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『経理部の魔王』は、チートスキルの貸出人~クールなイケメン氷室先輩と自爆する凡田君のポンコツ社畜コメディ  作者: cross-kei
第02部:日常編

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第20話:チートスキル『詠唱効果反転(スペル・リバース)

 師走の狂騒が支配する営業第3課。

 我々社畜にとって、忘年会とは「楽しみ」ではなく「業務」であり、二次会のカラオケは「耐久試験」である。


「ヘイ、凡田クン。忘年会の『グランドデザイン』は描けているかい? 二次会の『キャパシティ』調整はマストだぜ?」


 泥川どろかわ主任が、またしても意味の死んだ横文字を乱射してくる。

 だが、今の俺、凡田ぼんだの脳内は、もっと切実な「生存戦略」で占められていた。


「おい凡田ァ!! 貴様、カレンダー配りの進捗はどうなってんだ! 口動かす前に足を動かせこの穀潰しが!!」


 背後から、営業第3課の人間拡声器こと、鬼塚おにづか課長の怒号が飛んでくる。

 鼓膜がビリビリと震える。

 いつもなら胃薬案件だが、今日の俺はそれどころではない。

 なぜなら、今年の忘年会二次会には、あの聖奈せいなさんが参加表明をしたからだ。


 聖奈さん。

 営業第3課のマドンナにして、可憐な容姿を持つ聖女。

 だが、神は残酷だ。彼女に「音程」という概念を与え忘れた。

 去年の忘年会で、俺は彼女の歌う『デスミズキ』を聴き、三半規管が破壊され、翌日まで「世界が回転する」という無重力体験を強いられたのだ。


「……死ぬ。今年は確実に死ぬ」


 俺が絶望の淵で呟くと、不意に視界の端に黒いスーツの影が差した。


「やあ、凡田君。随分とこの世の終わりみたいな顔をしているな」


 氷室ひむろ先輩だ。

 鋭い瞳が、冷徹に俺を見下ろしている。

 先輩は赤い手帳を開き、淡々と業務を遂行する。


「借金の催促なんだが、累計、51,300円だな。返済は出来そうなのか?」

「先輩! 金どころか、命の危機なんです!」


 俺はすがりついた。


「聖奈さんが二次会のカラオケに来るんです! 彼女の歌声は、可聴域を超えた兵器です。去年、俺は耳栓をしたのに貫通ダメージを受けたんですよ!?」

「ほう。君たちの関係なら、耳障りな騒音源は鬼塚君の方だと思っていたが」

「課長は無駄に歌が上手いんです……。先輩、助けてください! このままじゃ俺、鼓膜が破裂して、先輩の美しい借金催促の声も聞こえなくなってしまいます! そんな状態で、どうして返済の『努力』ができましょうか!」


 俺が涙ながらに訴えると、先輩の眉がピクリと動いた。


「……ほう」


 氷室先輩は、俺の「努力」という言葉に反応したのか、赤い手帳のページをめくりはじめた。

 その顔には、わずかに憐れみのような色が浮かんでいる。


「確かに、労働力の保全は債権者の務めでもある。聴覚の喪失は業務遂行能力の著しい低下を招くからな」


 先輩は手帳の一枚を破り、俺に手渡した。


「チートスキル『詠唱効果反転スペル・リバース』だ」

「スペル・リバース……?」

「対象の発する音声が持つ『精神的効果』を反転させるスキルだ。罵倒は慈愛の囁きに、不快な騒音は天上の調べに変換されて脳に届く」


 救世主降臨! 俺が手帳を受け取ろうとすると、先輩はピシャリと制した。


「ただし、注意点がある。このスキルは一度発動すると、『10分間』は絶対に解除できない」

「10分間……ですか?」

「そうだ。いかなる状況でも途中キャンセルは不可能だ。タイミングを誤ると取り返しがつかないことになる。……そして、このスキルを悪用して被害が発生した場合の損害は、借金として計上する。ルールを守って正しく使うようにな」


