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第10話:チートスキル『思考盗聴(マインド・ハッカー)』

「ふふっ……勝った。完全に俺の時代が来た」


 週明けの月曜日。

 営業第3課のデスクで、俺、凡田はニヤつきを抑えきれずにいた。


 先週、あの冷徹な氷室先輩との間に『絆』が芽生えた(と、俺は勝手に解釈している)。

 つまり今の俺は、経理部の魔王から加護を受けた勇者。

 もはや社内に敵なしだ。


「ソーリー課長。この案件、アグリーなんですが、アジェンダとしてはリスキーでフィックスできませんねぇ」

「むぅ……泥川、つまりお前はこの企画に懸念があると言うんだな?」


 フロアの隅で、同期の泥川がまた知ったような口を利いている。

 薄っぺらい横文字を並べる泥川と、それを真剣に聞く強面の鬼塚課長。

 普段なら「くそっ、何言ってるか分からん」と歯噛みするところだが、今日の俺は違う。


 (あいつらの腹の中さえ分かれば、俺が先回りして手柄を横取りできる。

 そうすればボーナス査定は爆上がり、借金地獄からの大脱出だ!)


 まさにその時、背後から絶対零度の気配が漂った。


「やあ凡田君。皮算用でニヤついているところ悪いが、今週の利息回収だ」


 振り返れば、黒スーツの悪魔――氷室先輩が、手には不吉な『赤い手帳』、顔には能面のような無表情を貼り付けて立っていた。


「ひ、氷室先輩! お疲れ様です! いや返済の意志はあるんですが、職場の人間関係という荒波がですね……相手の本音さえ分かればもっと稼げるんですが!」


 俺は苦し紛れに力説した。

 嘘ではない。

 楽して稼ぐための「本音」が知りたいだけだ。


「……ほう。人間関係、か」


 先輩は眼鏡の奥で光を走らせると、手帳をビリリと破いた。


「なら、これを使ってみろ。ただし、悪用して損害が出れば即座に借金に追加計上する」


 渡された紙片には、不気味な脳味噌のマーク。


【チートスキル:思考盗聴マインド・ハッカー

・効果:対象の表層心理(心の声)を可視化する。

・有効期限:1時間。


 これだ! 俺は心の中でガッツポーズを決めた。

 俺は即座にスキルを発動。

 視界が青く染まり、同僚たちの頭上に『漫画の吹き出し』がポップアップする!


 まずは泥川だ。

 あいつは眉間に皺を寄せ、さも日本の経済を憂いているような顔をしているが、その脳内は?!


『……今日のパンツ、ちょっとゴムきついな。食い込んでる。直したい。

 でも今直したら社会的に死ぬ。あー、早く帰ってプリカワの録画見たい』


 こいつ、パンツと女児向けアニメのことしか考えてねぇ!!

 「アジェンダ」とか言ってた舌の根も乾かぬうちにこれだ。

 勝てる。

 これなら余裕で勝てるぞ。


 次は鬼塚課長だ。

 課長は書類を睨みつけ、苦渋の決断を迫られているような重苦しいオーラを放っている。

 きっと社運を賭けたプロジェクトに悩んでいるに違いない。

 その悩みを俺が解決すれば、出世コースは確定だ!


 俺は集中して、課長の思考を覗き込んだ。


『……限界だ』


 え?


『さっきの蕎麦だけじゃ足りん。脳が糖分を求めて暴動を起こしている……』


 課長!?


『昨日のテレビで見た、老舗『鶴亀堂』の特製栗羊羹……濃厚なこし餡、ホクホクの栗……食いたい。

 今すぐ食いたい。誰か持ってきてくれたら、今なら課長の座を譲ってもいい……』


 ここだァァァァッ!!

 俺の脳内で勝利のファンファーレが鳴り響く。

 鬼塚課長は今、仕事ではなく「羊羹」に飢えている。

 しかも課長の座を譲るほどの空腹!

 『鶴亀堂』なら、会社の裏のデパートにある!


「先輩、ちょっとトイレ(という名の出世街道へ)行ってきます!」

「……?」


 俺は脱兎のごとくオフィスを飛び出した。


   ◇


「はぁ、はぁ……と、獲ったどぉ……!」


 15分後。

 俺はなけなしの所持金3千円を叩き、奇跡的にラスト1個だった『鶴亀堂の特製栗羊羹』をゲットして帰還した。

 鬼塚課長の顔色は、糖分不足で土気色になっている。

 今こそ救世主降臨の時!


