それは恋なんかじゃなくて ⑪
私と純也を乗せたタクシーは先に純也の家の前に着いた。
左手に二階建ての事務所のような建物と小さな庭を挟んで右手は住居となっていた。キューブ型をしたクリーム色の建物はまだ新しく、島設計事務所と島デザイン事務所の看板が並んで架かっていた。
「家、ここ」
「ああ、いかにもだねー。いや、お洒落だなってこと」
それらの建物は、建築家とデザイナーさんが協力して作ったと納得できる小さなビルとこじんまりとしているけど、建売なんかとは一味違う住宅だった。私の想像とあまりに近いのに驚く。
「そうかぁ。親たちはだいぶ考えて建てたみたいだけどね」
そうは言いつつ純也はちょっと嬉しそうだった。
タクシーは住居の方の門の前に停まる。
「ちょっと寄ってく? 親は事務所の方だと思うけど。怪我はぜんぜん大したことないって連絡しといたからさ」
私は思いがけない成り行きに迷ったけど、家の中まで肩を貸した方がいいような気もしたし、純也をひとりにさせたくもなかったので誘いに応じることにした。
「じゃちょっとだけね」
と一緒に降りた。タクシー代は私が払った。
「悪い。家に入ったら返すから」
純也は恐縮して言った。
玄関に入るまでの短い距離でも純也はときどき足の痛さのためか顔をしかめ、私の肩に乗せた腕にも力が入った。純也がそうするたびに、私にも純也の痛みが伝わってくるようだった。
合宿へ行けなくなったことの落胆も、後輩とぶつかったときにうまくかわせなかった後悔も、そして怪我が全治するまでの不安も全部が伝わってくるようだった。
純也が可哀そうだった。
また泣きたくなる。
私は決して涙腺が弱いわけではない。人のために泣いたことなんか私の人生においてなかったと思う。だからさっき、タクシーの中であんなにも涙がこぼれたのが自分でも意外だった。ただ純也のことを思うだけで涙が止まらなくなったのだ。
でも、今は純也が泣いていないのに私が泣いてはいけない気がした。
グッと唇をかんで涙をこらえた。
純也はドアの横のボタンをいくつか推して玄関のドアを開けた。
玄関の扉についている小さなカウベル、玄関ホールにあるフラワーアレンジメント、中近東製と思われる玄関マット。それらは温かみがあり、そして私の家の無機質な玄関とは違っていた。
リビングも同じように、豪華ではないけど趣味のよい調度品が置かれ、アイランドキッチンも使い勝手がよさそうだ。広すぎも狭すぎもしないリビングとキッチン。これが普通の家なんだと思った。
リビングから2階へ続く階段を私と純也は時間をかけて上った。わきの下には冷蔵庫から純也が出した2本の炭酸水を挟んでいるので結構大変な作業だった。
「下で先にシャワーした方がよくなかった?」
「いや、着替えは上だからさ」
「それもそうか」
「そういえば俺、汗臭いよね。この暑さじゃ汗拭きシートなんか役に立ちやしないよな、ごめん」
「汗臭いことはあるけど、そうでもないよ」
私は意味のわからないことを言う。事実、そうでもない。純也の汗臭さなんかぜんぜん不快ではなかった。汗臭さも、心の痛みも怪我の痛みも全部私の方に移ればいいと思った。そして純也の心が軽くなってくることを願った。
なんかちょっと変態じみてる、私? と自分をちょっと笑った。
「何? 思い出し笑い?」
純也に見つかる。
私は「何でもないよ」とごまかした。
純也の部屋に入る。
すごく緊張する。男子の部屋に入るのなんて、従弟の俊を除いて初めてだ。
「部屋に女のコが入るのなんて初めてかも」
なんて純也も言うもんだから緊張も倍増だ。
ドアはエチケットとして開けておくもんだよね。でも家の中には私たち二人だけだから関係ない?
変な事するわけじゃないからどうでもいいけど。
純也はいかにも男の子の部屋、って感じだった。
大きめの本棚には参考書や漫画に混じって、名前がわからないけどフィギアが並べられ、壁にはサッカー選手やこれまた名前は知らないがロックスターのポスターが貼ってある。サッカーボールやスケートボードやダーツセット、絵の道具などがインテリアのように行儀よく配置されていた。
そして、なんと部屋の隅にはウイスキーの瓶と灰皿。一瞬驚いたけど、やはりそうかぁと思った。不思議なんだけど、そのとき私は純也を好きになった理由がわかったのだ。純也は100%のいいコなんかではなかった。
私の視線を感じとり
「あっ、急だからいろいろ悪いもの隠す暇なくて」
と慌てて、今さらだけど隠そうとする純也。
「もういいよ。ご両親は入って来ないんだ?」
「わりと綺麗好きだからさ、掃除していると思ってるのか、部屋に入らないのがいい親だと思っているのかわからないけど入らないねぇ。入るときはノックするし。でも、いろいろ細かいこと言う方かなぁ。親だからしょうがないとは思うけど」
「そっちは?」
「うちは放任」
恥ずかしいような気もしたが正直に言った。
「いいんじゃない?」
「いいともいえる。私、本当はものすごく反抗的で、細かいこと言う親だったら不良になっていたと思う」
私が真面目に言うと純也は笑い過ぎなくらい笑った。
純也はベッドに、私は促されて純也の机の椅子に腰かけた。
「うちの高校て公立のくせに変な所に厳しいじゃない? 女にコは化粧はもちろん、リボンは紺か黒とか飾りのあるピンをつけちゃいけないとか、パーマもダメで天然パーマのコは届けなくちゃいけないし。今どきそんな学校ないだろって話だよね。そう言われると、パーマかけて飾りピン10コぐらいつけて学校に行ってやりたくなる」
「気持ちわかるよ。靴下の色までこの歳で言われなくないよな」
そう、純也はそこのところわかってくれる人だ。
「でしょ。でも、大学の推薦のこととか考えるとできないんだよね。それほど気が強くないっていうのもあるかもしれない。それに私は今も、将来も外できちんとやっていきたいんだ。きちんとした人と言われたい」
「篠田は十分きちんとやっていると思うよ。ただ」
「ただ?」
「ただ頑張り過ぎるっていうか、まわりとうまくやろうとし過ぎるというか」
私は何も言えなかった。
どうしてバレたのか? 野口にも純也が好きなことがバレたけど。教室でわりと近くにいたから?近くで他愛ないことを話したりするだけで、私の気持ちとかバレてしまうなんてありえないと思った。
でも正直それは心地よい感じがした。胸の中にあった氷が暖められて少し溶け出した感じとでもいうのだろうか。今までに味わったことのない感覚だった。
純也の目を見る。純也の目はいつにも増して優しい光をたたえているように見えた。




