第19話:チートスキル『幻影魔法(ファントム・イリュージョン)』
「凡田ァ! 貴様、先日の新商品プレゼンは何だあの体たらくは!」
営業三課のフロアに、鬼塚課長の怒号が響き渡る。
俺、凡田はパイプ椅子の上で小さくなっていた。
原因は明白。
新商品の魅力を伝えるための資料作りをサボり、口八丁で乗り切ろうとして盛大にスベったからだ。
「ノンノン、凡田クン。君には『コミットメント』が足りてないんだよ」
横から茶々を入れてきたのは、泥川主任だ。
「ミーは常に『フルコミット』で『リザルト』を出している。君の資料は『エビデンス』も薄いし、何より『パッション』が伝わってこない。これじゃあクライアントとの『コンセンサス』なんて夢のまた夢さ」
中身があるようで全くない横文字の羅列に、俺は適当に頷きながら内心で舌打ちをした。
ああ、面倒くさい。楽して評価されたい。
見た目だけで「こいつできる!」と思わせるような、そんな都合のいい魔法があればいいのに。
「やあ、凡田君、借金の催促なんだが、累計、51,300円だな。返済は出来そうなのか?」
背後から、氷のような声がした。
振り返ると、そこには黒いスーツを着こなした経理部の魔王、氷室先輩が立っていた。
いつものように赤い手帳を開いている。その鋭い眼光は全てを見透かしているようだ。
「……ん。見た目のハッタリで中身の無さを誤魔化したいな~、という顔をしているように見えるが?」
「ひ、氷室先輩! 違うんです、俺に必要なのは、営業での成功体験なんです。成功体験から学び『努力』をして、そのクオリティを維持します。お客様に最高の営業体験を提供したいんです!」
「……ほう」
俺の口から出た「努力」という単語に、先輩の眉がピクリと動く。
先輩は手帳のページをパラパラとめくり、あるページを破り取った。
「今回の君に必要なのはこれだろう。『幻影魔法』だ」
「幻影……?」
「指定した対象に、任意の幻影を重ねて見せるスキルだ。ボロボロのスーツを新品に見せたり、自信のない表情をキリッと見せたりできる。ただし、あくまで幻影だ。実体はない。中身を磨くのが大切なんだ」
先輩は破り取ったページを俺に渡すと、冷ややかに釘を刺した。
「このスキルを悪用して被害が発生した場合の損害は、借金として計上する。ルールを守って正しく使うようにな」
「ありがとうございます。幻影旅行団の一員として、一人前のクモになります!」
◇
俺は早速、廊下でこのスキルの威力を試すことにした。
向こうから歩いてくるのは、営業三課のマドンナ、聖奈さんだ。
彼女は重そうな資料の山を抱えている。
今の俺は、さっき鬼塚課長に絞られたせいで脂汗をかき、ネクタイは曲がり、ワイシャツは半分出ている。
鏡で見なくてもわかる、最高にダサい姿だ。
だが、今の俺には『幻影魔法』がある。
(イメージしろ……爽やかな風が吹く、仕事終わりのイケメン営業マン!)
俺はスキルを発動した。
現実の俺は猫背で汗だくだが、聖奈さんの視界には「後光が差し、キラキラとした粒子をまといながら、優雅に歩み寄るモデル体型の凡田」が映っているはずだ。
「聖奈さん、その資料、重そうだね。僕が持つよ」
「あ、凡田さん……?」
聖奈さんが目を丸くして俺を見つめた。
現実の俺は「へへっ」と卑屈な笑みを浮かべているが、幻影の俺は「慈愛に満ちた聖母のような微笑み」を浮かべている設定だ。
「えっ、あ、ありがとうございます。……なんだか今日の凡田さん、すごく『輝いて』見えます! 後ろにお花が飛んでるみたい……」
「ははは、君の瞳が綺麗だからそう映るのさ(幻影だけどな)」
顔を赤らめる聖奈さん。大成功だ。
中身が空っぽでも、ガワさえ良ければ世界は変わる。
俺は確信した。
◇
その後の商談でも、スキル効果は絶大だった。
ヨレヨレのスーツの上から「最高級のオーダースーツ」の幻影を纏い、顔には「自信に満ち溢れた敏腕営業マン」の表情フィルターをかけた俺は無双状態。
取引先も泥川主任も、見た目の説得力に完全に騙された。
「へへっ、チョロいもんだぜ。中身なんて関係ない、見た目が全てなんだよ!」
俺は完全に調子に乗っていた。
そして数日後。
我が社にとって極めて重要な、遠方の顧客とのリモート商談の日がやってきた。
先方はかなり厳格な重役だ。
本来なら現地に行くべきだが、スケジュールの都合でウェブ会議システムを使うことになっていた。
商談開始は朝の9時。
しかし、前夜に勝利の祝杯をあげすぎた俺が目を覚ましたのは、8時58分だった。
「や、やべええええええ!!」
飛び起きた俺はパニックに陥った。
顔はむくみ、髪は寝癖で爆発。服はヨレヨレのイチゴ柄のトランクス一丁。
部屋の背景には、飲み散らかした空き缶と、脱ぎ捨てた洗濯物が山積みになっている。ゴミ屋敷だ。
着替える時間も、片付ける時間もない。
あと2分で接続しないと遅刻で契約破棄だ。
「そ、そうだ! 『幻影魔法』!」
俺はPCのカメラの前に座ると、スキルを発動した。
イメージするのは、『清潔感あふれるオフィスの背景』と、『パリッとスーツを着こなして微笑む自分』。
ポンッ!
