◆8 好きだったなんて後からじゃ知らない方がマシな事がほとんどなんで、自己満足で伝えるのは止して欲しい。
■ 煉獄鉄道共益費はツアー事業連と煉獄商会の双方より年次支払い済みとしており、個人に対しては無料開放を行っています。
心臓が止まるかとも思ったが、スケアリーフェイスに驚いている場合ではなくて。
浮き出しそうな路地の蓋を力ずくで抑えるイメージで恐怖を封じ込め、必死に思考を巡らせた。
それまでコソコソ付けていたのに、トロッコに乗り込んだ途端に隠れるのを止めた。
逆に自分が追跡者だとして、トロッコに乗り込まれて追跡に失敗したならば例え追い付ける走力があったとしても無理はせずに諦めるだろう。
「狙い通りに乗り込んだから出てきたのか?」
脇差しの柄に手を添えながら、小声で零した。
昨日と今日で抜刀術を集中的に鍛錬してきた。
デコピンの要領で力を開放すればそれは速く振れるが、後の隙が大きくなる。
狙うのも容易ではないし、酷い場合は慣性に腕を持っていかれたり、手からすっぽ抜けたりも。
そうした細かな弱点を一つ一つ克服していくのは、到底一朝一夕のものじゃない。
ろくに会得もしてないのにいきなり実践で良いのかと自問し、良きと自答する。
抜いて、構えて、切りかかる。
この状況でそのようにもたつく方がどう考えても不正解だ。
今抜くべきと判断したならば、この刃は瞬く間に目前の喉笛へと吸い込まれゆくだろう。
「私たちが乗るまで待ったという事? そうか! 路線の切り換えレバーですよ須智部君!」
背を丸めて小さくなった鉄丸氏を小さな体で隠そうとする阿良久佐管理者は、非常に緊迫した場面というのにやけに微笑ましくてならない。
ターゲットがトロッコに乗り込んだ後から凄まじい走力で追い越してレバーを切り換え行き先変更、仲間の懐へ送り込むという手口か。
斯く云うレバーはもうすぐそこにあって、並走者やはりそこに手を伸ばしかけようとしていた。
「やけに足が速いものの、小汚いブタ野郎を認知っす・・・そりゃ、斬るっしょ」
そうと言い終えた時には既に、大哉は横一閃に刀を振り切っていた。
血風混じりの追い風が吹いて、頬に生ぬるい飛沫がかかった。
レバーを操作する直前で打ち払われた追っ手は、脚を縺れながらにレバー土台との衝突を避け、かなり派手目に転げていた。
その首は繋がっているものの、あれでは全身打撲による重症は免れないだろう。
相手が咄嗟に避けようとしたのもあって、切れたのは左鎖骨辺りのようだった。
脇差しでなければ首元に届いたろうが、或いは大哉が無意識に浅く引いた可能性は否定できない。
「覚悟、決めてたつもりなんすけどね」
血の付いた刃を眺め、無心に呟いた。
今しがた初めて人を斬ったわけだが、さほど重い物に当たる感触はなかった。
掠めるほどに浅かったのではなくて、手応えとしては綺麗に刃先が入ったのだと思う。
流れやすい血の付着具合では傷の深さは読み取れないが、皮脂汚れは先端から横手筋にかけて万遍なく付着している。
どんなに浅くても7㎝以上は切り込んだはずで、殺意は十分に証明できる深さだろう。
刀身の血は空を切って振り払い、刃を鞘に納める。
汚れた頬を袖で拭いながらどっと大きく息を吐いた。
「まあ~、あのコケ方は下手すりゃ死んでてもおかしくねぇっすよねぇ」
そもそも殺す必要もないのだが、この仕事で今後もやっていく以上は早いところ覚悟を証明しておかねばならない気でいた。いざというときにやっぱり殺せませんなどと言おうものなら守られる側はさぞ不安だろうからして。
「もし、してやられてたらどうなったんだい?」
「そりゃ多分、大勢に囲われて一斉に袋叩きっすよ」
「そうか・・・。これが初仕事という割に躊躇なく切るから君の方がずっとヤバイのかと思ってしまったんだ、すまない。そして、守ってくれてありがとう」
不意の操作をされる事なく切り換えポイントを通過したトロッコは幅が狭く先も随分と長い鉄橋を渡り始めていて、ひとまず追っ手の心配はもう無かった。
下は一面マグマの海というのに、これを追うような命知らずは流石にブタどもにも居ない。
それよりもトロッコが脱線する事無く無事に鉄橋を超えてくれるかの方がずっと心配だ。
「このまま15分ほどガタゴトとマグマ渡りのトロッコ旅が続きますが、ネザーの溶岩湖についての案内を聞かれます? 大抵は足元から気を逸らしたいのに辞めて欲しいと言われるのですが」
「あと15分もこの熱気に晒されるんっすか!? 溶岩石プレート調理器もびっくりの生溶岩炙り鍋焼きツアー・・・何言ってんだろ俺」
