〜 風呼びの巫女とは私のことだ 〜
「嬢ちゃん、今日も頼んだぜ。」
背丈は百五十センチそこそこ、何とも締まりの無いお腹が印象的な中年オヤジが笑いながら声をかけてきた。
無言で榊の採物を一振りして見せた妙齢の巫女はそれを合図に舞台に向かって歩を進めた。
麻紐で区切っただけの即席だったが、彼女がその場に立つだけでそれなりに見えるのだから不思議なものである。
松風の爽やかな響きが四方の松明を揺らし、そのリズムに合わせて巫女は低く腰を落としてか細い足で地面を大きく踏み鳴らすと周囲の喧騒は一瞬で静まり、皆が舞台中央を刮目した。
いよいよ、巫女神楽の始まりである。
薄衣の千早からスラリと伸びる細腕は風と共に戯れ、緋袴に覆われた膝を高く上げては踏み下ろす。時に大きく仰け反って、時に前へ這いつくばる。
小柄で華奢な身体を目一杯に使ったその舞いは少しの妖艶さと大きな躍動感に満ち溢れていた。
巫女神楽は元々巫女自身に神を舞い降ろす神懸かりの舞を儀式化し祈祷や奉納で転用したものである。今も神懸かりや口寄せなどシャーマニズム的要素の強い巫女もおり、そういった者は祭祀を司る重要な存在として高い地位を有している。
もちろん、それが出来るのはほんの一握りの特異な者だけで、家柄も血筋も卑しい私には神や精霊の声なんててんで聞こえない、(ふん。)
私を含めた大多数の巫女たちはこのような祭事で祈祷や奉納の舞を行い食いつないでいるのが現状だ。
だが、中にはそんな巫女でも高貴な血筋の巫女にも見劣りしない暮らしをしている者がいる。国司や郡司付きのお抱え巫女達だ。奴等は特段秀でた才を持つわけでは無いのに1度舞うだけで私たち1年分の銀貨を得ているという。
国のお偉方に気に入られるには......、要は見た目だ。月並みの顔立ちに肋の浮いた痩せぎす。おまけに色気と愛嬌は共に壊滅的。飽和状態の巫女業界で何の取り柄もない私をお抱えにしようとする物好きは皆無だ。(ふん。)
(まぁ、無いものを強請っても仕方ない。そもそも私は芸や身を売る遊女じゃない。)
およそ一時間、たった一人で舞い続けた。肌に触れる風は移りゆく季節を感じさせるに充分な涼しさがあったが、流石に手足はプルプルと震え、白衣の下はじんわりと汗ばんでいた。
「いやぁ、また腕を上げたね。これまでで最高の出来だったんじゃないかい?」
先程の中年オヤジが声をかけてきた。こいつはこの村の村長で私を贔屓にしてくれている数少ない理解者の一人だ。
(それにしてもあの弛んだお腹に垂れ下がった目は見るからに胡散臭い。あれでこの村の長というのだから人は見かけによらないな。)
私のような貧乏巫女にとっては稲刈りを終えた後の奉納祭は単価はそれ程でもないが件数をこなせばそれなりに稼げる、貴重な収入源だ、無下に扱うわけにもいかない。
「あぁ、どぅも。」
村長の労いに最低限の礼で応えてみせた。それより早く休みたい。
「そう言えばさっき、誰かが爽やかな風の響き《風花》と評していたが本当にその通りだ。流石、《風呼び》様だ。」
正しくは《風呼びの巫女》、これが私の通り名だ。私の舞いは四季折々の風になぞられることが多く、いつの頃からかそう呼ばれるようになった。
神楽舞が持つ神秘的な雰囲気と八百万の神々の信仰根強いこの国の実情と合っており案外気に入っている。
「ほぉ~、風花とはなかなか粋なこと言うじゃないか。でもこの風がおわるとといよいよ今年もあの御方の季節が来るんだねぇ。」
次に声をかけてきたのはこの村の長老で通称《村の生き字引》。近年はめっきり老け込んで杖無しじゃ歩けなくなっている。
「おいおい、おばば様。今日はめでたい日なんだ、そういう事は言いっこなしだぜ。」
(はぁ、やっぱりみんな忘れてなんかいない。怖いんだ、大切な人を失うことが。でも、抗う事が出来ないからせめて口に出さないことでその事実から逃れようとしている。一年の終わりにやってくる陽の国最大の祭祀、《贖罪の贄》の事を......。)
《贖罪の贄》とは、この国に古くから伝わる伝承で一年の終わり、その年に人々が負った罪を贖い、穢れを祓う為に生贄を捧げるという習わしの事である。
この国は昔、厄災によって壊滅的な被害に見舞われた事があった。それは建国してまもなく、初代大皇の統治がまだ完全とは言え無かった頃の話である。
天は荒ぶり、地が叫ぶ。人々が思いつく限りの天変地異がこの幼き国を襲い、暗雲立ち込めるその光景は正に地獄絵図のようであった。
