第09話:【第1部完】チートスキルやお金では手に入らないもの
「……ごめん。ごめんよ、みんな……」
土砂降りの雨が、容赦なく公園のベンチを叩きつける。
俺は、泥水にまみれてうずくまっていた。
終わった。
何もかも。
俺が育った孤児院「ひまわり園」が、資金難で閉鎖されると聞いたのが一週間前。
必要な額は300万円。
俺は焦った。
一攫千金を狙って、怪しい投資話に飛びつき――なけなしの貯金すら騙し取られた。
「俺は……クズだ……。ビッグになるなんて口だけで……恩返しひとつできなくて……」
自分の無力さが、冷たい雨と一緒に心臓をえぐる。
死のうかな。
トラックに跳ねられたら、今度は保険金くらい残せるかな。
「――また、計算間違いをしているぞ……凡田君」
雨音が、ふっと遠ざかった。
見上げると、黒い傘を差した男が立っていた。
いつもの、埃ひとつない黒いスーツ。
経理部の氷室先輩だ。
「ひ、氷室先輩……」
「君という存在は、再調達不可なんだぞ……。1点もののプレミアム商品だ。その点を考慮して再計算してみたまえ。君の命は、遥かに高いはずだ」
先輩は冷ややかにそう言うと、いつものように胸ポケットに手を伸ばした。
赤い手帳が出る。
俺は反射的に縋りついた。
「先輩! 頼みます! 俺にチートを貸してください! お金が出るスキルでも、時間を戻すスキルでもいい! 俺の命なんてどうなってもいいから、あの子たちを助けたいんです!」
俺は泥水に頭を擦り付けた。
プライドも何もない。
土下座でも靴舐めでもなんでもやる。
だが、先輩は手帳を開かなかった。
その代わり、静かに問いかけた。
「……凡田君。チートスキルで、努力せずに手に入れた金で、孤児院の子供達は本当に喜ぶのか? 君のご両親にも胸を張って報告できるのか?」
「え……?」
「君が入社した日のことを、覚えているか? 5年前の4月1日だ。君が、私に初めて会った日のことを」
***
(回想)
それは、5年前の春。
新人研修室。
当時、教育担当に抜擢された若きエース・氷室は、頭を抱えていた。
「……なんだ、今年の新人は」
リストには4名の名前。
営業の鬼才・鬼塚。
世渡りの天才・泥川。
そして、才色兼備のスーパーエリート・綺羅星――現在の聖奈さんだ。
彼らは文字通り「綺羅星」の如く輝いていた。
ただ一人、リストの最後に載っている男を除いては。
『凡田 正』。
平凡な田んぼに、正しい。
名前だけは立派だが、結果は全て平均以下。
研修初日から集合場所を間違えて遅刻し、書類もミスだらけ。
緊張感が無さすぎる。
「人事部は、なぜ彼を採用したんだ……」
氷室は溜息交じりに履歴書をめくった。
そして、備考欄で指を止めた。
『施設育ち』『身元引受人:孤児院院長』
「……なるほど。ハングリー精神枠、か」
氷室は冷徹に分析した。
叱ってくれる親がいないから、緊張感がなく仕事に気を抜いているのか。
ならば、荒療治が必要だ。
「社会人の厳しさを教えるには、『親』からの説教が一番効く」
その夜。
氷室は、普段は行わないチートスキルの業務での利用を初めて実行した。
チートスキル『大魔導』を使い、『夢魔法』と『親霊召喚魔法』を合成。
対象者の夢に干渉し、親しい死者を召喚するメンタルケア・魔法に変換。
(呼び出すのは彼の両親だ。だらしない息子を叱咤激励してもらえば、少しはマシになるだろう)
氷室の意図は、あくまで効率的な「業務改善」だった。
感動の再会など期待していない。
ただの「補習」のつもりだったのだ。
夢の中へ。
そこは、薄暗い一軒家のリビングだった。
窓の外は、激しい雨が降っている。
雷鳴が轟く中、小学4年生の姿をした凡田少年が、膝を抱えて震えていた。
『……パパ、ママ、遅いなぁ……』
氷室は、傍観者として部屋の隅に立った。
(なるほど。過去の記憶か)
……あの日。
母は、駅まで父を迎えに車を出した。
「危ないから、あんたは留守番してなさい」と言われて。
