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◆5 小汚いブタ(♀)という選択肢についてどう思う?


■不法入国者には強制退去の行政処分が科される他、拘禁刑或いは罰金刑の対象となります。


「なあ知ってたか? ネザー内に、天国があるんだぜ」


 "東科・裏口キャンパス"というマーケットにて、道の駅風の休憩施設に入場した一行は、エントランスの二重扉をくぐるなり皆が一様に恍惚の表情を浮かべた。


 全く平然としているように見えていた管理者クラスの二人も、さすがに冷房の利いた空間に入れたら気が緩むようだ。


 「電力機器のパフォーマンスがガタ落ちのネザーでも、冷房って使えるもんなんだな」


 胸倉を引っ張り、胸元をはだけさせて手でぱたぱたと風を送る霊舞。

 女の子がはしたない、などとは言ってられないか。

 外側は涼しくなっても深部の熱がなかなか抜けきらず、許されるなら大哉だって今すぐ裸になりたいぐらいだ。


「それは、熱帯諸国でもそうなんだからネザーとかは関係ないよ。灼熱の外気に更に熱を押し付けたり、逆に極寒の外気からも熱を奪ったり、熱交換ってすごい技術だよね」


 頭上の業務用エアコンを神かのように両手を広げて天を仰ぐミン君がいた。


「ってか自販機! もしかして、あれってちゃんと冷えてんのか!?」


 家から凍らせて持ってきたはずの茶がほんのり温まった飲み物で大哉はここまでの道のりを凌いできた。

 霊舞などスポーツ飲料を持ってきたせいで酸味の薄いホットレモネードになってしまったと酷く嘆いていた。


「ああ喜べ、しっかり冷えてる。ただし恐ろしく高けぇけどな」


「全然買うっすよ、そんくらいネザーでホットティーを飲むのはつら過ぎた!」


 そう言って意気揚々と自販機に駆け寄ったのだが、さすがに350㎖缶で1000円の表示を見た瞬間は迷いが生じた。500㎖ボトルに至っては1200円だ。


 それでもコーラのお馴染みのラベルを見たら、もう体が欲して仕方なかったので構わず購入した。

 取り出した缶の冷たさはまるで氷のように感じられたし、乾いた喉に染み渡る炭酸の刺激はこうも遠慮を知らないものだったかと狼狽した。


「くぅー! こりゃ最ッ高だぜ! おふっ・・・ゲフッガハっつあ!」


ワイズヒー( why's he) マジデ何デ、アンナニ煩イン?」

 筋肉の急激な冷却と粘性の高い砂糖水でお約束のように咽っていると、ゴーレン氏が先輩に俺の悪口を言っているのが聞こえた。


「あれを見るとアタシも飲みたくなるが、さすがに高けぇなぁ。寂しい懐具合を思うとあいつみたいに衝動的にはなれない」


「あれを見たら何かヤバイ成分が入ってんじゃと怖くねえか? まあ、それだったら少し先の佃野町(つくのちょう)ゲートまで我慢すれば地上の自販機で安く買えるぞ」


「どこだよ、全然知らん地名を出すな」


「ゲート自体が大抵わけわからん場所に存在すんだから俺に文句を言われてもな・・・」


「今が目黒の東科大あたり。マーケットは裏市場とかってシャレの利いた地名が多くあるんだけど、それにしても裏口キャンパスは酷くないかな? 佃野町は横浜だね。横浜と言っても赤レンガ倉庫まで地上ではまだ数キロあるんだけど」


「東蚤の市のときも距離とか教えてくれてたけど、なんでミン君は日本の地理に明るいん?」


 缶を逆さにして最後の一滴まで飲み尽くしたい大哉は大きく仰け反りながらに質問した。


「地上とネザー内の座標に関わる法則を読み解いて、ツアー業者の観光ルートを考案する仕事に携わったことがある。あんまり稼ぎが良くなかったし、頭の中に出来上がったネザーマップを活かさないのは勿体ない気がしたし、ちょっと前にも言ったようにこちら側にだけ存在する特殊なバイオームには興味が尽きない」


 小柄で肉付きも凡庸なミン君がガイドを務めるのは酷なのではないかと思っていたが、それを聞くとなるべくしてなったような気もした。


「同行する管理者クラスが居るからと気を抜くな。いつ何時はぐれるような事があるかもわからんのだから、ネザーの地形をしっかり覚えておくに越したことはないのさ。管理者クラスへの昇進を目指すならばむしろ必須だぞ」


