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経理部の魔王は、チートスキルの「私的流用」を許さない。 ~「瞬間移動」でパンツを晒し、「鑑定」で120万をドブに捨てる。楽をするための「努力」が全て裏目に出る、社畜の社会的死(デス)パレード~  作者: cross-kei
大長編:氷室先輩、凡田君と異世界大魔王(全02話)

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【前編】氷室先輩、凡田君と異世界大魔王

「えー、本日は晴天なり。……と申し上げたいところですが」


 マイクを握るバスガイドの声が震えていた。

 無理もない。


 大型観光バスの車内を満たしているのは、旅行の高揚感ではない。

 よどんだ過労と殺気の混じった、デスマーチ特有の腐臭だ。


「おい凡田ァ! 貴様、共有サーバーの『宴会用_決算.xlsx』が更新されてないぞ! 私の試算ではビールが一人当たり3.5本! 今の発注数じゃコンマ2本足りん!」


「ひぃっ! す、すみません鬼塚課長! 次のPAで自腹切って買い足します!」


 後部座席から飛んでくる怒号と、未開封の缶ビールのぬるい臭気。


 俺、凡田正ぼんだただしは、補助席という名の処刑台で小さくなっていた。

 膝の上には熱を持ったノートPC。

 バスの振動でカーソルが飛び、エクセル入力すらままならない。


「凡田クンさあ、この旅のしおりのアジェンダ、解像度が低いよね?」


 隣の席で、泥川主任がタブレットを不快なリズムで指先で叩いている。


「このタイムスケジュールじゃバッファがなさすぎ。不測のインシデント一発で崩壊するよ? これ、次のトンネル抜けるまでにフルコミットで修正して。あとエビデンスも添付してね」


「は、はい……すぐにフィックスします……(日本語で喋れよクソが)」


 窓の外はのどかな山道。

 だが、車内は地獄だ。


 このバスに、あの頼れる「経理部の魔王」こと氷室先輩はいない。


「1円の計算が合わない。気持ち悪いから残る」


 そう言い捨てて、今頃は涼しいオフィスで優雅に残業しているはずだ。

 羨ましい。

 俺も先輩と一緒に、領収書の束と戦っていたかった。


 その瞬間だった。

 トンネルに入ったはずのバスが、ありえない色の光に包まれたのは。


 ドォォォォンッ!!


「うわあぁぁっ!?」


 重力が消失し、内臓が浮き上がる感覚。

 視界がホワイトアウトし、世界が裏返るような吐き気が俺たちを襲った。


 ***


 次に目を開けたとき、鼻を突いたのは排気ガスの臭いではなかった。

 錆びた鉄と、乾いた土の匂い。


「……ここ、どこだ?」


 高速道路のアスファルトは消え失せ、バスは赤黒い荒野に乗り上げていた。

 空には不吉な紫色の雲が渦巻き、目の前には、天を衝くような禍々しい漆黒の城がそびえ立っている。

 どう見ても、岐阜県の温泉街じゃない。


「な、なんだこれは……!? ドッキリか!?」


 鬼塚課長が窓を開けて叫ぶ。


『――ようこそ、哀れな人間どもよ』


 空気がビリビリと震えた。

 城のテラスに、巨大な影が現れる。

 ねじれた山羊の角、溶岩のように燃える双眸。

 特撮映画の着ぐるみではない。

 圧倒的な「死」の気配を纏った、本物の悪魔だ。


『我が名は大魔王ミーゴ。貴様らは、我が城のいしずえとなるための生贄だ』


 大魔王が指をパチンと鳴らすと、乾いた大地がボコボコと隆起した。

 現れたのは、錆びた剣を持った無数の骸骨兵士スケルトン

 その数、およそ数千。

 カチカチと歯を鳴らす音が、大軍の行進のように響き渡る。


「ヒィィィッ! コンプライアンス違反だぁぁ!」

「総員退避ィィ! バスから出ろォォ!」


 パニックになった社員たちが、我先にとバスから雪崩れ落ちる。

 俺と聖奈さん、鬼塚課長、泥川主任も外に転がり出たが、遅かった。

 白骨の軍勢は、すでに完全な包囲網を敷いていた。


「終わりだ……社員旅行初日で、全滅だ……」


 泥川主任が腰を抜かして震えている。

 骸骨が錆びた剣を振り上げ、俺の首を目掛け――。


 パァァァン!!