 そう言い残すと、先輩は師走の喧騒の中に溶けるように消えていった。

 俺はニヤリと笑った。

 10分? カラオケで1人が歌う時間なんてせいぜい5分だ。

 聖奈さんのターンに合わせて発動すれば、余裕でお釣りが来る設定じゃないか。


 ◇


 俺は早速、この「対・聖奈さん用兵器」のテストを行うことにした。

 被験体は、ちょうど俺の首根っこを掴もうとしていた鬼塚課長だ。


「おいコラ凡田ァ!! 聞いてんのか!! お前みたいな無能は営業の恥だ! 今すぐ辞表書いて田舎に帰れ!!」


 通常なら精神的HPを削り取る罵詈雑言。

 俺は心の中で強く念じた。(発動! 『詠唱効果反転』!!)


 ――ピロリン♪


 瞬間、世界が変わった。

 課長の口から放たれたドス黒い怒声が、俺の脳内フィルターを通した瞬間、極上の「癒やしボイス」に変換されたのだ。


『凡田くん……君は本当に素敵だね……ゆっくり休んでいいんだよ……愛しているよ……(※脳内変換)』


「あぁ……課長……もっと……もっとください……」


 俺はあまりの心地よさに、とろけそうな表情で課長を見つめ返した。

 脳内麻薬がドバドバ出る。これはすごい。最高級のASMRだ。


「……は?」


 鬼塚課長が、引きつった顔で後ずさりした。


「おい、なんだその顔は。気持ち悪いな……! 俺は怒ってるんだぞ!?」

「はい……! もっと怒ってください……! その低音が、五臓六腑に染み渡るんですぅ……」

「ひっ……! 近寄るな変態!!」


 課長が恐怖で逃げ出した。

 大成功だ。10分間、俺は課長からの逃走劇を「愛の鬼ごっこ」として楽しんだ。

 これさえあれば、聖奈さんの「破壊音波」も、ウィーン少年合唱団のハーモニーに変わるに違いない!


 ◇


 そして迎えた二次会、カラオケボックス。

 アルコールも入り、泥川主任が「エブリバディ、リッスン!」と叫ぶ中、ついに聖奈さんにマイクが渡った。


「ええ~、私、本当に練習中なんですけど……」


 聖奈さんは恥じらうようにマイクを握る。

 騙されるな。そのマイクはこれから、俺たちの脳を破壊する鈍器となる。

 俺は同僚たちが手拍子を始める中、一人冷静にスキルを発動し、ソファの背もたれに深く体を預けた。


(さあ来い、聖奈さん。君のデスメタルを、俺だけは極上のバラードとして受け止める準備はできた! 効果時間は10分。2曲連続でも耐えられる!)


 曲は、難易度の高いバラード『野比のびの花』。

 聖奈さんが、静かに息を吸い込む。

 第一声。


「♪のびた~花を~」


「ぎゃあああああああああああああっ!!??」


 俺は絶叫し、その場に崩れ落ちた。


 なんだこれ!?

 バラードじゃない! これは「黒板を爪で引っ掻く音」と「発泡スチロールが擦れる音」をミキサーにかけて、大音量で脳髄に直接注入された音だ!!

 激痛。あまりの不快音に、俺は白目を剥いて痙攣した。


「えっ、凡田さん!?」

「す、すげぇ……!」

「聖奈ちゃん、めちゃくちゃ上手くなってる!!」

「プロかよ!? 透き通るような歌声だ!」


 ……は?

 激痛に歪む視界の端で、泥川主任や鬼塚課長が聞き惚れている。

 そう、聖奈さんはこの一年、密かにボイストレーニングに通い、「本物の美声」を手に入れていたのだ。

 

 『効果反転』スキル。

 それは「不快」を「快」に変えるが、逆に「快」は「不快」へと反転させる。

 つまり、彼女の磨き上げられた「天使の歌声」は、今の俺にとってのみ「地獄の断末魔」として再生されるのだ!


(か、解除……! スキル解除だ!!)


