、望むところだ。
「分かりました。お客様は『肉』をご所望ですね?」
「ああ。それも、ただの肉ではない。我は今まで、生きた牛や馬を丸呑みにしてきた。だが、この漂ってくる香りは……それらとは次元が違う」
彼は鼻をクンクンと鳴らし、レジ横のホットスナックケースを指差した。
「そこの、茶色い棒状の物体。……あれだ」
彼が指差したのは、『ジャンボフランク』だった。
そして、その隣にある『スパイシーチキン(レッド)』。
「お目が高いですね。それは当店自慢の『ホットスナック』です」
私はトングをカチカチと鳴らし、臨戦態勢に入った。
相手は古竜。中途半端な量では満足しないだろう。
私はケースにある在庫を全て――ジャンボフランク五本と、スパイシーチキン五個を紙袋に詰め込んだ。
「これに、特製の『ケチャップ&マスタード』をつけて召し上がってください」
私はカウンターに、山盛りの肉の袋を置いた。
「ほう……。見た目はただの焦げた棒だが」
イグニスは疑り深そうに、一本のフランクフルトを手に取った。
太くて長いソーセージ。
彼の大きな手には少し小さく見えるが、その香ばしい匂いは強烈だ。
彼は大きな口を開け、ガブリと齧り付いた。
パキッ!!!!
「ッ!?」
店内に、小枝を折ったような高い音が響いた。
皮が弾ける音だ。
「な、なんだこの皮はぁぁっ!?」
イグニスが目を見開く。
「硬いのかと思えば、一瞬で弾け飛んだ! そして中から……熱い!! なんだこの汁は!?」
彼の口の中から、肉汁の激流が溢れ出した。
ジュワワワワッ……!
「あつっ! ……熱い! だが、なんだこの濃厚な旨味は!? 生肉の血生臭さが一切ない! 薫製された香ばしい香りと、凝縮された豚肉の脂……! 噛むたびに、口の中で肉の爆弾が破裂しているようだ!」
「そこに、この黄色と赤のソースをつけてみてください」
彼が言われた通りにマスタードとケチャップをつけると、その衝撃はさらに加速した。
「ぐおおおおっ!? 酸味! そして鼻を抜ける辛味! これが、脂っこさを中和し、次の一口を誘う……! 貴様、魔法か!? 肉にどのような魔法をかければ、これほど複雑な味になるのだ!」
「ただの粗挽きポークです」
「粗挽き……素晴らしい響きだ!」
イグニスは止まらなかった。
五本のフランクフルトを瞬く間に平らげ、次はスパイシーチキンに手を伸ばした。
ザクッ!
「……っ!!」
今度は、衣の音だ。
「なんだこの衣は……! 岩のようにカリカリしているのに、中の鶏肉は驚くほど柔らかい! そして……辛い!!」
カッ、と彼の顔が赤くなる。
スパイシーチキン特有の、唐辛子と黒胡椒の刺激。
「口の中が燃えているようだ! だが、我は炎の竜! この程度の炎、心地よいわ! むしろ、このピリピリとした刺激が、肉の脂を際立たせている!」
ハフッ、ハフッ、ザクッ、ジュワッ。
イグニスは無我夢中でチキンを貪り食った。
手についた脂すらも、「うまい、うまい」と舐め取っている。
その姿は、空の覇者というより、初めてジャンクフードを知った地元の不良少年のようだ。
あっという間に袋の中身は空になった。
イグニスは、名残惜しそうに空の袋を見つめ、そして満足げに大きなゲップをした。
「ゲフッ……。見事だ」
彼は手の脂を舐め取りながら、ニヤリと笑った。
「人間よ。我は長く生きてきたが、これほど心を揺さぶる食事は初めてだ。……気に入った」
「ありがとうございます!」
「我は、この店の常連になることを宣言する。……支払いは、これでいいか?」
彼が腰巻きから取り出したのは、拳大の大きさがある、真っ赤な宝石――いや、『竜の鱗』だった。
「こ、これは……!?」
横で見ていたクライド様が、息を呑んだ。
「イグニスの逆鱗……? 一枚で城が買えるほどの価値があり、最強の火除けの素材にもなる、伝説のアイテムだぞ……」
「そんな高いもの、頂けません! チキン一個180円ですよ!?」
「構わん。釣りはいらん。その代わり……」
イグニスは私の顔を覗き込み、野性的な笑みを浮かべた。
「次回は、もっと大量の肉を用意しておけ。……それと」
彼は不意に、私の頭をポン、と大きな手で撫でた。
「貴様、いい度胸をしている。我の番候補に入れてやってもいいぞ?」
「は?」
「ちょ、ちょっと待てぇぇぇ!!」
黙って見ていたクライド様が、爆発した。
氷の剣を抜き放ち、イグニスとの間に割って入る。
「貴様、何を変な口説き方しているんだ! リリアナは私の婚約者だ! 番になどさせん!」
「あん? なんだ氷野郎。貴様のような冷たい男より、我のような熱い男の方が、雌は喜ぶぞ?」
「誰が氷野郎だ! 私はリリアナの前ではホットだ!」
「ほう、やるか? 表に出ろ。デザート代わりに黒焦げにしてやる」
一触即発。
店内の温度が、極寒(クライド様)と灼熱の間で乱高下する。
商品が痛む! チョコが溶ける!
