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贖罪の巫女  作者: 希主果
第2章

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〜巫女と野獣〜

「そんな所で一体何をなされているのですか?桔梗様。」


 この国の皇子と同じ名で呼ばれたその漢は、ようやくこちらの存在に気付いたようでゆっくりと振り返った。

 光沢のある濃紫の衣からスラリと伸びる長い四肢。そして艷やかな髪から覗く端正な顔立ちとその大きな瞳……、間違いなく現大皇の長子その人である。


 睡蓮は直ぐさま跪き、最大級の敬意を表したのだが、霞に至ってはあまりの美しさに当てられたようで完全に時が止まり立ち尽くしている。


 「立て込んでいた仕事もようやく一段落ついたのでな。どうだ?ここの暮らしにも少しは慣れたか?。」


 (確かに前より元気がないし少し窶れた気もする。いつも飄々としているで忘れていたが、こいつは一応は太政官というこの国の政を扱う最高機関に属しているんだった。)


 「それなりには。ところで今日は何用ですか?」


 「何って?我が妃と会う意外に此処に来る理由があるのかい?」


 「はぃ?」


 「だからそなたに会いに来たのだ、何度も言わせるな、恥ずかしくなるだろが。それより早く中へ通してはくれないか。」


 (いや、おかしいだろ。これまでどの妃の閨にも通ったことのない変態皇子が新参者の妃の宮を訪れて、しかも中に通せなんて……。)


 「今度は何を企んでいらっしゃるのですか。」


 「何故そうなる!分かった、もう良い。帰る。」


 (しまった、怒らせてしまった。)


 傍から見れば無礼者と切り捨てられかねないが、以前の桔梗なら軽く受け流していたであろうに……。


 紬にとっては単なる挨拶にも似た感覚で交わされたものであったのだが、今日の桔梗にはその余裕はないらしい。明らかに不機嫌そうな表情で踵を返そうとする桔梗はまるで駄々をこねる子供のようであった。


 紬は咄嗟に手を伸ばした……、何故引き留めようとしたのだろうか、考えれば考える程よく分からない。それは多分条件反射のようなものできっと特別深い意味など無い。だが、これがもし別の誰かだったならば同じ事をしたのだろうか、それは分からない。


 でも一つ分かった事は伸ばした手がギリギリこの漢の手に触れた瞬間、訳もなく安堵したのは間違いなく自分の感情であった。

 それでも直ぐ様、指先から伝わる薄氷に触れたかのような身を切る痛みが伝わり、安堵は一瞬で不安を色濃くした。


 もうすぐ年の瀬、これから益々冷え込みが厳しくなる時期で、今でも暖を取らなければ凍瘡や凍傷にだってなる可能性がある。


 (国の長となろう御方が何をしてるんだ……。)


