第21話:チートスキル『自動筆記(オート・ライター)』
――キーンコーンカーンコーン――
オフィスのスピーカーから、業務終了を告げるチャイムが鳴り響いた。
「おい、凡田クン。ちょっとウェイトだ」
帰宅の準備を始めた瞬間、粘着質な声が俺を呼び止めた。
振り向くと、営業3課の泥川主任が、分厚い紙の資料の束を俺のデスクに「ドン! 」と積み上げているところだった。
「ド、泥川主任……なんですかこれ」
「今月のセールス・レポートだよ。ミーはこれから鬼塚課長と会食だからさ。凡田クン、この紙の資料を全部まとめておいてくれよ。明日の朝イチでチェックするから」
「はあ!? これ全部ですか? 明日までなんて無理ですよ!」
「ノンノン。無理かどうかは『マインド』の問題だよ。君には『コミットメント』が足りないんじゃないかな? ちゃんと数字という『エビデンス』を出してくれよ。じゃ、頼んだよ」
泥川主任は自分の革靴のつま先を気にしながら、颯爽とオフィスを出て行ってしまった。
残されたのは、高さ30センチはある未整理の伝票と紙の資料の山。
「ふざけんなよ……! 俺、今日こそ定時で帰って、録画した『楽して大金持ちベスト1000大発表』の特番見るつもりだったのに!」
絶望で机に突っ伏す俺。
これだけの紙の資料を手書きで集計して、報告書にまとめるなんて、徹夜しても終わらない。
手首が腱鞘炎になる未来しか見えない。
「……はあ。いまどき紙かよ。楽して一瞬で終わらせる魔法でもありゃいいのになぁ」
俺が虚空に向かって嘆いた、その時だった。
「随分と景気のいい独り言だな」
心臓が跳ね上がった。
いつの間にか俺のデスクの横に、黒いスーツを着こなした氷室先輩が立っていた。
手にはいつもの赤い手帳。
今日も今日とて、足音ひとつ立てずに現れた。
「ひ、氷室先輩……! 驚かせないでくださいよ」
先輩は赤い手帳を眺めながら、静かに告げる。
「やあ、凡田君、借金の催促なんだが、累計、51,300円だな。返済は出来そうなのか?」
先輩は涼しい顔で手帳を読み上げる。
俺は涙目で資料の山を指さした。
「見てくださいよこれ! 泥川の野郎、自分の仕事を全部俺に押し付けてきやがったんです! こんなの終わるわけない……借金返すどころか、過労で死んじゃいますよ! 先輩、なんとか助けてください!」
「ほう……」
氷室先輩は眼鏡のない端正な顔を少し歪め、資料の山を見下ろした。
そして、パラパラと赤い手帳をめくり始める。
「確かに、これは一人の人間が一晩で処理する量ではないな。理不尽な業務命令には同情する」
「でしょ!? だから、こう……パパッと終わらせる便利なスキルとか……」
「……凡田君。これを終わらせるための『努力』をする気はあるのか?」
「あります! めちゃくちゃありすぎます! ただ、物理的に手が追いつかないだけなんです!」
俺が必死に訴えると、先輩は一つ頷き、手帳のページを破り取った。
「いいだろう。その『努力』を効率化するスキルを貸そう」
先輩が俺の額に紙片を貼り付けると、カッと熱い光が走った。
「これは『自動筆記』。ペンを持った手を机に置けば、君の脳内にある知識と目の前の資料をリンクさせ、最適な文章を自動かつ高速で記述してくれるスキルだ」
「す、すげぇ! 勝手に手が動いて書いてくれるんですか!?」
「ああ。ただし、注意点が一つ。このスキルは君の『思考』をダイレクトに文字にする。作業中は余計なことを考えず、報告書の内容だけに集中するんだ。いいな?」
「了解です! 全集中の……いや、全神経を研ぎ澄まして集中します!」
先輩は「ルールを守って正しく使うようにな」と言い残し、給湯室の方へと消えていった。
俺は早速、ボールペンを握りしめてレポート用紙に向かった。
スキル発動を念じると――右手が勝手に動き出した!
『〇〇年度 第3四半期 営業報告書』
「うおっ、はっや!」
俺の右手が残像が見えるほどの速度で走り、正確無比な文字を刻んでいく。
資料をパラパラとめくるだけで、内容が脳に入り込み、即座に要約されていく感覚。
これなら30分……いや、10分で終わるぞ!
