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贖罪の巫女  作者: 希主果
第1章

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8/19

〜覚悟の見せ方〜

「伊織!」

 

 闇夜に響く甲高い声、これだけの大きな声を出したのはいつぶりだっただろうか。拐かしにあった時も桔梗に裸体を見られた時も動じる事は無かった。

 もしかしたら、これが初めてなのかもかもしれない。それ程に紬は取り乱していた。


 艷やかな黒髪とスラリと伸びた四肢が目を引く長身の娘。その立ち姿は普段と変わらず気品に満ちている。

 間違いない、紬の幼なじみでお節介がたまに瑕のあの娘だ。纏っている光沢のある白衣は絹製だろうか、舞台を照らす灯りが正反射して今日は一層美しく見えた。


 紬の声に気付いた伊織は言葉は一言も発しなかったが、代わりに慈愛に満ちた表情で紬を出迎えてくれた。


 《何故この娘があの場で立っているのか?》


 周囲の人間はこの娘に当然気付いているようだが、誰もこの話題を口にせず、周囲は驚くほどの静寂に包まれていた。

 これは紬を含めた全員がその理由に気付いている事を意味しているからだ。


 《皆その言葉を発するのを恐れている。》


 本当なら今すぐ駆け寄ってあの娘を拐って逃げ出したいところであるが、予想が正しければこの国に逃げ場など無い。その素振りを見せただけでも死罪に値する、そもそも一人ではまともに歩くことの出来ない紬は赤子以上に無力であった。

 感情の行き場を失った紬は伊織を直視する事が出来ずに視線を逸らしたのだが、その先であの無愛想な漢がこちらに目配せをしている。

 もちろん、その相手は紬では無い。見上げたその先には真剣な眼差しで応える桔梗の姿があった。


 「我が名は蘇防。この度は大皇の勅命で馳せ参じた次第である。」

 

 漢の立ち居振る舞いには威厳と風格に満ち、戦場で勝ち狼煙を上げると武将と見間違える程だった。群衆の大半は一瞬で彼の演説に惹き込まれてしまった。


 「本日の神託の儀において大皇は《伊邪那岐大神》の託宣をお受けになられた。今この時をもって大皇の内親王《斎王》は彼の者が継ぐ事となる。」


 蘇防の告げる残酷な宣告。《斎王を継ぐ》とはすなわち死を意味する。

 今年最後の祭祀である贖罪の儀において、《斎王を継ぐ者》がかつて初代が行ったように国の安寧を願いてその身を捧げるしきたりとなっている。


 「どうして伊織が......、」


 何とも身勝手で傲慢な発言だ。これまで幾度となく通り過ぎた月日の中で散った花たちの名も碌に覚えてもいない小娘が身内に近しい者達に危険が迫まった途端に手のひらを返して騒ぎ出すのだ。

 だがそんな事は知ったことではない。名前も知らぬ者たちに同情できる程、私は感傷深くない。第一、今日生きるのにも精一杯は者が他者を顧みるなど愚の骨頂だ。


 「桔梗様、降ろして頂けますか?」


 「あっ、あぁ。」


 《身の毛もよだつ》とは正にこの事だ、桔梗は不覚にも若干十七歳のこの小娘に怯んでしまった。

 先程迄見せた今にも崩れ落ちそうな弱々しく華奢な娘はもう何処にもいない。血の気の引いた顔色に落ち窪んだ眼窩、痩せこけた頬には生気をまるで感じさせず、ただ光沢の無いマットな瞳孔だけが桔梗を捉えていた。

 一言も発することの出来ない桔梗は音も立てずに丁重に紬を下ろしてやるとそのまま3歩下がって辛夷と肩を並べた。


 「若、どうなされました?」


 「あれが本当に何も知らぬ卑しい生まれの娘か?あの胆力と放たれる気迫、正に伝え聞く斎王そのものではないか。我は夢でも見ているのか。」


 桔梗の言葉に辛夷は何も返すことが出来ず、ただ黙って唾を飲み込んだ。


   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 ここまで体を休められたのは本当に正解だった。失ったかと思われた感覚は嘘のように元通りになっている。おそらく桔梗の腕の温もりが良い作用を与えたのであろう。

