第08話:チートスキル『魔獣調教(モンスター・テイミング)』
「はぁ……。やってられないよ……」
昼休み。
社員食堂の片隅で、俺は死んだ魚のような目をしていた。
午前中、鬼塚課長に「倉庫の整理がなってない!」と怒鳴られ、埃まみれの地下倉庫の掃除を一人で押し付けられたのだ。
全身埃っぽいし、カビ臭い。
俺の人生そのものみたいだ。
「……隣、いいだろうか」
ドサッ、と俺の向かいにトレイが置かれた。
見上げると、いつものクールな黒いスーツ姿。
経理部の氷室先輩だ。
「あ、先輩。お疲れ様です」
「うむ」
先輩は優雅に席に着いた。
そのトレイの上には、渋茶が入った湯呑みと、漆黒の光沢を放つ「一本の羊羹」だけが鎮座していた。
「……え? 先輩、お昼それだけですか? しかも、それ……」
俺は思わず突っ込んだ。
食堂のメニューにはない、明らかに高級な和菓子だ。
「何か問題でも?」
先輩はナイフとフォークを使い、羊羹を定規で測ったかのような正確さで一口大に切り分けた。
「老舗の高級一口羊羹だ。高密度の糖分と小豆のビタミンB1。これ一本で脳の血糖値を爆発的に上昇させ、午後の業務効率を神速の域にまで高める……いわば『食べるエナジーバー』だ」
「は、はぁ……(ただのあんこ好きじゃん)」
俺はカツ丼をかき込みながら、愚痴をこぼした。
「いいなぁ、先輩は優雅で。俺なんて、倉庫の掃除で埃まみれですよ。あそこ、なんか出そうだし、暗いし、一人じゃ終わらないし……」
俺はチラリと先輩の胸ポケットを見た。
そこには、いつもの『赤い手帳』が刺さっている。
「あーあ! 誰か手伝ってくれないかなぁ! 言葉の通じない相手でもいいから、意のままに操って、一緒に働く『努力』がしたいなぁ!」
「……意のままに、か」
氷室先輩は、恍惚とした表情で羊羹を口に運び、熱いお茶をすすった。
「……リーダーシップを磨く『努力』をしたいというわけか。いいだろう」
先輩は胸ポケットから手帳を取り出した。
パラパラとめくり、あるページで指を止める。
「『魔獣調教』。対象の生物に魔力を通し、絶対服従の従魔(下僕)とするスキルだ」
「モンスター・テイミング! さすが先輩! それです!」
「ただし」
先輩はページをビリリと破りながら言った。
「効果時間は本日定時まで。対象の知能レベルによっては、複雑な命令は理解できない。使いどころを見極めることだ」
「ありがとうございます! これで倉庫掃除も楽勝です!」
俺が笑顔で紙片を受け取ろうとした、その時だった。
サササッ……。
食堂の隅を、小さな影が走った。
「ん?」
俺が視線を向けると、最新のビルには似つかわしくない一匹のネズミがいた。
つぶらな瞳で、こちらを見ている。
「あ、ネズミだ」
俺が何気なく呟いた瞬間。
ガタッ!!!
目の前のテーブルが激しく揺れ、先輩の大事な羊羹が皿の上でプルンと震えた。
見ると、クールなはずの氷室先輩が、顔面蒼白で椅子の上に立ち上がっていた。
「ね、ねねね、ネズミ……!?」
先輩の声が裏返っている。
「え? 先輩? たかがネズミですけど……」
「排除だ……! 今すぐ排除しなければ……!!」
先輩の瞳孔が開いた。
その手が、赤い手帳のページを猛烈な勢いでめくり始める。
「えっ、ちょっ、先輩!?」
「あった……これだ……!」
先輩は血走った目で叫んだ。
「『空間完全焼却』ッ!! この一帯ごと焼き払って消毒してやるぅぅ!!」
「ぎゃあああああ!! バカバカバカ!!」
俺は椅子から飛び起き、先輩の手を押さえつけた。
「落ち着いてください! ネズミ一匹にビルを燃やそうとしないで! 借金返済する前に俺たちが消し炭になります!!」
「離せ凡田君! 奴がいるんだ! 不衛生の塊がこっちを見ているんだっ!」
「分かった! 分かりましたから! 俺がなんとかします!」
俺は先輩の手から『魔獣調教』の紙片をひったくり、ネズミに向かって叫んだ。
「おいネズミ! あっち行け! シッシッ!」
その時、紙片がカッと光った。
スキル発動。
『チュッ!』
ネズミがビシッ! と姿勢を正し、俺に向かって敬礼(?)のようなポーズをとった。
そして、回れ右をして、猛スピードで厨房の奥へと走り去っていった。
「……はぁ、はぁ。い、行きましたよ、先輩」
「ほ、本当か……?」
先輩は恐る恐る椅子から降り、乱れたスーツと呼吸を整えた。
「……すまない。取り乱した。……コホン」
(取り乱すどころか、大火災になるところだったぞ……)
「……そのスキルは君に貸したものだ。有効に使うといい」
先輩は逃げるように、早足で食堂から去っていった。
食べかけの羊羹を、ハンカチで大事そうに包んで持ち帰るのも忘れずに。
***
「……もしかして、あのネズミ、俺の配下になったのかな?」
俺は倉庫に戻ると、薄暗い隅に向かって呼びかけた。
「おーい、出てこい」
チュッ。
さっきのネズミが、ひょっこりと顔を出した。