「へへっ、これぞ才能の無駄遣い! 泥川主任め、明日の朝、完璧なレポートで度肝を抜いてやるぜ」
順調に進む作業。
しかし、人間というのは贅沢な生き物だ。
あまりにも順調すぎて、開始5分で俺は退屈し始めた。
(……これ、俺が手を見てる必要なくないか? 脳と直結してるんだろ?)
右手が勝手に動いている間、左手でスマホをいじるくらいなら許されるはずだ。
俺はポケットからスマホを取り出し、SNSを開いた。
「おっ、今日の『鬼滅の豆』の考察記事あがってるじゃん。へー、なるほどなー」
スマホ記事に夢中になる。
右手は相変わらず猛烈な勢いで動いている。
すげぇ、完全に並列処理できてる。
俺、天才か?
(泥川の野郎、いつも『エビデンス』とか言ってるけど、あいつの髪型こそ『エビ』みたいデンス……プッ)
主任のテカテカした顔を思い浮かべてほくそ笑む。
思考がどんどん脱線していく。
深夜のオフィス、誰もいない解放感。
次第に俺の瞼は重くなっていった。
(……あー、眠い。右手は動いてるし、ちょっとくらい寝ても……レポート……完璧……むにゃ……)
俺は机に突っ伏し、意識を手放した。
右手が、狂ったような速度で動き続けていることにも気づかずに。
◇
「――おい! 起きろ凡田クン!」
バン! と机を叩く音で飛び起きた。
窓の外はすでに明るい。
目の前には、出社してきた泥川主任が腕を組んで立っていた。
「うわっ! あ、おはようございます泥川主任!」
「おはようじゃないよ。頼んでいた『タスク』は完了しているのかい?」
「ええ、もちろん! 完璧ですよ!」
俺は自信満々で、机の上に積み上がったレポートの束を差し出した。
厚さは十分。
文字もびっしり。
我ながら完璧な仕事ぶりだ。
「ほう……分量は『サティスファクション』だね。どれ」
泥川主任がレポートの一枚目を手に取る。
俺はドヤ顔でその反応を待った。
しかし、読み進める主任の顔が、みるみるうちに赤黒く変色していく。
「……凡田クン」
「はいっ! 出来栄えはどうですか?」
「これは……どういう『ジョーク』だい?」
主任が震える手でレポートを俺に突きつけた。
そこに書かれていたのは、営業報告ではなかった。
『第1章:泥川の頭皮における植生分布と砂漠化の相関関係について』
「は?」
俺は慌てて2枚目、3枚目をめくった。
『考察:なぜ泥川の一人称は「ミー」なのか。古い海外ドラマの悪役への憧れか、単なる中二病か』
『提案:経費削減のため、泥川の無駄に長い横文字トークを禁止し、日本語の使用を義務付けるべきである』
『追記:あー、羊羹食いたい。氷室先輩の机に入ってるやつ盗み食いしたらバレるかな』
『妄想:聖奈さんと無人島に漂流したら、俺が火起こし係で……』
「ぎゃああああああああああああ!」
報告書じゃない!
これ、俺が寝落ちする直前の雑念と、寝ている間に見ていた夢日記だ!
『自動筆記』は俺の脳内情報をダイレクトに出力し続けていたのだ!
「き、君という男は……ミーを……ミーをこれほど『ディスリスペクト』するとは……!!」
「ち、違います! これは誤解で……いや、潜在意識の暴走で……!」
「鬼塚課長――ッ! 凡田クンが!! 始末書ものです!!」
顔を真っ赤にした泥川主任が、レポートを鷲掴みにして課長席へ走っていく。
終わった。
社会的に、完全に、終わった。
「……やれやれ」
騒ぎの裏で、いつの間にか給湯室から出てきた氷室先輩が、コーヒー片手に溜息をついていた。
「思考を文字にするスキルで、思考を垂れ流してどうする。……今回の失態は、給与査定という形で返済してもらうことになるだろうな」
先輩は手帳に何かを書き込むと、静かに去っていった。
俺の悲鳴だけが、朝のオフィスに虚しく響き渡った。
■今回の収支
借金総額:51,300円(変動なし)
得たもの:自分の最低な潜在意識の可視化、100ページに及ぶ泥川主任への悪口論文
失ったもの:泥川主任からの信頼、人事考課、安眠




