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贖罪の巫女  作者: 希主果
第1章

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4/19

〜明日は昔の風が吹く〜

 前日までの小春日和から一転、今日は曇天の空模様に吹き荒ぶ木枯らしとまるで今の心模様だと紬は感傷的になっていた。


 どうしても昨日の事が頭から離れなかったので気分転換に外の空気を吸うことにしたのだが、ちょっとした散歩のつもりが気付けば村外れの高台まで歩いていた。


 昨日は暑くてイラッとしたけれど今日は湿度が高くて不快だ。衣の下は既にじんわりと汗ばんでいた。最近は調子が良かっただけに心の安定を保つのが難しい。

 これ以上不快指数を上げたくない紬は取り敢えず木陰で一休みすることにした。だが、木の幹のもたれて座っても考えるのはやはり昨日の事だった。


 悪い話では無い、地位や名誉、財産に加えて性格にやや難はあるが絶世の美人である。下賤の者にとっては断る理由が見当たらない。だがやっぱり腑に落ちない、求婚を受けるかどうか以前の疑問が払拭出来ないのだ。


 この国は女の地位が高い、いわゆる母系制社会である。母から娘へと受け継がれる権威や資産は国に安寧をもたらすという考えに基づいているからである。故に血脈を残す方法としては《婿入り》が基本なのだ。


 女は家を守り、漢は女に従い働き続ける。


 そんな構図は開国以来、脈々と受け継がれている。つまりはかかあ天下、昨日の狸親父達も家に帰れば妻の尻に敷かれている事であろう。

 そして神に仕える私たち巫女は制約が多い分、より高い身分が保証されているのだ。


(まぁ、そんなのは有名寺社に属する巫女くらいで、一匹狼の私なんかは精々小村の女に毛が生えた程度だ、ふん。)


 そんな中にあって大皇やごく一部の特権階級の貴族は異質の存在にある。


 国民の英雄《斎王》の死後、初代大皇の権威は失墜し、いつ国家転覆が起こってもおかしくない状態であった。困り果てた大皇はある策を講じた。

 それは英雄の唯一の血脈を後世に残すという名目でその一族のみ父系制を取り入れることだった。

 有力貴族や豪族の姫を娶るこの婚姻制度はこれまでの常識を大きく覆し、大皇の特異性がいつしか神格化される事となった。


 これは民意にも反映した実に合理的な方法で見事に嵌り、現在もこの制度は色濃く残っている。

 性格にやや難が有りそうではあるが大皇の直系もしくはそれに準ずる高貴な家柄でしかも国の中枢を担う職に就く将来有望な御方からの求婚は極貧生活から抜け出す千載一遇のチャンスなのである。

 だが大社の巫女ならいざ知らず下賤の巫女が見初められるなど滅多にあることでは無い。いや寧ろ可能性はゼロと言っても過言ではない。


 そうだ、そもそも少し考えれば分かる話だ。面識は無く、痩せぎすの身体、愛嬌に至っては壊滅的。そんな女を誰が娶ろうなどと思うであろうか?実に如何わしい話である、信じろという方が無理がある。


 結論は出た、実に明快で単純な話だ。伊織が聞いたら何を言われるか分からないが、幸いにもあの時の奴は放心状態で事情も禄に覚えていないだろうし。


 何より今の暮らしはそれ程悪くない。いや、寧ろ気に入っている。お節介な旧友に喰えない狸親父達、身寄りのない私を何も言わず受け入れてくれた村の人達。そう、ここは神が私に与えた初めての居場所なのだから......。


   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 私は実親の顔も名前も知らない、所謂孤児だった。このご時世、特に珍しい話でもないが、幼子が一人で生きられる程甘くもない。そして弱者であればあるほどその命は軽んじられる、この世は分かりやすい程残酷な世界。でも、このクソみたいな碌でもない世の中が堪らなく愛しい。


 最後の言葉は養母の受け売りだ、私の根幹はきっとそこにある。


 養母の名は牡丹。齢は五十を越え、貧しい暮らしの割には恰幅の良い体型をしていた。

 牡丹は本当によく分からない女だった。どういう経緯で一緒に暮らすようになったか尋ねたら《朝起きたら隣で寝てた》と答えたり、なぜ面倒を見る気になったかと尋ねても《面倒だから》と答えてみたり。