「お二人とも! 店内での喧嘩は禁止です!」
私が叫ぶと、クライド様は「……チッ」と舌打ちをして剣を収めた。
しかし、その瞳は完全に嫉妬の炎で燃えている。
「リリアナ」
クライド様が、すがるような目で私を見た。
「私も……食べたい」
「え?」
「あの、棒に刺さった肉だ。あいつがあんなに美味そうに食べるから……悔しいが、食欲をそそられた」
「はいはい、分かりましたよ」
私は在庫の奥から、最後の一本のフランクフルトを取り出し、レンジで温めた。
「はい、クライド様。ケチャップたっぷりでどうぞ」
「……頂く」
クライド様は、イグニスに対抗意識を燃やしつつ、フランクフルトにかぶりついた。
パキッ。
ジュワッ。
「……っ!!」
「どうですか?」
「……熱い。だが、美味い。悔しいほどに」
彼はハフハフと熱さを逃しながら、それでも必死に肉汁を啜った。
すると。
「あ」
勢い余って、肉汁が彼の顎に垂れてしまった。
「熱っ……!」
「もう、慌てて食べるからですよ」
私はカウンター越しに手を伸ばし、ハンカチで彼の顎を拭おうとした。
だが、クライド様は私の手首を掴み、そのまま自分の舌でペロリと肉汁を舐め取った。
「……味見、だろう?」
彼は上目遣いで私を見て、ニッと悪戯っぽく笑った。
その顔が、さっきのイグニスの野性的な色気とは違う、高貴で、でもどこか背徳的な色気を放っていて。
「~~~っ!!」
私は言葉を失い、顔を真っ赤にしてフリーズした。
この人、最近どんどん攻めてくる! 天然なの? 計算なの?
「……ふん、見せつけおって」
イグニスが呆れたように鼻を鳴らした。
「まあいい。今日のところは引いてやろう。だが、この店は我が縄張り(テリトリー)だ。他の有象無象の魔物が近づけば、我が焼き尽くしてやる」
なんと、古竜が『用心棒』になってくれるらしい。
最強のセキュリティシステムの完成だ。
「ではな、面白い人間たちよ。……次は『フライドポテト』なるものを所望する」
イグニスは豪快に笑い、再びドラゴンの姿に戻って空へと飛び去っていった。
後に残されたのは、伝説の竜の鱗と、とんでもない熱気。
「……はぁ。疲れましたね」
私がへたり込むと、クライド様が優しく肩を抱いてくれた。
「よくやった、リリアナ。君の料理は、竜さえも手懐けるとはな」
「もう、寿命が縮まりましたよ……」
「だが、一つだけ言っておく」
彼は私の耳元で、低く囁いた。
「君の『番』は私だ。……竜なんかに、絶対に渡さない」
甘い。
フランクフルトのケチャップよりも甘酸っぱい空気が流れる。
私たちは見つめ合い、自然と顔を近づけ――。
ゴーン、ゴーン……。
その時、遠くから重々しい鐘の音が響いてきた。
「……教会の鐘?」
クライド様が怪訝な顔をする。
こんな時間に、鐘が鳴るなんて。
自動ドアが開いた。
入ってきたのは、竜でもエルフでもない。
純白の法衣に身を包み、背中に巨大な十字架を背負った、冷徹な目をした神父だった。
「……異界の魔道具を使い、民を惑わす『魔女』がいると聞いて参りました」
神父は、私を冷たい瞳で見据えた。
「リリアナ・ベルローズ。あなたに『異端審問』の嫌疑がかかっています。……直ちに同行を願いたい」
竜の次は、神様!?
私のコンビニ経営は、いつになったら平穏が訪れるの――!?




