13. 私、追い出しちゃったの?
淡い陽射しが差し込むサロンの窓辺。澄んだ静けさの中に、カップとソーサーが触れ合う音が響いた。カイルさんが注いだ琥珀色のお茶から、白い湯気がふわっと立ち昇り、甘く爽やかな香りが静かに広がる。
(いい香り……。てか私いま、この国の王太子と優雅に紅茶飲もうとしてるんだけど。ほんと何なのこの状況……)
こっそりと目の前に座るリオさんを見てみたけど……オーラが強烈すぎて、慌てて目を逸らした。
「本日のお茶は、フィーリアの花とリースミントを合わせた特製のブレンドでございます」
そう言って皆の前にお茶を置くと、カイルさんは恭しく一礼して部屋を後にした。
扉が閉まるのを見届けるやいなや、リオさんは待ってましたとばかりに、くるりとこちらを向く。
「じゃあ、改めて状況整理しよっか」
足を組みながら、気軽な口調で切り出した。
「まず、シャルロット──君のその体の持ち主は、俺の幼馴染なんだ」
「幼馴染……」
さっきもそう言われたけど、改めて聞くと少し不思議な気持ちになる。
「うん。シャルロットは小さい頃からおっとりした素直な子でね、母親同士が友達だったから、俺とシャルロットも、よく一緒に遊んでたんだよ」
懐かしむように微笑むリオさん。その表情から、シャルロットさんがどれだけ大切な存在だったのかが伝わってくる。
「で、そんなシャルロットも十七歳になったからね。俺は信頼できる相手に、彼女をちゃんと守ってもらいたかったんだ」
そう言って、リオさんはちらっとレオンさんを見る。
「だから、レオンに頼んだんだ。『俺の幼馴染と結婚してくれ』って」
「……」
レオンさんは何も言わず、ただ聞き役に徹していた。
「で、正式な結婚の前にはまず婚約が必要だからさ、昨日はその為の顔合わせだったわけ」
そこまで言うと、リオさんはわざとらしく、おどけるように肩をすくめた。
「でもなぜか? 顔合わせの途中で、シャルロットの中に君が入ってきちゃったみたいだね〜」
「……うぅ……」
思わず俯いてしまう私に、リオさんはすぐに安心させるように続けた。
「大丈夫だよ。レオンも俺も、すぐに気づいたから」
「え……?」
「俺たちね、ちょっと特殊なんだ」
そう言いながら、リオさんは自分の瞳を指差す。
「生まれつき魔力量が多いと、その人固有の『魔力のオーラ』が見えることがあるんだよ。だから、君がシャルロットじゃないってことも、すぐにわかったってわけ。まあ、見えるのは俺とレオンくらいだろうけどね」
驚いてレオンさんを見ると、彼は少しだけ目を細めて頷いた。
「ああ。お前が目の前で変わった瞬間も、ちゃんと見てた」
(嘘でしょ!? 最初からバレてたってこと!?)
(でもそういえば……あの時、レオンさん、私を見て何か言いかけてた気がする)
レオンさんに信じて貰おうと、必死にあれこれ考えてた昨日の自分を思い出して、顔がぼわっと熱くなる。
(うぅ、無駄に空回りしてたじゃん! 恥ずかしすぎる……!)
私がひとりで頭を抱えている横で、リオさんが軽い調子で言った。
「てかレオン、よくそんなの目の前で見て声出さなかったね。俺なら叫んじゃってたかも〜」
レオンさんはじろりとリオさんを見て、小さくため息をついた。
「……お前がその場にいなくてよかったな」
ふたりがのんきにそんな会話をしている間にも、私の頭の中には別の疑問が渦巻いていた。
「ちょっと待って。『目の前で変わった』ってことは……前世の記憶を思い出したとかじゃなくて、やっぱり私とシャルロットさんは別人ってこと?」
思わず勢いで問い詰めると、レオンさんはほんの少し考えるようにして、冷静に答えた。
「そうなるな。記憶を思い出すだけなら、オーラが変わることはない。お前とシャルロットは別人だ」
「うそ……」
血の気がスーッと引いていく。つまりそれって──
(いわゆる生まれ変わりとかじゃなくて……完全に『入れ替わり』ってことじゃん……)
「え、私、もしかしてシャルロットさんを追い出しちゃったの!?」
気づけば叫んでいた。自分でも声が震えているのがわかる。
(ううっ……それだったら申し訳なさすぎる……)
涙目になりかけている私に、レオンさんがふと真面目な声で呟いた。
「……よくわからないが、そうなるのか?」
その一言に、私はガクッとテーブルに突っ伏した。
「それを私が聞きたいのぉぉぉ!!」
