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30日後に巨大隕石が衝突すると知らされた世界で、本当に大切なものを見つけた  作者: 中将


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10/19

地球滅亡予定日まで 残り22日

昨日の防衛大臣の会見を見てからずっと「精神的備え」について考えていた。


1日考えて出た結論は隕石の衝撃は一般市民の力を持ってはどうやっても回避はすることができないために、ある種の「死ぬ準備」なのだろうという事だった。


しかし、遅かれ早かれ人間は必ず死ぬことになる。と言う事はそれがたまたま17歳の今であるか、85歳の平均寿命になるか、100歳になるかそれだけの差だという事でもある。


それが最も酷な差なのかもしれないけどね……。


90歳まで生きた方と僕との間の人生のバリューの差は歴然だ。

彼らは更に経済成長して右肩上がりの時代を生き、働かずして年金までたんまりもらっている……。


世代間格差については納得がいかないとも思った。


でも、考えてみれば格差なんて生きていれば自然と発生するよな。


生まれた家の経済力の格差、男女の格差、容姿の格差、健康の格差――


それらはあまりにも当たり前に存在しているために格差というよりもある種の「個性」の一つのようにも思える。

「〇〇ガチャ」と呼ばれて皮肉られることもあるほどだ。


更に22歳で社会に出てから65歳や70歳ぐらいまで同年代と競争させられ、馬車馬のように働き続ける――。場合によっては老後は周りから疎まれる……。そう言った人生が幸せかどうかは分からなかった。


そうなるとそれらを「完走」した世代も必ずしも幸せと言えるわけではない。

要は、その”生きている内容”が大事なのだ。


内容が無ければダラダラと長生きしていたってどうしようもない。


世代間格差を嘆いたりするのは不毛な気がした。


”終わり”がこういう形で決まってしまったことも若いうちから末期癌を宣告されたと思えばいい。


何も今の自分たちだけが特別起きた現象ではないのだ。


そうなると、「精神的な備え」と言うのは「今死んでも後悔しないようにすること」じゃないか?


授業を呆然と聞きながらふと思った。


後悔したくないことといえばとにかく由利と仲直りしたい。


自分一人で解決することでは無く、相手がいることだからダメかもしれない。

でも、全ての手を尽くすまで、隕石衝突の日まで、諦めちゃいけないと思った。


僕が最期の人生で後悔しないようにするには、由利と関係が改善しなくとも、

関係が改善するように全力で努力することじゃないか?


しかし、現実的には神様にいくら願ったところで現状は何も改善しない。昨日神社参りをしたところで何も思いつかなかった。


どうやってすればいい? メール作戦もダメ。由利の家に行ってお母さんに頼んでも何も改善しなかった。


八方塞がりじゃないか……。一体どうしたら良いんだ……。


髪をかきむしった後に頭を抱えた……。


最近座っているだけの授業をふと確認すると、社会倫理を考える授業だった。


今日の項目は「デジタル社会の功と罪」と言ったテーマだった。


簡単に要約するとデジタル社会において便利になったり


例えばデジタル教科書はタブレット一つを学校にもっていけばよくなり、大量の教科書を鞄にパンパンに詰めて持っていく必要も無くなった。

ラインマーカーもタップ操作一つで簡単に引くことができるために、一時的には紙の教科書はほとんど完全に淘汰されてしまった。


しかし、平均点の推移など統計的なデータによると、学習効率、読解能力が落ちてしまう事が分かったというのだ。


確かにやっていることは同じように見えても、脳に対する影響。特に記憶や理解に関する部分についてはデジタル教科書よりも紙の教科書の方が良いというのだ。


このようなことから紙の教科書に一部の進学校では完全に回帰し、進学実績を上げているという話だった。


紙を触った感覚、手を動かして「書く」ことで脳が刺激され、学習内容が定着することが再評価されたり、デジタルデバイスを見続けることによって視覚的な疲れや視力の低下と言った問題が発生しているという事だった。


――なるほど。これを今の僕に当て嵌めてみると、「メール攻勢」だと何だか由利に気持ちが伝わっていないのかもしれない。手紙にして書いたらどうだろうか? と思った。


そして、出来上がった手紙を由利のお母さんに託して直接本人に届けてもらうのはどうだろうか?


確実に届くし、もしかすれば返信を得ることも出来るかもしれない。


手紙なんて手書きで書いたことはほとんど無いし、僕の自書はお世辞にも綺麗とは言い難い。小さい頃はミミズが這ったような字と言われたことすらあった。


それでも、一生懸命手書きをすることで気持ちが伝わるのではないか?


考えれば考えるほど、希望の蜘蛛の糸が降りてきたような気すらしたのだ。


学校に行く前に便箋を買い、ほとんどの授業が自習であることを良いことに何度も何度も書き直した。


そうした試行錯誤を授業中から繰り返した結果、以下のような文面になった。


『阿坂由利さんへ


僕達はこれまで15年間、顔を合さない日、連絡を取り合わなかった日はほとんど無かったと思います。


一緒の学校に入り、一緒の部活に入り、一緒に色々なイベントを過ごしてきました。


去年、僕の告白を受け容れてくれた時は人生で起きた中で一番嬉しいぐらいの出来事でした。


由利はちょっと危なっかしいところはあるけれど、

優しくて、料理が出来て、いつもみんなの輪の中心にいて、眩しいぐらいに輝いていました。


せいぜい勉強ぐらいしか取り柄の無い僕には勿体ないぐらいの彼女だと思います。


でも、そんな由利の優しさにこれまで甘え続けていたんだと思います。


先日、由利を怒らせてしまった時も、

愚かにも当初はなんであんなことで狂ったように怒ったんだ? と思ってしまったけど、彼女以外の女の人と楽しそうに話していたら不快に思うに決まってるよね。


本当にごめんなさい。


由利の声が、姿が、仕草がこんなにも恋しいです。

たった1週間会えない、連絡が取れないだけでこんなにも苦しい想いをするとは思いませんでした。

もう、狂ってしまいそうです。


でも、僕が由利の気持ちに気づけずに大きく傷つけてしまったことも否定できないことだと思います。


だから許してくれとは言わないけど、

もしもまだ僕に対して少しでも気持ちが残っているのであれば、


連絡をください。


いつまでも待っています。


伊崎裕司』



とにかく一生懸命書いた。文才に乏しい僕がどの程度由利の心を動かせるかは分からない。

書き始めた当初はあまりの才能の無さに絶望したほどだ。


それでも、魂を込めて今考えられる全てを書き記したつもりだ――けど、なんだかもうちょっと綺麗に書けそうな気がする。


家に帰ってからもう一度書き直すか。そうなるともう一度内容を精査してみるか……。


何もせずに隕石衝突の日を迎えてしまうぐらいなら、

失敗を恐れずに明後日の日曜日にも手紙を届けてみようと思った。


由利と連絡が取れない状態は生きながら死んでいるまさしく“ゾンビ”のような状態なのだから……。

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