〜昨日の友は今日の敵〜
「うわぁ~、沢山の人。」
これまでとは違う賑やかな街並みに紬は心を躍らせていた。先日の奉納祭の人だかりを見た時も《一生分の人間を見た》と思っていたが今日のそれはあの時の比ではない。
「桔梗様、今日はお祭りでもあるのですか?」
「いや、その予定はない。ここはいつもこんな感じだ。」
紬は驚きのあまり目を丸くした。普段何事にもあまり感心のなさそうなこの娘も今日ばかりは流石に楽しそうに見える。その姿はやはり十七の少女なんだなと思わせた。
「今、牛車を呼ぶので暫し待たれよ。」
そう声を掛けてきたのは辛夷だった。桔梗にばかり気を取られていたがそう言えばこいつも昨日あの場にいた一人だ。
(何か無礼な事をしなかったであろうか?)
主への不敬には人一番敏感なこいつの事だ、何かあれば真っ先に止めに入ってくれた事であろうが、被害者となっていたなら申し訳ない。
幸いなことに今のところそんな素振りを一切見せていない、取り敢えずは安心して良いのであろう。
(まぁ、いいか。覚えていない事で悩んだって仕方ない。どうせ明日をもしれぬ身だ、何も変わりはしない。)
「桔梗様、折角ですから歩いて参りましょう。どうせ暫くこちらでお世話になることでしょうし。」
これは紛うことない本心だ、だがそれ以上にまた牛車で二人っきりというのはやはり気まずいし、何よりあの夜の事もあるので少し顔を合わせづらい。
「それはいけませぬ。それでは大皇とおなりになる方としての矜持が保てませぬ。」
相変わらず頭の固い駄犬だ。女心を分かってないと嫁のなり手が見つからないぞと溜め息が漏れ出てしまった。
(まぁ、そんな事は関係なさそうだが......。)
「まぁ良いではないか、まだ時間はある。案内がてら歩こうではないか。」
「若がそう仰るのであれば。しかし、そうであれば私目もご一緒致します。何かあってはいけませんので。」
(よかった、でも尊き御方というのも案外大変だな。これじゃぁ《気ままに一人で》なんて事は殆ど出来なかっただろうな。)
「ささ、参りましょう、桔梗様。」
「ここが民部省、租税・財政・戸籍・田畑など民政を司る場。そしてあちらが兵部省、少々気の荒い武官達が集まる故滅多なことがない限り立ち入らぬように。」
立ち並ぶ建物はどれも理路整然としており、実に合理的で洗練されて無駄が無い。これだけの者が集まれば争い事など日常茶飯事と思っていたがどれも統制が取れていて、そういったところは一切見られない。
(皆、余程物分かりが良いのか、優秀なのか、それとも余程御上の締め付けが厳しいかだな。)
「そう言えば後宮は男子禁制と聞いた事があるのですが......。」
《チラッ》
駄犬の眉がピクリと動く。こいつの事だ、これより先では《殿下のお役に立てない》何て事を考えてそうだ。
「あぁ、その通りだ。正確には大皇及び《皇位継承の資格を有する者のみ》となっている。当然ながら私も後宮への立ち入りは禁じられている。本当なら......。」
思った通りだ、相変わらずこいつは面倒臭い。
《皇位継承の資格》とは現大皇直系の男子、つまりは桔梗様とその弟君という事になる。
後宮は止事無き方々の子をなして育む場所。だがそこは関わる者達の複雑な思惑が入り交じる伏魔殿でもある、気を緩めると一気に喰われてしまう。
後宮は各地から見目麗しき尊き血筋の姫君や才能豊かな才女が集まる、所謂《女の花園》である。
だが、止事無き方々にお目通りの叶う者はほんの一握り。これまで周りから蝶よ花よと育てられてきた者達からすれば面白くないと思っていても何ら不思議ではない。
そんな心の隙間を狙う輩達は決して少なくない、そいつらは虎視眈々とその機会を狙っている。辛夷にとっては心中穏やかではないだろう。
(何よりも血脈を何より重んじる方々は時に姫君の心の機微を疎い傾向にある。自分以外の存在を軽んじているのか、それとも誰かがそう仕組んでいるのか?)
