◆6 ほんの4~5時間放置しただけで「素敵な彼が出来ましたのでアプリ辞めます」って何なんだよ
■トロッコ利用中の事故(襲撃含む)に関して、煉獄鉄道グループ各社は一切の責任を負いかねます。
結局その後は飛び入りのツアーが入ってくることもなく二時間ほど素振りして帰宅した。
刀に慣れないのは剣士として無性に悔しかったのでもっと時間取りたいぐらいだったが、ネザーの暑さに耐えられずギブアップした。
本日の出勤地は、面接とオリエンテーションの会場だった例のスポーツジムの店舗先。
そこで栗原先輩と顔を合わせ、スマホを出して勤怠管理アプリを起動し出勤アイコンをタップした。
"FITNESSGYM 踊る鉄アレイ"
荒川区の日暮里駅からほど近くという好立地にあって会員数も常に上限に達しっぱなしの人気ジムだとか。
元々は栗原先輩とゴーレン氏、それと阿良久佐管理者のお兄さんとで数多のトレーニングマシンを共有しあっていたところに他のトレーニーたちからも利用の申し出がされた事に始まり、予約の管理を委託業者に預ける流れで開業されたものなのだという。
紹介による営業フリーランスにて運営されており、舞倉商事とは姉妹経営という形をとる。
ジム内のPCはツアー事業のメインアクセスポイントにも使われているが、舞倉商事の実際の本社は阿良久佐管理者のご実家という事になっている。
アクセスポイントは各々のスマホを活用してもよく、ツアーを受注次第すぐにツーマンセルが組める準備さえできてさえいれば待機中は割と自由があった。
また舞倉商事自体は取締役兼管理長なる肩書きをした阿良久佐ノギ殿という人物の手中にある。
すなわち阿良久佐カヤ管理者の実のお兄さんその人である。
「誰よりも勇敢な剣士だった。そんなノギ君が毎日欠かさずやってた剣術トレーニングがこれだ」
片手に引っ提げていた中サイズほどのビニール袋を寄越す栗原先輩。
何かと思い覗いてみると、リールの付きの釣り竿と、アクリル台座付きのセロハンテープ、1パック10個入りのSサイズ生卵が入っていた。
「あ、俺これわかりますよ。卵の底に画鋲で小さな穴をあけて、伸ばしたゼムクリップを差し込んで中身をかき混ぜるんですよね? そんでセロテープで穴を塞いでからしっかりハード目に茹であげたら、ゆで卵がマーブル模様になるってやつだ!」
「生憎と画鋲とクリップは入ってないな。釣り竿は何のために入ってるんだ?」
「ゆで卵だけじゃ寂しいから、何かもう一品自力で調達してこい的な?」
趣味は剣道一筋だったので釣りの経験なんてさっぱりないが、普遍的にイメージを持っていたフッキング動作をエアーで演じて見せた。磁石で玩具の魚を釣り上げるテーブルゲームなら昔友達の家でやった事があるのだが。
「そうか。ところで俺、ちゃんと剣術トレーニングだって言ってたよな? いや、別に責めてはないんだ。俺も言ったかどうか不安になってきたから聞いてる」
「あーいや、てっきりトレーニングで腹減ったら食えって意図の差し入れかと」
「んなわけねぇだろ・・・ 生卵を宙吊りにして、抜刀から動きを淀ませる事なく且つ正確に小さな標的を斬るトレーニングだ。初級は静止でやってみて、中級では揺らしてみろ。糸に棒を添えると間接が出来て予期しない揺れ方をするぞ。上級はうずらの卵に切り換えるんだ」
「どうしても生卵っすか? 別に丸めた紙とかでも」
このパックを使い切ったらどう補充しろと言うのだろう。自分で買うのなら経費申請はさせてもらうつもりだが、正直あまり申請が通る気がしていない。
せめて代用のものがあれば経理の裁量を訝しむ事もないのだが。
「脆い生卵でなくては切る技量が疎かになる。ただ当てただけじゃ叩き潰してしまうんだよ。これをちゃんと切れない様ならお前の武器は鉄パイプで十分だろうな。抜いて当てる感覚を掴むまでの入門の段階なら紙くずでも鼻くそでもなんでもいい」
「パイセン、鼻くその難易度は特級に相当すると思うっす」
「因みに、会社の指示で訓練を言いつけているわけだからちゃんと経費申請は通るが、必要以上に経理を圧迫することはお前自身の為にならないぞ。仕入れは安く抑えろ。もちろん盗み食いも厳禁だ」