 辱めを受けたと只々恨んでいた紬であったが、これからは《少し恨んでいる》に訂正してやる事にした。


 いや、それよりも先にする事がある。逆らえば斬首、だがこのまま何もせずには終えられない。

 

 「蘇防様、どうしてこの娘にこのような重責が務まるとお思いになったのでしょうか?」


 歩み寄る紬に珍しく動揺の色を見せる蘇防。覚悟を決めた娘にはこの機会を逃すつもりは無いようである。


 「私もかつての斎王と同じ十七だ。見た目は貧相で痩せぎすだがこれでも神に仕える身、饗し方も心得ているし、この娘よりよっぽど適任だと自負している。」


 「そう、私こそ《斎王を継ぐ》に相応しい、あなたもそうは思いませぬか。今からでも遅くありませぬ、神託など所詮は空虚な根拠なのですから。」


 「そなたは神々の選択を愚弄する気か?」


 強まる語気、だが流石は蘇防。小娘にここまで言われても取り乱す事は無い。一定の冷静さはまだ保つことが出来ている。


 (やはり駄犬とは一味違うな。)


 「申し訳ありません。ですが得られる筈の神託を自分達の思惑通りになるよう企てるのも充分それに該当すると思うのですが、如何ですが桔梗様?それとも殿下とお呼びした方が宜しいでしょうか。」


 朔風が吹き荒び木の葉を薙ぎ払う音は雑踏のザワメキにかき消されてしまった。


 「ふふふ、本当に面白い娘だ。そうだな、我の事はこれまで通り桔梗で頼むよ、風呼びの巫女殿。」


 何とも不敵な笑み。そこに動揺の欠片は見られず、とてもじゃないが隠し事がバレた焦りは微塵も感じられない。


 「ちょっと、紬。どういう事よ?主役の私を差し置いて勝手に話を進めないでよ。」


 当然の反応だ。こいつの性格上、お国の為にと不退転の覚悟でこの場に立ったのだから、こんな形でケチを付けられてはたまったもんじゃない。


 (私なら明日から暫く外を歩けないな。でも言うべき事は言わねばならない。)


 「まず、この方々の素性については疑う余地は無いと思います。そこにおわすは親王殿下、いや桔梗様とお呼びした方が良ろしかったのでしたね。」


 「あぁ......、その通りだ。いつから気付いていたんだい?」


 「薄々とは......。政教分離、そもそも太政官は基本、祭祀には参列出来ません。参列出来るのは止事無き血筋の方々のみ、そうだったですよね。」


 「あぁ、そうか、確かにその通りだ。だから今日は陛下を説得するのに結構苦労したんだよ。」


 「次に蘇防様がこの場にいらっしゃる事です。今日は大祭です、止事無き血筋の方々が途中退席出来るような祭祀ではありません。

 どんなに早く終わって早馬を乗り継いだとしてもあの時間にはこちらにお越しになることは出来ない、つまり元々代理で宮中に出向いていらっしゃらなかったということになります。」


 「祭祀を司りしご身分、代理を立てれば済むようなお立場の方で無いとすれば大皇直系の血族、その若さでそんな身分など親王殿下と考える方が自然ではありませんか。」


 「なるほど。いや、それで充分だ。」


 「殿下、感心している場合では御座いませぬ。」


 (あの蘇防が珍しく動揺している。あの時、目配せしていたのが決定打だと言ったら卒倒するだろうな。)


 「そしてこれからが本題です。本当は私が《斎王継承》の最上位だったのではありませんか?」


 「なんと、そこまで気付いておったのか。」


 「どういう経緯かは存じませんが、あなたは偶然この事を知ってしまった。そして、何故か私に斎王を継がせたくない桔梗様はこの事が公になる前に処理しようと考えた。」


 「だからあの日、あの時間にこの村にお出でになられたんですね。偶然を装っていらっしゃいましたがあんな夜更けに親王殿下がお越しになるのなんて明らかに不自然です。」


 「それもそうだな、迂闊だったよ。」


 「そしてあなたは私を継承の選択肢から外れるように《私を妻にする》と宣言した。斎王継承の条件は身綺麗な乙女である事、あなたはその事を上手く利用したのですよね。」


 「その後、蘇防様に命じたのは祭祀の臨席ではなく、この空虚な根拠を宮中内に広めて、神祇伯より神託を引き出す事。こればかりは桔梗様が直接働きかけてしまえば神託そのものの価値を疑われかねませんからね。」