そして民衆は悟った、如何に自分達が傲慢であったかを、如何に自分達が無力であったかを。これまでの自分達の行いに八百万の神々が審判を下す日が来たのだと......。
そんな絶望に満ちた中で一人、国の惨状を憂い、民衆の安寧を願って立ち上がった者がいた。その名は斎王、神の宮で巫女として奉仕する大皇の娘、つまり皇女である。
斎王は神の宮に設けた祓所で3日3晩、寝食を忘れて祓詞を奏上した。そして3日目の晩、八百万の神々が目の前に現れ斎王にある神託を授けたのだった。
神からはただ一言、「その身を我に捧げよ。」
心優しき斎王は大皇を始めとする周囲の反対を押し切って自ら峡谷に赴き、国家の安寧をただひたすらに願いその身を投げたのだった。
斎王の訃報で国中が悲しみに包まれた7日後、峡谷より一筋の光が天まで伸び、立ち込めていた暗雲を貫くとこれまで民衆を悩ませていた厄災は鎮まったのだという。大皇が建国を宣言してから一年後の事である。
何百年も前のお伽話のような実話である。
斎王の献身とその勇気は後世にまで語り継がれ、その意思は引き継がれ、斎王が散った年と同じ十七になる若い娘が贄に選ばれその身を捧げる習わしが今尚続いている。
(悲劇であったかとは思うが、この話に共感出来るほど私は感傷深く無い。)
「そう言えば私も今年で十七だ。そろそろここも潮時かな、さすらいの旅も悪くないかぁ。」
「何?斎王様と同じお役目が頂けるのになんたる物言い、こんな名誉は他に無いんじゃぞ。これだから今の若い者は。」
(なんだこの婆さん、それじゃお前が変わりに飛んでくれ。こっちは真っ平御免だ。)
だが、この婆さんや村長の反応も分からなくもない。国の英雄である斎王と同じ偉業を果たす事はそれだけで栄誉。それに加えて多くの恩恵が与えられるとなれば......。
実際、貧困に喘ぐ者や汚名返上を狙う者にとっては又とない機会となっている。一方で望まない者がいるのもまた事実である。
昔、ある属国の姫君に神託が下った事があった。この時ばかりは例外なく高貴な血筋であろうと卑しい生まれであろうと皆等しく扱われ、例え大金を積んだとしても覆ることは決してなかった。
実に狡猾でありながら利口なやり方だ。神も威光を振りかざせば誰も断ることは出来ないし、何よりこの国には善政よりも先ず英雄が必要だったからだ。
未成熟な国家は少しの綻びがいずれ国家転覆へと繋がり得る。ましてや長らく疲弊した民衆を抱える国ならば尚更容易い。
崩れかけた泥舟は予期せぬ形で英雄を手に入れた事で大皇の権威をより強固なものとなり、後世にまでその影響が残るよう斎王の行いを準えた。この国の民度を考えればでこれが最適解と言えるだろうが、誰かの犠牲の上に成り立つ国を心優しき斎王が望むはずが無い。
そんなことは少し考えれば分かるだろうに。
(上手く利用された事を斎王が知ったらどう思うだろうか?斎王自身もここまで見越していたなら大笑いだな。やっぱり共感はできない。)
「まぁまぁ、二人とも。何にせよ、これからも期待しているよ。来年も頼んだよ。」
村長は締まりの無いお腹をタプンと一度弾ませて右手に持ったご祝儀袋を差し出した。
まぁ、買ってもらえるのは正直悪い気はしないが、それならもう少し目に見える形で見せてくれ。右手のご祝儀袋の厚みは昨年のそれとさほど変わらないじゃないか。
そう言えば去年もおんなじ事を言ってたっけか、この狸親父め、やはり食えない奴だ。
報酬を受け取った後、さっさと片付けて足早に帰路についたのだが、家に着く頃にはすっかり夜も更けていた。
「只今戻りました。」
暗がりの家には人の気配は無く、当然の如く返事は返って来なかった。そもそも一人で暮らしているのだからなんら不自然でなく、返事がした方がむしろ怖い。
それでも帰宅後の挨拶を欠かせないのは習慣だとか礼儀からではなく、この残酷で碌でもない世界に生を受けた自分の存在証明。それが例え、対となる返事が得られなくてもする事は変わらない。でも、なんだか最近は《まじない》のようにも思えてきた。
(くそっ、どうもいかん。さっきあんな話してたせいでどうも弱気になってやがる、らしくない......。)
満身創痍。身体的にも精神的にも限界が近づいている。震える手で戸を開けると倒れるように床についた。
「うぅわ、体ベトベト。湯あみ、したいなぁ。腹も減ったなぁ。」
「明日は仕事も無いし、久しぶりに......。」
迫りくる睡魔に身を委ね、自分との会話もそこそこに紬は眠りについたのだった。