画面上のプレビューには、完璧な姿の俺が映し出されていた。
ゴミ屋敷も半裸の身体も、全て美しい幻影の下に隠されている。
「間に合った……!」
9時ジャスト。俺は会議に参加した。
『おはようございます、凡田さん。お時間通りですね』
「おはようございます! 本日はよろしくお願いいたします!」
画面の中の俺は、爽やかな笑顔で挨拶をする。完璧だ。
重役も満足そうに頷いている。
俺は安堵のため息をつきながら、手元のペットボトルの水を飲もうと手を伸ばした。
その時だ。
画面の中で、「スーツを着た俺」が微動だにせず笑顔で固まっているのに、「半裸の腕」だけがニョキッと横から伸びて水を掴んだ。
『……ん?』
先方が怪訝な顔をする。
しまった、家の回線が弱くてラグが発生している!
俺は慌てて、「い、いえ、少々回線が不安定でして!」と言いながら、身振り手振りで誤魔化そうと大きく動いた。
それが命取りだった。
通信速度の遅延により、幻影の処理が実体の動きに追いつかなくなったのだ。
画面には、キリッとしたスーツ姿の俺の「残像」から、ワンテンポ遅れて「イチゴ柄パンツ一丁で、腹をかきながら慌てふためく小太りの男」がブレながら飛び出したり引っ込んだりする地獄絵図が映し出された。
それはまるで、美しい皮を食い破って醜悪な怪物が産まれる瞬間のようだった。
『ぼ、凡田さん!? その格好は……それに後ろのゴミの山は……!』
「ち、違います! これは最新のデジタルエフェクトで……ああっ、ズレるな! 戻れ俺の服!」
焦れば焦るほど動きは激しくなり、幻影と実体のズレ(レイテンシー)は拡大していく。
最終的に、画面中央でフリーズした「キメ顔のスーツ姿」の横で、半裸の俺が情けなく土下座をしている構図で回線が完全に止まった。
◇
「……で、その伝説の『放送事故動画』が、社内掲示板で拡散されているわけか」
給湯室で、氷室先輩がスマホの画面を見ながら呆れたように言った。
画面には、半裸で分身を繰り返す俺の無様な姿が映っている。
契約はもちろん破談。
鬼塚課長からは始末書、泥川主任からは「『コンプライアンス』的に『アウト』だね」と冷たい視線を浴びせられた。
何より辛いのは、廊下ですれ違った聖奈さんが、俺の顔を見た瞬間に「あっ……(察し)」という顔をして、スッと目を逸らして逃げていったことだ。
あの時のキラキラした魔法は、もう二度とかからないだろう。
「リ、リモートワークの落とし穴でした……」
「回線のラグを計算に入れないとは、詰めが甘いな。そもそも、身だしなみという『努力』をデジタルの皮一枚に丸投げした結果だ」
先輩は羊羹の包み紙を丁寧に畳みながら、俺を見下ろした。
「現実は高画質だ。低遅延で誤魔化しのきかない自分自身を磨くことだな」
■今回の収支
借金総額:51,300円
(※変動なし。会社の信用損失は甚大だが、金銭的損害は給与査定に響くため別途)
得たもの:通信環境の重要性の再認識、社内での「デジタル変質者」というあだ名
失ったもの:取引先からの信用、営業としての尊厳、聖奈さんからの好感度(修復不能)




