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プロローグ

『本日、特別国会において「MNS転写規格」維持に関する補強法案が可決されました』


人工音声が読み上げる無機質な言葉とともに、目の前のモニターに仮想中継用の映像が流れる。

会場にはサイボーグ化された議員たちが整然と並び誰一人として瞬きすらしない。


『これにより、すべての市民は記憶と存在の完全な継続性を保障されます。我々が目指す持続可能な平和な社会への偉大なる第一歩が再び、ここに刻まれたのです』


盛大な拍手。

規格通りに設計された、同期されたような一糸乱れぬ音。


その音はモニターの中で流れるのみで、私たちの日常には何一つ届かない。

無論、窓の外、眼下を行き交う彼らにも。


ここ、我が職場である中央治安省の高層ビル内の一室、第五電脳犯罪調査課からは街の様子がよく見える。


忙しなく働くのはインフラを維持するヒューマノイドや自律型ロボのみで、その隙間を歩く様々な人々は悠々としている。

群れる若者やスーツ姿の仕事人たち。

彼らは一人の例外もなく眼鏡型端末、VERIS(Virtual Reality Integration System)を身に付けている。

あれは現代化学の粋を集めた仮想空間を現実に重ねる、オーバーレイン現象を起こすことが出来る代物だ。

グラス部分には光の屈折率を自在に操る人工構造体のフォトニック・メタマテリアル、フレームには超高密度の情報伝達が可能なナノフレキシブルカーボンが使用されており、脳波やニューロンの活動パターンを読み取る脳波共鳴インターフェース、量子コンピュータの技術を搭載し仮想世界の高速描写、記憶や仮想体験の保存と再生を一瞬で行うクォンタムキャッシュメモリなど、数百年前には有り得なかったものばかり。

そんなものが一般市民にも普及し、それを扱えるだけの技能も精神も成熟させないまま彼らは過ごしている。

それでも、ここ、中央行政区は比較的、健全である。


上層市民以外の居住区はどの場所でも、誰もが自分の世界に引き篭もり、平和の下にただ何もせず生きている。

そして、寿命になれば自身の記憶をサイボーグ体に転写し、その後は定期的なメンテナンスだけで不老不死を得る。

これが、政治家たちが口にする持続可能な平和な社会か。


「持続可能、持続可能って、他に言うこと無いんですかね」


椅子の背にもたれた、だらしない姿勢の黒髪ショートヘアの小柄な可愛らしい女の子。

彼女は五課に配属されたばかりの新人であり後輩の東雲瑠璃である。


「あなたね、そのくらいわかるようになりなさいよ。死を失ったのだから、エゴに塗れた大昔のような刹那的な政治じゃ自分の首を絞めてしまうわけ。自分たちのためにいつまでも平和な社会を用意しないといけないの」


「なんだ、市民の皆のためじゃないんですね」


彼女はまだ記憶転写すらしていない若者だ。

それなのに何故、こんな場所で働いているのか。

それは、彼女が生身の脳を持ちながらオーバーレインや脳波干渉に耐えられる稀有な存在だからだ。

本来であれば、人工培養したニューロンを組成し特定の思考パターンに耐えうる耐性強化プロトコルで神経回路を編み、情報伝達速度を最大化するためのシナプス結合強化処理を施す、いわゆる生体ナノアーキテクチャにより構築された人工脳、神経器官素体に記憶転写しなければオーバーレインには耐えられない。

