第13話:チートスキル『未来予知(フューチャー・ビジョン)』
「……人生、詰んだ」
オフィスの自席に着くなり、俺、凡田は机に突っ伏して魂を吐き出した。
今日は朝から、厄年の大バーゲンセールだ。
目覚まし時計が電池切れで寝坊し、慌てて着替えたらワイシャツのボタンが弾け飛んで箪笥の裏に入り、駅へ走れば目の前で電車のドアが非情に閉まり、極めつけに会社の前で野良犬のフンを右足で踏み抜いた。
お気に入りの革靴だったのに。
「はぁ……もう帰りたい。有給とって、布団の中で世界の終わりを待ちたい」
「出社早々、随分と世紀末な思考だな」
頭上から降ってきた絶対零度の声に、俺はビクッと身体を震わせる。
恐る恐る顔を上げると、そこには黒いスーツを完璧に着こなしたクールなイケメンが立っていた。
経理部の氷室先輩だ。
その鋭い眼光だけで俺の給与明細の控除額まで見通されている気がする。
先輩は赤い手帳をパラパラと眺めながら、静かに告げる。
「やあ、凡田君、借金の催促なんだが、累計、51,300円だな。返済は出来そうなのか?」
「先輩……返したいのは山々なんですが、今日の俺は『歩く大災害』なんです。これ以上動くと、会社の自社ビルを倒壊させかねません」
「ビルの倒壊は流石に経費で落ちないぞ」
「だからもう、今日は植物のように光合成だけしていたいんです。この理不尽な不運さえ回避できれば、俺だってバリバリ働いて、借金返済の『努力』をするんですけどねえ……」
俺がチラリと上目遣いで見ると、氷室先輩がピクリと眉を動かした。
「……ほう」
氷室先輩は、俺の『努力』という言葉に反応したのか、赤い手帳のページをめくる手が止まった。
「不運を回避し、業務に邁進するための『努力』をするというのなら、手を貸さないこともない」
ビリッ!
先輩は躊躇なく手帳のページを破り取る。
そこに書かれていたのは、幾何学的な『目』の紋章が描かれたスキルだった。
「これは『未来予知』。
数秒から数分先に起こる出来事を、映像として視ることができるスキルだ。
これがあれば、降りかかる不運を事前に回避できるだろう」
「み、未来予知!? そんなラスボス級の能力を!?」
「ただし、このスキルを悪用して被害が発生した場合の損害は、借金として計上する。ルールを守って正しく使うようにな」
先輩は俺の額に破り取った紙をペタリと貼り付ける。
すると、紙は光の粒子となって俺の脳天に吸い込まれていった。
「ありがとうございます! これでもう、犬のフンも怖くない!」
「……社内にフンはないと思うが。まあいい、精々励みたまえ」
先輩は呆れたように肩をすくめると、いつものように足音もなく去っていった。
直後、俺の脳内に『映像』がノイズ混じりに流れ込んできた。
『おい凡田! 貴様、昨日の日報が出てないぞ!!』
鬼のような形相で怒鳴り込んでくる鬼塚課長の姿だ。
これは……30秒後の未来か!
俺は慌てて引き出しから書きかけの日報を取り出し、猛スピードで仕上げて送信ボタンを押す。
その10秒後。
「おい凡田! 貴様、昨日の日報が……」
「サーバーにアップ済みです! 誤字脱字チェックも完了してます!」
俺は課長が言い終わる前に、食い気味に返答した。
「む……ま、まだ何も言っておらんぞ。……そ、そうか。早いな」
課長は出鼻をくじかれ、毒気を抜かれたように去っていった。
「すげえ……! 本当に未来が見える! これなら無敵だ!」
これで終わりじゃない。
次に脳内に浮かんだのは、嫌味な泥川主任の姿だ。
『凡田クン、こないだの会議のアジェンダ、まだフィックスしてないの? これだからリテラシーが低い人は困るんだよねえ』
来る! 1分後に泥川主任が来るぞ!
俺はすぐさま共有フォルダを開き、議事録データをデスクトップに展開する。
「ヘイ、凡田クン、ちょっといいカナー? こないだの会議の……」
「ああ、泥川主任。先日のアジェンダのエビデンスですね? こちらでフィックスして、ナレッジとして共有済みです。アグリーいただけますか?」
主任が口を開く前に、先手を打って横文字マシンガンで返してやる。
「お、オウ……。サ、サプライズだね。意外とやるじゃん、凡田クン。ミーも鼻が高いよ」
主任は悔しそうに引き下がっていく。
勝った。
完全に勝った。
不運どころか、この予知能力があれば社内の評価もうなぎ登り。
「俺、天才じゃん! この調子なら、もっとすごいこともできるはず……」
その時、脳裏にピンク色の映像が飛び込んできた。
営業3課のマドンナ、聖奈さんが、給湯室で熱いお茶を淹れようとして、カップを倒してしまう未来だ。
『きゃっ!』
俺は猛ダッシュで給湯室へ向かう。
「聖奈さん、失礼!」
ちょうど聖奈さんがポットのお湯を注ごうとした瞬間、俺は滑り込むようにして彼女の手元へ手を伸ばし、倒れそうになる(未来の)カップをガシッと掴んだ。
「えっ? 凡田さん?」
「ふぅ、間一髪でしたね。今の角度だと、物理法則的にカップがスリップダウンするところでしたよ」
聖奈さんはキョトンとしていたが、すぐに花が咲くような笑顔を見せてくれた。
「まあ、ありがとうございます! 凡田さんって、超能力者みたいですね!」
「ははは、まあ、俺くらいになると気配でわかっちゃうんですよ(実際に視えてるけど)」
聖奈さんの尊敬の眼差し。
これだ、俺が求めていたのはこの視線だ!