 「桔梗様、ちょっと見せて下さい。」


 「えっ、どうした!?」


 強引に桔梗の手を取るとその指先は赤く変色し、中指の腹にはやや腫れも見られていた。よく見ると桔梗の体温で溶けた雪で衣は水気を含み濃い紫がより濃く見えていた。


 「痒かったり痛かったりしませんか?感覚はありますか?」


 慣れた手つきで確認する紬の様子に明らかな戸惑いを見せるこの漢はどうやらこういう扱いには慣れていないらしく、さきほど迄の怒りなど何処かに飛んでいってしまっていた。


 「そう言えば少し痒いかな。」


 「もぉ、貴方に何かあれば咎められるのはこの娘達なのですよ。そこら辺、しっかりと自覚を持ってもらわねば困ります。」


 「あぁ、すまない。」


 「霞、人肌程度のお湯と乾いた布を持ってきて、全身拭きたいから出来れば多めでお願い。」


 「睡蓮は部屋の手配を。室内は暖めて着替えも一緒に持ってきて。私は殿下をお連れします。」


 「分かりました、今すぐ。」


 同期する睡蓮と霞の声と行動、簡潔且つ的確で流れるようなその指示は神楽を舞う姿を想起させると同時に桔梗に幾許かの嫉妬に似た感情を抱かせた。


 「大丈夫だ、一人で歩ける。」


 「そうですね、凍瘡ぐらいで人は死んだりしません。ですが、貴方はどうやら無茶がお好きなようなので、このまま放ってはおけません。」


 「私はもう子供では無い。」


 「そんな事は分かっています。今は大人や子供やらの議論をしている訳ではありません。貴方に何かあれば皆が心配するのです。」


 「そんな事は知らん、奴らの勝手だ。」


 「そうですね、貴方がそう仰るのであれば私も好きなようにさせて頂きます。」


 「何故、そこまで私に構うのだ?そなたは以前、仮初めの関係だと申してもおったではないか。」


 「そうですね、でも貴方に何かあれば私も寝覚めが悪いので。」


 睡蓮に用意させた部屋には手焙りの火鉢が一つ、艶のある陶器で出来ており見た目も華やかで相当の値がするものだと一目で分かる逸品だ。

 卑しい生まれの紬としては囲炉裏を想像していたのが、竪穴の住居とは違い、床張りのこの宮にはそういったものは無いらしい。

 これでは部屋中を暖めるには心許ないが、それでも揺らめく火に当たっているとほんのりとした柔らかい暖気が優しく包んでくれた。


 《バンッ》

 「紬様、こちらでよろしいでしょうか。」


 激しくぶつかり合う木材同士の音と共に聞こえた高い声。そして程なくして入ってくる冷たい外気。

 (折角の暖気が台無しだ)と文句を言いたくなった紬であったが、この幼さが残る声には心当たりがある。

 予想が正しければこの娘にはそこまでの配慮を求めるにはまだ酷であろうという事でここはグッと我慢する事にした。


 「ありがとう、そこに置いておいて。」


 霞は言われた通り、頼まれていた物を火鉢の横に置くとそそくさとこの場を去ろうとしている。何を思ったかは大凡の見当はついていたが、その通りとしてやるのは甚だ癪である。

 だが、もう一人の女の動向も気になるところだ。賢いあの女の事だ、既にこの娘の一歩先を行っている気がする。


 「あのぉ、ところで睡蓮はそこにいる?」


 辺りを見渡したがやはり女の姿は見えなかった。火鉢といい、着替えの衣といい、頼んだ仕事はきちんとこなしている。

 良くぞこの短時間でここ迄と改めて彼女の処理能力には感心するばかりだ、流石は皇族の侍女と言ったところか。だが、一つ気に入らない事がある。


 「近くにはいらっしゃらないようですが如何なさいましたか、紬様。」


 「いや、ちょっと……。」


 広い室内に黄色で統一された高価な調度品。寝室も広く身体を休めるには丁度いい場所ではあったのだが、紬の記憶が正しければ、ここは朝に目が覚めた場所と同じだ。


 (部屋を用意しろとは言ったけれど、閨だとは言っていない。)


 睡蓮は聡明で理知的でありながらしたたかで狡賢い面も合わせ持つ知略家である。

 国の行く末を、あの堅物で有名な変態皇子のこれからを案じていたあの女の事だ、これまで妃に見向きもしなかったこの漢の心変わりを見逃すはずがない。

 

 (背に腹は代えられないという事か、まんまと嵌められた。)


 「それでは紬様、私はお食事の用意をして参りますね。桔梗様、どうぞごゆっくり。」


 「ちょっと、霞。」


 そう言い残すと娘はこの場を後にした。去り際、戸を閉める間際に見せた何とも嫌らしい笑みが全てを物語っていた。睡蓮だけでなく、この幼い娘にもまんまと嵌められたようだ。


 広い部屋に取り残された二人、桔梗はどういうつもりかは知らないがあまり良い状況とは言い難い。

 取り敢えず、当初の目的を完遂する以外に道は残されていない、渋々見上げた先に飛び込んできたのは血走った桔梗の大きな眼。息遣いも心なしか荒い。


 (これはやばい。)


 直ぐにでも弾け飛びそうなくらい見開いた目は完全にその理性を失っており、これはどんな言葉を投げても届きそうにない。

 徐々に近づくその美しい顔は水気を含んでいるせいでいつもより艷やかで妖艶な色香すら感じさせる。


 (どうする?ぶっ飛ばすか?いや、この漢は病人とは言っても大した事は無い。女の力では太刀打ち出来るとは到底思えない。)


 (例え怒鳴り散らしても聞くとは思えない、なんせ此奴はこの国で最も権威のある血筋の御方だから……。)


 獣に睨まれた子鹿はこんな時何もする事も出来ず、ただ視線は外すことなくひたすら後退りするしか方法がない、だが何もせぬまま食われるのは性分では無い。


 「それでは失礼します。」


 覚悟を決めた子鹿は反撃の一手に出る事にした。腰を低く落とすと右足の母指球に全体重を乗せる。

 そのまま前方に突進し桔梗の左側に回り込むと左手で帯の結び目を解き、右手で奥襟を掴むと素早く後方に引っ張り上げた。居を突かれた桔梗は起こっている状況を正しく認識できず呆然とその場に立ち尽くす他無かった。


 紬の暴挙はこのままでは留まらない、素肌に張り付く濡れた衣を強引に剥ぎ取り、露わとなった素肌に恥じらいも見せず、霞の用意した布で身体をささっと拭くと新しい着替えも手早く済ませてしまった。


 ここ迄来るとさしもの桔梗も正気に戻る他無くなってしまった。


 「はい、終わりました。」


 額に光る汗を拭う紬は仕事を終えた充実感と達成感に満たされていたが、ぞんざいな扱われた当の本人は恨めしそうな表情で紬を見つめていた。


 (危なかった、これで何とかあの妃たちの恨みは買わずに済みそうだな。)


 「それでは桔梗様、もうすぐお食事の用意が整うと思いますので席に着きましょうか。そちらで明日の話をゆっくりと伺いましょう。」

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