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目覚めたら魔法の国で、令嬢の中の人でした  作者: エス
PartⅡ

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81/89

66. レオンさんの町は素敵な場所でした

 王都を出発して三日目。

 馬車の外がほのかにオレンジ色に染まりはじめた頃、ようやく公爵領の屋敷が見えてきた。


 小高い丘の上に佇む石造りの建物は、王都の荘厳な公爵邸とは違い、どこかやわらかな趣をまとっているように見える。


 窓を少し開けると、心地よい夕暮れの風がふわりと頬を撫でた。

 遠くには豊かな森が広がり、清らかな小川がきらきらと西日を跳ね返す。

 空は広く、風はやさしく。馬車が進むにつれて、どこか懐かしいような、それでいて心弾むような気持ちが胸に広がっていった。


(こ、ここがっ! レオンさんの育った場所だぁぁぁ!!)


 気づけば、子どものように窓にぴたっと張り付いていた。

 

(だってこの地がレオンさんを育ててくれたんだよ!? そりゃもう感謝しかないでしょ!!)


 草一本、木の葉一枚たりとも見逃すまいと、目に映る景色を焼き付けるようにじぃぃっと見つめた。


 やがて馬車は丘を登りきると、ゆるやかに速度を落とし、門前で静かに止まる。

 扉が開き、すっと爽やかな緑の匂いが鼻をくすぐった。

 

「長旅おつかれ……着いたな」


 レオンさんが先に降りて手を差し出してくれた。

 その顔が心なしか嬉しそうなのは、きっと気のせいじゃないと思う。そんなレオンさんに思わずきゅんとしながら、私はその手を借りて、軽やかに馬車を降りた。


(ふぅ〜さすがに疲れたぁ。でも……)


 長く座っていたせいで凝り固まった体をぐぐっと伸ばし、きょろきょろとあたりを見渡す。


 王都の公爵邸よりもこぢんまりとしていて、可愛らしい雰囲気の屋敷。外壁には蔦が這い、木枠の窓から漏れる灯りが、日の落ちかけた空にぼんやりと浮かび上がる。


(うわぁ……! なんか、絵本の中のお屋敷みたい!)


 門の脇に立つ年配の使用人が、静かに歩み寄って一礼した。


「お帰りなさいませ、レオン様。ご無事で何よりでございます」


「ああ。変わりないか?」


「ええ。屋敷も領内も、皆穏やかに過ごしております」

 

 そして今度は私の方に向き直った。


「初めまして、シャルロット様。わたくしエルバンと申します。前々公爵ご夫妻の代より、この屋敷に仕えております。どうぞご滞在中はご不便のないよう、なんなりとお申し付けくださいませ」


 突然話しかけられて驚いてしまったけど、エルバンさんの声は穏やかで、その柔らかい笑みの奥には、長年仕えてきた人の落ち着きがにじんでいた。

 優しい雰囲気に、胸の奥がほっと温かくなる。


「えっ、あっ……ええと、はい! エルバンさん、よろしくお願いします!」


 慌ててぺこりとお辞儀をすると、エルバンさんがくすりと微笑み、

「こちらへどうぞ」と静かに身を引いた。


 エルバンさんに案内されたのは、天井の高い、落ち着いた雰囲気の部屋だった。

 厚みのある絨毯が足元をふかふかと包み、壁にはこの地の風景を描いた素敵な絵が掛けられている。

 大きな窓からは夕暮れの光がゆったりと差し込み、部屋の中をじんわり金色に染めていた。


 部屋の奥にある重厚な石造りの暖炉では、薪がパチパチと小気味よく弾け、ほのかに甘い木の香りを漂わせている。


「長旅でお疲れでしょう。夕食にお呼びするまで、ごゆっくりお休みくださいませ」


「うん……ありがとう」


 エルバンさんが出ていくと、部屋の中に静けさが戻る。

 私はソファに腰を下ろし、しばらく暖炉の火を見つめた。


(幼いレオンさんも、こうしてこの前で温まっていたのかな……)


 炎のゆらめきを見ていると、小さな頃のレオンさんが、この暖炉の前で本を読んだり、少し眠たそうに目をこすっていたりする姿がふっと浮かんだ。


(やだ! ちびっこレオンさん、絶対可愛いじゃん!)