「もう少し賢いやり方もあったでしょうに。」
「はっ、なんの事だ?」
「いや、何でもありません。それより辛夷様、あれは何です?」
殿下御一行の遥か先、華やかに飾った牛車を先頭に女人達一団の進む姿が見えた。青を基調とした衣装で統一されたその集団は一糸乱れず列を成し、俄に出来るものでは無いなと感心する程だった。
それ以上に異様だったのは行き交う人々が皆、道の端で平伏していることだった。
「お祭りには......、とても見えませんね。もしかして桔梗様のお妃のお一人でしょうか?だとしたらあまり良い趣味とは言えませんね。」
「相変わらず歯に衣着せぬ物言いだな。嫌いでは無いが誰かが聞いていたら事だぞ。」
「性分なもので、つい。」
「妃が外出するには特別な許可が必要となる。どの妃からもそういった申し出は暫く無かったと思う。」
「はぁ、それじゃまるで鳥籠ですね。何不自由なく暮らされていると思っておりましたが、それはそれで大変なのですね。」
明日は我が身......、紬の未来がそこにあるというのに何故かこの娘は他人事だ。思わず漢二人は顔を見合わせた。
「という事は......。」
「...... ......。」
皆まで言われずとも大凡の検討はついた。妃が出掛けるような予定が無いのであれば新しく誰かを迎えたのであろう。それが誰かという話だがこの漢二人の預かり知らぬ話ならば残るは後二人。
子が成人を迎えた現大皇が《新たに妃を》というのは考えにくい。となると残るは一人しかいない。視線だけで会話をする二人の姿からは何ともきな臭い匂いがした。
これ以上の詮索は無用とばかりに口を噤む紬であったが、生来の巻き込まれ体質はどうやらそれを良しとはしないらしい。
「相変わらず派手好きの変わり者だな。」
明らかに怪訝そうな表情を見せる桔梗から察するに兄弟仲は頗る良くないらしい。こんな時、これから妃となろう立場の人間ならば気遣いの一つでも見せるのが本当なのだろうが、生憎紬にはそんなつもりはサラサラない。
寧ろ、《勘弁してくれ》との思いで一杯になった。
「若、私にお任せ下さい。」
辛夷は丹田に力を入れて大きく息を吸い込んだ。そのまま後ろに仰け反ったかと思うと次の瞬間......。
「ここにおわすは大皇が長子......、五芒の君並びに風の姫君であらせられるぞ。殿下・妃殿下の還啓である、皆の者道を空けられよ。」
街中に轟く辛夷の声。静まり返る群衆を見て悦に入った表情を浮かべるこの漢からは一仕事終えた達成感で満ち溢れていた。
(最悪だ......。)
こいつが国の高官で無ければ一発殴ってやるところだが、既のところで何とか思い留まる事が出来たのはこやつらと接するようになって少しは忖度出来るようになったからであろう。
しかし、状況は最悪だ。辛夷が放った一撃は遥か先の一団に向けられたものではあったが、その影響力はそこに留まるはずもない。
「辛夷様、なんてことをしてくれたんですか。」
紬が怒るのも無理もない、先程迄の人々の往来はパタリと途切れ、代わりに朱雀門迄伸びる道の端で頭を垂れて平伏す人・人・人......。
空気を読まぬ駄犬のせいで余計な厄介事が舞い込んでくるのは確定である。
辛夷に狙われた眼前の一団にもこいつの咆哮はバッチリと届いたようで彼女たちは我々の妨げにならぬように道の端に寄り歩みを止めて見せた。
思惑通りに事が進んだ辛夷は得意気に髭の生えていない顎を触っていたが、出に使われたこいつの主はたまったものじゃ無いだろう。
ふと紬が見上げたその先にはいつものように凛とした表情の桔梗、だがその視線は何処か物悲しげで憂いに満ちていた......。
(何て顔しやがるんだ、これじゃ何も言えないじゃないか......。)
「済まない。そなたもこのような事に巻き込まれたくは無かったろうに。だが成すべき事を成すにはこれもまた必要なのだ。」
「貴方様が成そうとされる事はきっとこの国の為に誰かがしなければならない事なのでしょう。」
「それが例え後ろ指を指されるような事であっても私にとって桔梗様は桔梗様です、それは何も代わりません。」
「そうか私は私か......。」
(そうだ、こいつはこいつだ。私には関係ない。)
「さあ参りましょう。早くしないと皆に迷惑がかかりますよ。」
三人は礼を尽くす者に対して細やかに手を挙げて応じながらも先を急ぐことにした。目標はあの朱雀門の先、だがその前に越えなければならない壁がある。
後宮迄の道すがら、歩みを止める牛車と女人の一団。駄犬の咆哮で道を譲るところをみる限り、身分としてはこちらが上だということは理解しているようだ。辛夷の愚行もその事を知っての事だろう。
だがこいつらの主というのはどうやら桔梗に対して並々ならぬ対抗心を持っているらしい。それはこいつらを見れば直ぐに分かった。
綺羅びやかな屋形に派手に着飾った牡牛、どれも先日乗った機能的で実用的な桔梗の物とは真逆と言って良い程豪華だ。意外な程に実直な桔梗とは違い、この所有者は余程自己顕示欲が強いと見える。
と同時に競うべき相手への劣等感を抱いたような弱さも垣間見えた気がした。
「案ずるな、このまま通り過ぎるぞ。」
そう声を掛けたのは桔梗だった。紬にだけ聞こえるように囁いたのは無言で桔梗の後を追う者に対しての最低限の気遣いだったのであろう。
何せこんな景色は滅多にお目にかかれるものじゃない、普通の者なら足がすくんでも何らおかしくはない。
だが当の本人はそんな事などどこ吹く風といった表情で桔梗の後を追っていた。紬にとってはそれよりも《趣味が悪いな》等と余計な事を言わないように必死で堪えるので精一杯だった。
「つむぎ?」
通り過ぎようとした刹那、悪趣味な屋形の中より聞こえる覚えのある柔らかな声。紬にはその主が誰であるかは直ぐに分かった。
ごく最近まで一緒につるんでいたのに今は何処か懐かしいその声を紬は忘れるはずがなかった。
「伊織!」
屋形の物見の格子越し、身を乗り出してこちらを見つめるその顔は紛れもなく唯一の親友と呼べる娘のそれだった。




