25. 似合ってる、思った通りだ
少し落ち着いたころ、人混みの向こうからレオンさんが戻ってくるのが見えた。手には淡い色のジュースがふたつ。白シャツに袖をまくった姿は、もうなんかやたら爽やかで、ちょっとズルい。
(てか、レオンさんがジュース買ってるってだけで、なんでこんなレア感あるんだろ)
そんなことをぼんやりと考えていた、その時。彼の進む方から、ふわっとひとりの女の子が現れた。肩までの髪に花飾りを付けた、可愛い雰囲気の子。ぱっと見は普通の町娘だけど、身のこなしや持ち物が、どこか上品な気がする。
(あ、綺麗な子……)
女の子は友達と夢中でお喋りしながら、レオンさんとすれ違っていった。ほんとにただの、何でもない一コマ……そのはずだった。
だけど数歩進んだところで、レオンさんの足がピタリと止まる。しかも、振り返ってさっきの女の子をじいっと見つめていた。
(えっ……)
そのころには私は、身を乗り出すようにしてふたりを見てしまっていたかもしれない。そこまで気になってる自分がちょっと恥ずかしいけど、何だか急に胸がザワザワしてきて、目が離せなかった。
レオンさんはくるりと踵を返すと、ジュースを手にしたまま女の子に駆け寄り、声をかけた。
(うそ、話しかけた!?)
女の子は最初、驚いたように目を見開いていたけど、すぐにぱっと花が咲いたように笑顔になって、何やら楽しげに頷いてる。
(なに、あの顔。めっちゃ嬉しそうなんだけど……)
遠くて声は聞こえない。でもレオンさんは外面モード全開のスマイルで、そのまま数言やりとりを交わしている。
(待って。いつも無愛想なくせに、なんでそんな普通に話してるの!?)
(ていうか、レオンさんから話しかけてたし……)
胸がズキっと痛んで、なんかもう、それ以上見ていたくなくて。私はそっと視線を落とした。気づけば、レオンさんとその女の子の姿は人混みに紛れて見えなくなってしまっている。
笑顔で女の子と話すレオンさん。頭では「別に大したことじゃない」って思いたいのに、心は全然言うことを聞いてくれない。私は視線を足元に落としたまま、ぎゅっとスカートの裾を握った。
(……やだな、なにこの感じ)
私がぐるぐると負の感情に飲み込まれているうちに、レオンさんはいつの間にかジュースを手に、ひとりでこちらへ向かってきていた。
(結局、あの子と何を話してたんだろう)
わからないまま、胸に小さな棘だけが残った。
やがてベンチに戻ってきたレオンさんが、私にジュースを差し出してくれた。ほんのりピンク色で、花の香りがする可愛い飲み物。普段の私なら『レオンさんがこんな可愛い飲み物買うなんて〜!』ってからかっていたかもしれない。でも今の私はそんな気分になれなくて、小さくお礼だけ言った。
「ありがとう」
ちゃんと笑顔で受け取れた……つもり。けど、さっきまでと比べて、声のトーンが少しだけ低くなってるのが、自分でもわかる。
レオンさんが私の隣に腰を下ろした。こっちを見てる気がしたけど、どうしても顔を向けられなかった。だって今レオンさんの顔見たら、どんな顔しちゃうかわかんない。
(さっきのレオンさん、すごく優しそうだったな)
(あの子には、あんなに丁寧で自然に会話して、笑顔まで見せて)
(あんな完璧な貴公子モード、発動しなくてもいいじゃん)
ジュースをストローでぐるぐる回しながら、どんどん頭の中までぐるぐるしていく。
「……顔色、悪いな」
レオンさんがぽつりと呟いた。
「疲れたなら、もう帰るか?」
「ううん。……平気。大丈夫」
それ以上、言葉が続かない。何か喋らなきゃって思ってるのに。口元をぎゅっと引き結んだまま、私はジュースに視線を落とした。
レオンさんの言葉が優しければ優しいほど、胸の奥がチクチクして自分が情けなくなる。
だって、もう気づいちゃってたから。
(これ、たぶん──嫉妬だ)
しかも、それを自覚してしまったせいで、余計にレオンさんの顔が見られない。
(……やだ。ほんと、やだ……)
*
それからまた、私たちは広場の中を並んで歩いていた。でも、さっきまではあんなに楽しかったのに。今はほんの少し、空気が違う。
私の声が少なくなったことに、レオンさんは多分気づいてる。けど何も言わず、時折こちらを見るだけ。それが余計につらい。
(せっかくのお祭りなのに……)
(私、何してるんだろ……)
*
花の市からの帰り道。私たちは無言のまま馬車に乗り込んだ。車輪の音だけがコトコトと静かに響く中、レオンさんは難しい顔をして、ずっと窓の外を見つめている。
(……ううっ。きっとレオンさんも、変に思ってるよね)
もう落ち込むのはやめたい。そう思うのに、気持ちはどうしても浮かび上がってくれなくて。私も同じように窓の外へ視線をやって、重苦しい沈黙に沈んでしまう。
そんなときだった。
「……ほら」
不意に聞こえた低い声。視線を向けると、レオンさんが小さな包みを差し出していた。
「……ん」
早く受け取れとでも言うように、ぐいっとさらに押し出してくる。
「えっ、なにこれ?」
「開けてみたらいいだろ」
ぶっきらぼうに促されるまま、そっとリボンを解いて中を覗く。
(え……)
入っていたのは、ガラスの魔法チャームだった。
「これ……」
私が露天で見てたものとよく似てる。でも中で光るキラキラは──私の好きな、ピンクと水色だった。レオンさんに買ってもらったカップケーキのお花みたいな色合いで、形も繊細で、どこか上品で。
(さっきのよりずっと私っぽくて、好きかも……)
ふわりと目を丸くする私に、レオンさんはほんの少し、視線を逸らした。
「広場で見かけた子が、これを持ってた」
「……え?」
「お前が好きそうな色だったから。……どこで売ってるか聞いた」
言いながら、レオンさんの耳がほんの僅かに赤くなってる気がする。でもその顔はあくまで平静を装っていた。
「欲しがってただろ。だから……まあ」
その言い方が、やたらと不器用で、でもすごく優しくて。お腹の奥がぽわっと熱くなって、どうしようもなくドキドキしてくる。
(そうだったんだ)
(あのとき、あの子と話してたのは……このチャームのことだったんだ)
嬉しさと、安堵と、さっきの自分への大きな反省と。いろんな気持ちがごちゃ混ぜで押し寄せて、言葉にならなかった。
「……ありがとう」
それだけ、ようやく絞り出した声は、きっと少し震えてたと思う。
でも、レオンさんはこくりと小さくうなずいて──そのあと、ぼそっと呟いた。
「……似合ってる。思った通りだ」
「っ……!」
もう、だめだ。鼓動がこぼれ落ちそうなくらい騒がしくて……視線なんて、とても合わせられなかった。
さっきまであの女の子に嫉妬して落ち込んでたはずなのに。もう今は、レオンさんがこれをくれた事が嬉しくてたまらない。
(レオンさん、ちゃんと見ててくれたんだ……)
そのそっけない態度も、ぎこちない気遣いも、照れ隠しの言葉も……今の私には、魔法みたいにあったかくて。
(これ──恋だ)
そんな風に初めてはっきりと、自分の気持ちに名前がついた気がした。