溶岩湖上空の気温は、淹れたてのコーヒーの上に手を翳したときの熱感を全身に浴びたくらい。
その上ときおり更に熱い熱波がトロッコに殴りかかるように吹くものでとても荷台から上体を出しては居られず、一同は狭い箱の中で身を低くした。
鉄丸氏は完全に縁の下に隠れ、大哉は周囲を見回せるよう目元だけは出した。
阿良久佐管理者は頭半分と右腕を出さなくてはクランクを回せずにいた。この熱気を浴びながらに反復動作を繰り返すのは辛かろう。代わろうかと手を伸ばしかけたが、首を横に振って小声で「まだ休んでて」と言われてしまう。
「案内は結構だよ。というかよく知ってるとも。比較的粘度の低い玄武岩マグマがほとんどで、溶岩湖の岸部は六角形に整った玄武岩石柱群地帯が多く見られる、でしょう?」
「流石ですね! しかしこの先じっくり案内するような個所はなくなり、さて困りましたね。 あっ、良かったら歌いますか?」
「喉がガサガサに荒れてて辛いのに歌うとか正気ですか?」ときっぱり言われ、しゅんと削気る阿良久佐管理者だった。
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ときおり現れる断崖は自然の成す地形だが、此処では何も地面が盛り上がって出来たばかりではない。
闇の帳からぶら下がるかのような大壁が存在するのはネザーならではの風景だ。
それらの断崖を幾つも貫通はしたが、乗り場にあったような平坦な場所には一向に出られない。
このまま燻製に仕上がるまでマグマの大海は続くんじゃないかと絶望しかかった頃、鉄橋の終わりの景色は急に開けた。
東蚤の市の巨大神社がいきなり出現したときと同じ現象だが、こちらは生還を諦めかけたタイミングを狙うかのような意地の悪さを覚えてならなかった。
ネザーではうんざりするほどお馴染みの赤茶けた大地ではなく、黒灰色の土台が目に映って戸惑いを受けた。
「先ほど鉄丸様がお話してくださった玄武岩地帯です。ここから見ても断崖に綺麗な縦筋が走っているのがわかりますか? 玄武岩がゆっくり冷えると規則的な柱状節理を成すのですね」
「では、もう?」
「はい、成田空港は目前ですね」
脈絡も何もあったものじゃないが、何故か鉄丸氏と阿良久佐管理者は話を成立していた。
「炙り地獄の鉄橋の先は果てしなく見えたのに、思い返せばあっという間で・・・不思議な気分です」
地上の車移動が5分、マーケットでの買い物が5分、煉獄鉄道が15分。
確かに、接敵する緊迫シーンまでもあってこれが僅か25分ぽっちの出来事とはとても思えなかった。
「マグマの海から立ち上る熱と恐怖をものともしない程にその女性と離れてしまう事の方がお辛いのだとしたら、私まで胸がときめいてしまいそうです。当初は急な飛び込み依頼に困惑しましたが、ガイド冥利に尽きるお仕事を頂けた事、今では嬉しく存じます。その方が飛び立ってしまう前に、必ずや鉄丸様を成田空港に辿り着かせてみせましょう!」
回転力を速度に変換するカウンターギアはその分手元が重いはずだが、阿良久佐管理者はどこか楽しそうにクランクを引っ搔き回していた。
顔が赤いのは熱気で上せているのか、はたまた気分が高揚しているのか。
「正直なところ言わせてもらうと、俺としては鉄丸さんの行動は今更すぎると思うんだ。美味い飯を一緒に箸でつついたり、その瞬間でしか見られない景色を共有したり。どうしてそれを一つでも多く積み重ねて来なかったんすか?」
恋愛では何かと苦悩している大哉が説くのもどうかと思いながら、あえて知った風に口を利いた。
「僕自身もそう思うよ。彼女の才能に劣らない自分でありたいと言いながら、僕は本当に強くなろうとしていたのかな? 嫌がられたらどうしよう、断られたらどうしよう。そんな弱音を封じ込めて君が言うように誘ってみれば、今頃はどうなっていただろうか?」
「それは知らんっす。だけど・・・そんな小さな勇気も出せないでいた奴が、準備もやっつけざまにネザーから追っかけようだなんてバカでかい勇気を隠してやがったのは事実っすよ。底意地の強さだけはどうも本物っぽい。ただのウジウジ野郎なら女に追い付いても振られるのがオチだと思ったけど、ちょっとだけ期待してやらんでもないっす。ひょっとしたらコイツは、いざというときにはしっかりやり遂げてくれるタイプの割かしカッケェ奴なんじゃねぇかなって・・・!」
阿良久佐管理者の細腕を掴み、思わず手離した隙にクランクを奪う。
