それは恋なんかじゃなくて ④
モニターの中の純也は笑顔でパーの手をひらひらさせている。
ゲッ、思いがけない画面に映る顔を見て、つい私はそんな風に反応してしまった。
今日は授業が午前中だったのか? 早退なんかしなくてよかったじゃん。
小さな後悔もよぎる。
「篠田さん?届け物だよー、開けてよ」
なんで?という疑問を抱えたまま私は門扉のロックを外して表に出た。
そして玄関を出るとにこやかに手を振ったままの純也のもとに向かった。
「すごい家だね、篠田さんてお嬢様だったんだ。ぜんぜんそうは見えない。あっ、いい意味でね」
お嬢様には見えないことにいい意味なんかないだろと思うが、意味がわからなくもない。
私は顔も雰囲気も地味でカバンや文房具の持ち物も派手なものは嫌い。
なんたって目立たないのが一番というポリシー。
バレエやピアノもやってこなかった。
そこいらにいるごく普通の女の子の雰囲気満載だ。
最も家が立派なだけでお嬢様でもないんだけどね。
「べつにいいけど。嬢様でもないし。両親の趣味で家はこんなだけど、自分でスーパーにも行くし食事も作ること知っているでしょ?」
「確かに。でもうちは母親が建築家なんだけど、うちなんかよりぜんぜんお洒落」
お母さん建築家なんだ、と聞き返したら話しが長くなりそうなので
「ところで届け物って?」
「そうそう、コレ、進路希望調査だって」
純也は自転車の荷台にくくりつけてあったカバンから1枚の紙を取り出した。
渡された進路希望の用紙には進学希望の大学が3つ書くようになっている。私たちの高校は付近の公立では2番手の高校。ほとんどの生徒が進学するが、その実績は1番の高校とは大きな差があった。
「明日でもいいのにね」
「担任たら昼休みに来てさ、なるべく早く出すように。できたら篠田んちの近くのやつがいたら持っていて欲しい、だって。そしたら矢口さんが、島君が悪いことしたから亜紀が帰ったんで島君が持っていくべきです、なんていうんだ。で、僕がこうして来たって次第」
由利ったら何を勘違いしているんだろう、後でラインで訂正しておこう。
「ありがと。それじゃまた明日学校でね」
と家の中に引き返そうとした。
「えーそこはせっかくだし、冷たいものでもどーぞ、って言うとこでしょ」
純也の顔を見るとこめかみからは汗が流れている。家がどこかわからないけど、ここまで暑い中自転車を走らせてきたのだろう。
そーだよね、そのくらいすべきだよね。とは思う。
でも、家の中は私一人。とまどいの気持ちが大きかった。
それに私の好きなキッチンの床でしばらく猫になりたい。
迷っている間に純也は鉄の扉を開けてずんずん入って来る。
すげえ。玄関までのアプローチ、結構あるじゃんとか、芝生の手入れ大変そうとか、いろんな木があるね、あの石造なんていう名前だっけ?美術室にもあるよね、などどいちいち感動している。
お母さんが建築家だから庭とか家とかに彼も興味あるんだろうか? としぶしぶ家の中に入れて冷たいものでも出す気になる。
「ところで今日は学校、午前中だけだっけ」
「ああ、午後は2コマ続きの美術だから僕も早退した」
「ふーん。でも私のことが心配だったっていうのもある?」
と冗談めかした言葉が口から出た。
「もちろん」
と純一。私は意外な返しにドキッとする。
こいつはバカなのか?私がその気になったらどうするつもりなのだろう?