額をぐりぐりと押しつけながら情けない声を上げていると、ふいにリオさんのいたずらっぽい声が降ってきた。
「ふふ……どうなんだろうね?」
その声に、私は突っ伏した腕の隙間からちらりとリオさんを覗く。リオさんは淡いブルーの瞳を細め、どこか含みのある声で続けた。
「案外、シャルロットが自分で出ていったのかもしれないよ?」
「えぇ!?」
思わずパッと顔を上げてリオさんを見つめる。
「そんなこと、ある訳ないじゃん!!」
私の抗議なんて気にも留めず、リオさんはただケラケラと笑うだけ。私はまた絶望したようにテーブルに突っ伏した。
「お前はほんとに……余計なことしか言わない」
「だって面白いじゃ〜ん」
伏せたままの耳に入ってくる二人のやり取りは、やけにのんきで……。
(ねぇ、もっと真剣に考えてよぉ……! こっちは今、笑えないんだから……)
私は机に張り付いたまま、心の中で全力ツッコミをかましていた。
「でもさ」
ふいに聞こえてきたリオさんの声が妙に優しい。
「冗談はさておき、君が追い出したわけじゃないと思うよ。シャルロットは確かに大人しい子だったけど、黙って追い出されるような弱い子じゃないから。だから君が気に病む必要はないよ」
(ううっ……リオさん、優しい。ほんとなら「大切な幼馴染を追いだしやがって」って怒ってもいいくらいなのに……)
「……リオさん、ありがと……」
その言葉に、リオさんはほんの一瞬だけ視線を伏せ、困ったように口元をゆるめた。だけどすぐに肩をぐるりと回して伸びをすると、明るい声を作る。
「さて、と。」
「まあ、こんな感じかな? 状況整理できた?」
つられて私も少しだけ気持ちが落ち着いた。さっきまで胸の奥で渦巻いていた罪悪感が、ほんのちょっと和らいだ気がする。
(うん……ざっくりはわかったけど、まだ気になること山ほどあるんだよね……)
私はずっと思っていたことをぽつりと口にした。
「……でもさ、やっぱり、伯爵夫妻には本当のことを言った方がいいんじゃない?」
リオさんとレオンさんが、ぴたりと同時にこちらを見た。
(ちょ、規格外のイケメン二人同時は反則でしょ……心臓に悪いってば!)
コホン。咳払いをしてなんとか気を取り直し、話を続ける。
「だって、このまま騙し続けるのって、めちゃめちゃ後ろめたくて……」
するとリオさんは背もたれにぼふっと寄りかかり、腕を組んで、何かを考えこむように目を瞑った。
「それはどうかな〜」
「え?」
「伯爵がシャルロットを溺愛してたのは、君もたぶん見ただろ? あの伯爵に、『実は私、シャルロットじゃないんです』なんて言ったらどうなる?」
大真面目な顔して、今度はググッと身を乗り出してくる。
「絶対、寝込む。最悪ぶっ倒れるかも」
(えぇぇ……そんなに!? でもちょっと……わからなくもない……かも)
「……だな。今は黙っておけ。混乱させるだけだ」
隣のレオンさんがぼそりと補足する。
(……うーん、そっかぁ。まあ伯爵様に倒れられても困るからなぁ)
そう納得しつつも、頭の隅の引っかかりは消えず、気づけば別の疑問が口をついていた。
「……じゃあ、シャルロットさんは今どこにいるの?」
恐る恐る尋ねると、レオンさんが即答した。
「知るか」
あまりにも素っ気なくて、突き放されたみたいに胸がチクリとする。リオさんにも視線を向けたが、彼は肩をすくめ、困ったように口角を上げるだけだった。
「もし……シャルロットさんが戻ってきたら、私はどうなるのかな」
レオンさんはしばし黙って私を見ていたが、ほんのわずかに眉を上げ、静かに言い放った。
「……さあな」
リオさんも両手をひょいっと広げ、大げさに首を振る。
「どうなんだろうね? こればっかりは誰にもわからないな〜」
からっとした調子に、かえって不安が募っていくばかりだった。
(……そっか。戻ってきたら、私は──)
考えたくない未来が頭をよぎり、ぎゅっと膝の上で手を握りしめる。途端に部屋の空気がずんと重くなった気がした。
だけどその沈黙を吹き飛ばすように、突然リオさんがカップを勢いよく傾けて、お茶をグビっと飲み干す。
「ま、考えても仕方ないことは置いといてさ!」
そしてテーブルをバンっと叩くと、声を弾ませて、にこにこと身を乗り出してきた。
「次は、俺の番だね! 君のこと、いろいろ教えてよ!」
……そして始まる、リオさんの質問タイム。