 「そして蘇防様は見事、神託を授かり帰還されたという訳です。おそらく、桔梗様も結果をお聞きになったのは先程の事ですよね。泡沫というのは壊れやすくどうなるか分からないといった意味だったんですね。」


 「ただ、やはりこれだけはどうしても分かりません、最大の謎です。あなたは何故、私に斎王を継がせたくないのですか?」


 宛ら推理小説の主人公であるかのような立ち回り、ただ肝心なところが不明というのはどうにも頂けない。


 「よもやそなたがここまで聡明だとは思わなかった。あらすじは概ねその通りで間違いは無い。」


 「そうですか......。内心、間違っていたらとビクビクしていたので少し安心しました。それでは正解のご褒美として教えて頂けますでしょうか、何故私を《贖罪の贄》から守ろうとしたのかを。」


 選び抜かれた柔らかな言葉に潜む明らかな敵意、娘が纏う雰囲気と発する言葉は相容れない程に乖離していた。ここまで拗れてはさしもの桔梗も手も足も出ない。


 言葉選びなどこれまでしたことの無い桔梗にとって地獄とも思われる時間が流れる。沈黙は更にこの漢を追い詰める事になった。


 ほんの十秒、いや三十秒......、


 僅かな時間がとても長く感じる、焦れば焦るほど自分の首を絞める結果になることは充分理解しているはずなのに肝心の言葉が見つからない。

 当然、この娘に下手な小細工や誤魔化しは通用するはずもないし、そもそもそんなつもりはない。

 ただ、上手く伝わるかが不安なのだ、これまで蝶よ花よと育ってきた桔梗にとっては生まれて初めての感覚だった。


 「二度は言わぬから......、よく聞いておけ。」


 普段通りにと努めた様だが何とも辿々しい物言い、それに加えて紅を差したかのような頬からは緊張が滲み出ていた。

 いつも飄々とした振る舞いを見せる桔梗からはとても想像が出来ない。


 「我はお前を妃として迎え入れたいのだ。」


 「はぁ......、っで?」


 桔梗の渾身の一振りは見事に大きく空を切った。先日受けたあしらい方とは違い、今回はあからさまな嫌悪感を惜しげもなく見せつけてきた。


 「それは先日から何度も伺っております。私が知りたいのはそういう事では無く、あなたは何故故に私を斎王にしたがらないのかという事です。」


 淡々と話す紬の表情には未だ変化を認めないが、語気は徐々に強くなっている。


 「だから、それは先程から妃にと......。」


 「ほぉ......、それではご自分の妃を娶るために伊織を犠牲にしたと?ご自分の欲求を満たす為に私の家族を身代わりに仕立て上げたと?そう仰るのですか?」


 「この国はいずれあなたの物になります。そんなあなたが正しいと仰っしゃればどれだけ人の道から踏み外れた行いでもそれは正しい事となります。」


 「国とはそういうものです、その考えに異を唱えるつもりは毛頭ありません。必要とあらばこの命、いつでも差し出しましょう。それ程に私たちの命というのは軽いものなのです。」


 「ですが、それならば私の預かり知らぬところでやって下さいませ。私を、私の家族を巻き込む事だけはお辞めくださいませ。その事、努々お忘れになられませぬように。」


 これだけの大立ち回りを演じた紬に臆したのか、知らぬ間に雲は捌け散々苦しめてきた細雪もその姿を見せなくなっていた。

 紬を除く全員は立ち尽くし一言も言葉を発する事が出来ないでいた。当の本人は至って涼しい顔で《してやったり》とご満悦な様子。本当に覚悟というのは怖ろしいものである。


 「伊織、行くよ。」


 壇上で佇むその娘は話しかけられた事でようやく我に返ったが、いかんせん娘には衝撃が強過ぎた様子で未だ紬に視線を合わせる事がやっとだった。


 「桔梗様、こうなっては皆のものにも示しがつきません。当初の予定通り、私が斎王を継がせて頂きます。」


 そうい言い残すと紬は伊織を連れて闇夜の村に消えていった。

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