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贖罪の巫女  作者: 希主果
第1章

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〜糠に釘、暖簾に手押し、桔梗の耳に念仏〜

 ♪カラッコロッ、カラッコロッ♪


 先週は澄んだ硬質の音色を奏でた桔梗の木沓も今日に至ってはその響きが鈍い。先程から続く淡雪のせいで湿ってしまったせいであるのだが、悪路に不慣れなお坊ちゃんは四苦八苦していた。


 それでも草履しか持たぬ下賤の者からしたら初冬の厳しさに触れずに済んでいるので何倍もマシだろう。

 濡れた草履から伝わる冷たさは紬の足指の末端を徐々に赤く変色させ、このままではしもやけになるではと心配する程だった。


「泥濘んでいる所もありますのでお気を付けくださいませ。」


 辛夷が見せた気遣いを少しはこっちにも分けてくれと切に願う紬であったが、残念ながらこの駄犬は常に主に向けて尻尾を振っている。


 (はぁ、こいつもまだまだだなぁ。そんなんじゃ嫁のなり手も見つかんないぞ。まぁ、そんなの私が心配してやるような事じゃないんだが......。)


 坊っちゃんに至っては未だ悪路に苦戦を強いられており、他人に構っている余裕は無さそうである。紬は暫くこの寒さとの戦いが続きそうである。


 (はぁ......。)


 通り過ぎる家々は明かりも無ければ人の気配も無い。夜の帳が下りてしまえば村が眠りに包まれる。

 それはいつもの光景なのだけれども、今日に限ってはまだまだ終わらない。寧ろ、これからが本番なのだ。


 道すがら点々と設置された松明はまるで紬を誘うかのように煌々と足元を照らし、バチバチと乾いた破裂音は《早く来いよ》と急かされているようで少しも気持ちが休まらなかった。


 それもその筈、当初予定していた到着時間はとっくに過ぎてしまっている。今頃、昼間に騒ぎ過ぎた村人たちが紬の登場を今や遅しと待っているに違いない。


 早く今日の終わりを告げに来いと......。


 村外れにある割と大きなお堂、そうこれが今日の舞台だ。と言っても宮中の神楽殿には遠く及ばないがそれでもこのあたりでは中々お目にかかれない代物である。


 特に大きな茅葺きの屋根の上に掛けられたる大しめ縄は今年収穫した稲で作られた物で、約1カ月前から村人と一緒に汗水垂らして作った自信作だ。


 (やっぱり遠目からでも映えるなぁ。頑張った甲斐がある、うんうん。)


 紬は柄にもなく感傷に浸るのも束の間、次に視界に入ったのは予想以上の人だかり。見知った顔ばかりで無く、その数は村の人口を優に超えていた。

 これだけの数がよく集まったものだと感心しつつも、同時に待たせてしまった罪悪感は更に増すこととなった。


 後ろを歩く二人の漢達は相変わらずの他人事で頼りになりそうな感じは一切しない。それどころか少し邪魔になりつつある。


 (はぁ......、全く使えない奴らだ。目障りだから消えてくれ。)


 この役立たず共は然るべき時に適切に処理するとして、まず考えるのはこれからの事だ。


 これ以上みんなを待たせる訳にはいかない。後でどんな文句を言われる事か、それが今日中に終わるとも限らない。そんな事になってはたまったもんじゃない、そうなってはこちらの身が持たない。

 そうでなくても紬の足先は限界を迎えつつあり、その感覚も失いつつあった。これ以上、先延ばしには出来ない。


 (えぇい、ままよ。)


 消える前のロウソクの火のように最後の力を振り絞り、紬は徐々に歩調の回転を速めたのだが、それに比例するように跳ねる泥の量も増えていった。


 当然ながら赤袴の裾は見るも無残な姿となっていたが、この際、本番用の衣装さえ無事ならそれで良い。神々も今回ばかりは許してくれるだろう。


 その頑張りも虚しく群衆それぞれの顔が認識できる距離まで近づいたところで紬は足先の感覚を完全に失ってしまい、足が止まってしまった。


 両膝を支えに屈んでいる姿は何とも不格好だが、この状況ではそうも言っていられない。こんな悪路にへたり込んでしまってはより惨めな姿を晒す事になってしまう。


 紬は一人、この状況を打開する算段を立てようとしたのだが世の中はそんなに甘くない。自分の無力さを痛感した紬は次第に焦りの色が濃くなっていく、そんな時だった。

 

 (ほんのりと甘い......。濃厚でありながらも洗練された優雅さを漂わせる香り。これには覚えがある、そうだつい最近も......。)


 「全く、私の妃はとんだおてんば姫だな。」


 耳元で聞こえた刹那、背中を包み込むように触れた感触には意外な程の安心感があった。

 突然の事に紬は持てる知識を総動員してみたが、一瞬の事に理解が追いつかない。考えれば考える程、まるで蟻地獄かのように抜け出せなくなっていた。


 それでも必死でもがいてみせたのが疲弊した身体は正直で、不覚にも身を委ねてしまった紬の身体は何故かそのまま宙に浮いていた。

 突然の事に完全に思考が停止した紬であったが、抱きかかえられた事に気づいたのは右目で麗しの吐息を視認したからだった。


 (うわぁ......、近くで見るとさらに透明感が半端ない。目を凝らしても毛穴一つ見えないじゃないか。)


 「桔梗様、次こそは必ず推薦しますね。」


 「う〜ん、何の話だい?」


 「それよりお召し物が汚れますのでそろそろ降ろして頂けますか?」


 「そうだなぁ、禊ぎやら何やらで色々大変だとは思うが、そなたはもう少し肥えた方が良いと思うぞ。」

 

