〜それぞれの思惑(2)〜
「これは先程も申した通り、此度の出来事の全ては私の独断。霞はたまたまそこに居合わせた、それだけでございます。」
淡々とそう話すのは先日、紬の侍女となった睡蓮だ。元々、桔梗の侍女として仕えていたこの女は紬の側仕えを兼ねる事になった。
紹介された時、表向きは後宮に不慣れな紬に対する教育係との側面を桔梗は前面に出してきたが今思えば監視役、殿下への狼藉を働くのではないかという監視対象として遣わされたのではないか、そう邪推せずにはおれない。
「そうですか、では何故このような事を?」
「それは全て、この国の為。国の行く末を憂い変革を望まれる桔梗様の願いを叶える為でございます。」
「国の変革?」
「左様です。姫もご存じの通り、この国には二人の皇子がおられます、一人は五芒の君、桔梗様。そしてもう一人が八重の君、薔薇様。」
「現大皇はそろそろ引退をお考えになられてもおかしく無いお年です。本来なら成人された次期大皇桔梗殿下となるところですが、残念ながら妃は未だ子を成しておりません。元服を迎え三年は過ぎているのに妃の宮に通われる事も無く、一同不安を感じておられます。」
この女の意図が全く読めなかった。さっさとお手付きでも作って私を安心させろとでも言いたげな口振り、だが一侍女がそこまで踏み込んでこれらを考える事などあるのだろうか。
これは桔梗に対するこの女の不満のようにも聞こえ、それと同時に桔梗の理想の手助けが自分に出来ない事への苛立ちにも聞こえる。
(きっとこの女の想い人は麗しのあの殿下はで、嫉妬と期待が入り混じった複雑な感情だ。はぁ、何て面倒臭い奴らだ。)
「それで?」
「そこで最近浮上しているのは弟君である薔薇殿下の即位です。」
「今急激に妃を入内させているのはご存じでしょう。各方面の有力豪族たちが中央に取り入る為に自分達の娘を妃にと推薦しているようなのです。」
(なる程、互いの利害が一致したという訳か。あの漢がさっさと子を成さないからこういう事になるんだ。でも待てよ、それじゃ……。)
「それじゃ伊織はどういう事だ。あいつはただの平民だぞ。」
思わず声を荒らげてしまった。だが、この反応は想定内だったらしく睡蓮は動揺する素振りは見せない。寧ろ、状況を正しく理解できている事への安堵感を感じているようだった。
(平民と賤民じゃ同じという訳には行かないかもしれないが、それでも伊織は政治の道具に使われる謂れがない。)
「先日入内した姫の事ですね。まだ詳しい情報は入っておりません。ただ一つ言える事は紬様が仰る事が本当ならかなり異例と言ってもよいかと。」
(やはり伊織については分からずじまいか。)
「もし仮に薔薇様の妃が子を成す事になれば後宮内は卑しい思惑が交差する政争が生ずるのは必至。政にはまるで興味を示さない薔薇様にそれを止められません。」
「指導者を失った国の末路など見るに堪えないことはこれまでの歴史で幾度となく語られている事。これだけは絶対に避けなければなりません、桔梗様もこの事は常に案じておられます。」
「じゃあ、桔梗……いやそれでは殿下は何故、皇位を放棄するような態度をとる。国を守ろう、変えようと思うなら自分が上に立たなければならないのは当然。」
紬にとっては自分と関わり合いの無い者などどうなろうと知ったことでは無い。その姿勢は今も昔も変わらないが、ここまで足を突っ込んでしまっては今更、知らぬふりなど出来ようはずが無い。
「力無き者は強き者に平伏し従うしか生きる方法を知らない。あいつには民の安寧を望み、変える力もある。」
桔梗はこの国のやり方やそ在り方に何らかの不満があってそれが変わることを望んでいるが、自ら立ち上がりそうしようとはしていない。
桔梗にはその力があって、その機会もあって、手を伸ばせば自分の理想に届くかもしれない。それなのにそれを放棄しているかのような行動を取っている……。
「殿下が何をお考えかは分からぬがこのままでは自分の思い描く未来は到底叶わぬというのに。」
「それは……、私では分かりかねます。もしかしたら、想い人がおられるのやもしれませんね、あぁ見えて実はかなり堅物な方ですので。」
(それは知っている、かなり変わり者であることは確かだ。それでもこの世に生を受けた以上は自分の定めというものがある。)
あいつは《自由には生きられない》そういう星の下に生まれた、謂わば選ばれた特別な存在なのだ。
(思えば桔梗もやり切れないな。)
意図せず国を、民を託されて。これが本当にあいつのしたい事であるなら良いのだろうが、そうでないのだとしたら今この国の置かれた状況も理解できる。
望まない未来を強要される程、酷なものはない。周りの期待が大きければ大きい程、その反発が強くなる。
(なんか今の私と似ているな。)
「それで、今回の事とどう繋がるのですか。」
「申し訳ありません、貴方がどんな方なのかこの目で確かめたかったのです。桔梗様を……、この国を任せるに足る御人なのかを。」
(そんなの勝手に任されても迷惑なだけなのだが……。)
「そんなの今いる妃に任せりゃいいじゃないですか。止事無き方に嫁ぐ程の方々だ、卑しいの生まれの私が敵うはずなんかない。」
「はい、どの方も素晴らしい方々ばかりです。美しさもさる事ながら知識・教養・作法どれをとっても申し分無い。だが、それでもこれまで上手くはいかなかった。桔梗様の心を動かせる方はおられなかった。」