 その光景を思い描くだけで、自然と頬がゆるむ。


 薪の香りを吸い込むように深呼吸すると、旅の疲れがすうっとほどけ、心の奥までじんわりと温まっていくようだった。


(ああ……いい香り)


 窓の向こうでは、空がゆっくりと藍色に移り変わっていく。

 

(なんか……素敵な滞在になりそうな予感!)

 

 穏やかな夜のはじまりが、静かにそう告げていた。 



 *



 翌朝。

 元気すぎるくらいの、鳥たちのさえずりで目を覚ました。

 王都とは少し違う、爽やかで澄んだ空気。

 窓を開け、朝露の香りのする冷たい風を浴びると、脳が一気に目覚めた。


(うん、最高の朝!)


 レオンさんに庭を案内してもらってお腹がぺこぺこになった私は、朝食の“朝採りきのこのポタージュ”を三杯もおかわりして食べ、ライナスさんに思いっきりからかわれた。


(だって美味しすぎるんだもん!!)


 お水も野菜も全部、信じられないくらい美味しくて。

 こんなごはんを毎日食べてたら──


(絶対太るやつ……!)


 あぶないあぶない。帰ったら服が入らない、なんてことにならないように気をつけなくては。自分に言い聞かせるように、こっそり姿勢を正した。


 朝食を終えると、エルバンさんがにこやかに言葉をかけてきた。


「本日は、町の様子などご覧になってはいかがでしょう。よろしければ、ご案内の手配をいたします」


 その提案に、レオンさんがちらりと私を見る。


「行ってみるか?」


「うん、行きたい!」


 そんなの考えるまでもない。行くに決まってる!


(ナイスタイミング! 食べた分、動かなきゃだしね〜!)


 そうして私たちは、さっそく支度を整えると、二人で公爵領の町へ繰り出した。



 *



 王都のような華やかさはないけれど、この町は、どこかあたたかくて穏やかだった。

 通りには、焼きたてのパンや煮込み料理の香りがふわりと漂い、遠くから子どもたちの笑い声が聞こえてくる。働く人も行き交う人も、みんなにこにこと楽しそうに見えた。


「今日は市の日だから、広場まで行ってみるか」


 レオンさんの提案に、私はぱっと顔を上げる。


「行く行く! 市って、マーケットみたいなやつだよね?」


 自然と声が弾んでいた。

 旅行先のいちばんの楽しみは、やっぱり市場やお土産屋さんだと思う。その土地ならではの食材を使ったジャムとか、お菓子とか……見るだけでも絶対楽しいに決まってる!


 そんな期待で胸をふくらませながら、私はレオンさんの隣を歩き出した。


 町を進むうちに、通りのあちこちで、色とりどりの布や旗がひらひらと風に揺れているのが目に入ってくるようになった。

 屋台を準備する人たちのちゃきちゃきした声や、木箱を運ぶ若者たちの笑い声が、あちこちから聞こえてくる。


(なんだろ? お祭りでもあるのかな?)


 そう思ってみると、町全体が、どこかそわそわと浮き立つような空気に包まれている気もする。


(もし滞在中にやってるなら、ちょっと覗いてみたいかも)


 そのとき。

 道端で荷台を整えていた男性が、ふとこちらを見て目を丸くした。


「ご当主様! お帰りなさいませ!」


 その声に気づいた周りの人たちが、次々と手を止め、レオンさんの方へ顔を向ける。


「レオン様だ!」


「ご当主様、お久しぶりです!」


 誰もが笑顔で声をかけ、頭を下げていく。

 レオンさんはそのたびに足を止め、穏やかに微笑みながら一人ひとりに「久しぶりだな」「元気そうだな」と言葉を返していた。


(……すごい。みんなレオンさんのこと、こんなに慕ってるんだ)


 王都にいる時とは少し違う。

 レオンさんもどこか肩の力が抜けていて、自然に町に溶け込んでいた。

 

(レオンさんって、きっと良い領主様なんだろうな……)


