無用の長物
才能を持つ者は
選択肢が与えられ
才能を持たざる者に
選択権は無い
迷いたくなければ
才能などに
縋る必要は無いのだ
「自分には才能が無い」と嘆いている人間がいるが、実に愚かしい事だ。確かに嘆く事しか能の無い君には才能は無いのであろう。だが、「天才」は滅多に存在しないから「天才」なのであって、才能なんて物は、ハナから誰も持ち合わせていないのである。
例えば、「人は何か一つだけ才能を持っている」として、貴方の才能が「舌が鼻の先に付く」といった物であるとするならば、如何思うだろうか。それは才能であるかも疑わしい。寧ろ、「要らない物」として端に追いやっても、問題は無いと言えよう。
だから、必ずしも「才能を持っている」事が素晴らしいとは言い切れない。用途が無ければ意味は無い。才能に縋る事自体、ナンセンスであるのだ。
しかも、才能と言う奴は意外と厄介者で、持っていれば持っているだけ気になってしまう。「舌が鼻の先に付く」という事でも、絶望感に苛まれてしまうのは何故だろうか。心底、「如何でも良い」と思えてはいない。つまり、才能を意識し過ぎる事で、固定概念という檻の中に囚われてしまっている状態と言えるだろう。自ら可能性を潰してしまっているのだから、「本末転倒」と言った所であろうか。
だからこそ、才能なんて必要は無いのだ。才能の所為で迷いが生じる事もある。何も無い所から始めたって良いじゃないか。恋も夢も追い駆けている時が楽しいのである。
大体、才能の有無などという物は、自分で判断する物ではない。更に、仮に他人から評価されたとしても、その人物が正しいか如何かも分からない。そんな状況で才能について彼是悩んだ所で、結果として生み出される物は大した物ではないと、思わない方が如何かしているのだ。