「だから私にその素質があるか、試してみたと……。」
「でも残念ながら貴方の勝手な期待に応えられるとは到底思えない。なんせ私は《斎王の継承》が決まっているのだから。」
(そうだ、この女の期待には応えられない。そう私には時間が無い……。)
「そうですね、ですが未だに貴方は諦めてはいない。言葉や態度とは裏腹に常に抗い続けている。この後も貴方はきっと諦める事無く、最後の一瞬まで藻掻き続けるのでしょうね。」
「そんな事はないよ、今は自分の命を使う時じゃない、ただそれだけだ。その時がもし来るとしたならこの身を差し出すつもり。まぁ、嫌だけどしょうがないさ。」
「そうですね、それで良いのだと思います。それがこれまでの后妃様とが貴方と違うところ。」
「貴方は自分の弱さを知っている、それが貴方の強さだと思います。あなたなら安心して桔梗様を任せられる。」
(だから勝手に話を進めるなって。やっぱりこういう奴らは我儘だ……。)
新参者が遅れてはならないと早めに宮を出たのはやはり正解だった。地表に咲く六花は木陰を除いて全て溶け、陽の光が徐々にその存在感を強めている。
予定の時刻が近づいていても三人はまだ宮の外を出て直ぐだ。このまま遅れでもしたら一大事だ。本来ならこんな事は侍女が気にして然るべきだが、今のこいつらにそこまでを期待をするのは自分の運命を変えるより難しいかもしれないとさえ思えた。
「さて、それでは霞。後の事は頼みましたよ。こちらの姫君はまだここの暮らしに慣れていらっしゃらないので貴方がしっかりと支えて上げて差し上げなさい。」
睡蓮が放つ言の葉。まるで自分の使命を終えたかのような無責任な清々しさ、安堵した睡蓮からは以前のような高潔な美しさが戻った気がした。それと同時になんて自分の中でフツフツと湧き上がる怒りに似た感情。
「それはどういう事ですか、睡蓮様はどうなされるおつもりですか。」
余計な詮索だ、この娘はこれから睡蓮がしようとしている事が分かって聞いている。ただ、それを受け入れたくない一心で自分の中のいらぬ妄想をかき消そうと必死で藻掻いているようだった。
「理由がどうであれ私は姫君を欺きし者、罪を犯したのであればそれ相応の罰を受けるのは道理。姫も疑念を抱えたままでは落ち着かない事でしょうし……。」
久しぶりに吹いた冷たい風が折角と整えた髪を乱そうと必死になっている。
(そうか、これがあの女の心の内か……。)
「さぁ、如何様なる処分でも受ける覚悟は出来てございます。」
(そうだ、こいつは元々、そのつもりだったもんだ。国の為に、桔梗の為に自分の命をここで使う。それが信じるべきものを守ると判断したんだ。なんて身勝手な自己犠牲……、面倒臭い。)
「見損ないました。そなたの命はそんな安いものだったんですね。国のため、民にため、そんな崇高な志を掲げて自分に嘘をついて……。」
大きく見開いた目をこちらに向けた睡蓮のその表情には今にも弾け飛びそうなくらいに膨張した感情が今にも迫ってきそうだった。
「分かりました、それならお望み通りに。今度こそ一思いに……。」
「お待ち下さいませ、姫様。睡蓮様を罰するなら帯刀していた私にも同じ裁きを……。」
跪く睡蓮の事を必死に庇おうとする娘の姿はまるで本当の姉妹のよう。これを見るだけでも二人の人となりが分かる。
「先程も申しましたが、そんなお涙頂戴物は好きではないのです。ですが私にも思うところが無い訳ではありません。ですのでここは纏めて……。」
手にしていた小刀に再び力を込めた紬は大きく振りかぶり、目を閉じて抱き合う二人に向かって豪快に振り下ろした。
《バサッ!》
振り下ろした手には黄色い蝋梅の扇子……。
目を丸くして抱き合う二人、ただ一番驚いているのは紬本人だった。昔の自分ならこんな事はしない。それは死期を悟った人間のなせる技なのか、それともこれが自分の本性なのか。
紬はもう少し自分の変化を見てみたい気にさせられた事に驚き、必死で悟られぬように何事も無かったかのように振る舞った。
二人の前まで近づいた紬はその場で跪いた。黄色の鮮やかな衣装はくるぶしの線が隠れるくらい長かったので下着が見える心配はなかったけれど、袴は地につき見るも無残な姿となってしまった。
勿論、紬はそんな事を気にする素振りは微塵も見せず、静かに話しだした。
「あなたたちの命はたった今この私がもらい受けました。この先、その命をどのように使うかは私次第です。良いですね。」
「はい……。」
そうは言ったものの紬は内心酷く後悔していた。状況が状況で特に気取った訳でもないし、自分を偽った訳でもない。
無意識に何も考えなしに出たこの行動、それは恥ずかしながら自分の本心であったのだろう。
ただこの状況は間違いなく自分が一番恐れていた面倒事に自ら巻き込まれに行ってしまった。そう思わずにおれなかった。
この二人の顔を見たら今更後戻りなんか出来るはずもなく、ここは大人しく観念するしか他無い。
「では早くお立ちなさい。そんな所で座っていると腰が冷えてしまいますよ。」
紬に急かされようやく立ち上がった二人であったが、互いに泥だらけの姿を見たら三人は笑わずにはおれなかった。
「では直ぐに宮へ戻りましょうか。こんな姿では他の后妃に笑われてしまいますよ。」




