第17話:チートスキル『模倣学習(スキル・コピー)』
――キーンコーンカーンコーン――
業務終了のチャイムが、社畜たちのデスゲーム(残業)開始を告げるゴングのように鳴り響いた。
「おい凡田、今日中のデータ入力、まだ終わってないのか? 『ASAP(なる早)』で頼むって言ったよな?」
営業3課。
泥川主任のねちっこい声が俺の鼓膜を削る。
定時退社を目論んでいた俺、凡田は、積み上がった伝票の山を前に絶望していた。
「す、すみません主任……量が多すぎて……」
「はあ。これだから凡田クンは。ミーを見てみろよ。このブラインドタッチの速度。これこそが『ハイスペック』の『エビデンス』だよ」
泥川主任は、これ見よがしにキーボードを叩いている。
カチャカチャッ、ターン! と無駄にエンターキーを強く叩く音が癪に障る。
(くそっ……あの入力速度さえあれば、俺だって……! ああ、何かこの単純作業を『神速』で片づけられる方法はないかなぁ。そしたら空いた時間で副業の『アンケートに答えるだけで5万円が貰える内職』ができるのに……)
「やあ、凡田君」
「うわあッ!?」
背後から絶対零度の声が降ってきた。
振り返ると、経理部の魔王、氷室先輩が立っていた。
いつものように気配がない。
「ひ、氷室先輩……! 今日は給湯室じゃないんですね」
「ああ。君のデスク周りから『負のオーラ』と『他力本願な邪念』が立ち上っていたのでね。様子を見に来た」
先輩は赤い手帳をパラパラと指で弾きながら、鋭い瞳を光らせた。
「それで借金の催促なんだが、累計、51,300円だな。返済は出来そうなのか?」
俺はすがるような目で先輩を見上げた。
「先輩! 返したいのは山々なんですが、残念ながら技術不足で仕事が終わらないんです! 俺に、達人の技を一瞬で習得できるような才能があれば、倍速で仕事を終わらせて、その浮いた時間で必死に稼ぐ『努力』をするんですが!」
「……ほう」
氷室先輩の手が止まった。
俺の口から出た「努力」という単語に、ピクリと眉が動く。
「他者の技術を学んで成長したい、その向上心……見どころがあるな」
先輩は赤い手帳を1ページ破り、俺に差し出した。
「今回貸し出すのはこれだ。『模倣学習』。視界に入れた対象の『最も優れた能力』を一時的にコピーできる。まずは体で覚えて、達人の技を学ぶと効率的だろう。ただし、悪用して損害が出れば借金に追加だぞ」
「ありがとうございます! 俺はこれで、『情熱プロジェクト大陸X』に出演できるような人間に生まれ変わります!」
先輩が幻のように消え去ると、俺はすぐにターゲットを定めた。
まずは手始めに、目の前でドヤ顔でキーボードを叩いている泥川主任だ。
(対象確認……泥川主任! 『模倣』!)
カッ! と脳が熱くなる。
次の瞬間、俺の両手は勝手にキーボードの上を走り出した。
「うおおおお! 速い! 指が残像で増えているように見える!」
カチャカチャカチャ、ターンッ!!
泥川主任特有の「無駄に強いエンターキー」まで完璧に再現している。
だが、画面を見て俺は凍りついた。
『sdfghjkl;:』
「……って、全然打ててねえじゃねえか!」
なんと、泥川主任は雰囲気だけでキーを叩いており、実際はほとんど変換ミスか無意味な羅列だったのだ。
「くそっ、あいつ中身まで『意識高い系(笑)』だったのか! コピーして損した!」
すぐにスキルを解除する。
こんな無能スキルはいらない。
もっと、本物の『プロ』をコピーしなければ。
もっと圧倒的な、人知を超えた処理能力を持つ人物……。
俺はフロアの端、経理部の方角へ視線を向けた。
ガラス越しに、冷徹な表情で電卓とPCを同時操作している氷室先輩の姿が見える。
正確無比な計算能力と、鋼の精神力。
「……これだ。あの人の能力を借りれば、こんな仕事、秒で終わる!」
俺はガラス越しの氷室先輩をロックオンした。
(対象、氷室先輩! フルスペックで『模倣』!!)
ドクンッ!!
