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32. 私、お荷物かもしれません

 伯爵邸からの帰り道。馬車の中でひとり、気合いを入れていた。誰も見ていないのをいいことに、胸の前で拳をぐっと握りしめる。


(よしっ! がんばろう! 私、シャルロットとして生きていくって決めたんだもん)

 

 窓の外を漂う白い雲も、並んで続く赤い屋根瓦も、通りを歩く野良猫のしっぽでさえも、今日はなんだかやたら煌めいて見える。


(ああ〜こんなに心穏やかなの、この世界に来て初めてかも〜)


(帰ったら、レオンさんに報告しよっと)

 

 スッキリした気分で、ググッと腕を伸ばしたその時。突然、ぽつりとある素朴な疑問が湧き上がる。


(……待って)


 そもそもレオンさんが私と婚約したのは、リオさんの提案だったはず。たしか、大人しかった幼馴染のシャルロットさんを心配してレオンさんに任せたって。レオンさんも、リオさんの頼みだから仕方なく……って。

 

(えっ……ってことは?)

 

(シャルロットさんの中身が私になった今、レオンさんて……もう別に私と婚約しなくていいんじゃ……!?)

 

 頭をぐわんとハンマーで殴られたような衝撃が走る。


(ちょ、ちょ、ちょっと待って……! それって、私、もう必要ないってこと!?)


 私といえば、この世界のこと何にもわからなくて、レオンさんに頼まれたおつかいすらできなくて、おまけに笑顔が魔物って言われた人間だし。

 それなのにバルドさんのご飯がおいしくて、カイルさんに引かれるくらい食べちゃうし……。

 

(っていうか……私、もしかしてお荷物……!?)


 頭が真っ白になり、思わず勢いよく立ち上がろうとして──ゴツンッ! と天井に頭をぶつけた。


「いったぁ……!」


 慌てて座席に戻り、両手で頭を押さえる。

 

(待って、そう考えたらなんか、急に自信なくなってきた……)

 

 がたん、と馬車が揺れた拍子に、気持ちまでぐらっと揺れた気がした。


(うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!)


 席で思いっきり頭を抱えてうずくまる。さっき打ったところがじんじんと痛い。だけどそれ以上に、頭の中で危険信号がピーピー点滅していた。まさかの「レオンさんのお荷物フラグ」発動中……!?

 

(……よし。とりあえず、リオさんに相談しよう)

 

 あの人ならきっとケラケラと笑い飛ばしてくれるし、何よりレオンさんをずっと見てきた人だし。

 

 さっきまであんなに晴れやかだったはずなのに、今や体も心もボロボロ。ズキズキ痛む頭を押さえながら、私はぐったりと公爵邸へ帰っていった。



 *


 公爵邸に到着し、ライナスさんが御者台から降りるよりも先に馬車を飛び出すと、玄関前に見慣れた金髪が見えた。

 

「おかえり〜、シャルロットちゃん! 伯爵邸はどうだった?」

 

 リオさんがひらひらと手を振りながら話しかけてくる。その、のほほんとした笑顔を見た瞬間、ぷつんっと体の中で何かが弾けた。

 

「リオさぁぁぁぁんっっ!」

 

 私はそのままダッシュで駆け寄り、リオさんの胸に飛び込んだ。

 

「へぶっ!? ど、どしたの!?」


 尋常じゃない私の様子におろおろと戸惑うリオさん。片手を回して私を支えてくれてはいるものの、もう片方の手は潔白を証明するように上げている。

 

「私、もしかしてレオンさんにとってお荷物なんじゃないかって思ったら、なんか……涙出てきたぁぁ!」

 

 その場に崩れ落ちて泣きじゃくる私に、リオさんは目をぱちくりさせたあと、ぷっと吹き出した。

 

「ちょ、シャルロットちゃん、急展開すぎでしょ……!」


 手を差し出しながら、ケラケラと笑っている。

 

「だってだって! レオンさんが私と婚約したのって、もともとリオさんの提案だったんだよね? シャルロットさんが大人しくて心配だったから、信頼できるレオンさんに預けたって」

 

「うんうん、そうそう。以前のシャルロットは繊細だったからね〜」 


 そう言ってリオさんは「よいしょ」っと私を立たせると、パタパタとドレスの汚れを払ってくれた。


「ってことはさ? 中身が私になった今、もう私たちが婚約してる必要って、なくなってるんじゃないの……?」


 私の疑念をぶつけると、リオさんは肩をすくめてあっけらかんと言った。


「そうだね〜、もう必要ないかもね〜? うんうん、別に結婚しなくてもいんじゃない〜?」


「はああああああっ!?」


 思わず大きな声が出てしまった。

 

