〜それ、初耳なんですけど〜
「おはようございます、睡蓮様。」
「おはようございます、相変わらず早起きでございますね。」
「えぇ、習慣という奴ですね。あっ、気をつけます。」
広い寝床、黄色で統一された高価な調度品。何度見ても落ち着かない、元々巫女を生業としていた紬にはあまり馴染みのない色だった。
これはこの侍女の趣味なのか、それともあの漢の差し金か?どちらにしても慣れるまでにはもう少し時間が必要だ。
ただそれより気が抜けないのはこの女だ。あの漢から後宮での教育係を拝命している手前、一つ一つの所作にどうにも口煩い。丁寧な話口調で淡々と正論を武器に攻め立ててくるものだから反抗する事もままならない。
それでも昔ババァにみっちり仕込まれていた甲斐あってそれなりにこなすことは出来ている。
「申し訳ありません、まだ朝餉まで少し時間がありますので、もう少しお待ち下さいませ。今、下女にお召し物を用意させます。」
「あのぉ、それくらいは自分で出来ますので気になさらないでください。」
「いえ、そう言う訳には参りません。貴方様はこの国の長子の妃なのですから。」
(はぁ〜、またそれか。本当はほっといて欲しいところなんだが……、まぁ立場上そういう訳にもいかないか。)
睡蓮は急いで部屋から出ていった。
《申し訳ないな》と思いつつも、取り敢えず窓辺に腰掛けて時間を潰すことにした。
冬になると当然ながら日が昇るは遅く、外は薄闇が少しずつ晴れつつあるのだががそれでももう少し時間は掛かりそうだ。
伊織が昔、《お日様は寒がりだからだよ》と笑いながら話していたのを思い出した。そう言えば、あの娘はどうしているだろうか。
薔薇の妃として後宮に入内して三日、未だその姿は見ていない。元気でやっているのだろうか、噂の弟君とのお目通りがあったのだろうか、何とも女の好きそうな話である。
両手の指では足りないくらいの妃がいるとの話だが、もしそれが本当であればお節介だが自己主張の苦手な新参者の伊織が弟君のお気に入りになるには今しばらく時間がかかるかもしれない。
(いや待てよ、あの至宝を目の前にすれば如何に目の肥えた漢でもいとも簡単に落ちてしまうのではないだろうか。)
色々と妄想してはみるも結局、この宮には情報という情報は入ってこない。ここで働くのは桔梗との兼務の侍女と数名の下女、皆働き者でそういった類いの話には興味が無さそうで、今のところ何も分からずじまいだ。
ただそれは私も変わらない。あの日以来、桔梗とは会っていない。政務が忙しいのかそれとも私以外の妃と会っているのか。
(まぁ、あいつがどの妃と会っていようが私には関係のない事だ。)
グラッ、グラグラ!
襖が大きな音を立て、床が大きく揺れる。この国は四方を海に囲まれた島国で、太古の頃に地面の隆起によって出来たとの神話があるくらい地震の多い国である。
京はなるべくそういった類いの災害が起こりづらいところに遷都されるものだが、一歩離れるとあちらこちらに活火山があり、地揺れはそれ程珍しくもない。
「姫様!大丈夫ですか?お怪我はございませんか?」
勢いよく襖を開けて飛び込んできたのは下女の霞だった。
着替えを持ってくる途中で地揺れが起きたので慌てて駆けつけてくれたようだ。だが、そのせいで折角の衣装がシワだらけになってしまっていた。
「うん、大丈夫だよ。ありがとう、心配ない。それより霞こそ大丈夫かい?」
手に持っていた衣装に目をやると霞はようやく状況を理解できたようで、青ざめて慌てふためいていた。
「申し訳ありません、私がドジなばっかりお召し物を台無しにしてしまいました。直ぐに別のものを用意しますので……。」
「こちらではあまり経験が無いから驚くよね。私が育ったところではよくある事なので心配しなくても平気だよ。着替えを持ってきてくれたんだね、ありがとう。そこに置いておいてくれれば後は自分でするから。」
霞は紬より三つ下の十四歳、お世辞にも優秀とは言い難いがひたむきに仕事に取り組む姿勢を見せられると無性に庇護欲を掻き立てられてしまう。
「そういう訳には参りません、直ぐに新しいものを……、あっ!」
「どうしたの?」
「今日は……、その……、四妃様がお集まりになる茶会の日でございまして、お持ちしたお召し物も特別な仕立てで代わる物などございませんでした、睡蓮様にも気をつけるように言われていたのに。」
余程動揺しているのであろう、霞の声は上擦り、涙を溜めながら今にも崩れ落ちそうになっている。
「え〜っと、それ初耳なんですけど……。」
(そういう事は事前に話しておいてもらわねば困るのだが……、この寒空でお茶会なんて、さては私のお披露目ってやつか。これはまたあいつの仕業か?)