「だから縁起でもない事を言うなってば!」とぷりぷり怒る霊舞の背後に、ぞろぞろと人影が蠢く。


 マーケットというか、まさに道の駅の物産店そのもの様相をした店内でウィンドウショッピングを楽しむような人影は少なかった。


 大抵の人が、壁際やベンチ周辺で半ばぐったり休んでいる。


 東蚤の市のようにマーケットとゲートが同じ座標にはないから、此処でしっかり休む事ができないと地上に出るまでの道のりが一層険しくなる。

 オツムの弱い大哉ですらそのことは理解したが、世の中には本当に後先を全く考えない輩が居る。


 人前で素肌を大胆に晒すような女がいればもうそれ一直線。

 こうも直情的なのはある意味羨ましくもあった。


 なんだかんだで大哉は案外不安症なのだ。

 剣道を続けるために、先を憂うより今を歩めと自分に言い聞かせて来たのがその証拠。


 マッチングアプリで女探しをしていても怪しいと感じたら迂闊には飛びつかず、おかげで美人局(つつもたせ)には遭わないものの収穫も得られなかったり。


 心はチワワのように常にプルプル震えているのを、剽軽さを演じて隠しているに過ぎない。


「おたくらガイドさん方ー? 此処は涼しくて天国みたいに最高だけど、実は俺もっと気持ち良いとこ知ってんだよね。特別におねーさんだけ連れてってあげようか? ギャハハ」


 本物の下種はやはり一味も二味も違うなと、その一言だけでよくわかった。

 霊舞を囲った三人組の男は皆若く見えた。下手すりゃ十代かもしれない。その後ろにはケバめな化粧をした若い娘もいる。


「ガイドのネームプレートはないっすね。どっかの業者の世話になってるお客、・・・にも見えねぇけど」


 となると早速ブタどもが沸いてきたのかと、いつでも刀を抜けるよう構えた。


「手配書の覚えはねぇ。テレポートマン、またの名を不法入国者だろうな。ゲート警備員の目を盗んで勝手に入り込んでる悪ガキどもだ」


 不法入国はネザー側で取り締まられる事案だから、厳密に国外逃亡犯罪者には該当しないか。

 とはいえこちらには少年法も無いし、ブタどもと同族に見做しても何ら大差ないのが哀れみを誘う。


 日本刀を振ったことのない大哉に居合い術の心得はない。

 相手の出方に対処するにしても、まず抜き身にして正面に構える必要があった。


 鞘から三分の一ほど刀身を現したところで「抜くな抜くな」と霊舞の静止を受け、戻すことも出来ずに動きをぴたりと止める。


「生憎と私は今この瞬間もオシゴト中なんだ。せっかくの誘いだが、そこのゴリラみてぇに怖ーい上司に見張られてて駄目なんだ。ただのゴリラならバナナとかで撒く手もあったろうが、銃を扱えるように訓練された特別な個体でな」


 娯楽に飢えた若者に、この返しはなかなか覿面だった。

 場に爆笑の渦が沸いたその隙に、霊舞はすんなり包囲をすり抜けてこちらに合流した。


「ぶあっはっはっはっ!」と大声で笑っていたら、「さっさと鞘に納めろ」と怒気混じりの声がして脳天にチョップを食らった。この暴力には間違いなくゴリラ呼ばわりの憂さ晴らしが入ってる。


 しかし今度は「いいや、抜くべきなんだよなぁ」と、悪ガキどもの方から呼び掛けられる。


 発言した連中のリーダーらしき男は、妙にべた付いた髪質でいかにも陰湿そうな顔をしていた。


 強面ではなく家で引き籠りでもして親を困らせていそうなタイプだが、令和の不良として見れば納得できなくもない。


 懐から拳銃のグリップ部分をちらつかせて無暗に闘争心を煽ってくるのがまさにガキだなと思った。

 ネザー内では銃も容易に入手可能ゆえ、どうせモデルガンだろうと気休めの言い訳は効かない。


「ちょうど良いから、銃を持つ相手への最適な牽制手段を教える」


 高い位置から声がしたかと思うと、頭の脇から極太の腕が伸びてきた。


 相手の方に銃口を向けたショットガンがその手に乗っていて、預けるように放られたので慌てて両手で受け止めた。


「至極単純に、お前も持てばいい。動きの邪魔なら小銃だって構わない。射程距離というアドバンテージを相手だけに与えなければ、そこからは性能比べだ。銃そのものの性能とそれを扱うプレイヤースキルを掛け合わせた複雑な勝負に持ち込まれる。人より武道に長けていれば案外それだけで有利かもな」


 ショットガンの重みを両腕に感じながら、確かになと思った。


 先に打たれた場合はどうしようもないだろうが、こちらが打つとなれば色々と考えが沸く。

 人の体がどのように動作し、どこに隙が生じるか。どの程度の瞬発力を引き出せるか。動体視力と反射速度の限界は?

