【後編】氷室先輩、凡田君と異世界大魔王
冷たい雨が、容赦なく洞窟の入り口を叩いていた。
生き残ったのは、俺と、聖奈さん、鬼塚課長、そして泥川主任の4人だけ。
「終わりだ……。あの氷室先輩が……」
鬼塚課長が濡れた髪をかきむしり、泥川主任は青ざめた顔でタブレットの電源を何度も入れ直している。
「圏外だ……。クラウドにも繋がらない。我々のリソースじゃ、あのモンスターには1ミリもコミットできないよ……」
俺は焚き火のそばで、先輩から託された『青い手帳』をめくってみた。
そこには、俺がこれまで先輩から借りて、ろくな結果にならなかった「チートスキル」の名前が並んでいた。
『異次元格納庫』……楽をするために、何も考えず荷物を詰め込みまくった。
『並列存在』……仕事をサボるために、分身たちと全力でジャンケン対決をした。
『身体機能超越』……モテたい一心で、準備運動なしでバク転をキメた。
どれもこれも、俺がサボるため、あるいは見栄を張るために使って、そして大失敗した黒歴史の結晶だ。
「……こんなゴミスキル、何の役にも立たない」
俺は手帳を火にくべようとした。
「凡田ァ! 諦めんのか!」
突然、胸倉を掴み上げられた。
鬼塚課長だ。
その充血した目から、ボロボロと涙がこぼれている。
「か、課長……」
「課長はやめろ!」
鬼塚課長は、俺の胸倉を掴んだまま吠えた。
「ここは会社じゃねぇんだ! 俺たちは……俺たちは、あの厳しい氷室先輩の新人研修を一緒に頑張った同期だろっ!」
俺の脳裏に、記憶がフラッシュバックする。
5年前の入社式。
一流企業に入社して、浮かれていた俺たち。
そんな俺たち新人4人の前に現れ、圧倒的な実務能力で地獄を見せたのが、教育係の氷室先輩だった。
『君たちが一人前の社会人になるまで、私が責任をもって指導する』
あの時、先輩はそう言って、時に厳しく、時に優しく俺たちを指導してくれた。
(何故か、俺だけいまだに指導が続いているが……)
「凡田……いや、凡田君」
鬼塚課長――いや、鬼塚君の手が震えている。
「思い出せ。あの厳しい研修を乗り越えた俺たちだろ! お世話になった先輩を取り返すぞ! 役職なんて捨てろ! 昔みたいに、今はただの『鬼塚』でいい!」
「……凡田君」
泥川君も立ち上がった。
泥にまみれた顔で、不敵に口角を上げる。
「ミーも……いや、僕も乗るよ。先輩に叩き込まれたロジック、今こそ実証実験(PoC)といこうじゃないか」
「凡田さん」
聖奈さんも、涙を拭って俺を見つめた。
「みんなで行きましょう。私たち4人で、氷室先輩に恩返しするんです!」
俺の中で、錆びついていた歯車がガチリと噛み合った。
そうだ。
俺たちはただの上司と部下じゃない。
同じ釜の飯を食い、同じ理不尽に耐え、同じ先輩に育てられた同期だ。
「……泥川君。お前、マルチタスクは得意だよな?」
俺は顔を上げた。
「ああ。並列処理なら任せてくれ。脳内メモリなら余ってる」
「もし、お前と同じくらいプライドが高くて負けず嫌いな分身が3人に増えたら……大魔王の攻撃パターンでも解析できるか?」
泥川君は、ムッとして答える。
「誰がプライド高いって? ……まあいい。君の言いたいことは分かった。『文句を言いながら競い合わせろ』ってことだろ」
「鬼塚君。お前の体力と根性は同期一だ。どんな重いノルマも怒号と気合でねじ伏せてきた」
「おうよ! 営業で鍛えた足腰と喉、舐めるなよ!」
「もし、お前の筋肉のリミッターが外れて、お前なら『燃料』が尽きないとしたら……ぶっ放せるか?」
俺の中で、パズルのピースが組み合わさっていく。
大魔王は俺たちを「無能な足手まとい」と呼んだ。
だからこそ、最大の油断がある。
この『失敗チート』を、適材適所で運用すれば――。
「やりましょう。作戦名は『チーム同期』。これより、大魔王ミーゴから先輩を取り戻す作戦を開始します!」
失敗スキルの有効活用
魔王城への道は、険しい山道と魔物の群れに阻まれていた。
だが、今の俺たちはただの営業第3課ではない。
「承認! チートスキル『並列存在』!」
俺は青い手帳をかざした。
対象は泥川君だ。
ブォン!
