09. 異世界トイレ事情
「あの……あのさ……」
食事の前に、どうしてもレオンさんに聞かなきゃいけないことがある。
(うぅ……こういうのって、めっちゃ言いづらいんだよね……)
「なんだ?」
レオンさんがその端正な顔をまっすぐこちらに向けた。いや、やめて! そんな綺麗な顔で直視されたら余計に言えないじゃん!
「あー、その……食事の前に……」
「はっきり言え」
ぴしゃりと切り捨てられ、私は意を決して声を絞り出す。
「ト、トイレに行きたいんだけど」
消え入りそうな声でごにょごにょとそう言うと、ぼわっと顔が熱くなる。
(うわっ、言っちゃった! はずっ!!)
でもレオンさんは、そんな私の羞恥心なんて気にも留めず、あっさり返す。
「なんだ。トイレなら部屋についてるぞ」
そう言って、部屋の一角にある扉を顎で示す。
「ほら、あそこだ。俺は外で待ってる」
それだけ言うと、レオンさんはさっさと部屋を出て行ってしまった。
(え、そんなあっさり? いや、まあそうなんだけどさ……)
拍子抜けしてぽかんと扉を見つめながら、思わず心の声が漏れる。
「ていうか、各部屋にトイレ完備って……ここ、本気で高級ホテルじゃん」
異世界貴族のスケールに、改めて度肝を抜かれる。
(それはそうと……)
頭の片隅で、ずっと引っかかってることがあった。いや、引っかかるどころじゃない。めちゃくちゃ気になる。
(……こ、この扉を開けた瞬間、もし「壺がぽつん」とかだったらどうしよう!?)
ゴクリと唾を飲み込み、肩で大きく息を吸い込む。
(だ、大丈夫……きっと大丈夫。ここは貴族クオリティだから!!)
覚悟を決め、勢いよくドアを開け放った。
*
「レオンさん、おまたせ〜!」
部屋の外で待っていたレオンさんに駆け寄ると、私は早速レオンさんにまとわりつくように話しかけた。
「ねえ、トイレめっちゃすごかったんだけど!」
「……何がだ」
「ほら、てっきりただの壺がぽんっと置いてある、みたいなの想像してたのに、めちゃくちゃハイテクだったんだよ! 立ち上がった瞬間に光って、魔法で勝手に流れるとか、文明レベル高すぎでしょ!」
興奮気味にまくしたてる私に、レオンさんはふっと得意げに口元を緩めた。
「あれは俺が開発に関わった魔道具だ。まあ、魔法のないお前の国には無理だろうな」
(で、出たーー!! ドヤ顔魔法マウント!)
「もうっ、なんで毎回マウント取るの!?」
私はぷくっと膨れながらも、反撃に出る。
「でもね、日本にも自動洗浄トイレくらいありますから! しかも、うちの国のは……」
私は胸を張って続けた。
「便座が温かくて、さらに『ウォシュレット』でお尻も洗ってくれるの! しかも乾燥機能付き!」
どうだ! と言わんばかりにドヤ顔を決めると、レオンさんはほんの少しだけ興味を示したように片眉を上げた。
「……ウォシュレット?」
「そう! ボタンひとつでシャワーみたいにお湯が出るの! 快適さで言えば、日本の勝ちだね!」
勝ち誇ったように鼻を鳴らす私に、レオンさんは、
「……そうか」
とだけ言い放ち、すぐに興味を失った様子で歩き出した。
「行くぞ」
「えー、ちょっとは食いついてよー」
慌ててその背中を追いながら、私はこっそり感心していた。
(でもレオンさん、魔法道具の開発とかもしてるんだ……。やっぱり只者じゃないよね)
*
食堂の前に到着すると、そこにはカイルさんが直立不動で待ち構えていた。
まるで待ち伏せしてたかのような完璧なタイミングで、すっとドアを開け、無言で一礼。その一連の動きは、「これぞ執事」と言わんばかりだ。
(すご……ほんと自動ドア機能付き執事……!)
思わず恐縮して、ぺこっと小さく頭を下げる。……まあ、カイルさんには完全スルーされたけどね。レオンさんはそんなカイルさんを一瞥すると、事務的に告げた。
「カイル、これを俺の書斎の机に置いておけ。大事なメモだ、無くすなよ」
そう言って、手元の小さな紙をひらりと渡す。カイルさんは頭を下げたまま顔も上げずに、「承知しました」と一言。やり取りはあっさり終了し、レオンさんは当然のようにそのまま食堂へ入っていった。
(……ほんと、主従って感じ。ドラマみたい)
なんだか気の毒になるほどキッチリとしたやり取りに、私はどぎまぎしながら後を追った。
(でも、レオンさんってきっと忙しい人なんだよね……)
ふと、さっき屋敷を案内しようとしてくれたことを思い出す。そんな余裕、普段は無いだろうに。
(うん。なんだかんだ言って、優しいとこあるよね)
じんわり胸が温かくなる。私は立ち止まり、キリッと顔を上げた。
(よしっ、私も早くこの世界に慣れて、レオンさんに迷惑かけないように頑張ろう!)
そんな決意をした瞬間、ぐぅぅぅと、盛大なお腹の音。
(は、恥ずかしい……)
顔が熱くなるのを感じながらも、すぐにポジティブに切り替える。
(ま、いっか! それよりご飯ご飯! 異世界グルメ楽しみ!)
……と、思ったのも束の間。
(ゲテモノ料理とか出てきたらどうしよう……異世界巨大カタツムリのステーキとか……いや、想像しただけで無理ぃぃ)
(でもここは高級公爵邸! たぶん、きっと、大丈夫……!)
期待と不安がせめぎ合う中、私はドキドキしながら食堂の扉をくぐった。