それは恋なんかじゃなくて ⑩
純也と野口がサッカーの合宿に行くことにやきもきしていた私だけど、それは全く無駄な時間だった。純也が怪我のために参加できなくなってしまったからだ。
明日から合宿という前日の午後、野口からlineで連絡が入った。
「純也が練習中にケガして今OO病院。足首と膝。一応連絡してみた」
との短いメッセージを家の台所で読んだとき、私は飲んでいたオレンジジュースと携帯電話を落としそうになるほど驚いた。
私の悪い願望がかなってしまった。
真っ先に思ったのはそんな思いだ。合宿なんかなくなればいいって心の底で思っていたように思う。
でも本当にそれがかなってしまうなんて。
だからありっこないんだけど、、、純也が怪我したのは私のせいだという気がした。
次に私の胸に来たのが純也へのダメージの心配。心身の痛みが自分のことのように押し寄せてきた。
怪我の程度がわからないのでつい最悪のことを考えてしまう。膝の半月板損傷だったりしたら?それはスポーツ選手の致命傷になると聞く。サッカー部を続けられなくなったらどうしよう。もしかしたらちゃんと歩けなくなるとか? 病院に運ばれたから痛みも相当なはず。
どうしようどうしよう。頭が混乱し、そして目の奥が熱くなる。
純也がとても可哀そうだった。
だってあんなにも体の中から光を放っているようにキラキラしていて、優しいコがどうして人から泥棒と疑われるような目にあったり、妬まれたり、痛い目にあったり、高校生活最後の合宿に行けなかったり、そんな目に合わなければいけないのか。
胸が痛かった。
とにかくこのままじゃいられない。
私は履いていたショートパンツをスカートに書き換えただけで、財布を持って外に飛び出した。真夏の光はまだ頭の上にあってアスファルトを容赦なく照り付けていた。普段はUVに気を使っているがそんなことはかまっていられなかった。
大通りに出てタクシーを拾い病院へ向かった。
野口がラインで教えてきた病院は、タクシーで10分ぐらいのところにあった。
車の中で経過を聞くなんて余裕もなく、正面玄関に乗りつけた。急いでお金を払い、病院のロビーへと走ったそのとき、野口に支えられながら、松葉づえも使わずに出口の方に歩いてくる純也が目に入った。後ろにはサッカー部員らしき生徒とコーチ。
「あれ、篠田さん?どうして」
純也は私の姿を見つけると不思議そうな顔でそう言う。私は駆け寄る。
「俺が知らせた。知らせた方がいいと思って。レントゲン撮る間時間があったろ」
と野口。
「時間の問題じゃなくてさ」
と純也は申し訳ない様子。
サッカー部員とコーチはなんで私が現れたのが合点がいかないという顔だ。そりゃそうだろう。私が純也の彼女なんていう噂はクラスにもサッカー部にもないのだから。
「心配かけちゃったじゃないか。捻挫ぐらいで」
「捻挫?膝は?」
「こいつとプレー中に絡まって、足首をひねって、スパイクの裏が膝に当たって少し血が出た程度」
と下級生らしい生徒を親指で指す。
「ほんと、すみませんでした」
下級生は何度も謝っているらしく、恐縮した態度を崩していない。
「試合中にはよくあることだけど、でもあれはイエローカード出てもおかしくない突っ込みだったぞ。大したことなくてよかった」
と20代に見えるコーチ。OBの大学生が教えに来たのだろうか。
「いやいや積極的でぜんぜん責められないですよ。俺らが引退したらこいつがチーム引っ張ていくことになるし」
相変わらず純也の言葉は優しい。
「そう言ってもらえてうれしいです。つい熱くなってしまって変なぶつかり方して。野口先輩に死ぬほど怒鳴られました」
その様子が目に浮かんだ。野口だったら純也に怪我させた相手がコーチでも監督でも思い切り怒鳴り散らすに違いない。
「合宿は?」
「念のため行かないことにした。無理すれば行けるんだけど捻挫は動かさないことが大事だっていうから」
「残念だね」
今は心から私はそう言う。
「正直、試合で勝つためにじゃなくて、親睦会みたいなとこがある合宿だから」
とコーチはそう言った。純也と下級生の気を楽にさせるためだったかもしれない。
純也は何も言わない。残念だとか残念でないとか表情からはわからない。なんていうか起こってしまっていることは受け入れる、みたいな顔だった。
「あっ、そういえば篠田さん、家の方向が一緒だったよね。一緒のタクシーで帰っていいかなぁ。みんな別の方向だから送ってもらうの悪いと思ってたんだ」
と純也が言った途端、野口の目がキッとなった気がした。これは嫉妬だよね。
抜け駆けはしないことを言いたいのが、親切心なのか純也の怪我を知らせてくれていいやつだと思った途端、こんな目をするし、まったく読めないやつだ。
純也と並んでタクシーに乗っても、あまりの驚きと安堵が交互がきたせいか気が高ぶったままだった。
プラス、さっき野口から引き継いで純也に肩を貸した時のときめきみたいなものも加わってしまった。
「ほんと悪かったね。あいつ大げさなんだ。俺は保健室でいいっていうのに、病院へ行こうって、コーチに頭下げて車出してもらうし」
「ぜんぜん悪いことなんてないよ。むしろ連絡もらえて嬉しいと思ったし」
「でも無駄に心配させちゃったと思うんだ。怪我で病院なんて聞いたら誰だって大怪我かと思うじゃん」
「そう思ったけど、本当に大したことなくて良かった。実は歩けなくなったらどうしようと思ったり、、、
そう言った途端、自分でも意外だったが涙がポロポロこぼれだして止まらなくなってしまった。
タクシーの運転手が背中でこちらを伺っている。でもかまうことはなかった。
今まで我慢していた何かのつっかえが取れたように、涙が後から後からこぼれてくる。
純也が隣で戸惑っているのがわかった。少し迷ったみたいだけど首に巻いてあった汗臭いタオルを渡してくれた。
私は純也の汗の臭いがするタオルに顔をうずめて
「ごめんね、洗って返す」
と言い、さらに泣き続ける。
「だからぜんぜん大したことがなくて、足首の捻挫と膝から少し出血があっただけなんだ。少し休んだらすぐにサッカーできるようにもなるし」
純也はなだめるように言った。
それから、手のひらで私の背中をトントンとした。
私は体の中を温かい何かが駆け巡ったように感じた。体の全神経が背中に集中する。それでまた涙が止まらなくなった。
しばらくの間、私は泣き、純也は私の背中をトントンする。
実際はほんの数分だったかもしれない。でも私にとっては幸せでものすごく長い時間だった。
「本当は合宿、ちょっと残念だったんだ。でも篠田さんのおかげでなんか癒されたなって思う」
と純也は静かに言った。
私はその言葉が嬉しくてまた泣いた。




