地球滅亡予定日まで 残り17日
呆然としていたので何も手につかなかった。
一昨日はよく話す官僚になりたい熊田君やカメラを片手に夢を語る佐藤さんがあっさりと撃ち殺されてしまった。
昨日は母さんと父さんが口論になりまさかの殺人事件になってしまった……。
その2日間の出来事が悪夢ではない、現実であることに気が付いたのは、
朝食の用意がされていないどころか、人の気配が全く無いことだった。
名前を呼んでも伽藍とした家の中に自分の声が木霊するだけだった。
母さんが父さんと喧嘩して母さんが朝いなかった時(残り28日の際)とは違ってもう二度と2人は戻ってくることは無いのだ……。
廊下に行くと血溜まりの跡がまだ残っていたときは思わず涙が出た。
他の家より広さはむしろ狭いぐらいだったし、海外旅行にも行ったことがない。
決して金持ちだったわけでもないし、ごく普通のありふれた家庭だったかもしれない。
でもご飯が食べられないような苦境であったり、学校に通う際にお金の心配をする必要は無かった。
確かに「幸せな普通の生活」というのがここにあったんだ……。
それが完全に砕け散ってしまったかと思うと涙が止まらなかったのだ……。
両親が口論していたあの日々ですら懐かしく思える日が来るだなんて――しかもこんなにも早く来るだなんて夢にも思わなかった……。
◇
涙すらも枯れ果てて落ち着くと、2LDKの家は僕一人では広すぎるとすら感じた。
冷凍庫にあるパンを解凍し、ゆで卵を作り牛乳をコップの中に入れるという、誰でもできそうな何の変哲も無いいつもの朝ご飯ではある。
でも、それをいざ一人でやるとなると、毎日朝の忙しい家事の合間を縫って用意してくれた母さんの偉大さを知った。
これまで一人暮らしはおろか家事すらも全くやってこなかったことを後悔した。
誰にもできそうな洗濯やトイレ掃除だって不慣れで、洗濯物をハンガーにかけるのに手間取ったり、スポンジを便器の中に落としてしまったりどうしようもないところでモタモタしてしまった……。
それでも学校に行かなくなったので時間を潰すことと、日常生活を行う事で気持ちを落ち着かせる意味ではとても意義があることと思えた。
やることが無くなると2日間の惨劇がフラッシュバックする。
熊田君が僕に手を伸ばしてきた姿、母さんが父さんを殺した一瞬は今でも瞼の奥に焼き付いている……。
頭を振り回しても、搔きむしっても、どうしても離れない……。
あんなことさっさと忘れてしまいたいのに……。
高校に上がってからは父さんとも母さんともあまり話さなくなっていたけども、いざいなくなってしまうと酷い虚無感があった。
母さんは小言がうるさかったし、父さんは夜遅く帰って来た時はいつも酒臭かった。
でも、リビングには小学校の頃の運動会のメダルや、旅行の3人で写った家族写真、どうしようもない賞状など3人で築き上げた生活が随所に垣間見えた……。
両親の関係は水面下では崩壊しつつあったけども、僕を大事に思っていてくれたんだ……。
僕の存在が離婚をある意味防止していたのかもしれない。
両親がいることの当たり前がこんなにも愛おしく懐かしくかけがえの無い一瞬だったことが分かった……。
2人が存在してくれていただけでホッと出来ていたのだと。
誰もいない家がこんなにも虚しいのかと――。
それを痛感させ、後悔し続けたられた1日だった。
こんなことならもっと話していれば……。父さんが肩こっているなら揉んでやればよかったし、母さんの家事が大変なら僕が手伝ってあげればよかったんだ……。
2人の負担を減らして上げられればこんな深刻な喧嘩にならなかったのかもしれない……。
僕だけが2人の間の橋渡しの役割になれたのだから、絆を深める役割になればよかったんだ……。
高校生にもなって両親と仲が良いだなんて親離れできないみたいで嫌だ――そんなしょうもないプライドが僕を邪魔し続けたのだ。
父さんは遺体が収容されたが、営業している火葬場が少なく、あまりにも混雑しているために隕石衝突するときまで間に合わないために広域集団葬になると警察関係者には言われた……。
母さんはまだ生きているが連行されたのでもう今生では会うことは出来ないだろう……。
失って初めて大切だと気づいたのだ。でも当たり前に目の前に存在していると逆に感謝なんてできないのかもしれないけど……。
僕は父さんがよく使っていたボールペンと母さんがいつもに身に着けていたエプロンを持ってきて握りしめた。
産んでくれてありがとう。健康に育ててくれてありがとう。学校に行かせてくれてありがとう。辛い仕事をしてくれてありがとう。思ったよりも重労働な家事をしてくれてありがとう――
それなのに僕は何も返してあげられなくて本当にごめんなさい。高校に入ってからは避けてばかりでごめんなさい。何かもっと親孝行できたはずなのに。何もできなかったことを……。本当に親不孝の息子でした……。
ただひたすら両親に謝罪と感謝の言葉を述べ続けた……。
それがもう2人に伝わることは無いのだけども……。
何かできたことがあったはずなのに何もできなかった――それは悔いても悔やみきれない後悔の嵐として僕の心をかき乱し続けたのだった……。




