33. レオンさんのためにがんばるんだから……!
「あ〜〜、さすがに今日は疲れた〜〜〜!」
クラウス先生のしごき授業を終え、西日の差し込む公爵邸の廊下をとぼとぼ歩きながら、思わず可愛くない声が出てしまった。
昨日は伯爵邸にお泊まりして、夢でシャルロットさんに会って──。今朝は気持ち新たに伯爵邸を出たはいいけど、公爵邸に着くなりリオさんに泣きついてしまった。それに加えて午後はクラウス先生の鬼授業。……そりゃ疲れるよね。
伯爵邸で見たシャルロットさんの夢のことをレオンさんに話したかったけど、お昼に会ったレオンさんはなんだかちょっと不機嫌で、話しかけられなかった。
さっそく“レオンさんのお荷物フラグ”かと身構えちゃったけど、リオさんは「そんなわけない」って笑ってくれたし……。うん、信じることにしよ。
(レオンさん、どうしたんだろ? ……お昼食べすぎて眠かったとか?)
そんなことを考えていると、ふと廊下の飾り棚に目が止まる。花や、ちょっとした小物を置けるようになっているそのスペースに、何やら見慣れない絵が飾られている。
そこに描かれているのは、優しげな眼差しの男性と、気品ある微笑みの女性。そして絵の前には季節の花がそっと添えられている。
「……あれ?」
なんとなく足が止まった。
(この絵、初めて見るかも……)
すると、後ろから歩いてきたマーサさんが気づいて声をかけてきた。
「それはレオン様のご両親の肖像画ですよ。明日は、おふたりの大切な日ですからね。レオン様は普段はあまり飾りたがらないのですが、毎年この時期だけは、こうしてこの絵を出させていただいているんです」
「えっ……!」
私は改めて肖像画を見た。
(言われてみれば、レオンさんに似てる……)
涼しげな目元はお父さん、口元はお母さんかな。額縁の中のご両親の笑顔に、胸の奥がじんわりと切なくなるような、そんな気持ちになった。
(そっか……。レオンさん、さっき少し元気なかったけど、それって……)
思い当たる節がぽつぽつ出てくる。
(ご両親を思い出してたんだ、きっと)
私はそっと絵の前で手を合わせる。
「レオンさんにとって、大切な人たちなんだね」
あのクールなレオンさんが、側から見てわかるほど落ち込んでたのだ。ああ見えて、ご両親への想いは人一倍強いのかもしれない。
胸に広がったしんみりした気持ちを、ぶんぶん振り払うように、私は両頬をぺちっと叩いた。
(よしっ! レオンさんのために、私にできることを考えよ)
*
翌朝の朝食後、私は急いでリオさんを探した。リオさんのことだから、絶対にこのお屋敷のどこかにはいるはずだと屋敷中をぐるぐる探し回って、ようやく庭のベンチでお茶している姿を見つけた。リオさんは朝の光を燦々と浴びながら、ベンチにもたれ、優雅に紅茶を口にしている。
(いやいやリオさん、ここ公爵邸! 人んちだから!)
陽だまりに咲く花の香りが風にのって揺れ、テーブルの上にはサンドイッチとレモンタルトがきれいに並べられている。まるで夢の中を描いた絵画のように爽やかな光景の、そのど真ん中にいるのが、この自由すぎる王太子である。……いや、確かに絵にはなっているけど!
「リオさん、相談があって!」
「おっと、シャルロットちゃん、朝から全力疾走でどうしたの〜?」
ひらひらと手を振るリオさんに駆けより、息を弾ませながら訴える。
「レオンさんが、ちょっと落ち込んでるように見えて……」
「ふむふむ」
「今日って、レオンさんのご両親の命日だよね?」
その言葉に、リオさんが一瞬「そうだっけ?」とでも言うようにきょとんとしたが、すぐに何か思い出したようにふっと目を伏せた。
「そうだね〜。お父様お母様に思いを馳せる日、だよね……」
(やっぱりリオさんも、知ってるんだ)
「でね、少しでもレオンさんの気持ちが晴れるように……何かしてあげたくて。ご両親との思い出に浸れるようなこととか」
「ふむふむふむ。それはいい心がけだねぇ」
リオさんは感心するように目を閉じると、おもむろに腕を組む。しばし考え込み、うーんと唸った。
「じゃあさ、思い出の曲を演奏してあげるっていうのはどう?」
ぱちっと嬉しそうに目を開けたリオさんの頭の上に、ピカッとライトが光ったような気がする。
「えっ、演奏……?」
「感情に訴えるには音楽が一番!」
「シャルロットちゃん、何か楽器できたっけ?」
リオさんは、手のひらをポンっと叩いたあと、少しだけ眉を上げてこちらを見た。
「クラリネットなら、ちょっとだけ。吹奏楽部でやってたから……」
思いがけない提案に戸惑いながらも答える。でもクラリネットなら、中学高校と毎日吹いていたし、よほど難しい曲じゃなければ──たぶんいける。
「おおっ、クラリネット!!」
「……って、それってどんな楽器?」
ガクッ。あんなにテンション高く叫んでおいて、こてんと首を傾げるリオさん。思わずその場でずっこけそうになった。
(え、そこ知らないの!?)
でも、そうか……この世界にはクラリネットが存在しないのかもしれない。私は必死に頭をフル回転させる。
「えっと、黒くて、こう……ぷーって吹くやつで……」
身振り手振りを交えながら、全力でエアクラリネットを実演。リオさんは最初、真剣に頷きながら見ていたが、だんだんとその目が生あたたかく変わっていく。
「う、うん……。そ、それはたぶん今ここにはないから……」
一瞬の沈黙。
「じゃあ、笛で代用だね!!」
「えっ、笛!?」
さすがリオさん、提案のノリが軽すぎる。
「似たようなもんでしょ? いけるいける! 公爵邸にもあると思うから、あとでカイルあたりに聞いてごらん」
「わ、わかった……」
私が頷くのを見て満足そうに目を細めると、リオさんはふっと声のトーンを落とした。
「その笛でね、何か思い出に浸れるような曲を演奏するんだ。……公爵邸の裏庭に、白いお墓があるのは知ってる?」
「お墓……?」
「うん。そのお墓の前で、『レオンのご両親のために』って言ったら、きっと感動すると思うよ〜」
リオさんは視線を斜め上に向け、どこか遠い記憶を見つめるように、しんみりとした調子で言った。
(レオンさんのご両親のお墓の前で、思い出の曲を……)
少し恥ずかしいけど、なんだかできそうな気がする。問題は、この世界の笛がどんな物か検討がつかないことだけど……なんたってクラリネット歴5年だし。たぶんイケる!
「ありがとう、リオさん! すっごくいい案だと思う!」
考えれば考えるほど、名案な気がしてきた。胸の奥がわっと熱くなって、思わずドンっとテーブルに両手をつくと、リオさんのサンドイッチがぴょこっと跳ねた。
「でしょ〜?」
にこにこしながら、サンドイッチをパクリと口にするリオさん。
私はリオさんにお礼を言って、カイルさんの元へと走った。
(レオンさんのために、がんばるんだから……!)