それが、最後の会話になった。
スリップ事故。
即死だった。
自分だけが、温かい家でぬくぬくと生きてしまった。
その罪悪感が、この少年の心の核にあった。
光と共に、二つの影が現れる。
凡田の両親だ。
氷室は腕を組んだ。
(さあ、甘ったれた根性を叩き直してやってくれ)
しかし。
『正……!』
『正! まあ、大きくなって!』
両親は、説教などしなかった。
目の前にいる、スーツ姿の(現在の)凡田を見て、顔をくしゃくしゃにして泣いたのだ。
『すごいわね、正。あなた、あの一流企業の社員になれたのね!』
『父さんたちの分まで……一人で、立派に生きてくれたんだな』
「……え?」
凡田はその場に崩れ落ちた。
「怒らないの……? 俺、ダメなんだよ。仕事もできないし、ドジだし……」
「俺だけ生きてて、ごめん……! 俺がパパたちを殺したようなもんなのに……!」
『バカ言うんじゃないよ!』
父が、凡田の頭を力任せに抱きしめた。
『お前が生きていてくれて、本当に良かった。それだけで、父さん達は幸せなんだ』
『そうよ。優しい子に育ってくれて、ありがとうね』
そこにあったのは、氷室が想定していた「効率」や「損得」など入り込む隙間のない、無償の愛だった。
綺羅星のような才能はなくとも、泥臭く生きる息子への、誇りだった。
(……計算違いだ)
氷室は、居たたまれなくなって視線を逸らした。
夢魔法の強制解除時間が迫る。
両親の体が光の粒子になって消え始めた時。
二人は、虚空に佇む氷室(管理者)の方を向き――深々と、頭を下げた。
『あの子は、不器用で、弱虫で、手のかかる子です』
『でも、誰よりも家族思いの優しい子なんです』
『どうか……独りぼっちのあの子を、よろしく頼みます』
氷室は、言葉を失った。
胸の奥にある、計算機では弾き出せない場所が、熱く痛んだ。
彼は、静かに、しかし力強く頷いた。
「……お二人に約束します。私が責任を持って、一人前の社会人として教育します」
***
「……つまり私が言いたいのは、君の命の価値は、君だけが決められるものではない。ご両親の気持ちを無視し、自分勝手に命の価値を決めるな。あの日の夢を思い出せ」
雨の公園。
先輩の告白に、俺は地面に崩れ落ちたまま、慟哭した。
「うあぁぁぁ……!」
覚えてる。
覚えている。
入社研修の夜、不思議な夢を見た。
都合のいい妄想だと思っていた。
でも、あれは先輩が……氷室先輩がくれた、奇跡だったんだ。
「私は、君のご両親と約束した。一人前の社会人として教育すると……」
先輩は、濡れた俺の頭上に傘を差しかけた。
その影が、あの日の父さんの温かさと重なる。
「何度失敗しても諦めない所が、君の唯一の取り柄だったはずだぞ……立て、凡田君」
先輩の声が、雨音よりも鮮明に響く。
「ここで君が諦めたら、孤児院「ひまわり園」は本当になくなる。まだ結果は出ていない。諦めずに努力を続けるんだ。負けるな。希望はある」
「でも……もう金が……」
「金は不要だ。君に『努力』をする気持ちがあればな」
先輩は、赤い手帳を開いて、俺にそれを見るように促す。
「チートスキル『勇者の会心の一撃』。このスキルは、『努力』を経験値として累積し自身が、本気で願った行動を『会心の一撃』に変換するものだ。このスキルは、君のご両親と約束したあの夜からずっと君の中で発動し続けている。これまでの『努力』が嘘だったのかを自分の目で確かめてみろ」
「せ、先輩……」
「泣いているだけでは人生は何も変わらない。努力して、本気で願い行動するんだ。これが最後の『努力』だ! 君の本気の願いを、叶えてこい!!」
先輩は、あの夜からずっと俺のためにチートスキルを使ってくれていた。
力が湧いてくる。
体の芯から、熱いものがこみ上げてくる。
「はいっ……! ありがとうございます、先輩っ!!」
俺は走り出した。
雨上がりの雲間から、一筋の光が差す。
どんな結果でも、もう迷わない。
俺には、最強の先輩がついているんだから!