「下にこうシートとか敷いて、訓練に使って割れた卵を綺麗に回収できたら?」
「流石にそれは好きにしていいと思うが、マジで言ってんのかお前・・・」
「これにはヴィーガンもにっこりっすよ!」
「無駄にしないのはとても偉いと思うが、あの界隈の連中は動物由来の物を食材とすること自体NGだろ」
「ところで阿良久佐管理者のお兄さんは、どういうタイプの剣士なんすか? 剣道的よりかは実践剣術寄りなのはそうだと思うけれど、そこから更にホラ、切込み型・身躱し型・捌き型・翻弄型・計略型とか色々あるじゃないっすか」
剣ひとつ扱う姿勢でもざっくり幾つかの性格が思い付かれるが、試合じゃあるまいし補助武器を使ったって良いのだ。実践剣士の個性はそれこそ無限に広がる。
「それで言うならノギ君は、ガンガンの切込み型になるだろうな」
「おおっ、居合いの達人とか? だからこんなトレーニングを?」
「いや、ノギ君の獲物はロングソードだ。いきり立ったら背中の剣を掴みながら半狂乱気味に斬りかかって行く。例え抜き損じてもそのままタックルに切り換えて一撃を搔っ攫う意気地があった。とはいえな危っかしい状況を減らすべく、そのトレーニングを取り入れる事にしたってわけだ」
人格そのものが随分危なっかしいようだが、それを口に出してはとても言えない。
「ああ、そういえば此処のジム開業に関わったゴリラのうちの一匹でしたっけ」
先輩の頬がぴくっと攣ったが、もしやこっち方のが酷かったか?
ゴリラいじりは以前にもあったから多分問題ないと思ったのだが。
「一応社長なんで、うちで一番偉い人だからな? ついでに言うと俺も上司な?」
「ツアーのダイヤ表みたいなページをスマホで見てたんすが、そこにはその人の名前が無かったっすよね? 管理長ってのはあんま現場出ないもんなんすか?」
「ノギ君は・・・」
しれっと話をすり変えてみたのだが、幸い引き戻される事はなかった。
それどころか不意に言葉が詰まる風なものだから小首を傾げた。
「・・・先々月のツアー巡行の最中に消息を断ったっきり行方不明なんだ。前にカヤの奴が困ってるって言ったろ? 此度の人材急募も自社内で捜索の手を増やしたかったが為だ」
「・・・・・」
天下の往来で立ち聞くには衝撃すぎる事情に、何を言っていいか全くわからなかった。
「ネザーに関わるなら誰しもすぐに耳に聞くだろう一大闇組織、"2バウンティ2トラヴェイル" 2B2Tの奴らに襲撃されたんだ」
二つの賞金首と二つの苦痛。
悪どさ満載のその名に恥じず、地上社会にまで度々憂鬱なニュースを齎す連中だ。
個々でも十分に劣悪な小汚いブタどもを纏め上げるその時点でもう、数多の天蓋突き抜けて腐りに腐りきった組織だと容易に知れよう。
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「今すぐ僕を成田空港まで案内してください! 正午の便で幼馴染が飛び立ってしまうんです!」
トレーニングでくたくたになり、バックヤードで一息吐こうと踊る鉄アレイ倉庫側の裏口に回ったら、直談判の客が詰め掛けた場面に遭遇する。
南日暮里公園の公衆トイレにあるゲートは、雷門のゲートのようにマーケット直通ではないタイプだったので赤林檎ガイド単独でも通行可能だ。
ただし地雷原と断崖に囲まれた荒野ばかりで何処かへと続く道はない。ツアー業者の訓練場所に丁度良く出来ていて、他にも数人鍛錬している人影を見かけたりした。
開けた扉の死角で応対している小さな影はミン君かなと思ったが、ルーズサイドテールに纏めた亜麻色の髪がちらっと見えたので阿良久佐管理者のようだった。
「大変お急ぎなのはわかりますが、どうか落ち着きなさってください」
「落ち着いてる間なんてないんです! 正午まであと1時間しかないんですから!」
千葉の成田空港は、高速道で1時間ちょっとかかる。
ジャスト着では飛び立つ飛行機を見送るしかできないだろう。
利用客はツアー業者予約アプリなる便利なものを駆使すれば直接業者を訪ねる必要は無いはずだが、『今すぐ』という要望には応えられるものではない。