 何度問い直してみても返答はいつも同じ。

 こちらの問いには真面目に答えるつもりは無いらしくいつも暖簾に腕押し。こんな事を続けていたら馬鹿らしくなって次第に興味も薄れてしまった。都合の悪い事はいつもこうだ。煙に巻くやり方は実にあの女らしい。


 その女とは八歳の手前まで一緒に暮らしたが、その数年間は壮絶で思い出すと今でも腸が煮えくり返る。

 特に教育に対して異常な執着を持っており、礼儀や作法は厳しく叩き込まれ、物心がつく頃には一般教養が付け加えられた。卑しい生まれの者には到底似つかわしく無いものだったのだが、こ女にはこの女なりの考えがあったのであろう。


 牡丹曰く最初に私が発した言葉は《この、クソババァ》だったと言うのだから大笑いだ、よくぞ言った昔の私。


 だが神楽を舞う時だけはいつもと少し様子が違った。初めは作法の一環で初めたものだったが、これが思いのほか楽しかった。神秘的でありながら何処か世俗的で印象を持ち、実直なまでに清々しい振る舞いの裏に見え隠れするしたたかで官能的な表情。

 これも牡丹改めババァに仕込まれたと思うと腹立たしい心持ちになるが神楽自体に罪は無い。


 ババァもこの時ばかりはいつもの鬼の表情が少し和らいだように見える。こんな顔もあるんだなと意外な発見に可笑しくもあり、もう少し見てみたいという怖いもの見たさもあり、いつしか一日の大半を舞いの鍛錬に費やすようになっていた。

 だが、こんなババァとの碌でもない生活も長くは続かなかった。


 ある朝、物音がするので目覚めるとそこにババァの姿は無く、代わりに3人の漢が立っていた。割かし身なりの良い服を着た漢が一人と両脇に半裸で腰には袴に似せた布を巻いた漢が二人。


(売られたな......。)


 よくあることだ、賤しい生まれの者には人としての権利等あってないに等しい。ババァが見当たらないということはつまりそういう事なのだ。


 「そうですか、それでは行きましょう。」


 何かを悟ったかのように身支度もそこそこに三人が用意した籠に乗り込んだもんだから、一人の漢が目を丸くしていた。

 それもそうか、こいつらはまだ一度も言葉を発していない。それを見てたら妙に可笑しくて吹き出しそうになった。


 「さあ、どうぞ。」


 籠の中で凛と背筋を伸ばし座る姿に漢達は完全に調子を崩されたようだった。こっちだって好んで売られてやるほど利他的では無いが、抵抗して無駄に痛い思いをしたくもない。こういった時はただ黙って、いずれ訪れるであろう好機を期待して待つしか無いのだ。


 ゆらゆらと揺れる籠の中、考えるのはなぜかババァの事だった。


 (どうしてんのかなぁ、ババァ。ちゃんと飯食ってんのかなぁ。)


 ババァとの生活は確かに碌でもない事に間違いは無く、人の心配をしている場合でも無いと分かってはいるけれど、不意に終止符を打たれるとそれはそれで口惜しい気持ちにもなる。感傷に浸っているだけだとは思いながらもむやみに否定する気持ちにもなれなかった。


 (それはさておき、これからどうしたものか?)


 青空は遠く、深緑はより深く。清流は白い飛沫を上げ、砂礫は所々光沢を帯びている。


 こんな形で旅気分を味わえるなんて思ってもいなかったと隙間から流れる景色を堪能しつつもこのままあいつらの思うがままというのは何とも癪に障る話である。そろそろこの旅も終わりとしたいところだ。

 だが、素直に話を聞いてくれるとは思えないし、強引な力技なんて以ての外だ。せめて一瞬でもこいつらの気を引く事が出来たなら......。


 そのチャンスは予期せぬ形で現れる事となった。


 「おい、ちょっとでも騒いだらどうなるか、分かってるだろうな。痛い目に合いたくなければ大人しくしていろ。」


 一人の漢が籠越しに話しかけてきた、おそらく腰布を巻いた奴のどちらかであろう。


 「分かりました。」


 (それにしても絵に描いたように見事な悪人の言い回しだな?こっちは黙って売り物になってやってるんだ。傷つけたら売り物にならねぇぞ。)


 漢の言い放った言葉を合図に籠はゆっくりと地面に降ろされ、籠の隙間からは僅かにエノコログサの穂が覗き、チクチクとした感触が脛に触れた。


 (なんだ、猫じゃらしか。そう言えばこいつでよく饅頭を作ったけか。挽きが甘いととても食べられたもんじゃないんだよなぁ。)