 硬質な音が響き、空間に「亀裂」が入った。

 ガラスが割れるように景色が砕け散り、その裂け目から、革靴の男が静かに歩み出てきた。

 埃ひとつない漆黒のスーツ。

 手には、真紅のシステム手帳。


「……やれやれ。随分と辺鄙へんぴな場所まで飛ばされたものだな」

「ひ、氷室先輩!?」


 俺は裏返った声で叫んだ。

 そこに立っていたのは、会社にいるはずの氷室先輩だった。

 先輩は手帳の「空間座標転移テレポート・アサイン」のページを開いたまま、不機嫌そうに袖口カフスを整えた。


「凡田君、借金の催促なんだが、累計、51,300円だな。返済は出来そうなのか?」


「先輩! こんな骨だらけの状況なので、借金の催促はいったん止めてください」


「骨だらけ? 確かに何やら危機的な状況のようだな」


 先輩がパタンと手帳を閉じると、スケルトンたちが一斉に襲いかかった。


「邪魔だ」


 先輩は指一本動かさない。

 ただ、冷徹に言葉を紡ぐ。


「……『広域殲滅執行ジェノサイド・エクスキュージョン』」


 先輩が軽く足を踏み鳴らした瞬間。

 世界から「色」が消えた。

 視界を埋め尽くしていた数千のスケルトンが、音もなく光の粒子へと分解されていく。

 破壊ではない。「消去」だ。

 データそのものを削除するように、軍勢が一瞬で消え去った。


『……そのふざけた魔力。その氷のような眼差し。忘れるものか』


 城のテラスから、大魔王ミーゴのどす黒い声が響いた。

 怒りよりも、もっと粘着質な感情を含んだ声だ。


『貴様……氷室だな?』


「ん? 誰だお前は」


 先輩は興味なさそうに、手帳の埃を払った。


『貴様ァァ! 忘れたとは言わせんぞ! かつて余を封印し、屈辱を与えた人間! 余はこの数百年の間、貴様への恨みだけで地獄から這い上がったのだ!』


「ああ……」


 先輩はつまらなそうに呟いた。


「そういえば昔、そんな害獣駆除の案件も処理した気がするな。……まだ生きていたのか。しつこい営業電話のようだな」


『ほざけ! だが、今の余は昔の余ではない。貴様の弱点も、全て解析済みだ!』


 大魔王がニヤリと笑った。

 その笑顔に、背筋が凍るような悪寒が走った。


「……面倒だな。定時までに戻りたいんだが」


 先輩はため息をつくと、赤い手帳を開いた。


「総員、傾注! これより強制送還リターンを行う!」


 先輩の手帳が激しく輝く。

 バスと、その周りに集まっていた社員たちが光に包まれる。


「凡田君、君たちも早くバスの有効範囲内へ……」


 先輩が俺たちの方を向いた、その一瞬。

 大魔王は見逃さなかった。


『今だ! 遮断せよ!』


 ドォォン!


 俺たち4人――俺、聖奈さん、鬼塚課長、泥川主任の足元の地面だけが隆起し、バスから物理的に分断された。


「うわぁぁっ!?」

「凡田君!」


 先輩の手が伸びる。

 だが、数メートルの距離が絶望的に遠い。

 光が収束し、バスと大半の社員だけが転移して消え去った。

 残されたのは、荒野に取り残された俺たち4人と、氷室先輩だけ。


『ククク……そうだ。貴様の最大の弱点。それは、チートスキルの切替だ。その手帳が「ページをめくり、チートスキルを確定するまでに隙がある」こと!』


 大魔王の瞳に、石のような灰色の光が集束していく。

 狙いは先輩ではない。

 無防備な俺たちだ。


『そして、……貴様は、「守るべき無能な足手まとい」がいる時、決して自分だけの防御スキルは選ばないっ!』


『その身で受けろっ! 神石化光線ゴッド・ペトラ・ビーム!!』


 大魔王ミーゴの目から、極太の灰色の光線が放たれた。


「(……くっ、広域防御ワイド・ガードのページは……インデックスの裏……!)」


 先輩の指がページにかかる。

 だが、間に合わない。

 俺たち全員を覆う防御を展開するには、プロセスが多すぎる。

 大魔王は、この「事務手続き」の一瞬を、数百年の恨みと共に狙っていたのだ。


「先輩!?」


 先輩は迷わず、俺たちの前に身を晒した。

 手帳を開くのを諦め、生身で。


 ズドォォォォン!!


 光線が先輩を直撃した。


「ぐっ……うぅ……!」

「先輩!!」


 光が晴れると、先輩は仁王立ちで俺たちを庇っていた。

 だが、その足元から、急速に石化が始まっていた。

 イタリア製の高級革靴が、仕立ての良いスーツの裾が、見る見るうちに冷たい石へと侵食されていく。


『ハハハハ! 見たか! これでもう手帳はめくれまい! この光線は生涯一度の秘儀だが、貴様さえ封じれば後はただの餌だ!』


 大魔王が高笑いする。

 先輩は苦しげに顔を歪めながら、石化していく指で、必死に懐を探った。


「凡田君……」

「先輩! 嫌だ! 死なないでください!」


「騒ぐな……。これを持っていけ……」


 先輩が震える手で取り出したのは、先輩の赤い手帳と似たデザインの青い手帳だった。


「これは……私の赤い手帳とリンクしている、予備の手帳だ……」


 石化が胸まで達する。

 先輩の呼吸が浅くなる。


「この手帳で君が……引き出せるスキルは……君がこれまでに使ったことがあるものだけだ……」


「え……? 使ったことがあるスキル……?」

「そうだ……。それを使ってこの世界から脱出しろ。私のことは、気にするな……自分で何とかする」


 石化が首まで達する。

 先輩は最後に、動かなくなる腕で俺の背中をドン、と突き飛ばした。

 同時に、最後の魔力で発動した風魔法が、俺たち4人を魔王城から遠く離れた岩場へと吹き飛ばす。


「いいか、生き延びろ……。努力は……怠るなよ……!」

「先輩ィィッ!」


 遠のく視界の中で、完全に石像となった先輩を、大魔王ミーゴが満足げに見下ろしているのが見えた。


『フハハハ! 積年の恨み、晴らしたり! この石像は、我が城のコレクションの最上段に飾ってやろう』


 雨が降り始めた。

 俺の手には、ずっしりと重い青い手帳だけが残されていた。

 あの無敵の氷室先輩が、俺たちごときを庇って……負けた?


 冷たい雨が、俺たちの頬を打つ。

 遠くで響く大魔王の咆哮。


『残りの人間どもは……後でじっくり狩ってやる』


 その言葉が、死の宣告のように重くのしかかる。

 だが、俺の手の中にある手帳が、微かに熱を帯びている気がした。


『努力を怠るな』


 その言葉の意味を、俺はまだ理解していなかった。

 ただ一つ分かるのは、俺たちの、本当の残業たたかいはここからだということだ――。


(後編へ続く)

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