28. その女子トークは想定外です!
玄関ホールに降りると、すでにライナスさんが馬車の前で手綱を持って待っていた。
「いや〜しかし、お貴族様ってのは大変っすねぇ。お茶会ひとつでこんなに準備するなんて……。俺だったら胃がやられてるっすよ〜」
「ライナス。シャルロット様を不安にさせるようなことを言うのはおやめなさい」
マーサさんがピシャリとたしなめる。けれどその直後、ふっと穏やかな笑みを浮かべて私に向き直った。
「でも、ほんとうに無理に繕おうとしなくていいんですよ。そのままのシャルロット様がいちばん素敵なんですから」
「……マーサさん」
(うぅっ、優しい言葉が沁みる……!)
「シャルロット様、がんばってくださいねっ! 私、全力で念を送ってますからっ!」
ティナちゃんは拳を握りしめ、目をぎらぎらさせながら気合いを送り込んでくる。その真剣さは、まるで親友を戦地に送り出す将校のようで。
(ちょ、怖い怖い! これから行くの、優雅なお茶会だからね!?)
でも、ここまで全力で送り出されちゃったら──もう行くしかない。
「……うん、行ってきます!」
みんなの声に背中を押されるようにして、私は馬車へと向かった。
*
「ひえぇぇぇ……!」
白亜のソレイユ邸の門が見えた瞬間、変な声が出た。噂には聞いていたけど、実物は想像の十倍くらいゴージャス。花が咲き乱れる広い庭に、噴水、煌びやかな装飾の施された迎賓門。豪華の極み。目がチカチカする!
(ちょ、待って。ほんとにここ入るの!? 私、場違いすぎない!?)
馬車が門をくぐり、ゆっくりと停まる。レオンさんが静かに降り立ち、私の手を取ってエスコートしてくれた。
「行ってこい。緊張してるなら深呼吸でもしておけ」
「う、うん……行ってくるね」
震える声で言ったものの、心細くてついレオンさんをチラッと見上げてしまう。でもレオンさんは眉をピクリとあげ「早く行け」とでも言うように、クイっと顎を動かしただけ。
(ううっ……わかってますよぉ。行きますよ……)
気合いを入れ直して足を踏み出そうとした、その時だった。レオンさんが私の肩をぐいっと掴んで、くるりと振り向かせた。
「……入り口で待ってる」
いつもより少し低い声。その真っ直ぐな視線の奥が、ほんの少しだけ心配そうに揺れている気がした。
「っ……!」
(な、なにその言い方……もう、やめてよ。そんな顔で言わないでよ!)
「い、いってきますっ!」
語尾がうわずって、自分でも変な声になったのがわかった。顔が熱くなるのを誤魔化すように、私は勢いよくドレスの裾をつかみ、ずんずんと屋敷の中へ足を踏み入れた。
(ああもうっ! 変なテンションで入っちゃったぁぁぁ!!)
*
案内されたサロンは、華やかに着飾った令嬢たちで溢れかえっていた。
(……っ!? やばい! どこ見てもキラッキラ!)
全員ドレスもメイクも完璧。宝石みたいな笑顔と、慣れた仕草で紅茶を嗜むその姿は、まるで社交界を舞台にした映画のワンシーンそのものだった。
優雅な笑い声、香水の甘い香り、ティーカップの触れ合う澄んだ音。それらすべてが「上流階級ですけど何か?」と主張してくる。
そんな中へ、おそるおそる足を踏み入れたその瞬間──視線。視線。視線。
(うわあああああっっっ!? 見られてる! 完全に見られてるぅぅぅ!!)
文字通り、令嬢たちの注目が一斉に私に集まった。
「まあ……あれが、レオン様のご婚約者……?」
「初めてお目にかかるわ。シャルロット様って、お茶会にはあまり……」
あちこちから、ひそひそと声が聞こえてくる。笑顔の奥に隠された探りと興味。ああ、これが『貴族女子の社交戦』というやつ……!
(やばい、もう帰りたいぃ……! 帰ってお布団にダイブしたい……!)
気圧されながらも、なんとか笑顔を作ってぎこちなく着席した。
「シャルロット様、はじめまして。ずっとお会いしたいと思っておりましたの」
「お噂はかねがね。レオン様のご婚約者と伺って、どれほど麗しい方かと……」
美しい令嬢たちが、優雅に、にこやかに話しかけてくる。けれどその笑みは、まるで細い絹糸のように張りつめていて──一歩間違えばプツリと切れそうな“作り笑顔”。
(うぅ……笑顔が怖い……目が潰れる……!)
