地球滅亡予定日まで 残り26日
日曜の朝なのに気が滅入るような記事が目に入った。
「物流滞る、スーパーから商品が消える!?」
この記事では、交通網が寸断される事故が相次ぎ、物流が滞りつつあるという内容だった。
更にこういった隕石衝突予定日のニュースから不安感が漂い、多くの消費者がスーパーやコンビニへ買い占めに走っているためにスーパーやコンビニから商品が相次いで無くなっているという話だった。
仮にあったとしても売る方も仕入れることが出来ず、消費者の足元を見ていることもあってか通常の値段の10倍も、場合によっては100倍の値段にもなるとのことだった。
ウチの備蓄品はあんまり無かったよな……と思いながら他の記事に目を通す。
「在外邦人以外の出入国制限へ」
次に目についた記事はこれだった。
先日、在日外国人が暴動を起こしたという一件から入国制限をするとのことだった。
日本人に関しても、海外で“隕石衝突予定日発表“以降でデモ活動が活発的に起きていることから渡航を禁止するとのことだった。
――ただそれは言い訳に過ぎず、日本国内で管理したいのだなと言う事がミエミエだった。
しかし一方で、政府の対応が迅速かつ適切だという評価から内閣支持率が30%台から60%台にV字回復しているという記事もあった。
こんなのに騙されるなんてどうなってんだよこの国の国民……。
そんな記事ばかりを見ていると嫌気がさしたので、ちょっと外を歩いてみることにした。
父さんと母さんも朝早くからどこかに出かけていったので、ポツンと一人残されたからだ。
普段なら誰もいないなら勉強はほどほどに色々なことが出来てラッキーだと思うところだが、
今は全く心境が違った。
会う事すらできていない由利と仲直りする方法も一向に浮かんでこないし、
このまま家にいてスマートフォンを見るばかりでは気が滅入りそうな気がしたから……。
幸い、今日は澄み渡るほど青空が見えるほどに晴れているために歩くだけで気も晴れることだろう。
外に出て、あてもなく歩いているとさっきから、パトカーや救急車とひっきりなしにすれ違っている気がした。
――これはもしかすると、自棄を起こした人たちの犯罪や怪我を負ってしまう人が増えてしまっているのかもしれない。
ウチのような超進学校すらも登校する人が日に日に減っているような状況だ。
それよりレベルの下の学校ならもっと不登校者は増えているだろうし、
毎日のように電車が止まっている様子を見ると僕の思っている以上に社会が徐々に崩壊していっているのかもしれない。
近くのコンビニに寄ると――今朝記事で見た通り、陳列棚から品々が消えていた。
特に防災関連のグッズや食べ物が消えていた。代わりにあまり火急に必要とされていない文房具や雑誌と言ったものはほとんどそのまま残っていた。
雑誌は隕石衝突予定日より前に発行されたものは呑気に芸能スキャンダルやスポーツ選手の移籍の話題が載っている。
それらは“時代に取り残された遺物“のようにも見えた。
何も収穫が無かったコンビニを出てしばらく歩くと市役所が見えてくる――しかし、いつになく人が集まっているようだった。
集まった人々は口々にひたすら“金返せ!””税金泥棒!”などと叫んでいる。
その中には報道のカメラやレポーターも来ており、生放送されているようだ。
「一体何が起きたんですか?」
列の最後尾にいるおじさんに声をかけてみた。ここは恐らくは生放送で映らないことだろう。
「それが、市長がいなくなったんだ」
「え? 市長が?」
「何でも、国外に出れなくなる前に逃亡してしまったらしい。
話によると、市の金の一部を持ち逃げし、出国禁止になる前にタックスヘイブン(租税回避)地に高跳びしたんだとよ。
まったくヒデぇ話だよな。俺たちの払った税金で自分は今頃豪遊しているんだぜ?」
「なるほど……それは大事件ですね……」