ゴロゴロしたいのを邪魔された機嫌の悪さも手伝って心の中でそんなふうにごちた。
純也は玄関の吹き抜けにかかるライトとか壁の絵とかリビングのL字型の白いソファにいちいち感動しながらソファの横の低いスツールに落ち着いた。
「おー、涼しくて天国」
「この時期にこの暑さ、信じられないよね。夏が長くなるのやだな」
「そお?僕は、、、あっ、普通は俺っていうんだ。家に入れてもらうともう気取らなくていいって感じだよね」
なんだ、その判断基準は、、、
「気取ってるようにも見えなかったけどね」
「あっバレた?」
そんな会話で、家の中に純也と二人きりという気まずさはどこかに行ってしまった。
「こっちに座れば?クッションもあるし」
「そんなふかふかのソファに座ったら寝ちまいそうだからこっちで大丈夫」
本当に昼寝なんかされたらヤバイ。
「ふーん。水とスポーツドリンクとコーラ、何がいい?」
「麦茶がいいかな。あったらでいいけど」
「あるよ」
私はキッチンに行き、冷蔵庫からペットボトルから麦茶を注いで持っていった。
「おお、サンキュー」
純也は一気に飲み干した。
「もういっぱい飲む?」
「いや、大丈夫。それにしてもインテリア雑誌に出てくるようなお洒落な家だよな。ライトとかこのソファなんか父さんの仕事場の雑誌で見たことある気がする」
「お母さんは建築家って言ってたけどお父さんも?」
「いや父さんはデザイナーで母さんが建築家」
「逆のような気がするけど」
「何で?」
と純也は聞く。
一般的なイメージでね、という言葉を私は飲み込む。
「で、大丈夫?腹痛じゃないんでしょ?うなぎと梅干なんて説得力弱いよ」
やはり私の嘘はバレバレだった。
「いや、なんか朝から強烈なことあったから疲れちゃってね。まさかすぐに3年の女子があやまりに来るとは思わなかったな。キミの意外な行動にもめんくらったし」
ただの優男かと思ってた、とは言わなかった。
「体が先に動いた、っていうのが正直なとこ。でも言うべきことは言わなきゃだよね」
私のためというより、純也君のポリーシーだった?
「いいなぁ、私は言えないことの方が多い。それに私、人より生きるパワー、弱いのかも。小さい頃は知恵熱よく出してたし。あっ、ちょっと熱ぽかったのは本当だよ」
「そうなの、どれ」
と言って、なんと純也は私の額に手のひらを当てようとしてくる。
その時まったく予期していないことが起こった。
私は純也の座るスツールの横のソファーに腰かけていたのだが、純也が私の額に手を伸ばそうとした瞬間、無意識に猛烈な勢いでその手というか腕を払いのけてしまった。
純也はわっ、と叫んだかと思うと、バランスを崩してスツールの後ろに倒れんだ。
「痛て、びっくりするなー、もう」
私もびっくりだ。
「ごめんごめん。私人から触られたことあまりなくて。由利も腕組んでくるようなコじゃないし」
「いいけど。熱があるかなと思って。でも変なことしようという気持ちはぜんぜんなかったんだ」
「わかってる、ほんとごめん」
「でも今の卓球選手のような動きは俺のこと嫌いっていう証拠?なんかショックなんだけど」
いやいや、そんなことはない。むしろ「好き」よりかもしれない。
でも何て言ったらわからなくてつい別なことを口に出してしまった。
「ところで純也くんたち、男同士でイチャイチャするよね」
苦し紛れに私、変なことを言ったか?
その返しはなくて、代わりに純也は
「なんだ無視かよ」
と言ってきた。
私はその瞬間、純也に心の奥まで入って来られたような不思議な感覚を覚えた。
これまで私は人の嫌がるようなことを言わないようにし、立ち入るようなことも言わないようにしてきた。まわりの人も私に対しそうだったと思う。
でも、聞いていないわけじゃないんだけど、私は相手の話しにちゃんと答えなくて次の話題をしてしまうことがあった。あっ、と気づくが相手は「無視するな」とは言わずにそのまま平和に話題が流れていく。
傷つけることも傷つくことも怖いから作っていた人との壁。でもときに人を無視して傷つけることがあったと思う。
でも純也はそんな壁を無視するかのように私の中に入ってきたように思った。
まるで鉄の扉を開けてズンズン入ってくるかのように。
「無視かよ」と言われたのは初めてだった。
私はあわてて勇気をもって
「もちろん嫌いじゃないよ」
と言う。ああ、恥ずかしい。
「ありがとう。俺さ、世界中の人から愛されるのが夢なの。みんながそんな風に思ったら、世の中平和になるじゃん。と言っても何もしてないんだけどね」
やっぱりこいつは私が出会った新種の人間だ。
「男同士で肩組んだりするかな。でもイチャイチャしているように見えてたんだ」
純也はべつに機嫌を悪くした風でもなくそう言う。
「ぜんぜんいいんだけど。なんかごめんね、変なこと言って。でも私が人から触られるの嫌なタイプだからさ、クラスの大成君?特に仲いいよね、暑苦しくないのかと思って」
笑みをたたえながら話していた純也が急に真顔で言った。
「大成は特別なんだ」