 体感的に覚えがあるだけでも起こり得る展開が幾つか想像できた。


 尤も、ショットガンの扱い方が全然わからないので現状では一方的に打たれるしかないのだが。

 素人が不用意に撃ったら反動で肩を脱臼するとか聞いたことがあるし、安全装置みたいなのがどこかにあるはずだから多分引き金もろくに引けない。


「おおお、俺ら使ってレクチャーしてんじゃねえぞ! 先に撃った方が勝ちに決まってんだろ!」


 銃口を向けられた相手方はあからさまにビビり散らかしていて、ただのハッタリとしても十分に有効なのはよくわかった。


 リーダー格の男が懐から拳銃を抜く。

 すかさず真正面に構えてくるものと予想したがそうはならず。


 横手から振り下ろされたピッケルの鎌首に引っ掛けられ、銃口をこちらの足元より上に向けられずに押さえつけられてしまうのだった。


 ピッケルの柄を手繰ってリーダー男の耳元に顔を寄せた霊舞が囁くように喋りかける。


「先に撃った方が勝ちなら、今頃蜂の巣だったろうな。生かされたお情けに感謝ができるなら、さっさと地上に帰って更生するこった」


 どうやら知らぬ間に相手に情けをかけていたようで、不自然にならないようにそれっぽくショットガンの銃口を地面に下した。


 直後に霊舞はピッケルを更に押し込んで振り切り、絡めていた拳銃を引っ手繰ってタイル張りの床に滑らせた。


 振り切った後の位置を変えず体の向きを反転する体運びが実に流麗で、洗練された運動神経が垣間見えた。


 人体を一切傷付けずに拳銃を無力化する活人技法には思わず見惚れ半分戦慄が半分だった。


 リーダー格の男が膝から崩れ落ちると、取り巻きたちは震えながら立ち尽くしていた。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 赤レンガ倉庫の名称は地上に由来しただけで、マーケットの様相はほぼアーケード街のそれだった。

 これを遠目に見たとき、そもそも巨大な空洞に存在するネザーというのにアーケード天井の存在意義は疑われた。此処では雨など降らない。

 近くに来ると成程頭上の照明のおかげでここいらは明るいのかと納得ができたが。


「みなさーん、研修おつかれさまです。中には初ネザーの方も居ましたが、どうでしたか?」


 マーケットの入り口に入ってすぐ阿良久佐管理者の出迎えを受ける。

 差し入れに手渡されたミネラルウォーターはひんやり冷たくて、きっと此処は東蚤の市のように近くにゲートがあるんだなと考えつくようになっていた。


 さっそくがぶ飲みにして、蘇りの儀をまずは果たす。


 口元から垂れた水を腕で拭いながら、うーんと唸り声を発した。


「暑くて死ぬわー! とか、治安最悪だろー! とかのシンプルな感想もあるんすけど、俺はとりあえず早く日本刀の扱いに慣れたいなと思いました。あと、せめてモデルガンくらいは持った方が良いかもしれないなって」


 ハッタリでも牽制効果は十分だし、正直扱いも良くわからないのでモデルガンだ。

 それに、実銃に頼ることは剣士としてのプライドが許さない気がした。


「今日は研修ツアーのみの予定だったので皆さんの初勤務はこれで上がってもらうつもりでしたが、ツアー受け付けの待機時間という形で継続されます? ネザーでなら思う存分刀を振ることができます! 所定労働時間は超えないので残業にならなくて申し訳ありませんが、もしツアーが入れば基本給以外の報酬も得られますよ!」


 自己の提案に前のめり気味の阿良久佐管理者だったが、栗原先輩が首根っこを後ろから掴んで引き戻した。


「誰が付き添うんだよ。俺はこの後ツアー予約入ってんぞ」


「鍛錬には冷たいお水が必要でしょうし、お体に異常が出るような事があればすぐに地上の病院に駆け込まねばですし・・・ 此処のゲートを利用するなら誰か管理者クラスが居なきゃなりませんか」


 しばらくスマホが使えなかったのでチェックをしたかった。佃野町で自販機目当てに一瞬だけ地上に出られたが、大哉の古いスマホは熱にやられてフリーズしており動作復旧する間もなかった。


 しかしそれぐらいしか今やりたい事も無くて、阿良久佐管理者の提案は悪くないと思えた。


「今日復帰シタバカリノ俺様ガ妥当ダロウ。トコトン付キ合ッテヤンヨ、ベイベー」


 栗原先輩にツアー予約があるということはもう一人アシスタントガイドが駆り出されるという事。この後ツアーが入った場合の話もしていた事から今日入ったばかりの新人を使う手が無い事はないだろうが、利用客の安全を思えば適切ではあるまい。


「基本給だけでも、アタシは少しでも多く稼ぎたい!」と霊舞も継続を望んだ。

「熱気はもううんざりだから地上には出たいけど、ツアーの予約受付ならやってもいい。電話応対のマニュアル資料とかあります?」とミン君も協力的だった。


 付き添いの管理者クラスが阿良久佐管理者でないならいいやと心の片隅で思っていたのは秘密にして、給料をもらいながら真剣の鍛錬が出来るのは大変有難いものと受け止める事にした。



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