「だから俺たちは“払った税金返せ!“と思って押しかけてきているわけ。金を出せないのなら市民が今欲しい食糧を供給しろと。この後副市長が何か話すらしいし、そこでその訴えをしようとしているんだ」
「な、なるほど。よく分かりました。頑張って下さい」
僕はお辞儀をするとサッとその一団から離れた。
彼らの気持ちはよくわかるけど、税金は義務がある以上は相手がどんなに酷い市長や政治家であろうと納税しなくてはいけないだろう。
だから、税金を返せと活動を起こすのはマズいような気がする……。
政治家に問題があるのであれば選挙で落選させるしか現状国民に出来る選択肢は無いのだから……。
◇
公園に着いた。ここは市内では北の方に位置しているために北公園と呼ばれている。
場所としては僕と由利の家の真ん中ぐらいのところにある自然豊かで遊具が多く設置されている所だ。
でも、今日は日曜なのに親子連れなどもおらず、僕がこの自然豊かな北公園を独り占めできるようだった。
懐かしいな……小学校の時に由利や友達と虫取りや花の冠を作ったりしたものだった。
僕は誰もいない北公園で寝転びながら小学生時代のことを一つ一つ思い出していった。
あの時は良かった。野山を駆け回って無邪気に遊んでいた。
毎日、授業中の間でも放課後が来て遊ぶのを待ち望んでいたものだった。
今では下校をしても受験勉強で日々の生活が追われている。
最近では発生した隕石衝突予定日に怯えることも無かったんだ。
でも不思議だな。時を経ると僕の周りの世界はドンドン世界が変わっていっているのに、あの時と同じように、草木は美しい緑色、空を見れば綺麗な青空を鳥が飛んでいき、風で木々が少しサワサワと音を立てている。
パニック状態になっているのはまるで人間だけなのかのようだ。
自然を感じることが出来るこの無人の公園だからこそ、そのように感じることが出来たのかもしれない。
でも、どうして人間は他の動物よりも色々知ることが出来ているのにこんなにも恐怖に怯えているのだろうか?
昔の人からの知識の蓄積が科学技術の発展をもたらし、医療が発達し、電気が通じ、今の僕たちが車や電車に乗れたり、スマートフォンからインターネットを見ることが出来たりしている。
しかし、今現在は、”知ることができる”“観測できる“という事が不幸を生んでいるのかもしれない。
星の状況や隕石の予測を観測できなければある日突然「終わってしまう」だけでパニックになってしまう事も無いのだから……。
知識を得ていることや他の生物よりも進歩的であることが不幸をもたらすだなんて、こんな皮肉な話があるとは……。
でもこれは宇宙の観測だけの問題ではない、結婚や子育ての苦労話が溢れかえっていることや、SNSで加工した美男美女が多数いることから“よっぽどの優良物件“でないと結婚しようという気すら起きないと言ったことだ。
少子高齢化には経済的な問題なども多いだろうけど、精神的に結婚へのハードルが上がっているんだ。
そんな悲劇が起きるぐらいならばいっそのこと何も知らない方が良かったのかな……。
原始時代の人達みたいに何の技術も無ければ気楽に幸せに生きていけたのかな……。
――でも技術も発達しなければ閉鎖的な世界にずっといた。
少し離れているために由利に会うことが出来なかったし、好きになることも出来なかった。
技術の進歩によって不安や恐怖に囚われてしまうのはある意味しょうが無いんだろう。
この苦しみや不安や恐怖はもしかすると“生きている証”なのかもしれない。
これを乗り越えることが出来たならば、前の世代の人々よりも“一段階上に行けた”と思えるのかもしれない。
「よしっ! そうと決まったら残りの日数を後悔無く生きよう!」
由利とは何とかして会って、かけがえのない存在だってもう一度伝えよう。
由利だって今、地球が隕石衝突することに対して少なからず不安に思っているはずだから……。