俺の足元に来て、媚びるように体を擦り付けてくる。
「おお……! 可愛いじゃないか」
俺はニヤリと笑った。
「こいつ、使えるぞ……」
俺の中に悪魔が目覚める。
こいつ――『チュー太』を使えば、掃除を押し付けた鬼塚課長に復讐できる。
「行け、チュー太! 第3課の課長席へ潜入し、恐怖のズンドコに叩き落としてこい! 証拠として、課長の何か大事なものを奪ってくるんだ!」
『チュー!』
勇ましくダクトへ消える相棒。
完全犯罪の成立だ。
俺は倉庫で、果報を寝て待つことにした。
数分後。
遠くのオフィスの方から、微かに悲鳴が聞こえてきた。
『うわあああ! ネズミだー!』
『ぎゃああっ! 私の足元に!』
『待て! 課長の机から何か持って行ったぞ!』
よしよし、盛大にやっているな。
俺は高笑いを噛み殺しながら、相棒の帰還を待った。
カサカサッ……。
「お、戻ったな!」
ダクトからチュー太が飛び出してきた。
その口には、鬼塚課長の社員証(ストラップ付き)がしっかりと咥えられている。
「でかした! よくやったぞチュー太!」
『チュッ!』
チュー太は誇らしげに胸を張り、俺の掌に社員証を乗せた。
俺は満面の笑みで、小さな頭を指で撫で回した。
「いいぞいいぞ! これで課長も真っ青だ。俺たちは最強のパートナーだなぁ!」
『チュー!』
俺たちが勝利の喜びに浸っていた、その時だった。
ドダダダダダダッ!!!!
地鳴りのような足音が、廊下の向こうから急速に近づいてきた。
まるでバッファローの群れが押し寄せてくるような轟音だ。
「え?」
俺が顔を上げた瞬間。
バンッ!!!
倉庫のドアが勢いよく蹴破られた。
「こっちだ! ネズミはこの部屋に入ったぞ!!」
入り口に立っていたのは、モップやほうき、丸めた雑誌で武装した、第3課の社員たちだった。
そして、その先頭には、鬼のような形相の鬼塚課長と、顔を引きつらせた泥川主任。
さらには、なぜか警備員まで引き連れている。
「あ……」
俺は凍りついた。
俺の右手には、盗まれたばかりの課長の社員証。
左手には、ターゲットであるネズミ。
そして俺の顔は、しまりのない満面の笑み。
全員の視線が、俺に一点集中する。
「ぼ……凡田ァァァ……!!」
鬼塚課長が、地獄の底から響くような声で唸った。
「き、奇遇ですね課長……。これはその、保護活動と言いますか……」
言い訳をしようとした瞬間、チュー太が空気を読んだ(読めてない)行動に出た。
『チュー!』と元気に鳴いて、俺の肩に駆け上がり、親愛の情を込めて頬にキスをしたのだ。
「確定だ! 犯人は凡田だ! ネズミ使いの凡田だ!」
「囲め! 逃がすな! ネズミごと袋叩きにしろぉぉ!!」
「ひぃぃぃ! 違います! 誤解ですぅぅ!!」
俺の悲鳴は、怒れるサラリーマンたちの怒号にかき消された。
***
夕方。
始末書10枚をやっと書き終え、俺は一人、薄暗い倉庫でうなだれていた。
定時を回り、魔法の効果は切れた。
正気に戻ったチュー太は、どこかへ走り去っていった。
「まあ、元気でやれよ……」
俺がため息をついていると、倉庫のドアが数センチだけ開き、誰かが中を覗き込んだ。
「……おい、凡田君」
「あ、氷室先輩」
先輩は入り口でキョロキョロと周囲を警戒しながら、へっぴり腰で入ってきた。
「……奴はいないな? あの忌々しい菌の運び屋は」
「ええ、もうどっか行っちゃいましたよ」
先輩は胸を撫で下ろし、俺を睨みつけた。
ビクビクしながら。
「職場で大騒ぎだったみたいだな。まったく……職場や食堂にネズミを入れるなよっ。衛生管理上も、私の精神衛生上も最悪だ」
「すみません。二度としませんよ」
「……ならいいが、そもそも……」
その時。
『チュー!』
棚の陰から、ひょっこりと小さな影が顔を出した。
俺の方を見て、挨拶するように片手を上げている。
「ひぃっ!!」
先輩の顔色が瞬時に青ざめた。
「い、いるじゃないかぁぁ!!」
「あ、チュー太! お前、挨拶に来たのか?」
『チュッ!』
チュー太が一歩踏み出すと、先輩は「ひぃぃ!」と情けない悲鳴を上げ、脱兎のごとく倉庫から逃げ出した。
「……あら~先輩、お疲れ様です」
俺は苦笑いしながら、戻ってきた小さな友人に、ポケットに残っていた羊羹のかけら(先輩が落としていったもの)を差し出した。
どうやら、たまに会いに来る奇妙な「友達」ができたようだった。
■今回の収支
借金総額:51,300円(変動なし)
得たもの:ネズミの「チュー太」との友情、先輩の食べかけの羊羹
失ったもの:衛生的なイメージ、始末書を書くための残業時間
【作者あとがき】
お読みいただきありがとうございます!
先輩の大人げない「完全焼却」未遂や、凡田君の自業自得に
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凡田君への「エサ代(応援)」を恵んでいただけると嬉しいです!