そのため、寿命を迎える前に早々に記憶転写を行う者も多いのだが、東雲瑠璃は自然のまま、この社会に適応している。


彼女自身、その異常さに気付いていないが、そんな存在を中央治安省は管理下に置くため、彼女の純粋な人のために働きたいという動機を利用し、こんな所に就職させたのだ。


「それより、最近、暇ですね」


「それはまあ、全体の幸福指数も上がっているからね。皆、犯罪を起こす必要がないのでしょう」


新しい技術が生まれ、まだ電脳犯罪が絶えない頃と比べれば今の仕事の数は天と地ほどの差がある。

それでも、この課が存続しているのは私の過去の功績によるものだ。

考えてみれば、瑠璃を置く場所にしては、これほど適格な場所はないだろう。


「先週の時点で92パーセントでしたっけ。平和でいいですけど、ちょっと気持ち悪いんすよね」


そんなくだらない話をしていると私の耳の後ろに装着されたVORX(Voice Over Relay eXpander)から発信音が鳴る。


「もしもし?」


『こちら、中央情報局の指令伝達統制室。ただいまより案件通達を開始』


脳内に直接響く、人間なのかAIかすら判断できない無機質な声。

仕事だ。


『対象区域、第四管理ブロック、四十三区。申請者、ササキ・カズサ。市民番号4493A。申請内容、家族構成員ササキ・アキナ、年齢十四、所在不明確認要求』


「仕事ですか?」


「ええ。そちらにもリンクさせるわね」


瑠璃が持つタブレット端末と情報を共有させる。

彼女が生身でなければ、こんな手間はいらないのだけれど。


『失踪認知時刻、第五百二十四紀百八十二周期、標準時八時四五分。失踪直前七十二時間以内に仮想連結履歴確認されず。最新MNS転写ログ、更新履歴なし。仮想領域および現実領域における行動異常の有無、精査要請。指令、一、現地踏査および所在確認。二、端末履歴およびオーバーレイン同期状態検証。三、四時間間隔にて、逐次進捗報告。以上、指令完了』


頭が痛くなるような長々とした情報の羅列。

理解できなくとも人工脳のコンデンサー機能が自動で内容を要約してくれる。


「ちょっと待ってよ。失踪なんて私たちが関わる仕事じゃないでしょ?」


『補足情報。対象失踪者、戸籍登録日と最新MNS転写ログに不整合。標準記録規定との差異、マイナス二百六十三時間。仮想連結履歴に特異コード検出』


「はぁ?それなら早い段階で異常に気付くでしょ?」


『不明。本件、通常失踪事案に非ず。電脳犯罪課、朝霧芙蓉、東雲瑠璃、両名の調査適格確認済み。即時、初動対応に移行せよ』


そして、通信は途絶える。


「……どうします?ログに問題がある時点でHELIX法(Human-Entity Life Integration eXperiment)に引っかかると思うんですけど、なんか、きな臭いですね」


HELIX法とは記憶転写および人格再構成に関する国際的な管理法であり、一般人がMNS転写に手を出すことは重罪である。

それ故に、監視の目も隅々まで行き届いており、熟練のハッカーでも手を出せない部分だ。


「ここまで言われたら、対応しないわけにはいかないでしょ。とりあえず、様子を見に行きましょ」


「了解。装備はどうします?得体が知れないんです、電脳過負荷グレネードでも」


「いらないわね。SHELL(Systemic Harm Evacuation Layered Lining)とTRACE(Tracking Residual Analytical Cognitive Engine)で十分よ」


外部からの電脳・仮想干渉を遮断、防御するスーツのSHELLと情報の追跡と解析を行う小型端末のTRACE、この二つが基本的な装備だ。

攻撃的な兵器もいくつかあるが、そんなものは今の平和な世の中で使用することは稀だ。


「でもでも、四十三区ともなれば貧困層もいるわけで、護身用の武器ぐらいは必要じゃないですか?」


「そういう考え方はよくないわよ。……でも、そこまで言うならNERVE(Neurological Emergency Response Voltage Emitter)ぐらいは持っていきましょうか」


「えぇ〜!実弾じゃないんですか?」


NERVEは神経回路に作用する小径の弾丸を放つ小型銃だ。

殺傷能力はなく、対象の動きを止める際に使用される。


「忘れたの?ここは平和国家、日本よ」


「とほほ。もっとこう、血湧き肉躍る事件はないもんですかねぇ」


この娘は人々の命を守ると本気で想いながらも、古い映画のようなドンパチに憧れている節がある。

いつか馬鹿なことをしでかさないかと気が気でない。


「ほら、さっさと準備して。素早く動かないと、ボスの小言が脳に焼き付くわよ」


「うへぇ、それは嫌ですね」


ようやく重い腰を上げ立ち上がる彼女。

さぁ、仕事開始だ。

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