第15話:チートスキル『念動力(サイコキネシス)』
俺は、18時のチャイムを心待ちにしていた。
それは社畜にとっての解放のゴングではない。
今日の俺にとっては、伝説が始まる合図となる……はずだった。
「凡田クン、この資料の『エビデンス』が甘いね。これじゃアグリーできないよ。至急、地下倉庫から過去5年分の決算書をハードコピーで持ってきて。これ、クリティカル・パスだから」
営業3課の汚点こと、泥川主任が、俺のデスクに手の脂がべっとりとついた指示書を叩きつけた。
定時15分前の悪夢の業務指示。
これから地下倉庫へ行き、埃まみれの段ボールと格闘しろだと?
ふざけるな。
俺は今日、新作のスマホゲーの「ログボ」を受け取るために生きているんだ。
「……あー、無理。物理的に無理。重力が俺を拒否している」
俺はゾンビのような足取りで給湯室へ向かった。
そこには、一日の終わりの儀式として、高級羊羹『虎屋の夜の梅』をメスのような鋭さで切り分けている氷室先輩がいた。
「氷室先輩……助けてください。俺、もう空気抵抗すら感じたくないんです」
黒いスーツの先輩は、俺の情けない嘆願を一瞥もしないまま、懐から赤い手帳を取り出した。
先輩は赤い手帳を眺めながら、静かに告げる。
「ところで凡田君、借金の催促なんだが、累計、『51,300円』だな。返済は出来そうなのか?」
「今のままでは不可能です! でも聞いてください、先輩! 俺が目指しているのは『究極のロジスティクス改革』なんです!」
「ほう?」
「移動コスト、運搬コスト、そして『やる気コスト』。これらをゼロにする……そう、心頭滅却すれば火もまた涼しならぬ、『念じれば書類もまた飛ぶ』システムの構築こそが、俺の考える働き方改革という名の『努力』なんです!」
「……ほう」
氷室先輩は、俺の屁理屈に近い「努力」という言葉に反応したのか、羊羹を置いた手で赤い手帳をめくりはじめた。
ビリッ。
静寂な給湯室に、ページが破られる音が響く。
「物理法則への干渉か。確かに、在庫管理の自動化は急務だな」
「で、ですよね! 俺、ロジスティクスの鬼になりたいんです!」
「ならば、これを貸そう。ただし、このスキルを悪用して被害が発生した場合の損害は、借金として計上する。ルールを守って正しく使うようにな」
渡された紙片には『念動力』の文字。
「対象を意思の力で操作するスキルだ。ただし、操作精度はお前の『集中力』と『リズム感』に依存する。……言っておくが、複数の物体を動かす時は、脳内でそれぞれの軌道を完璧にイメージしろよ?」
「お任せください! 俺、脳内で常に楽し気なリズムが流れているんで、リズムゲーは得意なんです!」
自席に戻った俺は、即座に覚醒した。
まずは手始めだ。
俺は周囲を見渡すことなく、眉間にしわを寄せて念じた。
(地下倉庫の決算書、俺の元へ「整列して」非常階段を使って飛んで来い!)
ズザザザザッ!
遠くの廊下から、地鳴りのような音が聞こえる。
次の瞬間、オフィスのドアが開き、分厚いファイルの群れがまるで渡り鳥の編隊飛行のように空を飛び、俺のデスクの上に美しく着地した。
「ふははは! 見ろ、この圧倒的ソリューション!」
俺は調子に乗った。
両手は頭の後ろで組み、足はデスクの上に投げ出す。
念動力で浮かせたポテトチップスが、一枚ずつ自動的に俺の口へ運ばれてくるシステムを構築。
さらに、キーボードの上空に「見えざる指」を生成し、残像が見えるほどの高速タイピングを開始した。
「凡田クン、君さっきから手も動かさずに何やってるの? サボりなら評価シートにバツをつけるよ?」
泥川主任が寄ってきた。
チャンスだ。
「サボり? 心外ですね。主任、あなたのネクタイ、曲がってますよ」
「え?」
俺は視線だけで、泥川主任のネクタイを掴んだ。
クイクイッ。
ネクタイがまるで生き物のように鎌首をもたげ、主任の顔の前で横に揺れる。
「ひいぃっ!? な、なんだこれ! ネクタイが自立を!? これがシンギュラリティか!?」
「最近のネクタイはAI搭載ですからね。主任の『中身の軽さ』を検知して、首を絞めるか迷ってるんですよ」
「ノー! ディスアグリー! 離してくれぇ!」
主任は自分のネクタイと格闘しながら、奇妙なダンスを踊り始めた。
邪魔者は排除した。
仕事は終わった。
あとは定時のチャイムを待つだけだ。
俺は余裕綽々で、空中に浮かせたスマホで「リズムゲーム」のイベント周回を始めた。
「完璧だ……。仕事(念動力)と遊び(スマホ)、この完全なる並列処理こそが、新時代のビジネスマンの姿だ」
しかし、悲劇は唐突に訪れる。
定時2分前。
鬼塚課長が、血相を変えて俺の席に走ってきた。
「おい凡田! 社長決裁の稟議書、50枚! 今すぐ全部にハンコ押して持ってこい! 18時までだ、1秒でも遅れたらクビだぞ!」
ドサッ!