「シャルロット様は……以前はお茶会などにはいらっしゃらなかったので、お目にかかれる日を楽しみにしておりましたのよ」
(え……そうなの!? 前のシャルロットさん、そんなに出てなかったの!?)
焦りで背中にじんわり汗が滲む。笑顔を保たなきゃいけないのに、口角がぴくぴく震える。
ティナちゃんの恐怖の社交辞令レクチャーを必死で思い出そうとしたけど、令嬢たちの質問はまるで矢のように飛んできた。
「シャルロット様は、どちらの仕立て屋をご利用なのですか?」
「最近のご趣味は? お屋敷ではどのようにお過ごしで?」
「えっと……あの……その……」
質問に答える隙もなく、次々と押し寄せる微笑みと声。優雅な香水の匂いに混ざって、空気がどんどん薄くなっていく気がする。
(うっ、翻訳が……ティナちゃん翻訳が追いつかないぃぃ!!)
(わ、わかんない! なにこの空気! 怖いよぉぉぉっ!)
パニックで頭が真っ白になり、このまま椅子をひっくり返してでも逃げ出そうかと思った、そのとき。
──『そのままのシャルロット様が、いちばん素敵なんですから』
今朝、マーサさんが言ってくれた言葉がふっと浮かぶ。
(……もういいっ! こうなったら信じる! マーサさんの言葉信じちゃうからねっ!?)
「え〜っと……その……ひまな時は、ですね……」
笑顔を引きつらせたまま、脳内がフル回転する。なのに出てくる言葉は、まるで壊れた蛇口みたいに止まらない。
「妄想してます。ひたすら」
「……妄想?」
「はいっ! こう……一生ケーキかクッキーどちらかしか食べれないとしたら、どっちを選ぼうとか……。レオンさんがもし犬だったらどんな犬種かなとか……えっ、今のナシで!」
口に出した瞬間、場の空気がカチンと凍る。
あまりにも想像の斜め上すぎたらしい私の答えに、令嬢たちがぽかんと固まった。ティーカップを持つ手が一瞬止まり、カチリと小さな音を立てる。
(うわぁあああああやっちゃったあああああ!!)
(レオンさんごめんなさいぃっ! あなたの婚約者としての社交ミッション、失敗したかもぉぉぉ!!)
血の気が引く音が聞こえた気がした。どうしよう、消えたい、床に吸い込まれたい……と半分本気で思った、その瞬間。
「ふふっ!」
「あはははっ、なんですのそれ〜〜っ!」
最初の小さな笑い声が、弾けた泡みたいに次々と広がっていく。さっきまで張りつめていた空気がふわっとやわらぎ、場の雰囲気が一気に華やいだ。
「シャルロット様って、思ってたよりずっと面白い方だったんですのね!」
「ちなみに……レオン様が犬だったら、何犬だと思われますの?」
令嬢のひとりが笑いながらそう尋ねてくる。
(え、それ聞く!? いや、そこ掘り下げる!?)
でも、私の口は迷わず動いていた。
「……ドーベルマンです」
ピシッと背筋を伸ばして答えると、令嬢たちは一瞬ぽかんとしたものの、すぐに顔を見合わせてぱぁっと笑顔を弾けさせた。
「きゃ〜〜っ!! わかりますわかりますわ〜〜っ!!」
「クールで鋭い視線とか、もうドーベルマンですわ!」
「絶対飼い主にしか懐かない大型犬って感じですわよね!」
(な、なんか、すごい盛り上がってる……!?)
「ねぇ、こうして話してみると、シャルロット様って本当に素敵な方だったんですのね」
ひとりの令嬢が、ふわりと微笑む。
「ほんと。ぜひもっと、お話ししたいですわ!」
最初の緊張と不安が嘘みたいに、テーブルの空気がどんどん明るくなっていく。話題は次第に、好きなスイーツやドレス、最近流行っている髪型の話にまで広がっていった。
「シャルロット様、今日は楽しかったですわ!」
「次はぜひ、私の家のお茶会にもいらしてくださいまし!」
皆が笑顔で声をかけてくれて、私は何度も頷く。
(そっか……素のままでも、ちゃんと受け入れてくれる人って、いるんだ)
お茶の香りと、くすくす笑いが交差する午後。きらびやかでちょっとこわいと思っていたこの世界が、ほんの少しだけ好きになった気がした。
そしてお茶会がお開きになる頃には、私はぐったりとしながらも、どこか満たされた気持ちで会場を後にしていた。
(あ〜気疲れすごい。……でも、頑張ったよね私!)




