〜幼馴染みと顔馴染み〜
あの日以来、この娘とは会っていない。もし許されるならばこのまま顔を合わせたく無かった。私は《この娘の覚悟》を踏み躙った、それだけが今も心に影を落としている。
あの日、あの晩、あの舞台に立つこの娘は本当に美しかった。これは異性が抱く邪な感情等では無く、純粋に人としての高潔さを感じられたからだ。
そこに至るまでどれほど悩み、苦しんだ事だろう、舞台上で小刻みに震える両手を見る限り、いつ崩れてもおかしくない程の極限だったに違いない。
それでも気丈に気品の溢れる表情を向けてきたのは皆を心配させまいとするこの娘なりの気遣いだったのであろう。
(娘のそれ程の覚悟を私はいとも簡単に壊してしまったのだ。)
もちろんあの時もそして今も後悔などしていない。私には私の信念がある、自分の代わりに誰かが犠牲になるなど到底看過できない。だが、それと同じくらいこの娘にもきっと譲れないものがあっただろう。
もし私と同じ気持ちだったとしたら、もし逆の立場だったとしたら、伊織は何があっても私の取った行いを許しはしないだろう。
互いの視線が交錯しながらその間を静寂の時が流れる。きっとそれは誰も立ち入る事を許さない禁足地のように見えたに違いない。
実際、いつもいつもうざ絡みをする桔梗ですら躊躇って声すら掛けようとしない。
「ご無沙汰しております、桔梗様。」
そんな空気は関係ないとばかりに一人の女が声を掛けてきた。
長身で細身の身体は一切の無駄がなく、余程自分に厳しい性格なのだと思われる。この青い装束の女人の集団の中で一際存在感を示すこの女はどうやら桔梗とは顔見知りらしい。
「紫陽か。」
「覚えて頂いていたとは光栄でございます。」
「忘れる訳がなかろう、この一団を見て直ぐにそなただと分かった。《蒼天の女団》だったか、相変わらず見事な統制だ。」
「恐れ入ります。桔梗様も変わらずお美しい。」
世辞の応酬、腹の探り合い……、互いに手の内を見せないそのやり取りは見ていてえも言われぬ緊迫感がそこにはあった。
「暫く見ないと思っておったが、薔薇に下っておったとはな。意外だな、昔からあまり馬が合わないように思えていたのだが。」
先に仕掛けたのは桔梗だった、あまりに真っ直ぐな問い掛けに紫陽は思わず嫌らしい笑みを浮かべた。
「貴方様は本当に変わらないのですね。いつも飄々として掴みどころが無いのだけれど、それは誠実で実直なその気質を必死で隠そうと……。」
「ほほう……、そなたも都合が悪くなると直ぐに話を逸らそうとするのは変わっておらぬな。カマをかけたつもりであったが当たりであったか。」
睨み合う桔梗と紫陽、不思議と仲の悪さは感じられなかった。ただ、何かしらの因縁があるようだ。
「あの辛夷様、このお二人はお知り合いなのですか?互いをよくご存知で余程の仲とお見受けしましたが?」
紬にとってはこいつらの仲などどうでも良かったのだが、この状況を打開できる手立てが見つかるならば利用しない手はない。
「あぁ、紫陽様は若の乳母の娘で昔からの馴染みだ。幼き頃は年も近い事もあってかよく二人で遊んでいたとも聞いている。」
「へぇ~。」
(馴れ初めなんてどうでも良いのだか……、それにしても国の長子に対してあの態度、やはりあの漢は昔から被虐的資質があるようだ。)
「まぁ、いずれ分かることですし、別に隠すような事でも無いのだけれど。流石に私の口からお話するというのは憚れますので……。」
「柄にもなくしおらしい事を……、この期に及んで臆するとはらしくないのではないか。」
「何を!貴方はいつもそうやって私を……。分かりました、貴方が仰る通りです。そして今はこちらにおられる伊織妃の侍女頭をしております。」
大凡は分かっていたはずなのに言語化されるとやはり胸に来るものがある。
後宮には桔梗の他にもう一人、次期大皇と目される人物がいる。
派手好きで女好き、自己中心的な思想の持ち主である割には自己の脆弱性を理解し、いつも優れた兄に劣等感を持つ漢。
これらはあくまで憶測の域を出ないのだが、桔梗の表情から察するにおそらく大きくは間違ってはいないだろう。
親からすれば例えその人物がどんな性格であろうともこの国の頂に立つかもしれない人物だ、曲がり間違って后妃ともなれば末代まで一族は安泰だ。願ってもないチャンスである。
(元々、いずれは国宝に推薦しようかと思っていた程の逸材だ。国のお偉方に見初められるなど想定内と言っていい。)
そして今日、幼馴染であるその娘がそいつに嫁ぐというのだ、世間は良くても馴染みの身としては……。
ただ何の因果か、相手が違えど私も同じ境遇だ。違うのは一方は求められた妃に対してもう一方は選ばれた仮初めの妃。
(そう考えれば私の方が侘しいな、なんかやりきれない。)
「桔梗様、我々にも主が折りまする故、長らくお待たせする訳にも参りません。失礼な事とは存じておりますが、我々は先を急ぎます。」
「貴様、どういうつもりだ。」
紫陽の仕掛けた一言は宣戦布告とも言える内容だった。本来、《高貴な方の行く手を遮ってはならない》というのがこの国の習わしだからだ。辛夷が熱り立つのも無理は無い。
桔梗と紫陽とでは天と地程の差があることは言うまでも無いことであるが、紫陽の背後にいる存在ということになれば少し話が変わってくる。
神々を除けば現在の序列二位は現大皇の長子《桔梗》である。ただそれは国の安寧が続く平時においての話である。
世間ではいずれ桔梗が大皇を継ぐような風潮になっているが果たしてどうだろうか、妃が子を成せなければそれも叶わない。
まだ、そういう噂はどちらからも聞かないが、妃の数だけ言えば薔薇は優に三倍は越えている。私の事などにうつつを抜かしているところを見る限り、桔梗様はその者たちと上手くいっていないのかもしれない。
例え、子を成せたとしても上手く育つとは限らないし、命を狙われる何て物騒な事だって起きかねない。そうなれば次に控えるは……。
(偉い人もそれはそれで大変だな。)
「あぁ、我々はもう少し姫を案内してから参るつもりだ。引き留めたな、それではまた。」
弱腰と相手に揶揄される可能性は大いにあるだろうが此処で余計な揉め事は避けたい、桔梗ならそう考えるだろうと見越しての判断だ、相手も中々抜け目無い。
紫陽はこちらに会釈すると一団を従えて後宮の方へ向かっていった。今回のところは両者引き分けといったところか、勝負はまたの機会に持ち越しとなった。
取り敢えずあの娘が無事であると分かっているだけで今は充分だった。後宮であれば山賊や拐かしから怯える事も無い、それにいつでも会おうと思えば会う事は出来る。
何より不確定要素が多いのはコチラとて同じ、この先どうなるかなんてか想像も出来ない。
こんなところで下手に騒いで悪目立ちするより、今はこちらに敵意が無いと示す方が賢明だ。
面倒事に巻き込まれるなんて真っ平御免だ。
「では良いか?」
桔梗の問いにコクリと頷くと、納得出来ない辛夷をなだめながら、ゆっくりと桔梗の後を追うことにした。