瞬間、世界が変わった。
数字の羅列が、美しい「解」へと自動変換されていく。
俺の指先は、泥川主任のデタラメとは違う、本物の神速でキーボードを叩き始めた。
「終わる……! 俺は今、人間を超越した。残業確定の山が、砂山のように崩れていくぞ!」
俺は陶酔した。これが「有能」の世界か。
感情を排し、ただタスクを処理する快感。
その時、奥の席から場違いな笑い声が聞こえた。
「はっはっは! 見ろよ泥川、今度の姪っ子への土産だ。最近のオモチャはよく動くなぁ」
鬼塚課長だった。
俺たちが残業している横で、箱から出した「電動ハムスター(茶色)」をデスクで走らせて遊んでいる。
スイッチが入ったその毛玉は、チチチッと音を立てて机の上を走り回った。
その瞬間、俺(in氷室スペック)の脳内CPUが、緊急アラートを鳴り響かせた。
『警告:不衛生な害獣を検知。即時排除セヨ』
「ヒッ……!?」
恐怖で足がすくむ。
だが、思考回路は冷徹だった。
俺の脳が、瞬時に演算を開始する。
対象は機械的な動作で直進し、勢いあまって隣の泥川主任のデスクへ落下。
そのまま「4Kモニター」の裏側に隠れた。
『分析:ターゲット、強固な遮蔽物の裏へ戦術的撤退。射線、不通』
直撃の成功率、0%。
氷室スペックの思考が、即座に「最適解」を導き出した。
『解:遮蔽物を物理的に排除し、射線を通す』
「は、排除……?」
俺の意志とは無関係に、身体が流れるような動作でホッチキス(重量MAX)を掴んだ。
狙うはネズミではない。その手前の「壁」だ。
「どけ! 邪魔だ!」
ヒュンッ!
俺は迷うことなく「泥川主任の最新型モニター」に向かって全力投擲した。
ドゴォォォン!!
「ぎゃああああ! ミーの4Kモニターがァァ!?」
泥川主任の悲鳴。
だが、俺の脳内では『障害物1、排除完了』のログが流れるだけだ。
破壊の衝撃で、机の上のハムスターが弾き飛ばされ、床に落ちた。
ウィーン、チチチ……。
おもちゃは床の上で方向転換し、持ち主である鬼塚課長の足元へ向かって直進した。
課長の革靴にコツンと当たり、そこで足踏みを続ける。
『分析:ターゲット、人質(課長)の足元へ移動。肉の盾を利用中』
「おい凡田! 何やってんだお前!」
課長が怒鳴るが、俺には「射線を塞ぐ肉塊」にしか見えない。
邪魔だ。そこをどく気がないなら……。
『解:人質ごと吹き飛ばす』
「そこも邪魔だぁぁぁ!!」
俺はデスク上の「未決裁の稟議書(分厚いファイル)」を手に取り、躊躇なく鬼塚課長の顔面めがけてブン投げた。
バァァァン!!
「ぶべらっ!?」
課長が白目を剥いて倒れる。
その倒れた拍子に足が動き、ネズミの前から障害物が消えた。
これで射線はクリアだ。誰の目にも明らかな「キルゾーン」が形成された。
「……計算完了。チェックメイトだ」
俺の口が、勝手に勝利宣言を呟く。
涙目で震えながら、俺はトドメの武器として、自分のノートパソコンを振り上げた。
質量、硬度、共に圧殺に最適。
「これで……完全論破(物理)だッ!!」
俺がPCを振り下ろそうとしたその時、背後から冷気と共に手首をガシッと掴まれた。
「……私の演算能力を使って、『盤面の掃除』をするのはやめたまえ」
本物の氷室先輩だった。
彼が指をパチンと鳴らすと、身体から力が抜け、俺はその場に崩れ落ちた。
◇
静まり返るオフィス。
破壊されたモニター、散乱する書類、そして気絶した課長。
俺は愕然とした。
「ち、違います……俺はただ、ネズミを狙っただけで……」
「ああ、見ていたよ」
先輩は赤い手帳を開き、淡々と事実を告げた。
「君は『確実に当てる』ために、邪魔なものを全てどかしたんだ。……実に合理的で、効率的で、そして最高にコストパフォーマンスの悪いやり方だ」
先輩の足元に、ウィーンと虚しく回っている電動ハムスターが近寄ってきた。
先輩は眉間に深い皺を寄せると、決して手では触れず、磨き上げられた革靴のつま先で、汚いものを避けるようにツンと弾き飛ばした。
「それに、あれはオモチャだ。君の目は節穴か?」
「えっ……本当だ……」
先輩は呆れたように息を吐き、損害額を見積もった。
「目的遂行のために手段を選ばないのはプロの流儀だが、損益分岐点を見誤るようでは二流だ。……モニター代と課長の治療費。君の次のボーナスは『寸志』レベルになるだろうな」
先輩の冷たい宣告を受けながら、俺は「完璧すぎる能力」も使い手がバカだと大惨事になることを、身を持って知ったのだった。
■今回の収支
借金総額:51,300円
(※社内規定により弁償は分割払いのため、先輩への借金には計上せず)
得たもの:目的のためなら上司をも「障害物」と見なす冷徹な判断力
失ったもの:泥川主任のモニター、鬼塚課長の信頼、冬のボーナス