空間が歪み、泥川君が3人に分裂した。
かつて俺が使った時は、仕事を押し付け合って自滅したスキルだ。
「はあ? なんでオリジナルの君が仕切るんだい? 僕Bの方が計算早いよ」
「いやいや、僕Cのロジックが一番美しいね。君たちの案は却下だ」
案の定、揉め始めた。
だが、俺は叫んだ。
「一番早く最適解を出した泥川君が、真の泥川君だ! 遅い奴はコピー係な!」
「「「なんだと!?」」」
3人の泥川君が同時に眼鏡を光らせた。
「望むところだ!」
「僕が一番だ!」
「証明してやる!」
競い合うように計算を始めた3人の泥川君。
その処理速度は、皮肉にも「自我の強さ」のおかげで爆発的に向上していた。
「前方、オークの群れ! 数は15! 右翼から来るぞ!」
「よし、鬼塚君! 在庫一掃セールだ!」
鬼塚君が前に出る。
俺は彼の背中に手を触れた。
「チートスキル『異次元格納庫』解放!」
亜空間ゲートが開く。
かつて俺は適当に詰め込んで失敗したが、今の俺は違う。
「空間の神」の機嫌を損ねないよう、日頃から倉庫整理をやらされた経験が生きている!
「種別A・重量物! 整列排出!」
美しく整理された巨大な岩石や丸太が、順序よく射出される。
さらに俺は重ねがけする。
「チートスキル『身体機能超越』!」
鬼塚君の全身から湯気が吹き出す。
脳のリミッターが外れる。
俺が使った時はすぐに足が攣ったが、「鬼の鬼塚」と呼ばれる男の異常なバイタリティなら耐えられる!
「うぉぉぉぉ! 力が……みなぎるぅぅぅ!」
力強い腕で丸太を軽々と振り回し、オークたちをなぎ倒す。
「凡田さん、魔法攻撃が来ます! 詠唱してます!」
「任せてください、聖奈さん!」
俺は『完全言語理解』を発動。
大魔王の配下が詠唱する、禍々しい「暗黒魔術言語」が聞こえてくる。
かつて俺は、これを読んで「中二病ポエム」だと勘違いして自爆した。
だが今は、その痛々しさこそが武器だ!
(……我、深淵より来たりて……全てを凍てつかせる絶対零度の孤独……)
「『絶対零度の孤独』……つまり氷属性だ! 聖奈さん、火の障壁を!」
「はいっ! ファイア・ウォール!」
俺の「意訳」を元に、的確な防御を行う。
完璧な連携。
かつてバラバラに失敗したスキルたちが、同期の絆で一つのシステムとして機能し始めた。
「行ける……! これなら行けるぞ!」
俺たちはついに、魔王城の大広間へとたどり着いた。
そこには、玉座に座る大魔王ミーゴと、その横に飾られた『氷室先輩の石像』があった。
『ほう。ここまで来るとはな、無能な足手まとい達よ』
大魔王が不愉快そうに見下ろす。
『しかし、冗談でも許さんぞ。大魔王と呼ばれる余にゴミ虫が盾突くなどと……』
大魔王が立ち上がると、そのプレッシャーだけで空気が重くなる。
「石化光線はもう在庫切れのはずだ! 総員、突撃!」
俺は叫んだ。
「氷室先輩を……返してもらうぞ!」
決戦、そして損益分岐点
戦いは熾烈を極めた。
大魔王ミーゴの攻撃は、物理的な破壊だけではない。
『精神汚染』――「お前たちは無能だ」「代わりなどいくらでもいる」という呪詛を囁き続け、こちらのメンタルを削ってくる。
「くそっ、MPが持たない! 心が折れそうだ!」
泥川君たちが弱気になりかける。
『しぶとい虫どもめ。ならば、これならどうだ?』
大魔王が冷酷な笑みを浮かべ、手を伸ばした先には――氷室先輩の石像があった。
『この美しい石像を粉砕すれば、貴様らの心も砕けるか?』
「やめろォォォッ!」
俺が叫ぶより早く、大魔王の爪が石像へと振り下ろされた。
ガシャァァァァン!!