目の前に積まれた50部の稟議書。
残り時間は60秒。
普通にやれば絶対に間に合わない。
だが、今の俺には『念動力』がある。
「ふっ、課長。見ていてください。これが俺の『本気』です!」
俺は空中に自分の印鑑を浮かせた。
そして、稟議書を空中にばら撒き、一列に整列させる。
(イメージしろ……高速のプレス機だ。タタン、タタン、タタン!)
俺は、手元のスマホでプレイ中の「リズムゲーム」のBPMに合わせて、印鑑を操作し始めた。
『ハイ、左、右、フリック!』
ゲームの譜面に合わせて、空中の印鑑が目にも止まらぬ速さで稟議書に叩きつけられていく。
ババババババッ!
「す、すげぇ……! なんだその速度は!?」
鬼塚課長が目を見開く。
残り10秒。
ラストスパートだ。
ゲーム画面は最高難易度の「サビ」に突入。
超高速連打パートだ。
俺の脳内アドレナリンは最高潮に達した。
(いける! フルコンボだドン!!)
その時だった。
泥川主任が、空気を読まずに俺の肩を叩いた。
「凡田クン! ミーのネクタイがまだ暴れてるんだけど、これどういうアサイン!?」
「あ? 今いいとこなんだよ!」
一瞬の殺意。
それが命取りだった。
俺の集中力が「ゲームの譜面」と「泥川主任への殺意」と「ハンコ押し」の間で混線した。
ゲーム画面に表示されたのは『全方向フリック(全部なぎ払え)』の指示。
俺は無意識に、その指示を『念動力』で実行してしまった。
「あ」
ヒュンッ!!!
空中に整列していた50枚の稟議書と、高速振動していたハンコ、そして飲みかけのホットコーヒーが、すべて「なぎ払い」の軌道に乗った。
バシュゥゥゥゥッ!
「ぐあっ!?」
「ぶべらっ!?」
時速100キロで射出されたハンコが、鬼塚課長の額のど真ん中に「承認」の印を深々と刻印。
なぎ払われた稟議書は吹雪のように舞い散り、ホットコーヒーは美しい放物線を描いて、泥川主任の顔面と白いシャツへ「全弾着弾」した。
――キーンコーンカーンコーン――
18時のチャイムが、地獄の風景に鳴り響く。
額に「凡田」という赤アザを作って震える課長。
コーヒーまみれで、まだネクタイと戦っている主任。
そして、スマホ画面に表示された『GAME OVER』の文字を見つめる俺。
給湯室から出てきた氷室先輩が、惨状を見て口元に手を当てた。
「……見事だ、凡田君。『上司の顔にハンコを押す』という、全サラリーマンの潜在的願望を叶えるとはな。その勇気(リスク管理の欠如)だけは評価しよう」
その後、俺は課長と主任に両脇を抱えられ、物理的な「折檻」という名の残業確定コースへと連行されていった。
稟議書? もちろん、全部コーヒーの染みで書き直しだ。
■今回の収支
借金総額:51,300円
(※変動なし。上司への傷害はプライスレス)
得たもの:課長の額への「承認」刻印(全治3日)、リズム感への不信感
失ったもの:稟議書50枚、泥川主任のブランドシャツ、社内での生存権