未来予知、最高すぎる。
これさえあれば、株価の変動も、競馬の結果も全部わかるんじゃないか?
いや、まずはこの能力で社内の危機を救いまくって、社長賞をもらって、賞金で借金を一括返済。
それが一番スマートな『努力』ってもんだろう。
俺は席に戻り、更なる未来を探るべく精神を集中させた。
「もっとだ……もっと先の未来を寄越せ……!」
欲を出して集中すると、映像が雪崩のように押し寄せてきた。
5分後、鬼塚課長が俺の席に来て、重要な書類を探してキレている。
『あの書類どこやった!? コンプライアンス的に大問題だぞ!』
3分後、泥川主任が来て『ペーパーレス化のイニシアチブが……』とか言っている。
1分後、電話が鳴る。
映像と現実が脳内で混線し始める。
「凡田! 何をしている!」
現実の鬼塚課長の声がした。
「あ、コンプライアンスですよね!? イニシアチブ取ります! あと電話! 出ます!」
俺はパニックになりながら、まだ鳴ってもいない電話の受話器を取り上げ、同時に見えない書類を掴もうと空中に手を伸ばした。
「は? 電話など鳴っておらんぞ? 寝ぼけているのか?」
「えっ? あ、これは30秒後の……いや、まだか?」
「凡田クン、何パントマイムしてるの? ミーには理解不能なディメンションだよ」
泥川主任が冷ややかな視線を送ってくる。
まずい、タイミングが早すぎた!
変な奴だと思われてる!
焦る俺の脳内に、決定的な『破滅の映像』が流れる。
俺が慌てて振り返った拍子に、自分の机に置いてあった飲みかけの缶コーヒーを倒し、それが延長コードにかかってショートし、パソコンの電源が落ちる未来。
『バチッ! プシュン……』
いかん!
それだけは防がねば!
俺は未来を変えるべく、机の上の缶コーヒーへと決死のダイブをした。
「させないぞおおお! 俺の未来ぃぃぃ!」
ガシャーン!!
「ぶべっ!」
勢い余って、俺は自分の足(朝、犬のフンを踏んだ右足)をデスクの脚に引っ掛け、派手に転倒した。
その衝撃で身体が宙を舞い、手にした受話器が鬼塚課長の頭にゴチンと直撃。
さらに、俺の伸ばした手が、本来倒れるはずのなかった缶コーヒーを強打し、なぎ倒してしまった。
バチバチッ! プシュン……。
「あ……」
オフィスの照明が一瞬明滅し、俺のパソコン画面が虚しくブラックアウトした。
作りかけだった議事録のエビデンスも、何もかもが闇に消えた。
予知した未来を、俺自身の手で完璧に再現してしまったのだ。
「……凡田ァァァァァ!!!」
「凡田クン……ミーのパソコンまで落ちたんだけど……これ、ドラスティックなインシデントだよ!?」
「きゃっ、凡田さん大丈夫ですか?」
静まり返るオフィスに、鬼塚課長の怒号と、泥川主任の悲鳴が響き渡る。
俺はコーヒーまみれの床に突っ伏したまま、動けなかった。
未来、変えようとして、自分で引き寄せちゃったよ……。
――キーンコーンカーンコーン――
タイミング良く、定時のチャイムが鳴り響く。
「……やれやれ。未来ばかり見て、足元がお留守だったようだな」
呆れ声と共に、氷室先輩が給湯室から出てきた。
「先輩……」
「未来を予知することと、未来を変えることは同義ではない。今、目の前にある現実に誠実に向き合わない者に、良き未来など訪れないということだ」
「うう……おっしゃる通りです……ぐすん」
先輩は俺の惨状を見下ろし、ため息をついた。
「パソコンの修理費とデータの復旧費用、それと課長への慰謝料……と言いたいところだが、今回は始末書と残業で相殺されるだろう。私の借金には計上しないでおいてやる」
「せ、先輩! 神様! 仏様!」
「ただし、そのコーヒーまみれのスーツのクリーニング代は自腹だぞ。……近寄るなよ、甘い匂いに釣られてアリが来たらどうする。私は多足歩行する虫も生理的に苦手なんだ」
先輩はネズミだけでなく、虫も苦手だったのか。
俺は濡れたスーツで床を拭きながら、不運な一日の終わりを噛み締めた。
結局、予知能力なんてあっても、使う人間が凡人なら、結果は凡人以下になるってことか……。
■今回の収支
借金総額:51,300円(変動なし)
得たもの:地道に生きるという教訓
失ったもの:鬼塚課長の毛根(受話器直撃による)、泥川主任のデータ、お気に入りの革靴