「だって今のシャルロットちゃん、めっちゃ元気だし? レオンに見守ってもらわなくても普通に生きてけそうだし?」


 リオさんは腕を組み、わざとらしく頷いてみせる。

 

「やっぱりぃぃぃ!? 私って用済みってことで放り出されるのぉぉ!?」


 へなへなと腰が抜けそうになったところを、リオさんが素早く腕を掴んで引き止めた。

 

「ぷっ……はははっ……シャルロットちゃん……完全に恋だね、これ」


「え……」

 

「レオンにどう思われてるか気になってしょうがないって、それ、恋じゃなくて何なのさ」


 至近距離で顔を覗き込まれて、そんな指摘をされたら照れるにきまってる。私は反射的にリオさんの腕を振り払うと、くるんっと背を向けた。

 

「うぅ……違っ……いや違わないけどぉぉ……!」


「ふふ、いいねぇ、そういうの青春って感じ! じゃあさ、あたって砕けてみたら?」


 突拍子もない提案をされ、ぴくりと反応する。

 

「そんな簡単に……!」

 

「いや〜だってさ、レオンがお荷物だなんて思ってるわけないじゃん。まあ、あいつ口下手だから、絶対言わないだろうけどね〜」

 

 力無く振り返ってみると、リオさんは、おもしろがってるのか本気で心配してくれてるのかわからないテンションで笑っていた。

 

 だけどそのやり取りに、ちょっとだけ救われた気がする。さっきまで地の底に沈んでいた心が、少しだけ浮上した。……たぶん、地上10センチくらい。

 

(それにしても……レオンさんって、私のことどう思ってるんだろ……)

 

 リオさんのおかげで少しは心が軽くなったはずなのに。今度はまた別のもやもやが胸の奥でぐるぐると渦を巻き始めていたのだった。



 *



 その日、公爵邸の執務室。重厚な扉に隔てられた空間は、窓からの光を受けてもなおどこか沈んだ空気を漂わせていた。


 レオンは机に向かい、書類を前にしている。だが視線は文字を追いながらも焦点を結ばず、長い間同じ行を睨み続けていた。手に持ったペンは止まったまま、インクがじわりと紙を濡らしていく。

 

 その静寂を破るように、控えめなノックの音が響く。カイルが入ってきて報告を述べようとしたその時、扉の隙間からひょっこり顔を覗かせる影があった。クラウスである。


 ゆったりと執務室に入ってくると、両手を背に組みながらレオンを眺めた。

 

「ほほう、執務室に籠っておるとは珍しいのう。何か、気が立っておるようじゃが」


 おどけた調子で口にしつつ、その眼差しは鋭く若者の心中を探っている。

 

「……別に」

 

「ふぉっふぉっ、そうかそうか。では問おう。小娘はどこじゃ?」

 

「さっき、リオのところへ行った」

 

「ふむ……」

 

 クラウスは顎に手を添え、しばし考え込むような素振りをみせる。そしてやがて、にやりと口元をゆがめた。

 

「ははーん。お主、なんで不機嫌なのか、自分で気づいておらんのじゃな?」

 

「……は?」


 唐突な指摘に、レオンの眉がわずかにひそめられた。

 

「玄関先で、王子と小娘が、なかなか距離の近い再会をしておったそうじゃの?」

 

「……見てたのか」

 

「というか、通りがかっただけじゃがの。お主はそれを見てしもうて、こうしてぷりぷりしておるわけじゃろう? いやはや、若いってよいのう!」


 クラウスは愉快そうに笑い、肩を揺らした。その声音はからかい半分ながら、どこか温かみすら含んでいる。

 

「……」

 

 レオンはペンを置き、胸の奥でざらつく感情を振り払うように深くため息をついた。

 

「くだらない」

 

「ふぉっふぉっ、そうかのう? 気になる娘が他の男に懐いておる……それを見て胸がざわつくのは、なかなか重要な心の動きじゃと思うが?」

 

 レオンの口元がわずかにひくつく。だが反論の言葉は喉でせき止められ、結局何も言わない。

 

 クラウスはステッキの先で床をコツンと鳴らすと、その音を合図にするように、くるりと踵を返した。重たい外套の裾を揺らし、ゆったりと歩を進める。


「ま、そのうちわかるじゃろ。自分がなぜ、そんなにイラついておるのかのぉ〜〜〜!」

 

 扉が閉まり、執務室に再び静けさが落ちた。

 

「……チッ」

 

 レオンは再び書類に目を落とすが、やはりペンは進まなかった。

 

 意識の端をかすめるのは、さっき偶然目にした玄関先での二人の様子。泣きながら飛びついていった姿。──そしてリオの、あの調子に乗った顔。

 

 ぐしゃっ、と書類がひしゃげる音がした。

 


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