時が止まった。
先輩の石像が、無惨にも砕け散った。
腕が、足が、そしてあの常に冷静だった顔が、ただの瓦礫となって床に転がる。
「あ……あぁ……」
絶望。
圧倒的な喪失感が、俺たちを押しつぶした。
『フハハハ! 見ろ、これで貴様たちの希望は消えたっ!』
俺は震える手で、青い手帳を握りしめていた。
まだだ。
まだ、終わっていない。
俺には、まだ一つだけ、使っていないスキルがある。
チートスキル『タイムリープ(10分)』。
かつて俺は、これを競馬で一儲けするために使い、欲に目がくらんで失敗した。
「邪念」があると、未来は悪い方へ改変される。
だが今の俺に、金銭欲なんて1ミリもない。
あるのはただ、「先輩を助けたい」という純粋な願いだけだ。
「凡田さん!?」
俺は青い手帳を開いた。
狙う時間は10分前。
大魔王が石像を壊す直前だ。
「持ってくれよ、俺の魂……! チートスキル『タイムリープ(10分)』ッ!!」
光が俺を包む。
体が内側から焼けるように熱い。
視界が歪み、世界が逆再生される。
そして――。
『しぶとい虫どもめ。ならば、これならどうだ?』
目が覚めると、そこは10分前の大広間だった。
大魔王が、再び石像に爪を立てようとしている。
(今だッ!!)
俺は叫ぶ声も出なかった。
俺は最後の力を振り絞り、『全属性支配』を発動した。
かつて会議室で暴走させ、大量の「土」を出してしまったあの失敗スキルだ。
だが、今の俺には分かる。
この「制御不能な土」こそが、今の状況を打破する鍵だ!
「出ろぉぉぉ! あの日、会議室を汚した泥沼よ!!」
ドロォォォォォ!!
大魔王の足元から、大量の粘着質な泥が噴出した。
『な、なんだこれは!? 汚い! 余の城が!!』
潔癖症気味の空間の神ですら嫌がるほどの泥が、大魔王の足を絡め取る。
動きが止まった一瞬。
俺は自分の体を砲弾として突っ込んだ。
最後の一撃。
俺だけじゃない。
俺達みんなが、入社してからそれぞれ頑張って『努力』した。
皆が同じ気持ちで『先輩を助けたい』と本気で願っている。
だから……きっと、あのスキルで勝てるはず。
俺達はチームだ。
「俺達全員の努力の一撃を受けろっ! チートスキル『勇者の会心の一撃』ィィッ!」
俺達全員が本気で願った「先輩を助けたい」という想いと、これまで積み上げてきた全ての「努力」が、拳に黄金の光となって宿る。
俺の平凡なパンチが、勇者の一撃へと変換された。
ドゴォォォォン!!
俺の渾身の拳が、大魔王のみぞおちにクリーンヒットした。
『ぐあぁぁっ!? バ、バカな……ゴミ虫ごときが、この大魔王を……』
大魔王がよろめく。
衝撃波が突き抜け、大魔王の体が吹き飛んだ。
壁に激突し、城全体が揺れる。
『ご、ゴフッ……。み、認めん……余が……』
大魔王ミーゴは、俺の一撃を受け、その身体が光の粒子となって崩れ始めた。
俺の一撃で、大魔王を倒したんだ。
俺は床に転がった。
もう、指一本動かせない。
だが、先輩は守れた。
「やった……やったぞ凡田!」
鬼塚君たちが駆け寄ってくる。
「さあ、大魔王は倒した! これで先輩も元に……!」
俺たちは、玉座の横に立つ氷室先輩の石像を見上げた。
大魔王が消えれば、術は解けるはずだ。
だが。
シーン……。
先輩は、石のままだった。
冷たく、硬い、石像のまま。
「……え?」
「なんでだ? 契約者は消滅したはずだろ!?」
泥川君が青ざめた顔で石像に触れる。
「ダメだ……。これはおそらく。大魔王が消滅しても継続する、呪いの魔法なんだ」
「そんな……」
聖奈さんが崩れ落ちる。
「嘘だろ……。俺たち、頑張ったのに……」
俺の目から、涙が溢れた。
先輩を守るために時間を戻した。
命も削った。
なのに、結果が出ないなんて。
「先輩……起きてくださいよ……。まだ昼食代650円、返してないじゃないですか……」
俺の声が、虚しく大広間に響く。
絶望が、俺たちを包み込んだ。
その時だった。
キィィィィン!!