 視界に入る情報から推測するに、久し振りに着地した場所は街道の端のようである。一刻程揺れっぱなしだったので小休止だったのなら有り難い。


 (あいつらも長旅で疲れたのか?でもそれならもっといい場所があっただろうに......。)


 こちらが気にかけてやる義理はなし、話しかけても無駄に怒鳴られたんじゃたまったもんじゃない。

 程なくして、遠くから響く蹄の音が聞こえてきた。勇壮でありながら軽快な調子を奏でるあたり、よく躾けられた気品のある馬であるように思える。軽快なその調子は確実にこちらの方に向かっていた。


 紬は今日一番の怒りが込み上げてきた。つまり、こいつらは商品を気遣ったのではなく馬に跨るその御方に気遣ったのだ。


 この世は太平と言えど今だ身分、貧富の差は色濃く残っている。高貴な方の進路を遮ったとなれば切られたとしても文句は言えない。そこそこの身分の方なら道を譲る程度で済むはずだが、こいつらの間抜けた顔を拝めるという事は余程の官なのであろう。

 目視で確認できたのは五人。蹄の音から察するにもう少し多いと考えてもよいだろう。護衛と思わしき挂甲の兵が二人、朝服を纏った若い漢が一人、そして......童が二人?顔はよく見えないが背丈から年は私と同じくらいだろうか。一人は従者らしき装いだがもう一人は明らかに尊き出自の装いである。


 (ニタァ......、)


 紬は何とも嫌らしい笑みを浮かべた。こんな時は大抵碌なことを考えていない。ババァなら見抜けたかもしれないが残念ながら今日はそうはいかない。

 籠の隙間から覗くゆらゆらとの揺れる毛、犬の尻尾?それとも......?


 尊き血筋と覚しきその童が異変に気付いた時には先導していた護衛らしき兵はもうその前を通り過ぎようとしていた。


 「ドオゥ!」


 その童が力一杯手綱を引いたので馬は驚いて海老反りになってしまったが、何とか振り落とされずに済んだ。


 「どうなさいました、若?」


 「いや、あの者たちの籠だが、何やら変な気がして......。」


 童が揺れる毛のような物を凝視しているともう一本、籠から同じような毛が生えてきた。そして......。


 「こいつら人買です!」


 トドメの一撃にその場にいる全員が叫び声を挙げた。その声に驚く馬たちも釣られて嘶く。驚怖、驚怪、喫驚......、人馬ともに様々な感情が入り乱れ、こうなってはもう収拾がつかない、正に阿鼻叫喚の地獄絵図。


 仕掛けた張本人は涙を浮かべながら必死で笑いをこらえていた。


   ◆  ◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 ......と、ち......っと、紬。



 「ちょっと大丈夫、紬。そんなとこで寝てたら風邪ひくよ。」


 「んっ......。」


 「なにニタニタ笑いながら寝てたの?何か気持ち悪い。」


 「やぁ、今日もたいそうご立派な事で......。」


 「バカじゃないの!」


 どうやら考え事をしているうちに、いつしか眠ってしまったようだ。曇天の切れ間から刺す陽の光は柔らかくとても心地よかったが、国宝に推薦予定の立派な果実のおかげで半分しか楽しむことが出来なかった。


 結局、あの人買どもは呆気なく捕らえられた。その後どんな刑罰になったかは聞かされていないが意趣返しが無いこと考えるとそういう事なのだろう。偶々出会したあの官の一人が刑部省、しかも高官だったというのだから何とも運のない奴等である。


 そして図らずも悲劇のヒロインとなってしまった私はというとババァの元に返す訳にもいかないだろうということになって今の住処を与えてもらったわけだ。


 これはかなり異例なことで後で聞いた話によるとあの童が尽力してくれたという事だ。そう言えばあの時、神妙な面持ちで私を見てたっけか。


 (本当のことが知れたら、只じゃ済まないだろうな......。)


 「昼から稽古でしょ、そろそろ行くよ。早くしないとみんなに怒られちゃう。」


 「分かった、今行く。」


 これまでがどうであれ、これからがどうであれ、今は伊織や良くしてくれたみんながいる。それだけで充分だ。この幸せと素直に喜べる時間をもう少しだけみんなと享受したい。私の望みはただそれだけだ。

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