「だとしたら俺も、男として負けてらんねえなって気になるんっすよ。しっかり捕まっててくだせぇ。ラストスパート、飛ばすぜ? うぉりゃあああああああ!!」
ネザーの天井は蓋裏も見えない闇の帳。
大哉の怒号の叫びはこだまする事もなく吸い込まれて消えていくのだった。
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格子模様の天井から差すライトが磨き上げられたタイル床に映されて上も下もびかびかと眩しく、そこを大勢の雑踏が行き交い、四方八方からアナウンスが聞こえてきて、複数の言語がそこかしこに表示される。
この目まぐるしい情報過多空間で、30分以内に人を探すのは骨が折れそうだ。
とはいえ、人探しまではガイドの仕事ではない。
それでも目で探すぐらいなら手伝って良いとの気概ではあったが、鉄丸氏は探し人の容貌を伝える事もないままにニューヨーク行きの便の待合所へ走り去ってしまった。
「あれ? これ、もしかしてタクシーのタダ乗りみたいに逃げられたんじゃ?」
「その場合は、買ってもらった脇差しとデリンジャーを売り払いますか」
「初仕事で手に入れた記念品なのに・・・」
「冗談ですよ。損失の足しにもなりません」
ネザー内で出回る武器は安物ばかりだが、それでもツアー費よりは高くついている。にも拘らず阿良久佐管理者はこのように言う。
本当に逃げられてしまった場合の最も大きな損害は、利用客のサインを刻んだ売渡証書が無いとツアー事業の助成金を受けられない事なのだ。
通常なら受注の際に費用も前払いで領収と署名を交わすところを、今回は全て後回しにしている。
「うっぷ」
トロッコを全力で漕いだ後で、今にも胃袋がひっくり返りそう。
ときおり眩暈もするのは、乗り物酔いだけでなく軽度の熱中症も絡んでいそうだ。
こんな状態で、人波を掻き分けて鉄丸氏を探し出すなど御免被りたい。
大哉が一度は期待を寄せた鉄丸氏が不義理な真似をするはずがないと祈るばかりだった。
時刻は正午に差し掛かかり、渡航者はとうに便に乗り込んだ頃。
「ああ、良かった。ちゃんと戻ってきたみたいっす。どうでしたか? お会いできました?」
卵液の汚れを塗り付けられたよれよれのスーツを着た鉄丸氏は汗臭いのもあって通行人にも避けられ、見つけ出すのは存外容易かった。
それだけで警備員に取り押さえられたっておかしくない様相だが、実は襟元に点々と返り血までも付いている。他が汚すぎて気にならないのは不幸中の幸い。
夢へと踏み出す間際に不意に追ってきたのがこれだったら、女性はどう思うものなんだろうか。
心なしか鉄丸氏はくたびれ儲けのように肩を落として見えた。
「何だその汚い恰好は、とドン引きされたよ・・・」
何にせよ、ちゃんと間に合ったならばガイド冥利としては万々歳だ。
「それで、何て言ったんすか?」
「ネザーから来たもので荒んでるのは勘弁してくれと言った後で・・・君が帰国したらちょっとした旅行にでも行かないかと誘ったんだ。良い景色を眺めながら、何か美味い物をご馳走させてもらうよって」
「俺の言葉、丸パクリっすか。まあ良いけど」
「どんなお返事を!?」
手を組み合わせ、瞳を潤ませ、前のめりに訊ねる阿良久佐管理者。
普段はおっとりしているようでも実はゴリラと血を分けていて恐ろしく強いとの噂だが、やはり女たるもの恋バナは好きか?
またも彼女の全容が掴めぬまま、属性ばかりが増していく。
「約束がある分、私よりはマシだ。せめて待たされる側の気分を味わえ・・・とさ」
「は? そりゃ聞いてねぇ! って事はあれか? ニューヨークに行くことを伝えなかったのって、未練を精算するためとかあったんじゃねぇの!? 男も女もどっちもウジウジしやがって、こりゃあアンタらお似合いだわ・・・クッソ人騒がせだけどな!」
思わず顧客であることなど忘れて罵倒してしまった。
委縮する鉄丸氏の眼前に手を翳し、「そんでもまあ、やっぱしやってくれる奴ではあったよ」と大哉なりの称賛を送る。
やや戸惑いを見せながらも、鉄丸氏は大哉の手をしっかりと打ってくれた。
「ありがとう。大哉君は本当に僕の救いの神だったよ!」
この手は今日しがた血に塗れたばかりだけども、鉄丸氏の歯痒くも幸福そうな面持ちを見れば汚れ仕事にも遣り甲斐は見出せるのが唯一救いかなと思えるのだった。
編集内容。
鉄橋の支柱になるような地形の描写を差し込みました。
いかにマイクラの二次創作とはいえ、オースレン橋(デンマークとスウェーデンを繋ぐ)に相当する長さの巨大構造物に支柱が無いとなると、ローファンタジーから外れてしまいますので!




