第23話:チートスキル『好感度可視化・操作(ラブ・パラメーター)』
――キーンコーンカーンコーン――
オフィスのスピーカーから、業務終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
2月14日。
世間はバレンタインデー一色。
だが、俺、凡田のデスクは、南極の氷原のように白く、寒々しい。
チョコレートの「チ」の字もない。
「ヘイ、凡田クン。君のデスク、ミニマリズムを極めているねぇ」
背後から、甘い香りと共に泥川主任が現れた。
彼の手には、抱えきれないほどの紙袋。
中身は全てチョコレート(に見せかけた包装紙の嵩増し)だ。
「ミーはこれから、いただいた愛へのリプライとお返し(ホワイトデー)のROI(投資対効果)計算で忙しくてね。君はフリー(暇)で羨ましいよ。愛されないというのは、ある意味で究極のコストカットだね。ハハハ!」
泥川主任は、これ見よがしに高級チョコを一粒口に放り込み、去っていった。
「ぐぬぬ……! 言わせておけば!
俺だって、チョコに埋もれたい! 義理でも何でもいいから『質より量』で泥川主任を見返したい!
そしてあわよくば、聖奈さんからの本命チョコをゲットしたい!」
「……ほう」
背後から、低い声が響いた。
黒いスーツに身を包んだ、長身の男。
氷室先輩だ。
「やあ、凡田君、借金の催促なんだが、累計、51,300円だな。返済は出来そうなのか?」
「先輩! 助けてください!
俺はチョコが欲しいんです! 脳が糖分を求めています!
地道なアピールじゃ間に合いません。
もっとダイレクトに、相手の心を俺に向けさせるような……
そう、好感度が高い状況を1度でも体験すれば、それを維持したくなる『努力』にもつながると思うのです!」
「人の心、か。
他者の感情をコントロールしようなど、傲慢も甚だしい。
だが、バレンタイン当日という既に結果が確定した空気の中であっても、好感度を高める努力をしようとしている志は、評価しよう」
先輩は赤い手帳をめくり、ページを破り取った。
その表情はいつもより険しいが、どこか甘い匂い(羊羹)が漂っている。
「チートスキル『好感度可視化・操作』だ。
対象の頭上に『自分への好感度』を数値で表示し、スライダー操作で増減できる。
これを使えば、誰でも君に好意を抱くようになるだろう。
ただし、このスキルを悪用して被害が発生した場合の損害は、借金として計上する。
操作された感情は、時として本物以上に厄介だ。ルールを守って正しく使うようにな」
「ありがとうございます! 今日から俺のモテ王伝説が始まります!」
俺はスキルを受け取り、早速発動させた。
まずは手始めに、近くにいた女子社員たちの俺に対する好感度を見る。
頭上に半透明のゲージが見える。
『好感度:5(虫相当)』
『好感度:10(生理的に無理)』。
……100がMAXなのに。現実は世知辛い。見なきゃよかった。
「ええい、面倒だ!
半径20メートル以内の全員、好感度MAX(100)に設定!!」
俺はスキルの『範囲指定』機能を使い、オフィス全体を一括操作した。
その瞬間、空気が変わった。
「……あれ? 凡田さん?」
「素敵……どうして今まで気づかなかったのかしら」
女子社員たちが、潤んだ瞳で俺を見つめ始めた。
成功だ!
次々と差し出されるチョコレート。
「凡田さん、これ受け取ってください!」「私の手作りも!」「婚姻届も入れておきました!」
「ははは! すごい! これがモテる王の景色か!」
俺はチョコの山に埋もれながら、泥川主任の方を見た。
ざまあみろ、今の俺はカリスマだ!
だが、俺は重大なミスを犯していた。
範囲指定に「性別フィルター」をかけるのを忘れていたのだ。
「……ボ、凡田クゥン……」
背後から、野太く、ねっとりとした声が聞こえた。
振り返ると、顔を真っ赤に染め、荒い息を吐く泥川主任が立っていた。
その頭上のゲージは『好感度:100(運命の人)』。
「ミーは……ミーは間違っていた。
エビデンスなんていらない。君という存在こそが、ミーのコア・コンピタンスだ……!」
「ひっ!? しゅ、主任!? 何言ってるんですか!」
「受け取ってくれ、マイ・スイート・ハート!