「そんな大切な場で紬様を辱める事になろうものなら私を信じてくださった殿下に顔向けする事が出来ません。ここは死んでお詫びを……。」
「おい、ちょっと待てって。どうしても死にたいって言うなら止めはしないけど、どうせ使うならもっと意味のあることで使いなよ。」
「下女はどうせ使い捨ての存在、この命に価値などありません。だからこんな事でしか使い道が無いのです、姫君には私の気持ちなど分かるはずがありません。」
「分かるよ、私も昔はそうだった。いや、今もそんなに変わっていない。それでも簡単にくれてやるつもりは無いけどね。」
(そう、何の因果か今は姫の真似事をしているが、少し前までは霞と同じ側の人間だった。だが私ならこんな事で死にたくはない。その前に一矢報いてやる。)
「そもそも私は怒ってなどいない。腹立たしいとすれば今日の茶会を仕組んだあのニヤけた漢にだ。」
霞は思わず吹き出してしまったが、直ぐに我に返って顔を伏せてしまった。
「ですがこのままでは茶会に出席できません。」
「大丈夫、まだ時間はあるだろ。何とかなるかもしれないよ。本当の事を言えば茶会になんて行きたく無いけれど。」
「えっ、このシワですよ?」
「じゃあ、急いで今から言う物を用意してくれる?」
★ ★ ★ ★ ★ ★
「紬様、そろそろお時間ですが身支度は整われましたでしょうか?」
襖の外から呼びかける聞き覚えのある落ち着いた声、抑揚や声量からも自らの品位や規範を保とうとする姿勢が伺える。どうやら睡蓮が呼びに来たらしかった。
「はい、お待たせ致しました。」
紬は睡蓮の呼びかけに即座に応じると部屋の襖は音も立てずに引かれた。
「天女様……。」
睡蓮は思わず感嘆の溜め息が漏れ出てしまった。これまで後宮で数々の妃を見てきた女が下した評価、目の前の姫はそれ程に美しかった。
淡く澄んだ白磁の肌に赤みがかった艷やかな黒髪はよく映え、そして何より淡黄色の絹の衣はようやく昇った朝日を背に受けてまるで後光が差すような輝きを放っていた。
睡蓮は目の前の麗人が紬であると理解するのに暫し時間がかかったのだが、これまで化粧っ気一つ無かった姫なのだからそれも無理もない。
「どうかされましたか、睡蓮様。」
「いや、あまりにお美しいので思わず……、見とれてしまいました。」
「睡蓮様ってもしかしてそっちですか?」
「そっちってどっちですか?姫様は何を言っているのですか、全く。」
(これは紛う事なく本心だろう、あの動揺は演技じゃない。私の何処が良かったのかさっぱり分からないが何故かこの女のツボに見事ハマったというところか。)
「睡蓮様がそれを言うと嫌味に聞こえますよ。」
「そんな事はございません。本当に見違えました。」
(どうせなんでこんな田舎娘が……、なんて事考えていたのだろう。まぁ、それも仕方ないか。別に間違ってもいないから。)
私が言うのもなんだが、五芒庵の若女将の時もそうだがやっぱり女の心理というのは分かりづらく、難解だ。
傍らで涙の流れる後が残る霞も満足そうな笑みを浮かべていた。
「それにしても姫様は博識なのですね、こんな方法があるなんて知りませんでした。次から試してみようと思います。」
「おばあちゃんの知恵袋ってやつだよ。まぁ、先ずは慌てず落ち着いて……だね。」
そんなに難しいことじゃない、布の繊維は水分を含むと膨らみ、熱を加えると縮む性質がある。
だからあの時、熱いお湯と布切れを用意させた。お湯に浸した布を固く絞ってシワがいってしまった箇所に当てた、ただそれだけ。
要は布の性質を理解しろと言う事だ、物事を正しく理解できていれば実に簡単な事だ。
(まぁ正しく理解する事が一番難しいのだが。)
「さぁ、それでは参りましょうか。睡蓮様、霞。」