 「余計なお世話です。それより私の話を聞いておられますか?」


 「そうだなぁ、それはそなたも変わら無いと思うのだが。」


 (ぬぬぬ......、あぁ言えばこう言う。そう言えばこいつはそういう奴だったな。)


 糠に釘、暖簾に手押し、桔梗の耳に念仏


 こいつとのやり取りには少し前から随分手を焼いている。こんな不毛な会話を続けても意味がないと諦める事を覚えた紬は自分を褒めてやりたい気持ちで一杯になった。


 「ところで桔梗様、何か妙ではありませんか?」

 

 これは何とも意地の悪い質問だった。何年もここに通っている者だからこそ分かる違和感、訪れて2回目のこの漢には到底分かるはずも無かった。

 だが、こうでもしなければ先程の意趣返しが出来ない。紬にとっては苦肉の策だった。


 (はぁ〜、調子が狂う。そんな事より......。)


 「皆、先程から何処か余所余所しい気がします。興味が無いというよりは余裕がな......。」


 と言いかけたところで何かに気付いた紬は恐る恐るその方向を指し示した。


 か細い指が捕らえたのは一人の人影。ただ、一番の問題はそこが舞台中央であり、今日に限っては一人を除いて立ち入りが許されない事だった。


 「あそこはそなた達の言うところの神々がおわす場所ではなかったか?」


 今宵は神人一体の宴の場である。巫女は人々の穢れを祓って神座に神々を招く、これが習わしである。当然、神々を招くなのだから神座は浄められた神聖な場所でなければならず、禊ぎを行った巫女のみが立ち入る事を許されるのである。


 であるから禊ぎを行った紬以外がお堂に立ち入るなどあってはならない、その事自体異常事態と言える。


 (流石、宮中でその手の祭祀に呼ばれるだけあって察しがいい。説明が省けるのは有り難い。)

 

 「お願いします、桔梗様。あそこまで私を連れて行って下さい。」


 「そなたが頼み事とは珍しいな。」


 「どうせ降ろしては頂けぬのでしょう?」


 「よく分かっているではないか、流石は我が妃となる娘だ。」


 「はいはい。」


 出会って2回目ともなると扱い方も分かってきたようで、あしらい方も手慣れたものである。ただ、漢に免疫のない紬にとってこの状況はどうしても慣れないようで、髪に隠れた小さな耳は赤みを帯びていた。


 紬の求めに応じた桔梗は惑う事無く真っ直ぐと進み出した。何処となく悦に入った表情を浮かべる横顔に《此奴は被虐性欲者か?》と心配にもなったが、途中で行く手を遮る数名の観客に鋭い視線を浴びせたところを見る限り、此奴の欲情は少なくても不特定多数に向けられるものではないのであろう。

 

 (どちらにせよ、出来ればこれ以上関わり合いたく無いのだが......。)



 それにしても先程の人影、一体誰なのであろうか?日頃の食生活が祟ったのであろうか、最近夜になるとどうにも見辛い。朧げには見えていたのだが、それが誰なのか迄はっきりと分からない。


 ただ、あの形姿には幾分心当たりがある。長い髪と珠玉の曲線美、至宝とも言えるそんな容姿の持ち主なんてそうそうお目にかかれるものではない。


 (あり得ない、私の知る人物ならそこら辺の作法は心得ているはず。だとすれば何かあったと考えるのが自然だが......。)


 嫌な予感というものは結構当たる傾向にある。


 一説には自己防衛本能が働くからとも言われているが定かではなく、どちらかと言うとそういう出来事の方が記憶に残りやすく、そう錯覚するという説の方が有力だと思う。


 どちらにせよ、今回も例に違わず、嫌な予感は的中する事となる。


 人だかりの最前列、黒い朝服を纏った長身の漢が一人。何より一際目を引く無愛想な表情には確かに見覚えがある。


 坊っちゃんと駄犬のお目付け役と思しきこの従者はこの三人の中で唯一の常識人と言っても良いのだろうが、いかんせん寡黙すぎて何を考えているのか正直読めない。


(そう言えば、今日は坊っちゃんの身代わりだったんじゃなかっただろうか。早く終わったのか?いや、早馬を乗り継いでも京からここまでは半日以上はかかる。現実的にあり得ない。)


 「御機嫌よう、蘇防様。」


 抑揚の無い一本調子の話し方、とてもじゃないが活力の《か》の字も感じない。だが、最低限の礼を尽くした紬にとってこれ以上の愛想、愛嬌を求めるのは酷な話である。

 幸い今のところ、このムッツリに感情の変化は読み取れない。おそらく可も無く不可もなくと言ったところなのであろう。


 (そもそも、此奴には言われたく無い話だ。)


 こちらに気付いた蘇防は深々と一礼して見せたのだったが、これは声の主に向けられたものでは無い事は重々承知だ。寧ろ、この状況で一言も発しない此奴の方が大した変わり者だとも言える。


 「ご苦労だったね、蘇防。」


 「勿体無き御言葉です。」


 (ふん、完全に無視かよ。だが、こちらにも答えてもらわなきゃいけない事がある。)


 「蘇防様は宮中の祭祀にご臨席されていたのではなかったのですか?どうしてここに?」


 このムッツリは相当な手練だ、表情一つを変えないその仕草でそれは分かる。だが瞳孔が一瞬開いた事を紬は見逃さなかった。


 (此奴、何か隠している......。)


 紬の疑念が確信へと変わった瞬間、示し合わしたかのようにお堂に明かりが灯された。


 暗順応にも明順応にも弱い紬は一瞬視界を奪われたのだが目を細めてなんとか視界を確保すると目の前には一筋の長い影。

 恐る恐るその影を頼りに顔を上げたその先には白い装束を纏った妙齢の娘が立っていた。


 今回も嫌な予感は当たってしまったようだ......。

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