鮮烈な黄色い閃光が、魔王の城を貫いた。
天井が吹き飛び、まばゆい光の中から一人の少女が降り立った。
揺れるポニーテール。
健康的な手足。
制服のスカートをひるがえし、彼女は天使のように舞い降りた。
「あ、あれは……?」
薄れゆく意識の中で、俺は見た。
その手には、輝く「黄色い手帳」。
「もー! お兄ちゃんってば、詰めが甘いんだから!」
少女はプンプンと怒った顔で、石になった先輩に近づいた。
「えいっ!」
彼女が黄色い手帳をかざすと、温かい光が先輩を包み込んだ。
「石化解除! ついでに全快!」
パキィン……。
石像の表面にヒビが入る。
そして、中から見慣れた黒いスーツと、呆れたような表情が現れた。
「……やれやれ。随分と長い昼寝だったな」
「氷室先輩!!」
俺たちは泣き叫んだ。
少女はVサインを作って、俺にウインクした。
「ふぅ。間に合った〜! 皆さん、お疲れ様ですっ!」
俺の意識は、そこでプツンと途切れた。
◇
「……き、……起きろ、凡田君」
頬をペチペチと叩く感触で、俺は目を覚ました。
「ん……?」
目を開けると、そこは帰りのバスの中だった。
窓の外には、見慣れた日本の高速道路。
「あ、あれ? 俺、死んだんじゃ……?」
「死んでたまるか。君にはまだ、返済すべき借金と、始末書が山ほど残っている」
隣の席には、氷室先輩が座っていた。
いつもの黒いスーツ。
手には赤い手帳。
そして、優雅に缶コーヒーを飲んでいる。
「せ、先輩! 生きてる! 石になってない!」
「寝ぼけているのか? まったく、バスで爆睡してうなされるとは、君らしい」
先輩は呆れ顔だ。
夢? 全部夢だったのか?
だが、俺は見た。
後部座席で、聖奈さんと泥川、鬼塚が、俺を見てニヤリと親指を立てたのを。
そして、通路を挟んだ反対側の席に座っている、ポニーテールの女子高生を。
「ん? 美々、学校はどうした?」
先輩が、その女子高生に尋ねた。
「もう、お兄ちゃん学校はどうしたじゃないでしょ。大ピンチだったんだよ? 私がいなかったら、今頃お兄ちゃんは城のオブジェだったんだからね」
「……ふん。余計なお世話だ」
女子高生――氷室美々(みみ)ちゃんは、ケラケラと笑って俺にウインクした。
「あの大魔王を倒した凡田さんの努力の一撃、すごかったです! 私、感動しちゃいました!」
夢じゃない。
俺たちは、本当に業務を完遂して帰ってきたんだ。
「初めて先輩(の妹)に褒められたけど……もう異世界はこりごりですよ~」
俺は座席に深く沈み込んだ。
全身が筋肉痛で悲鳴を上げている。
だが、不思議と心は軽かった。
俺のポケットには、あの『青い手帳』はもうない。
代わりに、先輩がくれた「自信」という名のキャリアだけが、確かに残っている気がした。
「さて、凡田君」
先輩が赤い手帳を開いた。
「今回の異世界出張手当だが……君の『命がけの活躍』を評価して、羊羹を1本プレゼントしよう」
「ええええっ!? 世界を救って羊羹1本!?」
「不服か? なら、食べないでもいいぞ」
先輩は意地悪く笑い、袖口を整えた。
バスは夕焼けの中、日常という名の戦場へと走り続ける。
俺たちの社畜ライフは、まだまだ終わりそうにない。
(完)