これはミーの気持ち(本命)だァァァ!」
泥川主任がポケットから取り出したのは、チョコではない。
なんと、自分の給与明細と実印だった。
「いらねえええええ!! 重い! 重すぎる!!」
「照れるなよ! さあ、ハグしよう!
ビジネス・スキームを超えた、魂のM&A(合併)だ!」
「やめろおおお!」
さらに悪いことに、鬼塚課長までもが「凡田……俺の家の鍵だ。いつでも来い」と迫ってくる。
オフィスは、俺を巡る男たちの仁義なき求愛バトルフィールドと化した。
女子社員からの「重い愛」と、男性上司からの「重い愛(物理)」の板挟み。
「む、無理だ! こんなの俺が求めてたモテ期じゃない!
解除! スキル解除オオオオオ!!」
俺はパニックになりながら、スキルの停止ボタンを連打した。
ブツンッ。
魔法が解けた。
一瞬の静寂。
そして――。
「……はっ! 私、何を!?」
「なんで凡田なんかにチョコを……キモっ!」
「おい凡田クン! なんでミーの実印を持ってるんだ! 窃盗か!?」
正気に戻った全員からの、冷ややかな視線と罵声。
俺は散乱したチョコと、おっさんたちの実印の中で、小さくなって震えるしかなかった。
社会的信用は、マイナスへと暴落した。
*
「……で、調子に乗って全方位に色目を使った結果、
全員から『生理的に無理』という烙印を押されたわけか」
誰もいなくなったオフィスの片隅。
俺は床の掃除をさせられていた。
氷室先輩が、没収した大量のチョコ(義理)を検分しながら、呆れたように告げる。
「操作された好意など、メッキのようなものだ。剥がれれば、そこにあるのは虚無だけだ」
「うう……先輩の言う通りです。
結局、俺はチョコ一つ貰えない運命なんですよ……」
俺がうなだれていると、給湯室のドアが開いた。
外回りで不在だったため、スキルの影響を受けていなかった聖奈さんが戻ってきたのだ。
「あれ? 凡田さん、まだ残ってたんですか?」
「あ、聖奈さん……。ええ、まあ、ちょっとトラブル(自爆)がありまして……」
俺は惨めな姿を見られないよう、顔を背けた。
聖奈さんは、俺の足元に散らばるチョコの残骸を見て何かを察したようだったが、
ふわりと微笑んで、俺に近づいてきた。
「お疲れ様です。……ちょうどよかった。凡田さん、甘いもの好きでしたよね?」
聖奈さんがバッグから取り出したのは、小さな、でも上品なリボンがかかった小箱だった。
コンビニの義理チョコではない。
かといって、重すぎるデパートの高級品でもない。
明らかに「選んで」買ったものだ。
「これ、よかったらどうぞ。
……みんなには内緒ですよ? お返し、期待してますからね」
聖奈さんは少しだけ頬を染め、小声でそう付け加えると、
俺の手に小箱を乗せて、逃げるように「お先に失礼しまーす!」と帰っていった。
俺の手の中には、温かい小箱が一つ。
「え……こ、これ、俺に?」
「……ほう」
呆然とする俺の横で、氷室先輩が珍しく口元を緩めていた。
手帳に何かを書き込みながら、その瞳が優しく細められる。
「マイナス100の愚行を、プラス1の『本物』が救ったか。
……まあ、そのチョコの価値に免じて、今回の説教は短めにしておこう。
ホワイトデーの『努力』は、せいぜい自力でやることだな」
俺は先輩の言葉に何度も頷き、その小箱を大事にポケットにしまった。
借金は減らないが、心だけは大きく黒字になった気がした。
■今回の収支
借金総額:51,300円
得たもの:聖奈さんからの素敵なチョコ(ちょっと本命寄り)、泥川主任の実印(即返却)、社内の微妙な空気
失ったもの:女子社員からの信頼、泥川主任との適度な距離感(妙に意識されるようになった)