「課長! お話中失礼します!」

「なんだ凡田、今は泥川とパンツの食い込みについて……いや、重要な話を」

「少し休憩しませんか? 実は取引先から、こんなものを頂きまして」


 俺は恭しく羊羹の包みを差し出した。

 瞬間、鬼塚課長の目がカッと見開かれ、背後に阿修羅像のようなエフェクトが見えた気がした。


『こ、これは……鶴亀堂の栗羊羹!? でかした凡田! 愛してるぞ凡田! お前こそ次期社長だ!』


 心の声での評価が爆上がりしている!

 勝った。

 泥川が「ホワイ?」とアホ面を晒している間に、俺は天下を取ったのだ。


「いやぁ、気が利くな凡田君! 早速いただこうか!」


 課長が震える手で包みに触れようとした、その時。


『……待て』


 地獄の底から響くような、ドス黒い「念」が脳に直接響いた。

 背筋が凍る。

 振り返ると、いつの間にか俺の背後に氷室先輩が立っていた。

 先輩は無表情だ。

 だが、頭上に浮かぶ吹き出しは、真っ赤に炎上していた。


『……あれは、鶴亀堂の季節限定……私が1ヶ月前から予約戦争に敗れ続け、枕を濡らした幻の逸品……』


 えっ、そこ!?


 先輩の鋭い眼光が、俺の手にある羊羹をロックオンしている。


『なぜ凡田ごときがそれを持っている? 取引先から? 嘘をつけ。

 あの店は店頭販売のみ。

 つまり凡田は、私が喉から手が出るほど欲していた至高の宝珠を、あろうことか味音痴の鬼塚ごときに横流ししようとしている……?』

『万死。万死に値する』


 ひぃぃぃっ!

 心の声が物騒すぎる!

 普段クールな先輩が、「鬼塚ごとき」と上司を呼び捨てにしている!


「あ、あの、先輩……?」

「凡田君」


 氷室先輩はニコリと笑った。

 目が笑っていない、あの処刑宣告の笑顔だ。


「それは取引先からの頂き物だと言ったね?」

「は、はい……(嘘です自腹です)」

「就業規則第15条。取引先からの過度な贈答品の私的受領はコンプライアンス違反だ。その羊羹は、私が『証拠品』として一時預かりとする」


 先輩の手が、蛇のような速さで羊羹を奪い取った。


「ああっ! 俺の3千円……じゃなくて出世が!」

「なにか言ったか? 凡田君」


『これ以上騒ぐなら、先月の交通費精算の不正疑惑、全ページを鬼塚課長の前で朗読会してもいいんだが?』


 思考で脅迫してきたー!!


「い、いえ! 何でもありません! 証拠品として提出しますぅ!」

「うむ、殊勝な心がけだ」


 結局、羊羹を奪われた俺は、鬼塚課長から「生殺しにするな」と理不尽に怒られ、泥川からは「コンプラ意識がロウだね」と嘲笑された。


 ――プツン。


 無情にもスキルの有効期限が切れる。


「さて」


 氷室先輩はその場で包みを解くと、なんと証拠品(羊羹)に直接かぶりついた。


「えっ、先輩!? ちょ、証拠品じゃ……」

「んぐっ……モグモグ……」


 先輩はリスのように頬を目一杯膨らませ、恍惚の表情で天を仰いだ。


「……んんっ! (ゴクン) ……うむ。この上品な甘さと栗の野性味……素晴らしい。私の疲れた脳髄に宇宙が広がるようだ……」

「感想言っちゃったよ!」


 先輩は口元の餡子を親指で拭うと、残りを大事そうに懐へしまった。


「今回は、この羊羹のあまりの美味しさに免じて、スキルの悪用は見逃してやろう」

「えっ」

「感謝したまえ。あと、次も期待しているぞ」


 そう言って去っていく先輩の背中からは、隠しきれないご機嫌なオーラ(音符マーク)が見えた気がした。


 借金は増えずに済んだ。

 だが、俺の手元からはなけなしの3千円と出世のチャンスが消え、ただ空腹と疲労だけが残されたのだった。


■今回の収支

借金総額:51,300円(変動なし ※証拠品の味に免じて特別免除)

得たもの:泥川主任の下着事情ゴムがきつい、先輩の至福の表情

失ったもの:なけなしの生活費3,000円、出世のチャンス、コンプライアンス精神(横領)

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