例えばこの依頼を大哉と阿良久佐管理者のツーマンセルで受諾したとして、大哉の刀は今は南日暮里公園ゲート内のロッカールームに入ってる。
地上に武器類をそのままでは持ち出せない以上、特別な資格のある運送業者に梱包を頼んでネザー側へと運び込んでもらう必要があるので最低でも30分は猶予が欲しいところ。
阿良久佐管理者も冷静な口調でそのように説明するのだが、「ネザーのマーケット内でも武器は入手可能でしょう!? 僕が購入させて頂きますので! 何卒!」と引き下がらない。
「確かに、それなら問題ないんじゃないっすか? どのみち今の俺は金剛輪切丸じゃなきゃ己の真価を引き出せないなんてレベルには達していないし、阿良久佐管理者に到っては元より徒手空拳がメインなんすよね?」
話に割り込んで行くと、阿良久佐管理者がぎくりというように大変わかりやすく顔を強張らせた。
「須智部君・・・ 丁重にお断りしていたのに、そんなこと言ったらお客様がその気になっちゃうじゃないですか。私とペアを組むのは陣形をきちんと理解したアシスタントガイドじゃなきゃ不都合が生じるって拓海君から聞いてなかったの・・・?」
拓海とは誰だと困惑が生じた。
栗原パイセンの下の名前じゃないかと思い出すのに5秒かかった。
「あ、そうだった。やべ」
その言葉で栗原先輩に落ち度がない事は伝わったろう。
「ありがとう青年! 君は僕の救いの神だ!」
スーツ姿をした依頼人の男は大哉の手をがっちりと取ってぶんぶんと振るので、まだ刀に慣れない上腕に響いた。
それまでもずっと竹刀を振り続けてきたので運動不足では無いが、重さが全然違うので未だ調整に苦悩している。
阿良久佐管理者は額を抑え、半ば呻くように言葉を発した。
「須智部君、これは責任重大だよ・・・ 胃腸の覚悟は大丈夫かな?」
「何故に胃腸? 俺、フードファイトでも参加させられんの?」
「お客様も道中はお覚悟を。早急にとのご要望に応えるためでもありますが、どのみち成田方面へ向かうには煉獄鉄道を利用せざるを得ませんので。トロッコといっても自転車ほどの速度で、羽田空港内はゲートが存在します。今すぐ出立したとして、このツアーの推定所要時間は緩めに見積もって30分になります」
巡行ルートの解説すらもやや早口になっていて、阿良久佐管理者はとうに覚悟を決めたようだった。
「どんな悪路だって乗り越えますとも! ここで一声もかけられずに行かれてしまったら、僕はきっと一生後悔する事になるから!」
拳をぐっと握り締め、つらつら語る姿には何かドラマ性を感じなくもない。
だがまだ油断は禁物。
どうしてこんな直前も直前になって焦り倒しているのやら、疑いを晴らす要素はないからだ。
件の幼馴染から別にこいつには知らせなくて良いかと軽んじられてたか、はたまたは予定管理もろくにできない怠惰野郎か。
しかし詮索は相手も嫌だろうし、大哉としても得は少ない。
どのような輩でも、利用客とあらば自分は身を盾にして守り通さねばならないのだから。
真実は知らぬが吉というもの。
「わかりました。こちらのジムの機材搬入に使っているワゴン車で申し訳ありませんが、まずはこれで近場のゲートに移動します。私が受領手続きしてる余裕はありませんね。須智部君、ミン君に連絡を取って予約の枠を埋める処理をお願いしてください」
二日目にして既に事務を任され始めているミン君が有能すぎて怖かった。
運転はもちろん阿良久佐管理者で、お客さんは助手席に。大哉はプロテインの箱で溢れ返った後部の部屋に乗り込んだ。
「本当にありがとうございます。私はしがない会社員の鉄丸悠征と言います。その幼馴染とは小学校からずっとの付き合いで、彼女は才能ある服飾クリエイターなんです。くだらない冗談が大半ですが、まめに連絡を交わす仲ではありました。だけど正直生きる世界が違っててその活動ぶりをしっかり把握はしきれず・・・ お店を開くためにニューヨークに移住するだなんて、友人伝いに聞くまではつゆと知り得ませんでした」
「・・・・・」
知らぬが吉と事前に落とし込んだのに、まさかの自分から語り出すとは。
ミン君のアドレスの通話アイコンをタップし、呼び出し音を聞きながら白目を剥く大哉だった。