その直後だった。
俺のスマホが、ポケットの中で激しく震えた。
『おい凡田! お前が書いた告発ブログ、SNSでバズってるぞ! 有名インフルエンサーの“アイスハウス”さんが、拡散してくれたんだ!』
友人からの電話。
続いて、警察署からの着信。
『凡田さんですか? 〇〇署です。例の詐欺グループのアジトを特定しました!』
まるで世界そのものが、俺の味方にひっくり返ったような――まさに『会心の一撃』全てのわだかまりを打ち砕く一撃のようだった。
***
それから1ヶ月後。
奇跡は現実になった。
不慣れながら努力して俺が立ち上げたクラウドファンディングは、ネットでの拡散を追い風に目標額を遥かに超える支援を集めた。
詐欺グループも一網打尽となり、騙し取られた金も戻ってきた。
孤児院「ひまわり園」の存続が決まったのだ。
「正お兄ちゃん、ありがとう!」
「また遊びに来てね!」
子供たちの笑顔に囲まれて、俺は鼻をすすった。
(パパ、ママ、見ててくれたかな……)
少し離れた場所。
園庭の隅にあるベンチで、黒いスーツの男が手帳を広げていた。
俺は子供たちに手を振って、先輩のもとへ駆け寄った。
「先輩! やりました! 先輩のご指導のおかげです!」
「まったく。感謝する相手を間違えてないか?」
氷室先輩は、恥ずかしそうに視線を落としたまま万年筆を走らせている。
「これで、俺の借金もチャラですよね?」
「……計算してみたが」
先輩は手帳を俺に向けた。
そこには、こう書かれていた。
『一人前の社会人を100とした場合に……』
『君は、まだ50ぐらいだ。全然足りない』
「は、はい!?」
「今回の件で、君の『一人前の社会人レベル』は多少上がった。ただ、まだ半人前というところだ。これからも努力が必要だから覚悟するように」
先輩はニヤリと笑った。
いつもの、底意地の悪い、でもどこか温かい笑顔で。
「つまり、君はまだまだしばらく、私の指導対象だということだ。逃げられると思うなよ、凡田君」
「ええええええ!! そんなのアリですかぁぁぁ!!」
俺の絶叫が、青空に響き渡る。
「それはそうと、祝いだ」
先輩は背後に隠していた紙袋を突き出した。
「……とらや?」
「特上の羊羹だ。2本セットだから1本は、特別に食わせてやる。……ただし、お茶代は君持ちだぞ」
「せ、先輩……」
俺は受け取った。
ずしり、と手に沈む重み。
格式高い黒い箱は、先輩のスーツのように隙がない。
だけど中身はきっと、甘くて、濃密で……一人で食べるには、少し重すぎる。
「まるで、俺たちの関係みたいだ……」
「ん? 何か言ったか?」
「い、いえ! いただきます! ……一生ついていきますよ、氷室先輩!」
「ふん。口の減らない後輩だな」
俺たちは並んで歩き出した。
終わらない借金生活。
終わらない、俺たちの日常へ。
(第一部:完)
■今回の収支
借金総額:51,300円(変動なし ※社会人レベル不足のため完済不可)
得たもの:ひまわり園の未来、詐欺被害金、虎屋の羊羹、社会人としての覚悟
失ったもの:先輩から逃げる口実(一生指導確定)