 俺は必死に念じる。だが、無慈悲なシステム音が脳内に響く。


 ――『解除できません。残り効果時間:9分45秒』


「あ……ああ……」


 絶望。

 先輩の忠告が脳裏をよぎる。『10分間は絶対に解除できない』。

 あと9分以上、この地獄の拷問音波を浴び続けなければならないのか!?


「ぐ、ぐぐ……助けて……」

「おい見ろよ、凡田のやつ、感動して震えてやがる!」


 鬼塚課長が、俺の痙攣を「感動による武者震い」と誤解した。


「わかるぞ凡田! 心に染みるよな! もっと近くで聴かせてやろうぜ!」

「やめ……やめろぉぉ!!」


 泥川主任と課長が、親切心(殺意)で俺の両脇を抱え、スピーカーの真ん前に俺を固定した。

 逃げ場はない。解除もできない。


「さあ聖奈ちゃん、サビだ! 凡田クンのために歌ってくれ!」

「は、はい! 心を込めて歌います!」

「あと2曲くらい予約入れとくか! 凡田がこんなに喜んでるし!」


 やめてくれ! その美声は俺にとって致死量の毒ガスなんだ!

 聖奈さんが高らかにサビを歌い上げる。

 周囲はうっとりと聞き惚れ、俺だけが、解除不能の10分間、まるで悪魔祓いを受ける悪霊のように、ソファの上でのたうち回り、泡を吹き続けた。


 ◇


 10分後。

 廃人のようになった俺が、這うようにして店の廊下に出ると、ドリンクバーの前でメロンソーダを注いでいる二人組がいた。

 氷室先輩と、ポニーテールを揺らす制服姿の少女――妹の美々(みみ)ちゃんだ。


「あ! お兄ちゃん、見て! 凡田さんだよ!」


 美々ちゃんが、パァッと花が咲いたような笑顔で俺を指差した。

 以前、社員旅行(という名の異世界騒動)で俺たちを救ってくれた、あの天使のような女子高生だ。


「凡田さーん! お久しぶりですっ! ……って、あれ? なんか顔色が土偶みたいになってますけど、大丈夫ですか?」

「あ……うう……美々ちゃ……ん……」


 俺が震える手で助けを求めると、先輩は氷の入ったグラスを揺らしながら、冷ややかに告げた。


「放っておきなさい。凡田君は今、自分の蒔いた種を収穫している最中だ」

「ええ? どういうこと?」

「聖奈さんの『努力の歌声』を、小手先のスキルで楽をして処理しようとして、逆にダメージを受けているんだ」


 先輩の説明を聞くと、美々ちゃんは「あちゃ~」と可愛らしく額に手を当てた。


「もう、凡田さんってば! 聖奈さんの歌声を聞いてから使えばいいのに」

「だ、だって……努力で歌が上手くなるなんて……」

「ダメですよ~! 努力は裏切らないって、お兄ちゃんいつも言ってるじゃないですかっ」


 美々ちゃんは腰に手を当ててプンプンと怒ったふりをした後、ケラケラと明るく笑った。


「でも、白目剥いてる凡田さんもレアで面白いかも! 元気出してくださいね」


 彼女は屈託のない笑顔で、俺に向けてパチリとウインクをした。

 その眩しさは、今の俺には直視できないほどの「聖なる輝き」として突き刺さる。


「うぐっ……優しさが……逆に痛い……」

「本物の純粋な激励も、今の捻くれた君には劇薬か。……サンタが来る前にしっかりと反省するんだな」


 先輩は美々ちゃんの手を引き、部屋へと戻っていく。

 廊下の向こうからは、まだ聖奈さんの美声(俺の耳はようやく正常に戻りつつあったが、精神は死んでいた)に対する拍手喝采が聞こえていた。


■今回の収支

借金総額:51,300円

(変動なし)

得たもの:課長からの「変態」という称号、美々ちゃんからの呆れ半分の激励

失ったもの:聖奈さんの美声を素直に楽しむ機会、勇者としての威厳


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