 なんだか新たな一面が垣間見えたような気がして、少しだけ嬉しくなった。


 そのまま通りを抜けると、道の先に広場が見えてくる。


 その一角で、子どもたちが輪になって遊んでいるのが目に入った。ボールを投げたり、追いかけっこをしたり。あちこちから響く元気な声が、まるで音楽みたいに広場を包んでいる。


 その時、ひとりの子が勢いあまって転び、ボールがコロコロとこちらへ転がってきた。


「あっ、ごめんなさい! ボール!」


 レオンさんは軽く手を伸ばし、落ちてきたボールを拾う。そして何のためらいもなく、小さく魔法を込めた。

 ふわりと浮いたボールは、くるくると回転しながら子どもたちのもとへ戻っていく。


「わあああっ! すごーい!」


「魔法だー! もう一回やってー!」


 子どもたちがきゃあきゃあと盛り上がる中、レオンさんは少しだけ目を細めて、やわらかく笑った。


(……っ!? 待って! なにその顔!?)


 私は慌てて口元を押さえる。

 だって、あのいつものクールで完璧なレオンさんが、いま、子どもたちに向かってあんなに優しく笑ってるとか……尊すぎて息ができないんですけど。


 思考が完全にフリーズした私は、謎のテンションで心の中にメモを取る。


(レオンさん、子どもに優しい。ここ、超重要!)


 そんな私に気づいたのか、レオンさんが少し照れたように「……なんだよ」とひと言。


(て、照れてるーーー!?)


 思わず変な声が出そうになって、私はごまかすように首をぶんぶん振った。


(レオンさんが、いつかパパになったら……きっと、あんなふうに優しく笑うんだろうなぁ)


 ふとそんな未来を想像してしまった自分に、自分でびっくりする。

 

(いやいやいやっ! 何考えてんの私っ!)


 急に恥ずかしくなって、私はもう一度ぶんぶんと首を振った。


 広場の市は、想像以上ににぎやかで楽しかった。

 色とりどりの果物や焼き菓子、木細工の小物や手織りの布が並んでいて、どの店先からもいい匂いと活気があふれている。


 しかも──ここでもレオンさんはやっぱり大人気。

 通りかかるたびに「レオン様、これぜひ!」「お口に合うかと!」と次々に差し出され、気づけば両手いっぱいに包みを抱えている。


(さすが領主様……人気が桁違い……!)


 そんな様子を横で見ながら、私はこっそり笑いをこらえるのに必死だった。


 そして昼下がりの陽射しが少し傾きはじめた頃、市をひと回りした私たちは、にぎわう町を抜けて屋敷へと戻る道を歩いていた。


 その途中、果物屋の前で立ち話をしていたご婦人たちの声が、ふと耳に入ってくる。


「ねえ、あの方が……」

 

「レオン様の婚約者様らしいわよ」

 

「まあ。ずいぶんお若い方ねぇ。どんなご出自なのかしら」

 

「ちょっと近寄りがたい雰囲気じゃない?」


「やっぱり、貴族のお嬢様って、どこか“お高くとまってる”ものよねぇ」

 

 声はひそやかだったのに、不思議と一言一句がはっきり聞こえてきた。


(……え? いま、私のこと……?)


 驚いて足を止めそうになったけれど、慌てて歩調を合わせる。


 ちらりと横目で盗み見たレオンさんは……何も聞こえなかったように穏やかな顔。

 もしかしたら、本当に聞こえていなかったのかもしれない。


(でも私は……ばっちり聞いちゃったんだよね……“お高くとまってる”って)


 胸の奥が、きゅっと痛くなった。


 ご婦人たちの言葉に悪意がなかったのはわかっている。

 それでもさっきまでの楽しい気持ちに、いきなり冷たい水を浴びせられたようで、うまく息ができなかった。


(……私、あの人たちに受け入れてもらえるのかな)


 王都では、公爵邸のみんなに囲まれて、のほほんと過ごしてきた。

 でもこの地で、「ウラドール家当主の婚約者」として見られるのは、きっと全く別のこと。


(私が結婚したら、ここで……公爵夫人になるんだよね)


(レオンさんは、みんなに慕われてて……すごく立派な人だから)


(そんな人の隣が私だったら……みんな、ガッカリしちゃわないかな)


 心の奥に、小さな不安の種が、そっと落ちていった。

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